独り言
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2006年06月06日(火) |
テリーデイズというBandについて・その16 |
1990年6月〜7月
この間にテリーデイズは初ライブ同様ショットバー『オーウェン』を借り切って3回のライブを行っているのだがそこに至るまでの過程に於いてある一つの問題が大きく頭をもたげそれはその後も彼等の活動に終始ついてまわる事になる
初ライブの後から亜龍はスタジオに全く顔を出さなくなり以前の様に平和公園で独り歌を歌う様になっていた 以前の様にあの4本弦のアコースティックギターを持って
スージー・キューが言うには「初ライブの評判は意外にも上々だった」様で全く未知の存在であったロックに魅了されてしまった客も少なくは無く蛇孔の若い連中の中には亜龍をすっかりヒーロー扱いする者までいたらしい テリーデイズの音楽は間違いなくあの場に居合わせた者達に受け入れられていたにも関わらず亜龍が途中でステージを降りたりそれ以降スタジオに来なくなった理由がスージー・キューには一切理解出来なかったという
蛇孔という組織に関わっている事やその風貌・言動等から誤解されがちだが以前にも記述した通りスージー・キューは病的に几帳面であり道理に反した行いが大嫌いな性格で亜龍のこういった態度にひどく憤りを感じていたがこの頃すでに亜龍という人間の性質を充分に把握していた彼女は「放っておきゃそのうち何事も無かった様に帰ってくるだろう」と踏みあえて説得したり連れ戻そうとしたりはしなかったという
その彼女の読み通り10日程して亜龍は再びスタジオに顔を出す様になるのだがそこには以前とは明らかに異なる彼の姿があった
「前みたいにおどけたり笑ったりする事が極端に減ったわ 口数も少なくなって
…でも音楽に対する姿勢は前よりもずっと真剣になっていったの
時には厳しさを感じる位に自分の書く曲や歌にシビアになっていったわ」 とスージー・キューは語っている
実は亜龍がこの様に変質していった頃と時を同じくして彼の母であるミツコ・パークハイドが原因不明の心臓疾患に襲われ緊急入院していたという事実が後の調べで判明してくるのだが当時亜龍はこの事を一切口にしなかった為スージー・キューやジョージも含めたテリーデイズに近しい全ての人間は誰一人としてこの事実を知らなかった
今思うとこの事実が亜龍という人間を破滅的な方向へとねじ曲げてしまったのは明らかなのだがリハーサルや曲作りも以前同様滞り無く行われる様になっていたので誰も亜龍の変質についてその理由を聞いたり原因を問い詰めたりする事は無かったという
そして冒頭にも書いた3回のライブも今回はセット通りきちんと演奏され端から見ると順調に活動を行っている様に見えるテリーデイズだったがその心臓は亜龍が日記の中に生み出した悪魔によって着実に侵蝕されていたのだ
この頃の亜龍の日記をめくっても記述は一切無くノートには明らかにページを破り捨てた形跡が残っているだけで『そこに何が書かれていたのか?』そして『そこで何を葬り去ったのか?』という疑問は誰にも計り知る事の出来ない大きな闇となり今も痛々しく横たわり続けている
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