独り言
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2006年06月05日(月) |
テリーデイズというBandについて・その15 |
1990年5月25日
スネークストリートの東側に位置する燕宿ビルディングの地下一階に軒を構えるショットバー『オーウェン』
そこもまた当然の様に蛇孔の支配下におかれておりスージー・キューはここを借り切ってテリーデイズの初ライブを行う事にした (事実上この前日にスージー・キューは蛇孔を離脱した事になっているがそれはほとんど表面上だけであり蛇孔に関するビジネスからは手を引いたもののそれ以外の関係性はこの後も変わらず続いていく事になる)
20:00から開始されたそのライブに足を運んだ客の数は約200人 全く認知されていないロックという音楽性を用いてしかも初めてのライブにも関わらずこれだけ多くの客が訪れるという事は全くもって考えられない出来事だがこれには裏がありその客のほぼ全ては蛇孔の若い連中か蛇孔の息のかかった者達でそれ以外の客といえば亜龍が呼んだ古くからの友人2〜3人だけだったという
動員に関してこういった結果が得られたという事はテリーデイズがその当時置かれていた厳しい状況を踏まえずとも極めて『優秀』であり客が訪れた理由が例え『体裁を気にしたもの』がほとんどだったとしてもこれだけの人間を集めた(当然この初ライブにはチケット代も発生していた)スージー・キューの影響力には目を見張るものがあるが亜龍はこの状況に満足いかなかったらしく当初10曲演奏する予定だったところを7曲でステージを降り友人を連れてそそくさと会場を後にしてしまったという
その友人が言うには亜龍は会場に来ていた蛇孔の連中を 「明日も飯を食うために感じてる振りをするだけしか能が無い不感症の売春婦」 だと言い ライブに関しては 「三歳児のお遊戯会の次位にエキサイティングだった」 と吐き捨てこの時すでに解散をほのめかす発言もしていたという
この日の亜龍の日記を見てみると冒頭に 「ケイトはザックではなく実の兄弟に犯されてしまったのかもしれない」 と書かれておりその後には蛇孔という組織を延々こきおろす言葉が続いている 次第にそれは蛇孔だけでなく全ての徒党根性への批判へと変化し辛辣な言葉で罵ったかと思うと突然 「孤独を愛する術を知らぬ者は己を愛する術を知らず己を愛する術を知らぬ者は他を愛する術を知らぬ」等という一見すると何処かの宗教の説法の様な文章が顔を表したりする様な何とも不恰好な構成になっている そして最終的にこの日の亜龍の感情の矛先は権力・体制・法律や教育等にとどまらず天候や食文化等の全く持って見当違いの方向にも向けられ収拾のつかない状態になり中途半端な形で終わってしまっている
そしてそこから10行程間を置いた後には今後の亜龍の日記の中で最も重要でありながら最も不可思議な存在である『悪魔』という言葉が初めて顔をあらわす
それは今までの亜龍の字体とは明らかに異なるまるでワープロで打ち込んだかの様に整った文字で
悪魔が呼んでいる
とだけ書かれている
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