Leonna's Anahori Journal
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午後から晴れるという天気予報を信じて洗濯したのに土砂降りの雨。 昼から洋光台の父の家へ。傘をさしてもジーンズが雨でぐっしょり。
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雨といえば先週か先々週、明け方近くに母の出てくる夢をみた。学校とも会社ともつかない大きな建物の玄関口で、夕方、訪ねてきた母と私が話をしている。仕事だか授業(もしくは部活)だかを抜けてきた私は下足入れを背にして立っている。暮れかかっている外の空の色を眺めながら母に「うん、でもその話は私が家に帰ってからゆっくり聞くから」と言っている私。「いまここで話しても仕方がないもん。本当に、帰ったらゆっくり聞くから。ね?」。 それでも母はおだやかな調子で「でも、ね、」と話すのをやめようとしないのだ。夢の中の私は大して困ったとも思っていないふうで、やや前屈みになりながら、いつまでも母の話に耳をかたむけていた。 朝目が覚めて、ベランダに面した窓のカーテンをめくってみると、雨が降っている。私は、なるほどそうだったのかと即座に了解した。 ベランダには昨夜洗った洗濯物が干してあった。その生乾きのシャツや靴下に、未明から降り出したと思しき強い雨のしぶきがかかっている。母が私に知らせたかったのはこのことだったのだ。
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きょう、父にこの話をして聞かせると「俺はね、いまでもそこの部屋に礼子が寝ているような気がして、つい声をかけちゃうことがあるんだ」と言う。結婚して以来母と離れて暮らしてきた私と父とではこういうところが違うのだろう。
私にとって母はすでに“遠きにありておもうもの”だった。そのうえ母は病気がちで黙って寝てばかりいたから、さらに強く“精神的な存在”という感じがした。母が、亡くなったあとも相変わらず“いる”ような感じ(気配)が強いのは、そんなことも関係しているのだろうか?
…そんなことを考えていたらめずらしく、すごく久しぶりに、病室で身体を拭いてあげたときの母の体温や感触が生々しくよみがえってきた。“生身の母”の逆襲。サーッという雨の音を聞きながら父の家で、いっとき、身動きもできずにいた。
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