2005年04月27日(水) 電車事故を鑑みて

今回の事故の犠牲者の方に哀悼の意を表します。
今回のは、ニュースを見る限りでは全面的に運転手が悪いように思えます。
そして、会社側の責任も。

今回のJR西日本の事故を見て、我が事のように震え上がった。
乗務員というのは一人の人間だ。
つまり、働いている以外に生活がある。
もし、運行を管理するならば、本当に万全を喫するならば、その人間のプライベートまでも管理しなければならない。

ガス馬車は、乗務から次の乗務まで、最低八時間は開けなければならない。
しかし、規定しているのは「八時間開けなければならない」ことまで。
その後、当然点呼で飲酒の状況や睡眠の状況などを確認はするのだが、それまで。
そこでうそをつかれたらどうしようもない。
つまり、『八時間開けなければならない』のは乗務で、その八時間に何をするかはプライベートなので、その当人に任されているわけだ。
さらに極端な話を言えば、乗務終了後徹夜でマージャンしたり、酒を飲んで寝なくとも、点呼時に「異常ありません」といわれればそれまで、ということだ。
それ以上の詮索はプライバシーの侵害ということになる。

これは、ある意味非常に恐ろしいこと。
権限はないが責任はある、という典型的なパターン。
どんなに管理する側が締め付けても、ガス馬車御者側にその意識がなければどうしようもない。ましてや、労働者という意識を強く持つガス馬車御者にすれば、権利は主張するだろうから、労働時間等にまでぶつぶつ意見してくるだろう。

結局、いろんな法律で規制しようがなにしようが、本人の意思、ということになる。
法律というのは、一見小難しそうだが、風土風習を文面化し為政者が支配しやすくしたもの。その為政者が民主制により選出されたものか、それ以外の方法で選出されたものかによって、その支配の体制は異なるため、法律も異なっているに過ぎない。
しかし、いろんなものを規定している法律の根幹は、「普通の人が普通の生活を営んでいること」を大前提にしている。
つまり、朝起きて夜寝る。大原則はこれ。
それを逸脱する労働を強いる場合には深夜手当てだのがくっついてくるわけだ。

もし、その法律を適用しようとする人間が、その『普通の生活』を営んでいないとすれば……。

考えるだけでぞっとする。
会社に対して法律で締め付けるのも良いが、それが本当の解決になるのかどうか。
事故事件を減らす本当の目的を考えるなら、どうすべきなのか。

為政者、経営者もその辺は本当に考えて欲しい。
普通の生活を送らせるということはどういうことなのか。
普通の教育を施すとはどういうことなのか。
今回の事件は、企業の体制以上に、国の指針が試されている気がする。

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あほはまだぼーっとしてます。


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彩葉 [MAIL]

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