Leonna's Anahori Journal
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2003年02月19日(水) NO WAR

イラク攻撃準備のため湾岸地域にあるアメリカ海軍が、訓練されたアシカを使っているというニュースを聞いた。海中からの攻撃に備えてパトロールさせているのだという。

最初は真に受けていなかった。ナンチャッテニュースだと思っていたのだ。
ところがこの話、どうやら本当であるばかりか、アシカに加えてイルカも使ってるらしいのだ。

この世界はいったい何時から、ヴォネガットの小説世界を模倣し始めたのだろうか。こんなときキルゴア・トラウト氏(ヴォネガットの長篇に度々登場する小説家)だったら、必ずやこう叫ぶに違いない。
 
 
 チリンガ・リーン! このクソッタレ!
 
 
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先日から読んでいるヴォネガット、『タイムクエイク』のなかでキルゴア・トラウト氏はキッパリと、こう断言している。曰く、

「人生はクソの山だ」。

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フランスの女優、ジャンヌ・モローもごく最近のインタヴューで、日本の若い小説家相手にこう語っている。

「この世界はクソだらけなのよ、OK?」

そして、そのあとでこう続けた。

「誰もがうんざりしているわ。だから私は女優として、そこにさらにクソをつけくわえるような仕事をするつもりはないの」。
 
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再び『タイムクエイク』に戻る。ヴォネガット曰く。

十九世紀アメリカの作家マーク・トウェインは、娘が急死した直後のエッセイにこう書いた。「私は成人してからこのかた、解放された友人たちが復活することを一度たりとも願った事がない」。解放とは即ち死ぬこと。そして、急死した愛娘の復活をも望まなかったという。

七十代になったトウェインは、自分自身にも、ほかのあらゆる人間にとっても、人生はストレスの多すぎるものだと感じていたのだ。そして、そのことについてヴォネガットはこう書いている。

「トウェインは生きて第一次世界大戦を見ることがなかったのに、当時からそう感じていたのだ」

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このトウェインの話を読んで、私の頭の中に電球が点った。ハハーン。

ところかわって、こちらはニッポン。
地下鉄サリン事件、911(NYテロ)はもちろん、二十一世紀の世界を見ることなく1970年に自らこの世とおさらばした作家、三島由紀夫。その三島が死の少しまえに遺した有名な言葉に

「無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」

というのがある。これは彼が、戦後民主主義とそこから生ずる偽善について説いた言葉だそうだが、これって要するに

「とうとう日本も、じきクソの山になっちゃうらしいぞ。オレにはわかる、もう臭いはじめてるから」

…ってことだったんだね。
からっぽで、抜け目がない。たしかに。イラクと戦争したがってる乱暴者に対して、わがニッポン国の大将のとった行動、言った言葉を思い出してみれば、こりゃ正鵠を得ているとしか言いようがない。

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世界中で、かつてない規模で巻き起こった反戦行動。皮肉なことだが、これは911ニューヨークテロの生々しい記憶と結びついてのことだろう。
特権階級にない、つまり何か事が起こったら逃げ場を持たない善良な市民は、同じ立場にあって不幸にもNYで(またバリ島で)命を落とした多くの犠牲者の声なき声をこう聞く。

「こんなこと、人間が人間に対して行って良いはずがない!」

しかし、ある少数の邪悪な耳を持った人間は、続けてこういう声を聞くらしいのだ。

「…だから、あいつらにもこの苦しみを味わわせてやってくれ。打ちのめせ!」

持ってる耳も邪悪だが、特権に守られながら何とかして戦争に持ち込もうと画策する姿はさらに滑稽でたとえようもなく醜悪である。

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だから。私が、吹けば飛ぶようなこのHPのプロフィールに

 モットー: 面白くもなき世の中を面白く

などと書くのは、かっこつけでも、語呂合わせでもなんでもない。私だって、けっしてキレイでも正しくもない世の中でせめて機嫌良く最後まで遊び続けたいと思っているのだ。

でもな。もし本当に(ほんっとーに)イラクから正しい情報を得る手段が戦争しかないのだとしたら、私たちの人生はクソにも劣る、クソ以下のものになってしまう。
そうしたらもう、どんなに楽しい(寿命が尽きるまでの)暇つぶしを考えついたところでおっつかないではないか?

 
 
 
 
 チリンガ・リーン! チリンガ・リーン!


  
   


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