1985年04月02日(火) |
選手紹介 1985年度組 |
ちなみにJrユースでの基本布陣は、こんな感じ。
−−−−−−阿部−−荒田−−−−−−
−−−−−−−−大瀧−−−−−−−−
− 鈴木真 −枝村−−赤星−−滝田−−
−−−−篠田−−高柳−−小林−−−−
−−−−−−−−山本−−−−−−−− ※高円宮杯では風間 (2年) がGKを務めた
滝田哲也・赤星貴文・枝村匠馬・鈴木真司が2年生。 荒田智之が清水東、上記基本布陣にはいないが山梨純平が静岡学園に進んでいる。
昇格後の布陣は、こちら (高3、高2、高1)
--- 清水昇格 --- ▼阿部文一朗 1985.04.02生 [182cm/75kg] FW 「ブン」 六合東SSS/FC島田→清水Jrユース (島田市六合中) →清水ユース (静岡サレジオ高) 二種登録・U-18日本代表・静岡国体少年選抜 (03年) 二種登録・U-17日本代表・U-17NT・静岡高2選抜 (02年) U-16日本選抜・静岡高1選抜 (01年) U-16日本代表・U-17/14NT (00年)
ブン。アベブン。最終兵器ブン。中3にて中学生の大会に出てたのは反則に近かった。小学生時代から有名な選手で、現/元JリーガーGKとのPK戦で連続成功記録を競うという日テレのTV企画に出場、優勝したことがある。 99年のナイキ杯 (U-14) で、早生まれの杉山浩太・仁科克英と魅了のトライアングルを形成。そのままJrユースでも先発を掴み、中2の3月にはU-16日本代表にも選ばれる。中3では10番を背負い、高柳を余らせる守備的な3バック、そして攻撃は一人で何とかしてしまう阿部に頼る現実的な戦術ながら、高円宮杯で全国制覇を達成した。高体連に流出の噂もあったが無事に昇格、1年生から長沼とエースストライカーの座を激しく争うと、2年生では欠かすことの出来ない前線の核に成長し、クラブ選手権ではマリノスの北野と共に大会得点王に輝き、MVPにも選出されている。高3になって再び10番を背負うと、責任感からか自分のスタイルを見失う姿が見られたが、5月のU-18代表候補合宿で落選したあたりから、吹っ切れたようだ。ユース公式戦10試合連続得点、クラブ選手権3年間通算15得点、高円宮杯得点王 (6点) などの実績を上げ、期待通り昇格まで辿り着いた。
高さ・速さ・強さの三拍子揃った圧倒的な身体能力で、前線を専制するフィジカルキング。運動能力も高く、アクロバティックな飛び込みや、自らの体を大砲の弾丸と化す派手な突っ込みを、披露する。しかし、その脅威はむしろ地上戦で、速さと強さを融合させたゴリゴリドリブル (ゴリブル) は、強引にマークを振り回す。さらに裏に抜ける動きが豊富で、トラップから加速してシュート体勢に入るのが早く、裏を取って爆発力のある両足砲で決めるフィニッシュパターンを確立している。危険な選手なだけにマークは常に厳しく、それ故に消えやすいのが難点だったが、最近はダイレクトプレーの精度が向上、戻ってポストに入ると簡単に捌き、そこからPA内に入り込む動きを多用することで、試合を通してチームの軸になれるようになってきた。 ただ、空中戦は思わぬ脆さも見せる。待ち構えてその場ジャンプで競り勝てるほど、制空力が強いわけでもなく、ボックス内で一瞬だけフリーになるような駆け引きも苦手。阿部の空中戦は、あくまで「飛び込み」なのである。足下の技術も特に優れるわけではないので、地上戦でも待ち構えるのは苦手。そのため、中盤の工夫が無くなったり、同格以上のDFにケアされたりすると、得点どころかポスト役も満足にできなくなることがある。大柄だが、清水では常にゴール向いて勝負するフィニッシャーとして育てられてきたため、ゴールに背を向けてポスト役を任せると、粗が見えることが多い。4月2日生まれのエリートにも関わらず弱気な面があり、シュート本数・枠内率・シュート得点率、全てに高い数字を残しながら、大外しの印象があるのは、簡単な場面で決めきれないところがあるからか。
▼山本 海人 1985.07.10生 [188cm/78kg] GK 「カイト」 清水FC/入江SSS→清水Jrユース (清水市第八中) →清水ユース (静岡学園高) 二種登録・U-18日本代表 (03年) U-18GKキャンプ・静岡高2選抜 (02年) U-16日本代表・U-18GKキャンプ・静岡高1選抜 (01年) U-15GKキャンプ・U-17/14NT・静岡中3選抜 (00年)
