1987年04月02日(木) |
選手紹介 1987年度組 |
ちなみにJrユースでの基本布陣は、こんな感じ。
ナイキプレミアカップ (中2) : クラブ選手権 (中3) :
−−−−− 久保田 −中村−−−−−− −−−−−−山本−−中村−−−−−−
−−八木−−−−−−−−−−村松−− −−八木−−−−−−−−−−柴田−−
−−−−−−山本−−堀池−−−−−− −−−−−−池田−−村松−−−−−−
− 高野美−望月大 −石垣−−柴田−− −−佐野− 高野美 −石垣−−堀池−−
−−−−−−−−前田−−−−−−−− −−−−−−−−前田−−−−−−−−
佐野克彦、池田康彦が2年生。 中村祐輝が藤枝東、村松翔人が静岡学園、久保田英壮が静岡、堀池翔・望月大嗣が清水東に進んでいる。
昇格後の布陣は、こちら (高1、高2、高3)
--- トップ昇格 --- ▼山本 真希 1987.08.24生 [176cm/67kg] CH・右SH 「パニ」 FC島田/大津小SSS (島田・大津小) →清水JY (島田二中) →清水Y (静岡学園高) U-20/18代表 (05年)、U-19日本代表 (04年) 、U-16日本代表・U-16NTC・静岡高1選抜 (03年) U-15日本選抜・U-17/14NTC・静岡中3選抜 (02年) 、U-14日本選抜・U-14NTC (01年)
検索エンジンで見つかる多くの「山本真希」という「女の子」は、別人 (笑) 。真希は「マキ」ではなく、「マサキ」と読む。だが、チーム内での呼び名は「パニ」。意味不明の呼び名だが、エスパルスニュース04年9月号で『ミニストップのパニーニ』というキャラクターに似てたらしいです…」と、自ら由来を明らかにしてくれた。でも、それって『ファミマのパニーノ』のことでは…、二重に勘違いしてるぞ (笑) 。試合中は、谷野が「タニ!」と呼ばれるので、実に紛らわしい。 小学生から地元でノンストップ・ドリブラーとして知られた真希は、Jrユース加入後、中1の冬に高円宮 (U-15) 優勝メンバーとなり、中2ではCBとして定位置を確保。中3では主将に着任、少年団以来のFWに戻って迫力あるドリブルを披露する。一方でユースに合流し、右SHしてクラブ選手権 (U-18) 優勝に貢献した。 ユース昇格後、蓄積疲労で国体選抜を辞退する危機もあったが、高2になるとU-19/18代表選出、プリンス東海得点ランク2位、トップデビューと、「怪物」は順調に成長を遂げる。高3、ユースでも主将に就任したが、春休みにトップ練習に参加するとそのまま合流し、4月16日の大分戦でJリーグデビュー。一時は週末の試合のみユースに戻っていたが、8月のクラブ選手権欠場を決めると、10月1日プロ契約。正式にユースを卒業した。
高い基礎筋力と正確な基礎技術が目立つ選手だが、その下地になるのが判断の速さ。ボールを受けてから/奪われてからの超反応は驚異的で、ファーストタッチでマークを外すと直後にパスを送り、奪われると即座にファーストディフェンスに食いつく。加えて、豊富なスタミナと、それを惜しまない精神的な強さがある。こうした基本能力に優れているため、ポジションや出場時間に関係なく、自分の良さを存分に発揮し、流動的なポジショニングが可能なのだ。 また、的確なインパクトによる、低く強いブレのないロングキックには、見ていて唸らされること必至。高2では決定率30%超、枠内率60%超という威力と精度を兼備したシュートを習得し、ミドルレンジから相手ゴールを撃ち抜いた。反面、調子に乗らせたらボールは出てこず、躍動感溢れるドリブルで一息にゴール前まで突き進む。根性と闘争心に溢れ、高1で国見の選手を吹き飛ばすなど、臆することなく競り合いに強い。 判断は速いのだが、リズムに強弱を付けるのが苦手で、展開が単調になりがち。浩太や枝村のように、味方の動き出しを促すようなパスや意外性のあるスペースへの動き出し、意図的に「緩」を交えて相手をいなすようなプレーを不得手にしている。あと、意外に短気。我慢できずに飛び込んでしまったり (ユースレベルでは、それで何とかしてしまうが)、過去には遅延行為で警告を出した主審に暴言を吐き、退場させられたことも。
