Leonna's Anahori Journal
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2002年04月22日(月) |
ジャン-ルー・ダバディ氏をめぐる冒険(2) |
…ところが今月18日になって突然、私がJ-L・ダバディ氏の作詞した曲を(そうとは知らずに)ずっと聴きつづけていたということが判明した。
この日私は二枚のCDを交互にかけながら“恋するラジオ”というタイトルでジャーナルを打っていた。CDは両方ともジュリアン・クレールという歌手のアルバムで "Julien"(97年発表)と、"Ce n'est rien 1968-1990"というベスト盤。
ジャーナルを打ち終えて何の気なしにベスト盤のライナーを開いてみていると、ラストナンバー"FAIS-MOI UNE PLACE"の作詞者が、フランソワーズ・アルディとなっている。おやアルディだ、他にも有名なアーティストに書いて貰ってるのかなと思って当たってみると、75年の作品"PARTIER"を含めて4曲の作詞者に Jean-Loup Dabadie のクレジットが…。
Jean-Loup Dabadie ???・・・Jean-Loup Dabadie !!!
じゃっ、じゃっ、じゃん・るー・だばでぃって、これダバディ(父)じゃん! …と、こういうことになった訳なのです。
ちなみにジュリアン・クレールというのは60年代後半から70年代にかけて活躍したフランスの男性歌手。自ら作詞作曲も手がけるが、甘いマスクと漆黒の巻き毛でアイドル的人気も高かった。(当時、日本でも大変な人気だったというけれど私はあまりよく覚えていない)。
私がジュリアンを知ることになったきっかけは、'90年頃、友人がダビングしてくれた"FAIS-MOI UNE PLACE"という彼のアルバムのテープ。「パリで買ってきたんだけどアナタが気に入りそうな感じ。聴く?」と。で、聴いてみたらこれが、アダモ風の歌い上げるシャンソン。でも、ククク…と泣けてくるくらい私好みの音楽だった(笑)。喉の奥でガラガラいうような、タバコの吸いすぎみたいな、でも独特の甘い響きのある、ラテン系の男性に特有の声。日本人男性にこういう声を出すひとはいない。おそらく、骨格だの声帯だのの段階で違っているのだろう。
このジュリアン・クレールとの邂逅に関しても書けばいろいろあるのだけれど、長くなってしまうのでここでは端折ることにする。するけれど、ひとつだけ書いておくと、ジュリアンと日本のレコード会社の契約はとっくの昔に切れていて、日本盤はもちろん、外盤でも入手はまず不可能な状態。前掲の二枚のCDは私が97年暮れにパリへ出かけたときに向こうで買ってきたものだ。ジュリアンは確かにいまは、60〜70年代ほどの人気はないだろう。しかし最近の彼が到達した円熟の境地には、あの時代にはなかった魅力が横溢している、と私は思う。
えー、何が言いたいのかというとつまり、私は彼のディスクが欲しい!(笑)。アソコへ行けば外盤が置いてあるよとか、中古のレコードをみた、あるいはウチの店にあるよという情報があったら、教えて戴きたいのです。ヨロシクオネガイシマス。
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話をJ-L・ダバディ氏へ戻そう。 ジュリアンのベスト盤に収録されているJ-L・ダバディ氏作詞の曲は以下の4曲。
"PARTIR" "LE COEUR TROP GRAND POUR MOI" "MA PREFERENCE" "FEMMES...JE VOUS AIME"
ま、読めないし、意味もほとんど解らないんですけどね(笑)。 それでも"LE COEUR TROP GRAND POUR MOI"は特に好きで、わからないなりに♪♪ ジャァヴゼム!ジャァヴゼム!ジャァヴゼム!…とサビの部分はいつも一緒に声を出して唄ったりしていた曲。それだけにこの歌詞を書いたのがBF氏のお父さんだと思うと、あまりの奇遇に改めて驚いてしまう。 また、アルバム"Julien"にもダバディ氏作詞の曲が入っている。
"elle danse ailleurs" "on peut rever"
この2曲は昔のナンバーにくらべると、一段と深みを増した大人の歌という印象が強い。"elle danse ailleurs"なんか、目を閉じて聴いていると、明るい憂愁と一緒に幸福感がヒタヒタと押し寄せてきて、何ともいえない気持ちになる。
そういうとき、このあいだまではこの曲の作詞者が誰かなんて気にもとめなかったけれど、いまは「ああ、これ如何にも『夕なぎ』を書いた人に相応しい、素晴らしい曲だなぁ!」と、そんなふうに思うのだ。
私はあなたの書いた映画や歌の世界が大好きです。ダバディさん、どうもありがとう、メルシ・ボクゥ。
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