けんたのプロレス&演芸論
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2004年01月04日(日) M-1グランプリ2003を見て(その4)

総括

 M−1の方向性がはっきりした大会、といえるかもしれない。いうなれば、「漫才ではなくM−1」。まあ、漫才ってなんだ?コントってなんだ?ということになってしまうのだが、昔から言うところの「漫才」が勝てなかった大会だった。島田紳助が狙っている通り、なのだろう。第1回大会で島田紳助は司会を務め、西川きよしは審査員だった。しかし第2回大会で役割が入れ替わる。第1回で審査員を務めた鴻上尚史、第2回で審査員を務めた立川談志が外れた。島田紳助は「テレビ番組としてのM−1」を多分に意識している。鴻上は舞台の人間だ。談志はテレビを見下す人間だ。きよしは大会場での漫才に自信を持つ。彼らは「島田紳助的M−1の世界」とは相容れない。
 M−1決勝に来なかったが、最近元気なインパルスの芸に対して、きよしは番組で言っていた。「面白いしすばらしいが、大きな会場で3階席までわらかすようなものも身につけてほしい」と。きよしは今の若手に、かつての漫才全盛期、お笑いの時代の復権を期待している。それが島田紳助に(あるいは松本人志に)言わせれば「古い」のだろう。テレビでのし上がっていった彼らにとって、例えば武道館で漫才ライブ、などというのはもはや昔の話、ライブハウスで、そしてそれと同じノリでできるテレビの世界でのし上がれる若手を発掘したいのではなかろうか。
 しかし忘れないでほしい。テレビは残酷な媒体であることを。一度コケれば立ち直れない、ハイリスク・ハイリターンな場であることを。M−1というものさしが出来た。第1回、第2回と進むうちに、出てくる若手がものさしにあわせてきている印象がある。もっともっと幅を見せてほしい。漫才の可能性はこんなもんじゃない。
 ボケとツッコミが掛け合う、場の空気を読み取っていじる、それが漫才師の凄みだと今も信じている。テレビ的にはアドリブは困るのだろうが、観客不在の漫才なんかいらない。M−1チャンプとしてのフットボールアワーには素直に賞賛を贈るが、会場がNGKなら、NHKホールなら・・・いや、彼らはその場に合わせてこなせるから大丈夫か。
 無理な願いではあるが、次回は会場を大きく、審査員は全て漫才師で「島田紳助」「松本人志」「西川きよし」「オール巨人」「宮川大助」「中田カウス」「島田洋七」「星セント」そして「ビートたけし」を加えて・・・。そして、「賞レースに出なくていいと思うとほっとする」といった、フットボールアワーには「連覇」を期待する。


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