--- ▼谷野 由紘 1987.04.08生 [170cm/68kg] 右SH・CH 「タニ」 1FC伊勢丘FC→IFC福山 (福山市鳳中) →清水Y (静岡学園高)→専修大学 U-14NTC (02年)
この期の唯一の外部参入組。中3の時に、FWで中国地区からナショナルトレセンに選ばれている。清水加入1年目に、コミュニケーション不足を補う活躍で、右SHを中心に準レギュラーになるが、1年生の終盤に篠田悠の復帰で先発11人枠から押し出される。高2でもアウトサイドに突破力を求める築館氏の構想から外れた格好になったが、氏の辞任後に監督を代行した望月氏からは相応に重用された。しかし、最終学年では断続的な怪我に悩まされ、満足な出場時間を得られなかった。 太田・日高・獅子内といった外部参入組と同様にドリブルが魅力だが、単なるスピード勝負よりも、体を巧く使ってマークを押し退けながら、ドリブルするのを得意としている。ただ、今までのどこか荒削りだった外部参入組と違い、谷野は判断力とポジショニングに優れ、スペースを有効活用する術が身に付いている。そのため、やや後方に位置して守備に参加しつつ、広い視野から正確なパスを配給して組み立てる仕事も任されるようになった。守備も戦術的で、競り合いにも強い。セットプレーを託されるように、キックは質も高く、パワフル。万能型であり、安心して見ていられる選手だが、それは同時に、ズバ抜けた独自の武器に欠けるところがあった。
▼篠田 悠輔 1987.04.20生 [170cm/64kg] FW 「ユウスケ」 清水FC/東海大附属小→清水JY (清水八中) →エスパニョール (バルセロナ日本人学校) →清水Y (静岡サレジオ高)→富士常葉大 二種登録 (04年) 、静岡中学生選抜 (00年) 、U-12NTC (99年)
篠田大輔の実弟。清水FC出身で、全日本少年大会では10番FWとして3位、99年U-12NTCCにも選ばれるなど、早くから注目されていた。Jrユース加入早々、1代上に混じってナイキ杯出場 (準優勝) 、冬には2代上に混じって高円宮杯にも出場 (優勝) している。すると、その次の春、前年夏に清水Jrユースと小学生チームが対戦したスペイン一部エスパニョール (当時、清水FCの先輩・西澤明訓が所属) が高野一の移籍を要請、悠輔は清水側に推薦され、2人ともに下部組織 ("INFANTCIL A") に移籍していった。 移籍後、初戦でハットトリックデビューを飾ると (試合は6−1) 、異国の環境に苦悩しながらも、翌年は18得点で州リーグ2位に貢献。チームのU-16スペイン代表FWに劣らぬ活躍で、監督も「このまま頑張ればプロになれる」と期待していたそうだ。更に上のカテゴリへの昇格を打診されていたが、高野一が日本に戻ることが決まると、悠輔も帰国を選択。最終的な所属は、"CADET A" だった。日本での1年目は、569分の出場で4得点の成績を残している。2年生ではプレー幅を広げようとサイドで試されたが、消化不良に。その頃から怪我が増え、3年目にも定位置を掴めなかったが、最後のJユースカップでは265分出場6得点と、さすがの得点力を見せつけた。
