独り言
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2006年06月01日(木) |
テリーデイズというBandについて・その14 |
1990年4月〜5月
この間テリーデイズはオリジナル曲を制作し一日6時間以上のリハーサルを毎日繰り返していく
亜龍の作曲速度は異常な程速くスージー・キューが記憶しているだけでもこのわずか一ヵ月という短い期間の中でゆうに30曲は超えていただろうという事である
亜龍のソングライティングについてスージー・キューは 「非常に中国人らしからぬ発想に基づいたアイデアが満載だった」 と分析している
「中国には…中華思想っていうのがあるじゃない? 中国が世界の中心だっていうかつての思想 それがその当時…まぁ今もだけど中国人の中に強く根付いてて 私はそれが決して悪い事だとは思わないしこんな私だって多少そういう考えを未だに持ってるんだけど…凄く排他的よねやっぱり
亜龍にとってその思想ってクソ以外の何物でもなかったのよ
彼って…言い方は変だけど『ほとんど中国人じゃない』訳でしょ?
だからそんな他国の物を寄せ付けない環境の中で常に息苦しさを感じてたんじゃないかしら?
彼が路上で歌を歌ってたのもそういうものを打ち壊したいって所から始まってる訳だし」
亜龍はその当時中国では蚊帳の外に追いやられていたロックの要素をふんだんに取り入れた楽曲をメインに制作しておりそれはそのまま当時の中国ではテリーデイズのオリジナリティーとして認識されていく事となる
「世界規模で見たら別にそんな前衛的な事をしてた訳じゃないの どちらかといえばルネッサンス的な要素の方が強かったんじゃないかしら」
しかしその回帰的な亜龍の楽曲の中にもスージー・キュー曰く 「亜龍だからこそ生み出せた感覚」 が存在しそれについてはこう語っている
「亜龍はよく『俺は日本人だから』って言ってたわ …でもそう考えるのも無理ないわよね だって彼を育てたお母さんは純粋な日本人な訳だし
彼のお母さんの事…前に話したわよね?…憶えてる?
彼女を見てて『日本人ってなんて繊細なんだろう』って思ったの 表情や仕草…歩き方から咳払いの仕方までその一つ一つが凄く美しいの 本当に微妙で些細な行動にさえその美しさが常に備わってるって感じがしたわ」
そんな日本人特有の感覚を受け継いだ亜龍の楽曲にはどんなにヘビィーでハードな曲調であっても常にどこかしらに『繊細なアレンジ』が折り込まれておりそれは場合によっては『繊細過ぎて誰にも伝わらない』事や『理解されない』事も多かったがそんな状況を亜龍は『まるで楽しんでいるようだった』という
基本的に楽曲制作は亜龍の中で大まかに仕上げられたフォークソング的な物をバンドアレンジに変換していくという手法を用いて行われていたがほとんどの場合亜龍自身が早い段階で駄作の烙印を押してしまうので完成されずに消えていった曲の断片は星の数ほどあった様だ
この頃に書かれた曲の中で運良くボツを免れ完成にこぎつけたものの中には前述した『Like the elephant』やイントロのギターリフが印象的な『Spri』そして数少ないアップテンポの曲である『World Wide disturbance』等が挙げられる
そしてこれ等を含めた楽曲も揃いテリーデイズはいよいよ初ライブを執り行う事になるのである
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