独り言
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2006年07月04日(火) テリーデイズというBandについて・その26

1991年2月25日

上海中心部に位置する『中華大会館』は数多くの企業や民間の有力団体等の共同出資により建設された収容人数1500人を誇る大ホールでここでは中国古来の演劇やフルオーケストラによるクラシックコンサート等の芸能関係の催し事はもとより国立大学の入卒業式やオリンピック選手団の壮行式等の厳粛な儀式でも利用される事が多く正に多目的ホールと呼ぶに相応しい場所であった
しかし完成以降約30年の歴史を持つこの中華大会館のステージをかつてロックバンドが踏んだという事実は無論存在せずテリーデイズは今正にその歴史の第一歩を刻み付けようとしていた

リバティー・ポイントの総会は年4度開催されておりその都度各界の著名人や大学教授等を招待して有り難い演説をしてもらうというものをメインに据えその合間に少しは名の知れたミュージシャンやかつての大ヒット歌手を呼んで歌を歌ってもらうという余興を取り入れていた
そしてリバティー・ポイントの会員以外の人間でも無料で入場出来るという寛大なシステムをとる事により団体の知名度向上と新規会員の獲得を目指していたが大体の場合が訪れるのは会員だけという寂しい結果を残してきていた

ケビンはそんな倦怠的な状況を少しでも脱したいという意味も込めて今まで出演してきたアーティストとは明らかに毛色の違うテリーデイズにライブオファーをだしたのだろうが総会開始1時間前にもなると彼は自分の考えに大きな誤りがあったたいう事を嫌でも実感しなければならなくなる


特に大々的に告知を打った訳では無かった
リバティー・ポイントの会報には確かにテリーデイズの名は記載されているがそれはとても小さな扱いである
にも関わらずこの日中華大会館の前にはどう考えても収容しきれない程に多くの若者がテリーデイズのライブ見たさに詰め掛けていたのだ

この出来事にはまたしてもテリーデイズ本人達の知らない所で作用していた小さな後押しが存在する


その後押しをした人物とはまたしても王孔明その人であった
彼は実はリバティー・ポイント北京支部の立ち上げに尽力した初期からの会員の一人で時期的な事を踏まえて考えると亜龍の日記に出てきた『アメをくれたヒゲのおじさん』とは当時からまるで達磨大師の様に印象的な髭を携えていた王孔明の事ではないだろうかと思われるが勿論その真相は定かではない

リバティー・ポイントの会員である王孔明の元には当然テリーデイズが総会に出演するという情報は伝わっており彼は
「スゴく面白い事になるんじゃないかと思って」
この情報をすぐさま李華蓮に流した
前述した様にテリーデイズの音源は『夜音会』で毎回必ずO.A.される程に絶大な支持を得ておりこの頃には他の若者同様すっかりテリーデイズの虜となっていた李華蓮は彼等のライブ情報をいささか興奮気味に番組内で告知していたのだ


これを聞いた若者達がじっとしているはずも無くこの情報はかつてテリーデイズの音源が流出していった時と同じ様に人から人へと伝えられ結果として考えられない程多くの若者を中華大会館の前に集結させる事となった


その情景を目の前にしケビンはテリーデイズというバンドを過小評価していた自分の過ちを責める事も忘れてただ言葉を失い立ち尽くすより他無かったという

しかしこの情景に圧倒されていたのはケビンだけでは無くテリーデイズ本人達も初めて現実の物として自分達の置かれている状況を目にした訳でありこの時の事をスージー・キューは
「マイケル・ジャクソンにでもなった気分」
だったが
「みんな私達の音は知っててもルックスを知ってる人間は誰も居なかったから…私達が顔を出したって無反応なの
それが凄くシュールで面白かった」と言っている
ジョージに関しては
「あんなに多くのチャイニーズを一度に見たのは初めてでした」
と訳のわからない感想を述べておりその時の彼の興奮と戸惑いを充分窺い知る事が出来る
そして亜龍はというと初めて訪れた上海という街に気を良くし到着直後からリハーサルもせず一人で観光に出かけてしまっていた為この開演前の情景は目にしていない
しかし仮に目にしていたとしてもこれまでの亜龍の性質を踏まえて考えるとその内心はさておき表向きには大した反応は見せなかったのではないかと思われる


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