独り言
i| p| f
2006年06月24日(土) |
テリーデイズというBandについて・その21 |
1990年9月〜11月
完成した音源を手にしスージー・キューは再度ジャックと接触するが今回の彼女は前回とは打って変わって高圧的な態度を持ってジャックに詰め寄っておりその様相は端から見るともはや脅迫とも取れる程に強引で暴力的な交渉だったという
この一連の手の平を返した様なジャックとの接触に関して 「作為的な部分なんて一切無かった」 とスージー・キューは言っておりこの様な形になってしまったのはその当時の彼女自身の精神状態に問題があったからだと言っている
「亜龍程じゃないけど…私も精神的にかなりやられてた時期で ジャックには悪い事したなぁと思うけど仕方なかったのよ その時の私には『冷静』とか『熟考』って言葉は何の意味も持って無かったんだから とにかくその一瞬一瞬の自分に忠実に行動する以外に正気を保つ方法が無かったのよ …まるで誰かさんが乗り移ったみたいよね 私の頭の中は『何としてもテリーデイズの音を世に送り出す』って事で完全に埋め尽くされてたの それ以外の事はクソ以下の価値も無かった …でも断じて誓うわ 私はジャックをひっぱたいたりピストルで脅したりなんて事はしてない ちょっと…肩を押した位のもんよ 『どうかお願いします』ってね」
スージー・キューはこう言っているがこの交渉直後から約一ヵ月間程ジャックは何故か屈強なボディーガードをやとっていたという事実がありこのスージー・キューの発言には多少の誤りがあるものと考えられる
初めてテリーデイズの音源を聴かされたジャックは内心で 「この音楽性がサンレコードの首脳陣に受け入れられるはずが無い」 と感じていながらも当然断る事等出来ず仕方無く彼等の音源を預かり思案した末それをサンレコード傘下のレーベルである『スリークォーターミュージック』に持ち込む事にした
このスリークォーターミュージックはサンレコードグループ内に於いてある種『実験室』的な役割を担っており所属アーティストとしては8人編成のポップテクノユニット『Pomus』や中国古来の弦楽器を手にし踊り歌う女性アイドルグループ『清漣花団』等がおりこういったメジャーシーンとは遠くかけ離れたアーティストを有するスリークォーターミュージックならテリーデイズの音楽性を受け入れるだけの寛容さも備えているのではないかと考えジャックはこの行動を選択したものと思われる
当時のスリークォーターミュージックの代表であり欧米の音楽シーンにも精通していた王孔明はその時の事を振り返りこう語っている
「彼等の音を初めて聴いた時…正直凄く嬉しかったよ 『やっとこの国にもこんな音を鳴らす連中が現われたか』ってね その頃欧米のロックミュージックはもろに規制の対象で…公には認められちゃいなかったがその気になりゃ手に入れる事は可能だったし実際に隠れて愛聴してる連中も結構いたんだよ そういった背景も踏まえた上で凄く面白い素材だと思ったしビジネス的にもそんなにマズイ話じゃ無いと感じたんだ …まぁもちろんビックヒットは狙えないにしても『娘に特大の熊のぬいぐるみを買ってやれる』位の稼ぎにはなるだろうって思ったから俺は彼等との契約の話を本格的にすすめる事にしたんだ」
しかしこの発言とは裏腹に王孔明は音源を手にした約一ヵ月後 「日本語詞では商品として成立しない」 という旨を記した恐ろしい程に丁寧な手紙を添えてテリーデイズの音源をスージー・キューの元へ送り返している
前述した王孔明の発言と実際に彼が取った行動の間には赤子が見ても指摘出来てしまう程に明らかな矛盾が生じている この矛盾を追求していくとそこには決して表面化される事の無かった裏の事実が存在しその事について王孔明は「今だから言える事だけど」と念を押した上でこう話してくれた
|