独り言
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2006年06月26日(月) |
テリーデイズというBandについて・その23 |
スージー・キューの記憶では最初蛇孔の人間により複製されたテープの数は200前後 しかし一週間もするとその複製の数は倍に跳ね上がり10日も経つ頃には更に倍の800近くまで増幅していたらしくテリーデイズの音楽は北京近郊の若者達の間に大した時間も有せず瞬く間に流出していく
その時テリーデイズの音源を受け取ったある1人の若者に話を聞いた
「最初は友達に『面白いテープを手に入れたから家に来ないか?』って誘われてついて行ったんだ …でもそいつが終始テープテープ言うからさぁ…俺てっきりアダルトビデオのテープだと思ってたんだよ んでフタを開けたら音楽のテープだった訳じゃん?…正直がっかりしたよね でもせっかくだから聴いてみようって事になって…全く期待して無かったんだけど
そいつが再生ボタンを押して一発目のギターの音が出るまでの5秒間だけだね…俺が退屈してたのは とにかくスゲーバワフルで躍動感があって…何より新しかった 正直俺それまで音楽なんて少しも興味無かったんだよ だってテレビとかラジオから流れてくる音楽なんてどれも一緒でつまんねぇじゃん? ババァに媚びへつらった古典的な歌謡曲とか頭の軽い女子供を誤魔化し続けるオッサンアイドルとかさぁ でもテリーデイズの音はそれとは明らかに違ってて…もうとにかくスゲーってなって その時他にも何人か友達がいたんだけど全員ダビングして帰ったよ もちろん俺もだけど」
この様な形で複製が複製を呼びテリーデイズ本人達の知らない所で彼等の音楽は多くの若者の『退屈を紛らわす新しいタイプの娯楽』として受け入れられていったのだ
そしてここでもう一つテリーデイズの躍進に拍車をかけた出来事が起こる その出来事の発端となったのは以前からテリーデイズの音楽を認めていたたった一人の音楽業界人であるあの王孔明だった
王孔明もまた前述した若者同様友人から「お前の好きそうなテープがあるからコピーしてやるよ」と言われテープを手にしており受け取ったテープの中身がテリーデイズのあの音源だったという事に最初ひどくショックを受けたという
「俺はてっきり奴等がサンレコード以外のどっかと契約しちまったんだと思ったのよ …正直『やられたぁ』って感じだった んで『一体どこの物好きなレコード会社だぁ?』と思ってすぐに近所のレコード店に行ってみたんだけど…奴等の商品なんて何処にも無くてさ その時俺にテープをくれた奴ってのがどっちかと言えば音楽に疎いタイプの人間だったから…『何でアイツがテリーデイズの音源なんて持ってんだよ』と思って俺なりに色々調べてみたんだよ そしたらギターの女の子が自分でコピーを作ってタダで街中にばらまいてるっていうじゃん 例の一件もあったし奴等とは一度も面識無かったんだけど…変な愛着があってね…罪悪感も多少あったし んで俺に何か出来る事はねぇかなぁって考えて
李華蓮って知ってる…よね? あの夜音会のパーソナリティやってる娘なんだけど あの娘実は昔アイドルやっててウチの事務所で面倒見てた事があんのよ そのよしみでたまにスリークォーターの新人の音源とかを夜音会で流してもらってたんだけどさ 彼女にテリーデイズの音源を渡して『ウチの新人の時みたいな流してやってくんねぇかなぁ』って頼んでみたんだ」
この様な経緯で王孔明からテリーデイズの音源を受け取った当時学生等の間で人気を博していたラジオ番組『夜音会』でメインパーソナリティを務めていた『李華蓮』はテリーデイズの音源を聴きそこから他の若者達がそうであったのと同様に強い感銘を受けディレクターやプロデューサーの反対にあいながらも強引に番組内で『Spri』をO.A.した
この夜音会は深夜枠ではあったものの北京だけでなくそれ以外の中国主要都市でも受信する事が可能でありこの放送を聴いた多くの若者がこぞって夜音会にテリーデイズの音源をもっとO.A.するようにリクエストしてきた為次第にテリーデイズの音源は週3回放送されていたこの番組には欠かせないものとなっていく
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