独り言
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2006年06月07日(水) |
テリーデイズというBandについて・その17 |
1990年7月11日
亜龍が誰にも知られる事の無い暗闇の中に沈み行くのをいつも側に居て漠然と肌で感じながらもどうする事も出来なかったスージー・キューは「バンドの今後の発展如何によってはそんな亜龍の没落も防げるのではないか」と考え他メンバーには内密である行動を起こす
全長約170メートルにも及ぶスネークストリートには様々な店が軒を連ね由緒正しき飲食店からいかがわしき風俗店までその数はざっと見ても300は下らない その中でも一際煌びやかで人目を引く店構えをした『ミューズ』 そこは所謂高級女流クラブと呼ばれるもので常客には政界の大物や一流芸能人も少なくなかった その常客の中の一人に北京で最も力を持ったレコード会社の一つ『サン・レコード』で自称敏腕プロデューサーとして働く『ジャック』と呼ばれている男(彼はジャック・ダニエル以外の酒は一切飲まなかったので店の女達にこう呼ばれていた)がおりスージー・キューはこの男との接触を試みるのである
スージー・キューは初ライブに訪れた客の反応やテリーデイズの楽曲の魅力そしてロックの秘めた可能性について切々と話し「どこかマネージメント契約してくれる事務所を紹介して欲しい」と頼んだが「デモ音源も無いアーティストと契約する事務所なんてある訳が無い」と一蹴されてしまいすぐさま彼女はデモ音源の制作に取り掛かる準備を始める
そして初めてこの計画を話した時の亜龍の反応についてはこう記憶している
「…もう全くの無反応 YesともNoとも言わずただじっと私の目の…奥の方を見据えて…ずっと黙ってたわ
でも少なくとも彼は否定しなかった訳だしレコーディングする事でプラスになる事はあってもマイナスになる事は絶対にないって確信が持ててたからいつもの様に強引に事を進める事にしたの」
スージー・キューのこの決断は彼女にしては珍しく間違いであったという事は後の経過を見ても明らかなのだがそんな先の事など知る由もない彼女はとにかく早急にレコーディング器材を取り寄せそしてこの日テリーデイズは初めてのレコーディングを行う事になった
しかしそれに使用された器材とはその当時でもほとんど見かける事が無くなっていた8トラックの旧式のMTRで録音方法に関してもそういった知識を持った人間を一切手配していなかったので全くのデタラメであり出来上がった音源は亜龍にしてみればきっと『三歳児のお遊戯会よりもひどい』と感じられる程のものだった様で彼はその場でデッキからマスターテープを取出し何度も床に叩きつけて破壊してしまったのだという
スージー・キューの話だとこの幻となったデモ音源には3曲収録されておりその3曲とは 『Like the elephant』 『Spri』 そして亜龍の変質直後に完成された『fly』という曲だったということである
この『fly』という曲は亜龍の日記によると「悪魔が耳元で囁いた声を形にした」ものであり他の曲とは多少異なった特別な思い入れがあった様だ
しかしこの最悪のレコーディングを期に亜龍はこの『fly』という曲を封印してしまい今後この曲が演奏される事はリハーサルも含めたテリーデイズの全キャリアの中で『あとたった一度きり』しか無かった
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