独り言
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2006年07月21日(金) テリーデイズというBandについて・最終回

「悪魔が呼んでいる」


俺はマイクに向かってそう呟くと目の前で渦巻く真っ白い蒸気をただ眺めた
世界は驚く程静まり返っている
遠くでは赤子の泣き叫ぶ声


「ミルクが欲しいのかい?
それともおしめ?…いや違う
この声は母を呼ぶ声
あの頃の俺と同じ声」



俺は殴り付けた2人や戸惑う客等眼中に無い振りをしてステージを降りた

雨はまだ降り続いている

このまま永遠に降り続いて俺がこれから犯す過ちも全てその水底に沈めて亡き物にしてくれればいいのに



スネーク・ストリートまで出てタクシーを拾おうとしたが今の俺のポケットの中身じゃ安物のポルノ雑誌も買えやしない
仕方無く俺は歩いて五番街まで抜け地下鉄で家へと帰る事にした



「母さん待ってて…すぐに行くから
もう全て終わりにしよう」



地下鉄の中は雨のせいかやけに鼻につくカビ臭い匂いが充満していた
仕事帰りのサラリーマンや赤が似合う女学生…俺やレールの軋む音や悪魔の呼び声が互いの存在には気付かぬ振りで肩をすり合わせ西から東へと流されていく

何と悲しい現実
こんなに近くに居るのに誰からも温もりは感じられない
俺は目を閉じ唯一心地よい地下鉄の振動に身をまかせ最後の安らかな夢を見ることにした

俺の鼓動が地下鉄の振動と重なり…そして離れていく
眠りは浅く閉じた目蓋の裏側に浮かんでくるものは俺が今まで生きてきた現実と何ら変わりの無い漆黒の闇ばかり



「母さん助けて…頭が痛いよ
もう全て終わりにして」



地下鉄を下り家までの道程を歩きながら俺は次第に強くなる雨足を無視する様にこれまでの人生ってやつを懐かしんでみた


俺は何処から来て何処へ向かっていたんだろう?
俺は中国人?それとも…

音楽なんてどうだってよかったのさ
ただ自分の居場所を探していただけ
自分の存在する意義を…決め付けたかっただけ

そんな時たまたますぐ側にあったあのボロいギターを持ってみただけ
そしてたまたまスージーと出会っただけで…ジョージと出会っただけ
バンドを組んでみただけでライブをしたりレコードを作ってみただけ…

確かなものなんて何もありはしない
頑なに守るべきものなんて何も無いんだ
全ては偶然が産んだ他愛もない出来事でそれがいくら積み重なろうが不確かな事にかわりない



「母さんでもね…今となってはそんな全てが愛しく思えるんだ
でも行かなきゃ

俺は決して憎くて殴った訳じゃないんだ
俺はただ…嫌われたかっただけなんだよ
だって俺はもうここに居れなくなるから

母さん…あなただけはわかって

俺は決して…あの2人が憎くて殴った訳じゃないんだ」



家の鍵を開け雨で冷たく冷えきったドアノブを回した
蝶番の軋む音が何故だか懐かしく感じられたのはきっと柄にも無く人生なんぞを振り返っていたせいだろう

俺は靴も脱がず窓から差し込む街灯で縁取られただけの薄暗い部屋へと上がり込み全身にまとわりつく雨の雫をまるで野良犬がする様に体を震わせ其処ら中に撒き散らした

雨は一向に止む気配が無い

あばら家の雑作なトタン屋根を雨粒が叩きそのデタラメなリズム感に俺の脳裏は更に掻き乱されていく



「母さん…世界中の罪を集めて俺にプレゼントしてちょうだい
そのお返しに俺は母さんに天国をプレゼントしてあげるから」



濡れた上着を脱ぎ捨て俺はゆっくりと母さんが寝ている寝室の扉を開けた

4月とは思えない程重く湿りむせ返った空気が肌にまとわりつきただじっとしているだけでも汗が滲み出てくる
そんな中でも母さんは何より美しい存在としてそこに横たわっていて珍しく安らかな寝息を立てて眠るそのすぐ横に俺は腰をかけ心の中でこんな話をしたんだ



「母さんただいま…待たせたね
もう全て終わりにしよう

大丈夫
俺に任せて
母さんの中に巣食う悪魔は俺が殺してあげるから
大丈夫
俺は大丈夫

俺はこれまでの人生とそしてこれからの人生の全てを代償にして母さんに天国をプレゼントするよ

そしたら母さんは天国でまた父さんと出逢って…また俺を産んでくれればいい
それまで俺はこの世で償い切れるはずも無い大きな罪を…それでも何とか償ってみせるから

父さんに逢ったら酒は程々にしろって俺が怒ってたって言っといて
…また居なくなられたらかなわないからって

母さんありがとう
落ち着いたら手紙を書くよ
きっと届かないけど…手紙を書くから
母さんも気が向いたら返事をちょうだい

さよなら母さん

もうこれ以上悪魔の笑い声に付き合いきれない程に…頭が痛いから」



そして俺は母さんの体の上にまたがり白く細い喉元に手を掛け一片の迷いもない真っ白な心で永遠の夢へと続く扉を開けてあげたんだ


…だけどその扉の向こうに居たものは神でも天使でも無くまだ何も知らぬ頃の幼い俺自身で罪の意識等一切持たずただ何となく蝶々の羽を引きちぎったあの日の記憶が鮮明に脳裏をかすめた



「母さん…あなたは今何処でどうしている?

雨も俺の頭痛も…まだ一向に止む気配がないよ」



‐完‐


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