独り言
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2006年06月20日(火) テリーデイズというBandについて・その19

1990年7月〜9月

帰国後亜龍は周囲の戸惑い等気にもとめない様子で当たり前の様に金色のカツラをかぶり毎日リハーサルスタジオに顔をあらわす

しかし今回ばかりはさすがのスージー・キューも理解に苦しみその困惑は彼女の中でテリーデイズというバンドの終わりを想像させる程に膨れ上がっていた


「もう完全に疲れ切ってたわ
亜龍の頭の中を必死で捜し回ってもそこに彼はいない
実体の無いものを相手に延々鬼ごっこしてるみたい
…とにかくそんな毎日にもううんざりしてたの」
とスージー・キューは当時を振り返り語っている

しかしそれでもバンドを続けた理由についてはこう言及している
「唯一の救いだったのは亜龍の歌
彼が姿を消していたあの間に何があったのかその時は全く知らなかったけど…あの後から彼の歌はまるで別人みたいに変わったの
時に力強く暴力的で…時にか弱く消え入りそうで
なんか…歌声そのものが一人の人間みたいな存在感を持ってた
娯楽や商品じゃなく作り物やまやかしじゃない一つの生命としての歌
決して上手じゃないのよ
でもそれが真実なんだと思った
それが人間なんだと思ったの
そしてその歌を聴いた時から私は亜龍の歌をもっと多くの人に聴かせなきゃならないっていう『変な使命感』に捕われていく様になったわ」


そしてスージー・キューは亜龍の承諾を得ずして再度ライブを行う計画を立て実行に移す



1990年9月10日

通算5度目となる今回のライブも今まで同様ショット・バー『オーウェン』に於いて行われた

スージー・キューは今回のライブの事を前日まで亜龍に知らせておらず
「もし拒否されても無理矢理引きずって連れて行きこめかみに拳銃を突き付けてでも歌わせてやろうと思ってた」
らしく彼女の言う『変な使命感』というものを如実に示したエピソードではあるが亜龍は意外にもこのライブの提案をかつて無い程に快く受け入れたという

スージー・キューが言うにはこのライブの少し前から亜龍の閉鎖的な態度が一時的にではあるがかなり緩和されておりタイミング的にも良かったのだろうと考えられる
しかし何故あの時亜龍の変質があれほどまでに改善されていたのか彼女にはわからなかった様だ


この事について調べてみるとそこにはまたしても誰にも語られる事の無かったある事実が浮かび上がってくる


スージー・キューの記憶によると亜龍の変質が改善されたのがライブの約2週間前
つまり8月27日あたりという事になる

そしてこの8月27日に関して亜龍の周辺を調べてみると彼の母であるミツコ・パークハイドの病状が一時的に安定し入院から自宅療養に切り替わった日と一致するのである


ここまでくると亜龍にとってその母であるミツコ・パークハイドの存在が如何に大きなものであったのかは言わずとも理解出来る事であるがもう一つ興味深い事にこの8月27日前後を境に亜龍の日記から『悪魔』の存在も一時的に姿を消している




なにはともあれ最大の問題であった亜龍の拒絶の可能性も軽く乗り越えテリーデイズは約1時間20分に及ぶライブを滞り無く全うする事になる

そして今回のライブには一見しただけではわからない『ある一つの変化』があり終演後その事を知ったスージー・キューとジョージはその先に待つであろうテリーデイズの開かれた未来に小さく胸を震わせていたという


その『ある一つの変化』とはそれまで過去4回ほぼ蛇孔の連中により埋め尽くされていたオーディエンス・フロアだったが今回はその中に紛れて街でテリーデイズの噂を聞きつけ足を運んだという蛇孔とは全く関係の無い若者が少数ではあるが混じっていたという事である


その数約30人


たった30人だが…これはとてもとても小さな始まりにしか過ぎない



ここからテリーデイズの掻き鳴らす音はある出来事をきっかけにまるで伝染病の様に中国全土を駆け抜け多くの若者達の魂に寄生し急激にして大それた世界を築きあげる


それがたった一夜にして消えて無くなる事等知る由も無く




ちなみに亜龍は例の如く終演後何も告げずそそくさと会場を後にしていたのでこの『変化』に全く気付いておらず翌日スージー・キューから伝え聞いた時も
「そりゃ良かったね」
とまるで他人事の様にあしらい新曲のアレンジに没頭していたという


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