スペイン留学を経て、悠輔のプレースタイルは大きく変わっていた。留学前は常に目立つドリブラーだったが、今はゴールの瞬間のみ目立つストライカーである。ラウールをボールをゴールに流し込む術にかけてのみ唯一無二の存在、という評価があるが、悠輔もそれに近い。スピードがあると言われるが、サイドスペースへの動きは少ない。巨漢DFに潰されることも多い。しかし、意図的な激しい緩急の差で隙を作り出し、その隙に決めてしまう冷静さと、ゴールを「盗む」技術がある。正確なトラップと、GKの呼吸を外す間合いと、フカす気配すらない低く正確なシュートは、玄人好み。日本人標準からかけ離れた「マリーシア」も、特徴の一つ。 PA内ででの凄みに比べ、PA外では平凡。体を預ける際のボディシェイプに、テクニックの高さを垣間見せることもあるが、大抵は簡単に捌いてしまう。さらにファウルも多く、ドリブル突破もなく、大きな展開力もないため、得点以外の仕事ができない。いや、実力的にできないというよりも、集中力を欠いて雑になるところがある。
▼高野 美臣 1987.05.25生 [171cm/65kg] CH・左右SB・CB 「ヨシト」 榛原FC/細江FC (細江小) →清水JY (榛原中) →清水Y (静岡学園高) 静岡高1選抜 (03年) 、静岡中3選抜 (02年)
小学生時代は榛原FCのエースFWで、10番。Jrユース当初のさなるカップでもFW登録されているが、Jrユースでは基本的に石垣と中央で組んで最終ラインを担ってきた。昇格後は左SBを主戦場とし、Jユースカップの予選後半戦からポジションを得て、2年生でも右SBを基本として定位置を掴む。その高野を3年目、行徳監督がCHにコンバート。正確なパスと競り合いの強さで中盤不動の存在となり、1年を通して活躍した。
特に身体能力に秀でたタイプではないが、知性と判断力に長け、ユースのスピードにも速やかに対応した。相手の先を取ったポジションで優位に立ち、正確に味方に向けて跳ね返す安定した守備を見せる。華麗さや意外性はないが、ポストの足下へ低いフィードを正確に入れる技術を両足に有し、後方から組み立てる。元々がFWだけあって闘争心が強く、煮え切らぬ状況に時に積極的に攻め上がるとことも。いろいろな意味で周囲が良く見えており、ボールコントロールに細心の気を遣う一方、味方のミスには容赦ない叱咤を飛ばす。 長所であり、短所でもあるのが、精神面。非常に強い気持ちを持ち、屈強な相手に激しく当たり、先輩にもコーチングする。が、熱さが空回りし、汚いファウルで警告を受けたり、PKを与えてしまったり、安易に飛び込んで交わされたりする。またプロ昇格という観点では、身体能力を前面に出してくる相手に対し、体格的な脆さがあった。
▼柴田 和也 1987.06.15生 [165cm/60kg] CH・右SH 「シバタ」「シバ」 長田東SSS→エスパルスSS静岡→清水JY→清水Y (常葉橘高)、静岡中3選抜 (02年)
篠田悠・高野一のスペイン移籍後、清水入り。当初は右SBで起用されていたが、中3時には右SHで定位置を確保すると、昇格後も同じポジションで激しいポジション争いを繰り広げた。が、2年になると1つ下の小泉も加わって競争は激化、出場機会を減らしてしまった。そんな柴田の転機になったのが、行徳監督によるCHコンバート。決して派手な活躍はしなかったが、与えられた役割をきちんとこなす堅実なプレーで、監督の信頼を得た。
Jrユース時代は、足下で勝負する八木に対し、走力を活かしてサイドスペースを一気に踏破する切込隊長だった。ユース昇格後も、一瞬のスピードとテクニックを活かして交代の切り札となり、スペースを得れば決定的な仕事をしてきた。一方、ダイレクトプレーと動きながらのプレーの精度の良さは、サイドプレーヤー時代から健在で、それに着目したのが行徳監督である。CHにコンバートされた柴田は、その運動量・ダイレクトプレー・ムービングプレーといった特長を、最大限に発揮。相手に呼応して絶えずポジショニングを修正し、体を入れてボールを奪い、近くの味方に正確に繋ぎ、自らは前に向かって走り出すといった地味な貢献を繰り返し、「ユースの伊東輝悦」の名に値する活躍を見せたのである。 自ら仕掛けるドリブルに消極的で、独力でスペースを生み出す創造性にも欠け、膠着状態を打破できるほどの「個」の力は備わっていない。そのため、チームが試合を支配していないと、そのまま消えてしまう。「柴田が目立つと勝ち試合、柴田が消えていると負け試合」だったのは、柴田の請け負う役割の大きさを物語ると同時に、柴田がチームの中で活かされていることの証拠でもある。