エスパルス待望、清水生まれの大型GK。ふぁんたじすたとか、清水の「怪人」とか、「ウミト」ダバラとか、様々な異名を持つ。最後のは、ただのこじつけだが (笑) 。 Jrユース当時から185cmの立派なサイズを誇ったが、怪我と連携面を理由に高円宮杯無失点優勝GKの座を風間に譲ってしまい、優勝コメントでもハッキリと不満を口にしている。昇格後も浅山の控えに甘んじるが、高2で正GKを確保するとクラブ選手権で無失点優勝を達成、したたかにJrユースでの無念を晴らした。高3では無論、その地位は不動のものとなり、遅れて9月には二種登録に追加。大学進学も考えたそうだが、最終的にトップ昇格を選んだ。代表レベルでは継続的に選出されており、ゴールキーパーキャンプにはU-15とU-18で3年連続参加。ちなみに、篠田大輔と同郷だったりする。
優れた運動能力と恵まれた体格を活かした、ハイボールに対する高さ、競り合いでの強さは、それだけで大きな武器。またサイズを感じさせない柔軟な身のこなしがあるため、縦方向だけでなく横方向にも守備範囲は広く、難しい体勢を苦にせず、特に至近距離からのシュートにも反射的な超反応を見せる。だが、何よりコーチングでの存在感に特筆するものがあり、具体的かつ適切にポジションを修正してシュートの確度を下げさせる、渋い指示もできる。ナショナルレベルでの指導が長い選手なので、シュートに対するポジショニングなど基本的な動きも良い。 課題は、プレーの内面。飛び出しの判断が悪く、ロングボールに対して容易に目測を誤る。だが、彼は欠点に臆して小さくまとまるのではなく、剛胆な選択を行った。即ち、目測を誤っても構わず飛び出す! オープンプレーを磨き上げた海人は、往年の川口能活宜しく果敢にPA外に飛び出しては、相手FWに頭で競り勝ち、トラップして詰めるFWを切り返す。さすがに指導陣はヒヤヒヤものなのか、最近は一時期に比べれば大人しくなったが、その「ふぁんたじーあ」は必見。ともかく、内面にムラのある選手なのは確かであり、終了間際や、思い切ったミドルシュートに対して集中力を欠きがちな点、失点後に急に思い切りが不足する点などは、兎角、安定感が求められるGKとしては改善が求められるだろう。
--- ▼小林 拓矢 1985.04,16生 [173cm/63kg] 右SB 「コバ」 清水Jrユース (富士川町第二中) →清水ユース (静岡学園高) 静岡高1選抜 (01年) U-14NT・静岡中3選抜 (00年) 高円宮杯無失点優勝に貢献した右CB。基礎技術が確かで計算できる一方、自分の特徴を出しきれず苦しんでいるようだ。そのため、強力なタレントに対抗できる絶対的な武器に乏しく、相手との駆け引きで有利に立てない印象がある。身長の伸びが止まったこともあり、3年間での出場機会は少なかった。
▼森安 洋文 1985.04,23生 [177cm/68kg] 左右SB・CB・ボランチ 「モリ」「モリヤス」 Dallas Texans SC (USA) → (富士市富士中→) 清水ユース (静岡サレジオ高) →JAPAN SOCCER COLLEGE 静岡国体少年選抜 (03年)
日韓W杯で旋風を起こしたUSAからの帰国子女で、前所属チームはダラスの方。筆者が彼を初めて観戦したJユース杯甲府戦で豪放なロングシュートを決め、 (筆者に) 鮮烈な印象を残す。高2になると起用機会も飛躍的に増え、多くのポジションで試されながら、クラブ選手権の途中で篠田から左SBのレギュラーポジションを奪取。決勝の浦和戦では競り合いに課題を見せ、一時は先発から外れることもあったが、年間を通じて活躍し大きく成長した。高3ではボランチ以下の全ての守備的ポジションで起用、東海プリンスで5得点を挙げるなど県下でも注目される存在になり、静岡国体でも右SBとして定位置を掴んだ。
