1986年04月02日(水) |
選手紹介 1986年度組 |
ちなみにJrユースでの基本布陣は、こんな感じ。
ナイキプレミアカップ (中2) : クラブ選手権 (中3) :
−−−−−−原田−−町田−−−−−− −−−−− 鈴木真 −町田−−−−−−
− 鈴木真 −−−−−−−−−滝田−− −−岡村−−−−−−−−−−滝田−−
−−−−−−赤星−−枝村−−−−−− −−−−−−赤星−−枝村−−−−−−
− 杉山雄 −志村−−村越− 望月祐 − − 杉山雄−山本真 −村越− 望月祐 −
−−−−−−−−風間−−−−−−−− −−−−−−−−風間−−−−−−−−
山本真希が2年生。 赤星貴文・滝田哲也は藤枝東、町田健好は東京学館 (千葉) に、原田友希・志村裕紀は清水東に進んでいる。
昇格後の布陣は、こちら (高3、高2、高1)
--- 清水昇格 --- ▼鈴木 真司 1986.08.29 [168cm/62kg] FW・左SH 「シンジ」 清水Jrユース (藤枝高洲中) →清水ユース (静岡中央高) 二種登録 (03年) U-14NT・静岡中3選抜 (01年) U-14NT (00年)
深澤Jrユース監督 (当時) から「壊れたおもちゃ」の尊称を贈られた、左足のファンタジスタ。中2では3−5−2の左WBを定位置として高円宮優勝メンバーとなるが、中3では技術を披露できるアウトサイドだけでなく、FWとして体を張る役割も多かった。昇格の際は噂が二転三転したが無事にユースへ進むと、テクニックとスピードで敵味方を振り回すベンチのキープレーヤーに。高2になるとFWか左サイドの定位置を掴む一方、早くもサテライトで得点を上げ、沢登に名前を覚えられる (笑) 。高3ではユースで気紛れなダンスを踊りながら、サテライトでコンスタントに結果を残し、トップ昇格を勝ち取った。
敵味方共に予測不能の、想像を超えたプレーで、常に驚きと感動と笑い (爆) を提供する。その異才は、一つに俊足を飛ばす突破のキレ味、次に爆発力のある左足、最後に失敗を恐れない、したたかな精神力にある。多用するダイレクトタッチに、スピードとパワーと思い切りの良さが乗算されるため、プレーの最大風速が異常に高い。一方で右足も含めた確かなテクニックや当たりに強い足腰など、基本能力は確然としている。サイズ的には恵まれてない選手だが、逆にそれを利用して大柄選手をいなす、良い意味の狡猾さがあり、望月副本部長的には「ズルい森島」になってほしいところか。ちなみにプレースタイルだけでなく、実際にもお調子者で、良いムードメーカーになってるらしい。 視野が狭く、状況の変化を無視して自分の感性だけに従った独善的な選択が多いため、周囲とのズレが目立つ。プレスを怠る選手ではないが (むしろ激しい方) 、周囲のカバーリングを無視した勝手なチャレンジはむしろ迷惑。また、「決めてくれ〜!」と言った決定的な場面で、とんでもない選択 (誰もいないバイタルエリアにダイレクトパスとか…) をしでかすため、活躍に比して得点数が少ない。他にも、自陣タッチライン際でクリアせず、ヒールで味方にパスするようなプレーが、プロの試合の観衆に受け入れられるか甚だ心配だ。だが兎角、毒にも薬にもならない優等生が蔓延する近年のユース世代にあって、自分の色を主張する奇才として、大成を望みたい。
▼枝村 匠馬 1986.11.16 [176cm/67kg] CH 「エダ」 榛原FC/榛原川崎SSS (榛原川崎小) →清水Jrユース (榛原中) →清水ユース (静岡市立高) 二種登録・U-18/17日本代表 (03年) 二種登録・U-17日本代表・U-17NT (02年) U-15日本代表・U-14NT・静岡中3選抜 (01年)