▼前田 陽平 1987.06.22生 [182cm/70kg] GK 「マエダ」 静岡FC/長田東SSS (静岡・長田東小) →清水JY (静岡・長田南中) →清水Y (静岡学園高) U-16日本代表・U-16NTC・静岡高1選抜 (03年) U-15日本選抜・U-15GKキャンプ・U-17/14NTC・静岡中3選抜 (02年) U-14日本選抜・U-14NTC・U-15GKキャンプ (01年)
3つ下に同じ静岡FC出身で同姓同名の選手が在籍するが、別人 (って当然) 。二人とも、小学生時代から著名な選手である。「先輩の」前田は清水入り後、中1のさなるカップ準決勝のジュビロ浜北戦で劣勢を凌ぎ、PK戦3−1の勝利に貢献。中2で怪我の風間に代わってクラブ選手権のゴールマウスを守ると、U-14日本選抜にも選出、そのまま中3でも正GKとなる。昇格後早々に第2GKの地位を掴んだ前田は、高2では正GKと期待されたが、春先の怪我で長期離脱、夏から復帰したが風間の後塵を拝する。最終学年でようやく正GKとして活躍したが、夏前にまたも怪我で離脱、その後は練習には参加していたが、正GKを後輩の山崎晃に譲った。
「ゴールを守る」というGKの本分で、高い能力を示すGK。長身に加えて身体能力も高く、ポテンシャルは歴代でも最高レベル。ゴールエリア内で待ち構えて堅実に跳ね返す本格派で、機敏なステップワークと、縦横共に鋭い反応でシュートを止める。また低くて力強い長距離キックの他に、ロングスローもあり、攻撃の起点としての機能に秀でる。 しかし、DFラインが高い位置を保つ清水ユースでは、GKにもフィルダーとしての技術と判断力が要求されるが、この点で後れを取っている点は否めず、飛び出しに無理が見える。判断面で効果的なコーチングをする余裕がなく、連携面に重大な課題を残す。こうした課題に意識的に挑戦しているのだが、現時点では潜在能力に比して完成度は低いままだ。
▼八木 和秀 1987.08.13生 [174cm/65kg] 左SH 「ヤギ」 清水FC/江尻SSS (清水・江尻小) →清水JY (清水一中) →清水Y (常葉橘高)→静岡産業大学
柴田と並ぶ清水伝統のサイドアタッカー。右利きながら中1から専ら左SHを担当してきたが、ユース昇格後はFWで起用されることも。だが、FWとしても左SHとしても定位置を確保できず、試行錯誤が続いていた。が、最終学年の最後、Jユースカップも10月に入ってから遂に左SHでレギュラーに。6点を決めるラッキーボーイ的活躍で、チームを優勝に向けて勢いづけた。
Jrユース時代は思い切りのある柴田に対し、足下にボールを持ってから両足の技術と瞬発力を活かし、キレのある切り返しで勝負を挑むのが常だった。しかし、昇格後FWで起用されると、隙を見てマークを外し、スペースに抜け出す嫌らしい動きを身につける。テクニックは確かなため、その一瞬の隙があれば、難しい体勢でも簡単そうに得点できる。それは、左SHで先発した3年でも同じで、縦に抜けてクロスを入れ、逆サイドからのクロスにはDFの外側に抜けてゴールを決めた。 このように動きの質は面白いが、動きの量は絶対的に不足。また攻撃で隙を狙うことに意識するあまり、守備のポジションが中途半端になりがち。体格的不利もあって、隙を突いた一瞬以外は、潰されていることが多い。従来の武器だった足下にボールを持ってからの単独突破は、積極性に物足りなさが残った。
▼石垣 勝矢 1987.08.22生 [183cm/70kg] CB 「イシガキ」「ガキ」 清水FC/船越SSS (清水・船越小) →清水JY (清水二中) →清水Y (常葉橘高)→浜松大学 静岡国体少年選抜 (05年)、静岡中3選抜 (02年)
