Leonna's Anahori Journal
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2002年10月24日(木) |
朝吹登水子の巴里のはなし |
午前中、労働基準監督局。午後、横浜へ。
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行き帰りの電車で『私の巴里物語』を読む。著者は朝吹登水子。私は十代の頃、サガンの小説のほとんど全部をこの人の訳で読んだ。その当時はなぜか白髪混じりのオカッパ髪をした初老の女性だと思いこんでいたのだが、実際の朝吹登水子はグラマラスな美女で、女優と見紛うばかりの美しさである。(こういう、たおやかで迫力のある美女はもう日本では絶滅してしまった、のだろうか?)
その『私の巴里物語』を読んでいたら、まだ駆け出しだった登水子と石井好子(シャンソン歌手)が共同で借りていたアパルトマンへジャン・ジュネ(!)を招待したという、若き日のエピソードが出てきた。 登水子が、私の兄(仏文学者の朝吹三吉)はあなたの『泥棒日記』を訳して十キロ痩せたのですよと言うと、ジュネは「僕、そういうの大好きさ」と満足げに答えたそうだ。 私は幸福で涙が出そうになった。あたしだって、そういうジュネ大好きさ。
少し横道にそれるけれど、ジュネといえば八十年代(だったと思う)に日本へ来たとき、夕刊の文化欄に載った取材記事のことが忘れられない。そのときジュネはフジコという精悍な感じの女性を伴って取材場所へ現れたのだが、男色家の彼のこと、フジコ嬢が女性であるという保証はどこにもない。 しかしジュネは男女の違いに関する質問に対して、男であれ女であれ緊張感(精神的な機敏さやそこから生ずる美、と私は解釈した)のない人間は嫌いであると答えて、それ以上野暮な詮索をさせない雰囲気を作ってしまった。
まだ若くて柔らかい脳味噌にこんな素敵な刺激を受けて、人生に影響が及ばぬわけがない。いまだにジュネは、誰がなんと言おうと“私の聖人”なのである。
-- ほかにも彼女の家には白洲次郎が訪ねてきたり、友人の結婚披露パーティのお客として藤田嗣治、荻須高徳らがやってきたりするものだから、私の心臓はコトコト言いっぱなしだ。(仮装舞踏会で葛飾北斎に扮したフジタは、眼鏡まで外して、まるで“そこいらのオイチャン”。可笑しい)
今日はサルトル、ボーヴォワールとの交流の部分まで読んだのだけれど、登水子の一人娘の入試結果を心配して訊く二人(ふたりとも昔、高校の教師だったそうだ)との会話が面白い。 ボーヴォワールがせっかちに「どうだった?」。登美子が「受かりました。優秀賞付き一番で」。そうしたらサルトルが「女性の優秀性を証明したってわけだ」。 そのあと、三人で朗らかに笑ったそうだが、私も電車の中で大笑いしそうになってしまった。
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