エディー。兄の隼人 (藤枝東卒) がきっかけとなって、サッカーを始めたとか。小学生の時には100M走14秒20で、その年の学年別県28位という記録を持つ。中2からJrユースで中盤の底に定位置を確保、高円宮 (U-15) 優勝の立て役者の一人に。この年には、早くもゼムノビッチ氏によりユースに抜擢され、冬にはJユース杯の決勝にすら交代出場した。中3になると年間を通してユースに合流、昇格と同時に二種登録された。 飛び級でユースやサテライトで起用された時には、FWやアウトサイドなども多く経験しているが、所属チームでは常にボランチという責任あるポジションを確保。高2にしてユースの中心選手となったが、主将となった高3の春先、腓骨骨折の重傷を負う。治りにくい部位であり、またエースとして密着マークを受けたこと、更に主将の責任感から無理して出場した試合もあり、完治が遅れて不完全燃焼で終わってしまった。それでも無事に昇格、プロの世界で真の復活を期す。
捌き・溜め・潰しというボランチの仕事を、忠実にこなす本格派。低い位置から前線を広角度で見る視野を持ち、そこに低くて速いロングフィードを配給する技術がある。ウイングプレーヤーのスピードを最大限に引き出すスペースへのパスは、一級品。また身体能力が高く、守備面ではボールに寄せる速さと、空中戦での競り合いの強さでそれを発揮。一方、攻撃面でも必要ならば体を張ってキープし、ボールの預かり役・溜め役にもなれるが、枝村を際立たせるのは別のプレースタイルにある。 それは、大胆で精力的な飛び出し。中盤の底で起点になるにとどまらず、アウトサイド選手の更に外を回ってセンタリングを上げたり、3列目から前線に飛び込んでシュートを放ったりする。FWやアウトサイドで経験を積んだことで、正確なインパクトでの強烈なミドル、独特の切り返しからスピードを活かした突破、スペースを上手く利用して上げるクロスなど、飛び出した先に応じたプレーが可能。バラックのようにワイドな展開力と大胆な動き出しを持ち味にする、得点力のあるダイナミックなボランチとして完成させつつある (本人の憧れはメンディエタらしいが) 。守備面でも、高1の時は浩太の補佐役として潰しに駆け回っていたし、最終ラインの穴を埋める動きも実直に行う頭脳もある。 ただ、高3では怪我もあって運動量が影を潜め、パサーの役割に終始。余裕のないせいか、ゴール前での憎いほどの冷静さが失われ、得点力に陰りも見えた。しかし、最大の課題はプレーよりも、その内面。見切りの早さは長所でもあるが、何が起こるか分からないスポーツの世界では、古くさい「根性」という要素が確かに必要とされている。決して無責任で、怠慢癖のある選手ではないが、泥にまみれて必死になることを疎むのも事実だ。素質だけなら、間違いなく歴代トップクラス。だが、プロの世界で成功するために必要なのは、むしろ精神面なのである。
--- ▼上埜 健太 1986.04.06 [173cm/64kg] CH・右SH 「ケンタ」 暁秀中→清水ユース (静岡学園→関西大) 、静岡中3選抜 (01年)
沼津・暁秀中学で東部の星として名を馳せたテクニシャン。ユースからの加入だが、実にエスパルスらしい足下の技術を誇り、違和感なく溶け込んだ。1年目から主に右MFとして多くの出場機会を得たが、2年目には後輩の谷野・柴田にポジションを譲ることも多く、築館監督からはFWやら右SBやら様々なコンバートを試された。3年時は怪我がちの枝村に代わって司令塔を任されることもあったが、定位置を掴むには至らず。 そのキックは正確かつ独特の柔らかい軌跡を描き、緩やかなパスが魔法を掛けたように味方の下へ届いていく。冷静な判断と視野の広さが魅力のパサーながら運動能力も高く、意表を突いた強烈なシュートや鋭い突破もある。だが、オフ・ザ・ボールでの動きの質が悪く、特にボールを呼び込む動きに乏しいため、消えやすい。守備でのコンタクトも激しさが欠ける。中学時代の経験からか王様然としたプレースタイルを見せるが、全国レベルで戦うには戦術的素養に不満が残った。
