Leonna's Anahori Journal
DiaryINDEXpastwill


2002年02月24日(日) 聞けなかったこと

書店、パソコンショップ等に用事あり、T田沼へ出かける。

T田沼周辺はいつもと変わらぬ休日の人出。その変わらぬ町の様子が、何となく悲しく、腹立たしい。いっそのこと駅前の商業地区一帯が一夜にしてどこかへ消えてしまった、なんて事になればいまの私の精神状態とうまく釣り合いがとれるのだろうけれど、そんなことがおこるはずもない。「景色が目にしみるぜ」てな気分で鼻をすすり上げながら涙をこらえて歩く。はたから見たら、ただのヘンなオバサン。

ところが。そのあと、チョットお腹が空いたね、ということになり蕎麦屋へ入って玉子丼を食べた。そして勘定をすませておもてへを出てみると…なんと、あのカナシミの感情が半減しているではないか。
すると、なにか。あの心を浸食してくるような悲しみの半分は、単なる空腹感だったということになるのか…。また別の意味で暗くなる。

--

食べる、といえば。生前、母に何度も聞こうと思いながら、とうとう聞けずじまいになってしまったことがある。

一昨年の暮れ、このHP上で『二十世紀最後の晩餐』というアンケート企画を実施した。そのとき、父と妹には「今年の大晦日、何でも願いが叶うとしたら、どこで誰と何を食べたいですか?」と質問してその答えをアップしたが、その同じ質問を母にはしなかったのだ。

当時母は入退院を繰り返す状態ではあったけれど、細かいことはともかく、「もし何でも食べられるとしたら何が食べたい?」もしくは「お母さん一番好きな食べ物は何?」という質問くらいには答えられる体調だったと思う。その後も、企画云々は抜きでいつか聞いてみたいと思いながら忙しさに紛れ、そうこうしているうちに母は、とてもこのような質問に答えられるような状態ではなくなってしまった。

病気を理由に、私たち姉妹が子供の頃から、半ば“おみそ”のように扱われることの多かった母。行楽には父が娘二人をつれて出かけ、母は留守番というのがわが家の常だった。本人は平気な顔をしていたけれど、我慢することばかりでどんなに寂しかっただろう。そう、やっと気が付き始めたのはここ数年のことだ。せめてこれからはお母さんを中心に。絶対仲間はずれにはしない、ときめたはずだったのに。ついに母には「何が一番好き?」と訊けないままになってしまった。

--

とはいうものの、べつに、深く懺悔してうなだれているという訳でもない。そんな大げさな事でもないのだ。アタシ、またやっちゃったワ!ママ、ごめんなさいという感じ。それから、もし訊いてたらお母さん何て答えたかなあ、などと時々ぼんやり考えては楽しんでいる。そりゃチョットは悲しくなることもあるけれど、「鱒のすしかな、鰤のカマかもしれないなぁ」なんて考えるのは、ほんのりと楽しい。

そういえば、これも終わってしまった企画だけれど『デジカメ練習帳』。あのページにアップした写真の多くが母を病院へ訪ねる行き帰りに撮ったものだった。花曇りの日、満開の桜の下で遊ぶこどもたち。住宅街で出逢った、前あしの不自由な猫。税理士事務所のドアのおかしな掛札。日が沈むまえの最後の光芒の中で静まり返る公園、等々…
写真に撮らなかったものも含めて、母がこの二年ほどの間に私に観させてくれた風景が、あとからあとから脳裏に浮かび上がってくる。きれいだった。楽しかった。アリガトウ、お母さん。

やっぱり今日は、景色が目に沁みるわ。



レオナ |MAILHomePage