Leonna's Anahori Journal
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2002年12月11日(水) 鳥肌カレー

冬晴れ。今年最後の眼科受診に出かける。
そのあと、銀行に寄ってから買い物。明日は父の誕生日なので、軽くて歩きやすい靴をさがす。

とはいえ、いかにも老人風だったり介護用品然としたのはいやなので、なんとか軽くて何にでも似合う“紳士靴”をと探し回り、やっとそれらしいのをみつけることができた。父には別のを買ったけれど、G.T.ホーキンスのAIR LIGHTというのも随分軽くて履きやすそうだった。今度オットに教えてあげよう。

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家へ帰って遅い昼食をとるために、マーケットでレトルトのカレーを物色していたら『小野員裕の鳥肌の立つカレー』というのがあって、そうとう悩んだのだけれど、結局買ってしまった。

急いで帰り、鍋の湯にレトルトパウチを入れて温める。箱のウラには“この味をご堪能していただくためには…”として、ライスとルーを別々の器に盛りつけ、ルーをライスにかけながら食べるのがベターと書いてあったのだが、かまわず平皿のご飯の脇にルーをあけた。

すると、みるみるうちにルーはご飯をとりまき、ご飯は大海に浮かぶ孤島のような状態(しかも浸食され続けてる)になってしまった。鳥肌カレーはチキンの入った辛口のインドカレーで、小麦粉を使わないとても水っぽいルーなのだった。

で、食べてみた結果。うーん…筆舌に尽くしがたいとはこういうことを言うのだろうか。馴染みのない味ゆえ旨いのか不味いのかの判断がつきにくい。敢えて言うなら“辛くてマタリ〜ン”みたいな?たとえば“別の意味で鳥肌が立った”と書いて落とす、なんてことも出来るのだろうけれど、それもちょっと違うという気がする。

…ひとくち食べてみて「これってどういうの?」という疑問が生じる。もうひとくち食べるとこれが「これって四百円弱も払ったことを考えた場合どう言ったらいいの?」に発展する。こういうことを考えながら食べているうちに軽い情緒不安定に陥る。
そうなのだ。私の場合は『鳥肌の立つカレー』というより『情緒不安定に陥るカレー』と呼びたいような状態になってしまったのだった。

特筆すべきは、食べ終わったあとのコップ一杯の水の、まさにみずみずしく美味であったこと!『鳥肌の立つカレー』には、必ずコップ一杯の水を添えること。そして、食べている途中では決して水を飲まないこと。水は最後の一匙を食べ終えてから。コレ、注意書きとして加えるべきだ、絶対。

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あとから箱に書かれた解説をていねいに読んだら小野員裕という人(カレー研究家だそうです)の顔写真の横に太字で「カレーの旨さは、作り手の執念で決まる」と書いてあった。
もしかすると、あの鳥肌カレー独特の味は“執念そのものの味”だったのかもしれない。
  
   


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