▼風間 翔太 1986.05.02 [175cm/70kg] GK・FW 「カザマ」「カザ」 清水FC→清水Jrユース (清水二中) →清水ユース (静岡北高) U-14NT・静岡中3選抜 (01年)
中2の際、怪我がちの海人からポジションを奪い、高円宮杯無失点優勝を飾ったGK。逆に3年夏のクラブ選手権では、怪我から2年生の前田に正GKを譲った。昇格後は結構な数の出場機会を得たが、ユースの速い展開の中、自分のことで精一杯になってしまい、有効なコーチングができない場面が目立った。海人・前田という2人の世代別代表級GKに挟まれた学年ということもあり、高2からフィールドプレーヤーにコンバートされたが、海人が卒業した04年に前田が負傷で長期離脱、再びGKを務めることになった。 低身ながら反射速度に優れた良いフットワークを見せ、とりわけキャッチングの技術は確か。至近距離からミドルレンジまで、シュートに対する反応は素晴らしい。高1の時に主将の浩太に口論を挑むなど (笑)、闘志や負けん気も大きな特長。一方で、守備範囲を限定する慎重な傾向が見られ、とりわけクロスに対する飛び出しは怪しい。プロの視点で捉えた場合、GKとしてサイズの問題は大きいが、フィールドプレーヤーとしては実力的に、まだまだ経験不足である。
▼村越 大三 1986.05.15 [177cm/70kg] CB 「ダイゾー」 清水FC→清水Jrユース→清水ユース (清水工業高)
清水FC時代から著名な選手であり、小6の時には、フランスW杯関連の朝日新聞のインタビューに対し、「2002年は日本代表に入りたい」と答えている (笑) 。当時からCBで、Jrユース時代は守備の要であったが、昇格1年目は不動の高山・渡邊コンビを前に、殆ど出場機会を与えられなかった。高2でも初めから定位置を掴んでいたわけではなかったが、ボランチやSBも含めて攻守に結果を残すことで、徐々に足場を固め、高3序盤戦こそ怪我で欠場したが、その後は不動のDFリーダーとして若いDFラインを統率した。
最大の武器は、気持ちの強さだろう。プレーが荒くなることもあるが、恐れを知らず、ボールに対して体を投げ出す勇気がある。03年、岐阜工戦で頭から相手のタックルに飛び込んで流血、救急車で運ばれたが、2週間後の磐田ユース戦では包帯を巻いてヘディングを繰り返し、見ている方がヒヤヒヤしたほどだ。また運動能力、特にスピード・ジャンプといった瞬発力に優れ、精神的な粘りと相まって、1対1が非常に強い。また、例えミスをしようと常に声を出すことを怠らずに、チームを鼓舞することができる。セットプレーでも、大胆な飛び込みで攻守に貢献。一方、正確なロングフィードの持ち主で、ボールを持てる余裕があれば、速く低く正確な50M超級ロングフィードを通してくる。 ただし、体の入れ方など守備技術の拙さを、ユニフォームを引っ張ったり、テクニカルファウルを犯すなど、マリーシアで補おうとする部分があり、安定感が欠ける。思い切りが良いだけに、逆にフェイントに引っ掛かりやすい傾向もあり、インターセプトの狙いを外して裏を取られることもある。なお、身長177cmについては、一部で詐称の疑いを持たれている (笑) 。某大学進学予定。
▼望月 祐甫 1986.09.11 [175cm/72kg] 右SB 清水FC→清水Jrユース→清水ユース (静岡学園高) 判断と技術で勝負する右のアウトサイダー。飛び出しのタイミングに長け、巧く抜け出して正確なキックでラストプレーに絡む。運動能力は高くないが、落ち着きとテクニックがある。残念ながら3年間、ほどんど出場機会はなかった。