USA代表を想起させる、安定した基礎技術と卓越した身体能力が特長。それ故に1対1に強く、どのポジションでもソツなくこなす、高いユーティリティー性を持つ。空中戦に強く、局地戦の競り合いでは判断の間違いを強引にフィジカルで修正、ボールごと相手を潰してしまうほど大胆に強い。反面、両足のフィードは実に繊細。綺麗にサイドチェンジを通すなど視野も広く、前線へ50M級のロングパスを丁寧に狙い、自陣からのプレースキックでも威力を発揮する。繊細なだけでなく、強力なパワーも両足に宿しており、そのミドルは威力・精度を兼ね揃え、得点力が高い。 だが、経験の少なさと集中力の欠如のために、攻守の切替が遅く、判断に誤りが多い。キレで勝負するタイプのドリブラーと対峙すると、容易にマークを離してしまう課題がある。それを取り戻すためにフィジカルに頼るため、ラフプレーも多くなり、ファウルが嵩む。逆に身体能力で優位に立てなくなると、判断の誤りをカバーできずに致命的なミスに陥っていた。スピードがあり、ダイナミックな攻め上がりも持ち味とするが、自分の形を完成していたいため、クロスやシュートといったラストプレーに至らない場面が多い。おしなべて荒削りで、未完成というイメージが強い選手である。卒業後は1年先輩の渡邊優希と同じ JAPAN SOCCER COLLEGE に進んだ。
▼大瀧 義史 1985.05.05生 [165cm/57kg] トップ下・左MF・ボランチ 「タキ」「オオタキ」 清水Jrユース (附属静岡中) →清水ユース (常葉橘高) →中央大学 二種登録・静岡国体少年選抜 (03年) U-17NT・静岡高2選抜 (02年) U-17NT・静岡高1選抜 (01年) U-17/14NT・静岡中3選抜 (00年)
附属中出身の看板が否応なく知性を感じさせるが、実際には闘志溢れるコーチングで周囲を奮い立たせる00年度Jrユース主将にて、闘将。ユースでも主将を務めた。中2から左MFとして、Jrユースで先発を確保、中3では3−5−2のトップ下として、現実的な戦術に一人で創造性を加え、高円宮杯優勝を達成する。ユース昇格後は、当たりの激しさに苦悩が続いたが、2年目に左MFとして技術を誇示するスペースを得て、クラブ選手権決勝で貴重な決勝点を叩き込んでみせた。その後、浩太の後釜にボランチに入っていたが、守備面の脆さを忌避されて再び左MFを定位置にしている。最後の大会では、右MFであった。
テクニシャン揃いの清水ユースにありながら、歴代でも比類無き技量を持つ名手。その左足はクロスだけでなく、浮き球とグラウンダーを使い分けるスルーパス、強烈なボレー、相手GKを嘲笑うループなど、多彩な球種を披瀝。また大瀧→阿部のホットラインのシンクロ率は高く、正確なプレースキックなどを通して襲いかかる。得点力も高く、ゴール半径20M以内でフリーになれば、角度や人の壁に関係なく射程範囲。さらに最近は、体ができて競り合いに粘りが出てきており、強い闘志と高い集中力を以て、試合を通して精力的に動き回っている。豊富な運動量と確かな戦術眼に支えられた、変幻自在のポジションチェンジが、第二の特長となった。 短所は、何といっても、Jrユースから全く伸びなかった身長。残念ながら、サイズというものが、上になるほど重みを増すのは事実である。体格的不利だけでなく、スピードもある方ではない。せっかくの技術も、潰されれば宝の持ち腐れ。また、足下のテクニックで勝負するプレースタイル故に、球離れが遅れがちなため、一層潰される機会が増えることになる。特に守備面での劣勢は明らかで、ボランチでの起用は、フィルター役になれないリスクを抱えた。テクニシャン受難の時代でもあり、進学した中央大学を経由して、プロには再挑戦することになりそうだ。
▼獅子内善雄 1985.05.07生 [170cm/63kg] FW・右MF 「シシ」 八戸市八戸東中→清水ユース (静岡学園高) →日本大学、U-17東北NT (00年) 青森出身の外部参入組。2年、3年と9番を背負うなど、クラブの期待の大きさは感じられたが、怪我にも泣かされて、あまり出番を得られなかった。だが、高円宮杯で決めたファインシュートの印象が強かったのか、日本大への進学が決まっている。 クイックネスに力強さを兼ね揃えた、重心の低いドリブル突破を得意とする選手。低身だが、ハイボールの競り合いにも強い。テクニックにキレのあるタイプではないが、精神的に強靱で常にゴールを狙う意識を忘れない選手であり、泥臭く粘り強くボールを運んでシュートを放つ。素材の良さは感じるが、パスコースを絞るプレスとか、オートマティズムとか、スペースを作る動きなど、組織的戦術の理解に苦しんでいた。
