ある漫画家の池袋線日記...ばて

 

 

おむすびと青木雄二。 - 2003年09月15日(月)

今日は朝からおむすびを作った。

料理の中で一番苦手なもの。

包丁でジャガイモなどの皮をむくこと。

その次はおむすびをにぎること。

どうしても真ん丸いおむすびしかにぎれない。

どうして三角のおむすびなんかにぎれるんだろう?

どうにぎっても丸くしかならないんだけどな・・・



食べてみた。

美味しいことは美味しいんだけど、ポロポロはじから崩れていって、食べるのに一苦労だった。

これはやっぱり誰かににぎってもらうしかないのかもしれない。





それから余談ですが『桃色村のレイジ』第7話が9月16日(火)発売の漫画アクションに掲載されます。
よかったら読んでいただければ嬉しいです。

今回は水中でのバイオレンスアクションになりました。





今日、アシスタントの人と話をしていて「ナニワ金融道」という漫画の話になった。

そういえば作者の青木雄二氏は先週ガンで亡くなられましたね、と突然びっくりすることを言われた。

青木氏は、記憶に間違いがなければ43歳でデビュー。
あっという間に単行本を2千万部も売って大金持ちになった。

しかし、それから15年後に、この世からいなくなってしまわれるとは。

青木氏は、漫画界の輝ける星だった。

30歳を過ぎれば漫画家になんかなれないという変な常識のようなものが、かつてはあった。

しかしここ数年そんな言葉はだんだんに言われなくなってきている。
それはおそらく青木氏の功績が大きい。

青木氏が講談社の新人漫画賞に作品を応募し、賞を取り、表彰式のあったその日。

その年齢を聞いた編集者や、そこに居合わせた人は、冷たい視線で青木氏が表彰状と賞金を貰い受ける所を見ていた。

それも大賞でも準大賞でもなく、もっともっと下の小さい賞である。

この人の姿を漫画界で見かけることは、もう金輪際ないだろうと、みんなが思ったことだろう。

しかし、43歳の漫画家志望に声をかけた一人の編集者がいた。

そして集中連載。

人気をかっさらい、飛ぶ鳥を落とす勢いで、一躍、漫画界の寵児へと登りつめていったのだった。

年齢がかなり行ってしまっても、いつまでも漫画家を目指し、アシスタントをしている人たちがここ東京には五万といる。

才能がありながら、なかなか見つけてもらえないで、年齢を重ねている人も沢山いる。





↑クリックすると次の言葉が出ます。



青木氏は売れに売れ、凝縮した人生をここ数年送っていかれたのかもしれない。
しかしこれだけの業績を残してくれた人なんだから、数十億というせっかく稼いだお金で、楽しい人生を長々と送ってほしかった。


偉大な漫画家、青木雄二氏に、心からのご冥福をお祈りいたします。









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