▼岡村総一郎 1986.11.01 [171cm/54kg] 左SH・左SB 「オカムラ」「オカ」 富士根南SSS→清水Jrユース (富士宮富士根南中) →清水ユース (静岡学園高)
00年高円宮優勝メンバーだが、その時は同ポジションに同学年の真司がいたため、試合出場はなし。中3で左SHとして定位置を掴む。昇格後も同じ左SHで交代の切り札的に使われてきたが、定位置を掴んだのはやはり最終学年、同ポジションの真司がFWで固定されてから。しかし、それからは快足を飛ばす切り込み隊長として、主戦を張ってきた。
強気で鳴らすドリブラーで、DFの間をすり抜けるような俊足を飛ばす。スペースへ抜けてパスを受ける動きも、自ら持って仕掛けるドリブルもあり、そのどちらもがスピーディー、全力疾走で一生懸命という印象が強く、好感を持てる。サポーターにも「オカチャン」の人気は絶大 (笑)。もともと、Jrユース時代は浩太や大瀧以上に小さかったため (161cm/46kg) 、細かなステップワークを得意とし、マークを外してクロスを上げるのが巧い。あまりロングキックが得意ではないが、クロスは相当練習したのだろう、長短緩急、種類が豊富である。 ただ、成長期が遅かったこともあり、筋力に乏しくコンタクトに脆い。更に常にスピード全開というプレースタイルもあって、消耗が早く、スタミナ不足が大きな課題になっている。「緩」を苦手とするのは守備でも同様で、安易に相手に飛び込んだり、誘いに乗ってファウルを犯す傾向も。前に向かって走っている時には輝くが、後ろへ押し込まれると弱い。某大学に進学予定である。
▼杉山 雄也 1986.12.30 [184cm/76kg] 左右SB・CB・FW 「ユウヤ」 清水FC (清水庵原小) →清水Jrユース (清水庵原中) →清水ユース (静岡学園高)
大きな注目を浴びたことは少ないが、速さと高さを足下の技術を兼ねた無印良品。Jrユース時代から177cmという長身を誇っていたが、意外なほどに競り合いに弱く、不安定なパフォーマンスが続いた。この課題は昇格後も続き、1年目は殆ど出場機会を得ることができず、2年目も定位置を掴むまでには至っていない。飛躍の期待された高3では怪我に泣き、夏に引退してしまった。 Jrユースの頃は長身なだけで、骨格も筋肉も全く未完成であったが、最近では韓国高校生を相手にしても全く引けを取らない立派な体格を有している。だが、体格に頼らないプレースタイルが何よりの特徴で、長所かつ欠点。この手の大型DFにありがちな鈍重さは無く、スピード豊かな攻め上がりに、足技と体のキレで勝負するドリブル突破まである。足下も確かで、アーリークロスも配備。しかし、体格の活かし方を知らず、大型DFにはガツガツ来られるのが最も嫌がられるのに、彼はどこか消極的。経験不足からかポジショニングの問題でマークを離してしまうことが多々。GKのコーチングが、最も集中する選手の一人である (苦笑) 。
--- ▼杉崎 太雄 1986.06.15 [174cm/60kg] FW ジュビロ沼津スクール (長泉中) →清水ユース (→清水東高) 2年生の時に長泉中の4×200mリレーメンバーで東海2位、3年生の時には、400M走 52.65で県内5位の記録を持つ、トップアスリート。昇格で名前が判明すると、エスパユースヤクザの間で、どよめきが起こった (笑) 。なかなかプレーを見る機会がなく、筆者ほか一部で、期待感が膨らんでいるらしい。結局、最終学年を前にチームを去り、在学する清水東サッカー部に移籍した。
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