けんたのプロレス&演芸論
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2002年03月06日(水) |
第6回 レスラー論 三人のドラゴン |
三人の「ドラゴン」を通したプロレス、を書いてみる。ここでいう「三人のドラゴン」とは、天龍源一郎選手、藤波辰爾選手、ウルティモ・ドラゴン選手(以下敬称略)。三人の共通点として上げられるのが「団体の代表」レスラーである(であった)ことだ。かつてWARを率いた天龍、現在新日本の社長で引退を発表した藤波、引退状態ながら闘龍門を牽引しているドラゴン。三者三様の「リーダー像」が見えてくる。
任侠の親分タイプの天龍は、自らが望むと望まないとにかかわらずリーダーになっていた感がある。周りに頼られて行動する、いい意味で言えば人望の厚い男であるが、その中で我を張らずにはいられない性分でもあるのだろう。レスラーとしての彼が、「WARの大将」としてよりも「鶴田の二番手から起こした天龍革命」「橋本真也の壁」「川田全日本の敵」として輝いたことと、裏方としての彼が「WARの中枢」よりも「馬場元子全日本の参謀」として実績を上げているのは無関係ではなさそうだ。押しも押されぬトップレスラーだが、「イチバン」に向かない、また本人もそれを望まないフシがある。だからこそあの年齢で「常に新しく」いられるのだろう。
一方、藤波は、新日本という巨大な組織と、猪木という巨大な存在のなかで光を失っている。僕は藤波が子供のころから好きだったし、今でも好きだ。しかし最近の彼はどうもふがいなく映る。蝶野が改革を起こそうとしているが、本来はそれを藤波がやらねばならなかった。蝶野もそれを期待していたはずだ。しかしできなかった。最近、藤波は現役引退を表明した。僕はその時「機を逸した」と感じた。
ウルティモ・ドラゴンは自ら闘龍門を設立、この団体が大きくなっていく過程のごくごく初期に自らは選手生命を絶たれるような大怪我を負った。思うに、言い方は悪いがまさに「怪我の功名」だったのではないか。自らが立てないリングを、ドラゴンは弟子たちの手で大きくできるように、選手の育成と団体の運営に力を注いでいった。今の闘龍門は、ドラゴン抜きで完成している。かつての天龍のような「プレイング・マネージャー」ではなく、また藤波のような「戦う社長」でもなく、彼は自分のできないことを若手に託した。それが今の闘龍門の成功につながっている。最近、彼は現役復帰を表明した。自らの手でここまで大きくしたんだ、そこに立ちたくなって当然だろう。あとは、復帰後の闘龍門において、彼がどのような舵取りを続けられるかだ。おそらく心配あるまい。
藤波はリングをもっと早く降りるべきだった。長州同様、地方興行には彼の顔が必要だったのだろうが、現役第一線の選手がプロモートするのはやはり難しい。WWFも「セミリタイヤ」の「リスペクトされる」選手が(表向きの)裏方を務める。あの猪木だって、プロデューサーとしての進化を発揮したのは引退後のことだ。(猪木は自分の絡むカードのプロデュースは天才だったが、ほかはどうでも良かったように見える)
蝶野体制になりつつある新日本の行き先を見定める上で、ウルティモ・ドラゴンという男のやりかたはきっと参考になる。
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