▼田淵 将天 1985.05.21生 [174cm/64kg] CB・FW 「タブチ」 新潟市白新中→清水ユース (静岡学園高) →帝京大学 将天は「マサタカ」と読む。新潟出身で、ユースからエスパルスに加入。1年目は殆ど出場機会がなかったが、2年目はDF登録ながらFWや右MFの攻撃的な役割で、しばしば機会を得た。だが、逆に3年生では、潜在能力を開花する可能性に上回る下級生に、出番を譲ることになった。スピードに恵まれ、ダイナミックなプレースタイルの持ち主。
▼高柳 亮太 1985.06.27生 [178cm/68kg] CB 「リョウタ」 清水FC→清水Jrユース (清水市第三中) →清水ユース (清水東高)
クラブ選手権 (U-15) で6年連続決勝進出の記録を潰えさせてしまった行徳監督が、崩壊寸前の守備陣にスイーパーとして抜擢した選手。あまりに古典的な戦術は批判も浴びたが、高柳自身は相手の攻撃を読む力、最適なポジショニングで、低身の左右CB (篠田・小林) を見事にカバー、頭角を現した。ユースでは1つ上の高山・渡邊が健在でベンチを温め続けたが、高3になって漸く出場機会を掴むと、一気にDFリーダーとして欠かせない存在になった。受験勉強のためか、一時期チームから離れたが、合格報道後に復帰。不在の間、平均2失点のチームを、決勝トーナメント3試合1失点にまで立て直した。 前任者の渡邊も知性を感じさせる選手であったが、高柳はそれ以上に危機感覚が正確で、故に慎重。高いラインを基本としながらも、カバーを常に考慮して、容易に裏を取られることはない。ここぞという時には、確実なアンティシペーション (インターセプト) を狙うが、後方に位置してして、正確なフィードで組み立てるのを常にしている。サイズもあるため、空中戦に不安はない。 1対1の応対では、ディレイして外に追い出すDFの基本を従順に守るが、運動能力に恵まれた選手ではないので、定石を無視してまで挑んでくる相手には、後手を踏むことが多く、特にスピード勝負に脆い。冷静な判断は、劣勢の場面では消極性に変わり、ズルズルと下がったり、プレスに慌ててフィードを乱すことがある。考えてプレーするタイプなので、集中力を欠いたりすると、途端に判断が遅くて、ミスが多いだけの選手になってしまう。 名門清水東高に在学する文武両道の選手だが、卒業後は東京学芸大学生涯学習課程生涯スポーツ専攻に、特別選抜での推薦入学が決まっている。
▼篠田 大輔 1985.07.26生 [168cm/58kg] 左SB 「シノ」 清水FC→清水Jrユース (清水市第八中) →清水ユース (静岡学園高) 静岡高1選抜 (01年) U-14NT・静岡中3選抜 (00年)
上背はないが、ポジショニングと守備技術の基本に長けた俊足レフティ。エスパニョールの下部組織に引き抜かれていった弟の悠輔は、余りにも有名。Jrユースでは、左CBとして高円宮杯優勝メンバーに名を連ねたが、本職は左SB。1年目は交代出場に留まったが、森山が卒業した2年目には、定位置を確保するかと思われた。だが、クラブ選手権途中で森安にポジションを奪われ、以後も一歩先んじられた格好になり、苦渋の1年となってしまった。高3の現在、森安が右に回ることで改めて先発を掴んだが、秋以降は育成を考えて、高野美らに出番を譲ることも多く、復帰した弟・悠輔とのコラボレーションは、僅か122分で終わってしまった。
攻守の両面で判断が良く、相手の隙を突いて自軍の隙を埋める、機微に長けた知性の持ち主。体の寄せやカバーリングは素早く、対人動作に卓越したものを見せる。安定した守備に依拠しながら、前線の状況を見て上手くオーバーラップを仕掛けるタイプであり、縦スペース80Mを往復するに十分な走力を持っている。サイズ以外では、先輩の市川大祐によく似たスタイル。 しかし、サイズと身体能力で劣る面があるのは事実であり、身長の伸びの止まったユース昇格後は、1対1の競り合いに弱さを見せることが多い。攻撃面でも、長い距離を走ることには長けるが、単独突破を可能にする爆発力や、突破の技術に劣る。そのため、アーリークロスにも磨きを掛け、低い位置からも攻撃参加できるようプレースタイルが変わっていった。
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