2005年08月15日(月) 終戦記念日

ちょうど60年前、大戦が終わった。
しかし、その影響はいまだ続いている。
その戦争が残した表面上の傷跡はほとんど消えたが、中に入り込んだ傷はまだまだほとんどいえていない。
その最たる例が靖国だったりします。

まあ、背景はほかのHPにもあるだろうから、書きませんが。

8/15になると、必ず街頭のインタビューを行う。
で、みんながみんな、「どうやったら戦争がなくなるだろうか」という言葉を発する。

でも、戦争って確かにごく一部の人間が始めるんだけれど、その背景はやはり全員の意思が多かれ少なかれあるんだと思う。
ほかの国に対する不満、自国が虐げられているという不信感。etc……。
その根幹って、やっぱり自分に対する不利益、なんだとおもう。
国とかプライドとかなんてのは後のせでさ。
すべては自分が何かしらの不利益を得ているから、それを払拭しようとしてアクションを起こす。それがある程度の人数がそろい、その標的が外国、もしくは外国の所有物、外国産物に向けられると、それは経済摩擦になり、やがて戦争に形を変える。
戦争、っていうとたいそうなものに聞こえるけど、平たく言えば『自国以外の何者かに対し何らかの不満が爆発した現象』と定義できる気がする。
内部であれば内戦だし、ごく一部の人間であればテロだし。
戦争だけ強調するけど、おいらはこれはナンセンスだと思うね。

よく、競争心をあおること、順位をつけること、優劣をつけることはよくないというけど、人間向上心なくしたらおしまいだよ。
向上心をなくした人間が五万といる職場にいるおいらが言うのだから間違いない。

結局、上記の問題を回避するためには、まずは戦争って何? という問いからスタートせねばならない。
戦争と似た形態をとる大量虐殺行為であっても、戦争とは呼ばず、お祭りと称する地域、国だってあるはず。
ただ漠然と『戦争だめ!』というのはナンセンス。
それは、『いじめだめ!』というのが意外とナンセンスなのとにている。
いじめを是とするわけではないが、同じような形態をとりながら、いじめではない形態も存在するわけだから。
それは、同じ行為でありながらセクハラになるのかならないのかの境界線があいまいであるのと同じで、白黒はっきりつけられる問題ではないということ。

戦争といじめ、セクハラ。
一見何の関係もない問題も、性質で分析すると非常に酷似したものであるというのがわかってもらえるだろうか。
従軍慰安婦を謝ればいい、とか、そういう単純な問題ではない。

やはり、一度きちっと議論する必要がありそうだ。
もっとも、すごく痛いところをお互いにまさぐるだろうから、かなりつらいものにはなるだろうけどね。


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彩葉 [MAIL]

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