けんたのプロレス&演芸論
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2003年01月12日(日) 第8回 芸人論 立川談志

 今回からプロレス、レスラーに加えて演芸、芸人についても書いていきたい。あくまでも極私的、と書けば言い訳がましいが、言い訳なのだから仕方がない。取り上げる芸人は、これまでのレスラー同様、好きな芸人さんであって、けなすことはあれど尊敬が止むわけではない。子供のころかっこいいなと憧れたレスラーへの尊敬、学生時代に落語にのめりこんだころからのプロ芸人への尊敬、それらがこの文の源泉にある。

 前置きはさておき、立川談志家元(以下敬称略で「談志」とする)である。この人を最初に書くのには理由がある。

 僕は談志が好きである。残念ながら生の高座は見たことがないし、CDもビデオも持っていない。いや、その気になれば東京まで出かけて談志独演会の客席に陣取り、居眠りだってやろうと思えばできるし、CDビデオの類はいくらでも買えるだろう、でも僕はそれはしない。「落語家」立川談志の高座はテレビで見るだけ、しかも回数は十を切る。しかし中3のときになぜか僕は談志がNHKでやった「二人旅」をテープに録音していた、穴が開くほど聞いた。面白かったからじゃない、うまかったかどうかなんて当時の僕にはわからない、とにかくそれが好きだった。
 学生になり、落語研究会に入る。そのころ談志はテレビの深夜枠で若手噺家に場を提供していた。志の輔、志らく、談春、昇太、小禄(現:花禄)・・・。しかし僕がひきつけられたのは、MCとして合間に一言二言しゃべる談志だった。
 「談志百選」なる本がある。百組の芸人、スターについて談志があれこれかく。これが僕は好きだ。面白いとか的を得ているとかじゃない、いい悪いじゃない、僕は気に入った。
 談志はテレビでもよく他の芸人を批評する。あれこれ言うので若い視聴者には「毒ばかり吐く」と映りがちだ。でも僕から見れば談志は毒はこれっぽっちも吐いていない。談志は批評する価値のないものは批評すらしない、ただ「ダメ」という。そこに毒はない。
 今日のテレビでは、いとし・こいしについて語っていた。舞台裏で当の本人たちがいる場で、談志は「衰えた」と言い切った。でもこう続ける。「衰えたって、年取ったって、好きなものは好き。それがファンってもんです」と。
 談志は芸の世界をこよなく愛している。それは間違いないだろう。そして談志なりの基準をきっちり持っている。その基準について彼は多くを語らない。わかる奴は言わなくてもわかる、わからない奴には言ったって無駄。テレビという巨大媒体ののし上がりを目の当たりにして、談志はそれを感じ取ったように思う。だからわかる奴にしかわからない言い方をする。
 僕には談志のいいたいことは半分もわからない。わかった気になって芸談を並べるつもりはない。わからないまま、自分の感覚でかきたいことをかく。で、好きな芸人しか書かない。
 だから、最初に、談志を書いた。


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