けんたのプロレス&演芸論
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2002年03月23日(土) 第7回 レスラー論 小橋建太

 小橋建太選手(以下敬称略)について書く。僕は、小橋というレスラーを好きか、と聞かれれば迷わず好きだ、と答えるだろう。僕は、小橋は強いレスラーか、と聞かれれば迷わずそうだ、と答えるだろう。でも僕は、小橋がいいレスラーか、と聞かれれば、答えに戸惑ってしまうと思う。なぜ、といわれてもすぐには見つからないのだが。
 小橋の魅力は、僕から見た魅力は、一つにその身体、一つにその豪快な技、そして熱血そのものの表情である。もしかしたら、この三点が僕をして彼を「いいレスラーとは呼びにくい」理由なのかもしれない。ハードトレーニングで筋肉の鎧を身にまとった小橋。僕が彼の勇姿を思い浮かべようとしたとき、試合中の姿よりトレーニングの姿が浮かんでしまうのは、彼が長期欠場していたからだけではない気がするのだ。彼の技、僕は小橋のムーンサルトが好きだった。今の体ではそれを求めるのは酷だが、それにしても「ボム系」が目立つ。豪快無比、といえるのかもしれないがそれはむしろ無理無茶の域にありはしないか。オレンジ・クラッシュ、バーニング・ハンマー、ボム系でこそないがスリーパースープレックスやハーフネルソンスープレックス、僕から見ればいずれも「不恰好」なのだ。川田のパワーボムや田上の喉輪落としが「無骨」であるのとは似てはいるがあまりにも違う。そして彼の表情、それは見るものを引き込む熱情にあふれてはいる。小橋ファンの大多数がその表情に見せられていることは確かだ。しかし、かつて発展途上戦士だった小橋ならいざ知らず、ノアの重鎮といってよい存在がそれでいいのか。彼の体が、彼の技がどんどんすごくなっていくのに、そこはそのままでいいのか。あくまでも私見だが、彼の表情の(かつての)良さは、彼の弱さに基づいていたように思う。やられてもやられても這い上がる、そこにみんな引かれた。今彼は強いレスラーだ。長期休場明けの状況をぬきに、彼の肉体、ファイトスタイル、コスチューム、全て「完全無欠の強者」のものといっていい。それなのに、と思ってしまうのである。
 再び膝をいためて小橋は休んでいる。ちゃんと戻ってこれるのか心配ではあるが、この際、徹底して治してほしい。そして次に戻ってくるときは、周りに何も遠慮は要らない、徹底して強い、怖い、憎い小橋建太を見せてほしい。もうファンからの共感も同情も愛情も受け付けるな、小橋よ、鬼になってくれ。


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