清水FC時代は9番を付けたストライカーで、所属チームではトップ下。Jrユース当初こそFW起用も多かったが、新中2セレクションで中村 (→藤枝東) が入ると、CBに固定されて不動の存在に。ユース昇格後、高1終盤から徐々にストッパーで先発の座を掴み、高2初頭に定位置を得るも、望月監督代行の2年生コンバート方針に従って、4年ぶりにFWで活躍する。高3では再びDFに戻り、静岡選抜の海外遠征・国体参戦を経て大きく成長。夏からはトップ昇格した山本真から主将を引き継ぐと、3バックでも4バックでも守備の中心として堅守を築き、セットプレーでの高い得点力で攻撃にも貢献、Jユース杯優勝を成し遂げた。
長身かつ闘争心に満ち、凶暴なほどの跳ね返し能力を誇る。絶対の自信があるのか、ボールの落下地点を読んでから遅れて跳び込むのだが、それでも競り勝ち、確認してるから正確にクリアできる。前に出ていく範囲も広い。読みの鋭さは地上戦にも活かされ、エレガントにパスを読んでカット、そこからの展開も早く、正確。前に出て繋ぐ時だけでなく、下がった位置からロングボールを使った組み立ても得手にしている。セットプレーはユース史上空中戦最強、Jユース杯では決勝トーナメント全4試合で得点をあげた (1PK含む)。 ただ、FWコンバート時に課題を残したように、相手を背負うスクリーンに軽はずみな部分がある。FWでは優れた跳躍力で競り勝ちながら、足を入れられてボールを失い、DFでは立派な体格を擁しながら、体を入れ替えられて突破を許した。高1の時の柏・菅沼との対決で見られたとおり、スピードに難があるだけに、相手を抑えて走らせないのが肝要。プロを目指すなら、それが彼に残された最後の宿題だろう。
--- ▼高野 一也 1987.04.18生 [160cm/54kg] 左右SH FC島田/六合東SSS→清水JY (六合小) →エスパニョール (バルセロナ日本人学校) →清水Y (静岡サレジオ高)
中1の冬にエスパニョールに移籍したことで、一躍全国的に有名になった一也だが、スペインではテクニックの高さは認められていたが、腰痛も悩まされて先発を掴めなかった。帰国した高1では出場機会を掴めなかったが、高2の春先から右でも左でも使えるサイドアタッカーとして活躍。だが、またも怪我に悩まされ、結局、チームを去っている。 俊足を活かしたスピーディーな突破が、最大の武器。当初からスペイン留学に意欲的などハートが強く、1対1にも1対多数にも、非常に積極的である。当たりも激しいので、160cmという身長にも関わらず、あまり守備に難を感じさせない。また決定力が高く、裏に抜ける動きで得た一瞬の隙を確実にものにするところは、篠田悠同様、海外で激しい競争に揉まれてきた様子を伺わせる。ただ、プレー幅が狭く、突破力も強引に抜き去れるほど絶対的ではないので、時に積極性が仇になって、潰され続けることがある。
--- Jrユース在籍選手 --- 堀池 翔 87.04.18 170/56 清水FC→清水JY →清水小島中→清水東高 村松 翔人 87.05.09 162/50 →静岡学園高 小林 史八 87.05.11 181/61 清水FC/江尻SSS →清水JY→清水商高 鈴木 大将 87.05.19 164/54 清水FC→清水JY →登別大谷高 中村 祐輝 87.06.04 176/64 竜南ファイターズSSS→清水JY (竜南中) →藤枝東高 久保田英壮 87.07.28 175/64 静岡FC/賎機南SSS →清水JY→静岡高、※U-14NTC・静岡中3選抜 (02年) 望月 大嗣 88.--.-- 167/47 清水FC→清水JY →清水東高 坂本 了介 --.--.-- ---/-- 清水FC→清水JY →東海大翔洋高 澤野 進吾 --.--.-- ---/-- 清水FC→清水JY →清水東高
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