風のひとり言
kaze



 

そういえば夢を持っていた・・・
中学・高校の頃その夢を実現しかけたことがあった。
自分の判断と、当時の状況が、その実現を阻んだのだけれど・・・

夢・・・今でも持ってるか?
その夢を実現したくて、実現に近づきたくて、
今の世界に飛び込んだはずなのに。
今の会社では夢を実現する環境がなかった。
それなのに・・・
すでに入社して15年以上・・・

忘れかけている夢は今も時々思い出す。
しかし、すでに抱えているものの大きさを思ってしまうと、
実現への行動は起こせない。

夢・・・実現しないから夢なのか
実現したら・・・それはどんな形に変化するのだろう。


2001年12月04日(火)



 街の灯

街の灯りがとてもきれいね〜♪って、かなり古い・・・汗
12月に入って東京渋谷は、例年通り、イルミネーションの街に変わった。
もっとも11月中旬から少しずつ点灯してたけどね。
帰り道、イルミネーションの通りを歩くと、まるで時間に追い立てられる気がする。
「ほら、もうすぐクリスマスだよ」
「ほら、もう来年は目の前だよ」
はぁ・・・年内仕上げの残務山積み・・・
あせらすなぁ〜〜〜@イルミネーション

けど、ふと思った。
数年前(?)省エネということで、夜の街に灯りが減った時、
渋谷の街も暗く沈んで、死んだようだった・・・
(そういえばあの省エネスーツってどうなったんだろう・・・)
いつの間にかそんな事も忘れ去られ、何事もなかったかのように
パワーアップして戻ってきた街の灯り・・・

「そんな事もあったなぁ〜」と活気に満ちた街中を、今日もとぼとぼ歩いてる(苦笑)

悪い思い出、嫌な思い出も早く苦笑で済ませられる日が来ればいいな・・・

ちなみに、渋谷のイルミネーション・・・
遠い方にはわからないお話になってしまったので、お詫びです(笑)


2001年12月05日(水)



 

人は悩みの迷宮に入り込むと、どこへ行けばいいのかわからなくなる。
自分の行きたい道、自分の行きたい方向が定められなくなる。
答えを見つけようと、焦れば焦るほど、わからなくなる

でも、よく思うのだけど、
壁って自分自身が作ってしまってるんじゃないのかな?
乗り越えられないほどの高い壁を、自分が無意識に作っているんじゃないかな?
壁の向こうに行きたい時、
ただひたすら正面からぶつからずに、他の手も考える必要があるよね。
右をみたり左を見たり・・・もしかしたら正面の壁に穴があいてるかもしれないし、
あるいは、戻って別の道を探してみるのも一つの手段。
壁の前で佇んで、別の事を考えたりもしてみたら、
意外にその壁が低くなってたりする事も・・・

「乗り越えなきゃ」「進まなきゃ」って思う気持ちが強ければ強いほど、
他が全く見えなくなってしまう。
自問自答を繰り返しても、堂堂巡りばかりで答えが見つからない。
そんな時こそ、焦らずに一歩退く勇気を持つことも大事なことだと思う。


2001年12月06日(木)



 虚像

ネットの中での勘違い(=思い込み)は多く見られる。
多くの人が、その問題に直面した経験があるのではないだろうか?
人は、画面に並べられた文字の背景に、相手を見出そうとする。
相手を理解しようと努める。
確かにネットの中でも、話せば話すほど相手がおぼろげながらも見えてくるが、
それは自身が創った虚像でしかない。
相手の人格を解ったつもりでも、
それはあくまでも相手の一部である事を認識しておかなければ、
それに振り回されてしまう。
所詮、相手の全てを理解することは、ネットの中では無理な話である。

虚像を持つことがいけない事だとは言わない。
ただ、イメージを膨らませすぎると、
相手の本質を見失うことになりかねない。

2001年12月07日(金)



 

壁の話の続きみたいだけど、
壁にぶつかった時は一人で悩むのは良くないと思う。
誰かに話をしてみると、意外に違う視点からの発見があるかもしれない。

人は誰かに支えられ、そして誰かを支えているもの。
「こんな自分」でも誰かの支えになっている。
「こんな自分」でも誰かが支えてくれている。
そのことをいつも忘れずにいたい・・・
誰かが必要としていることを忘れずにいたい・・・

倒れたって、つまづいたっていいと思う。人間なんだから。
考えることができる人間なんだから。
また起き上がれば良いし、また歩き出せばいい。
時には、歩きつかれて立ち止まることも必要。
時には、自分の意思でしゃがみ込むことも必要。
両膝突っ張って、無理に立ってる必要なんかない。
意地を張って、立ち続ける必要なんかどこにもない。
休む勇気。立ち止まる勇気。
そんな勇気を持つことが大事だと思う。

あせらず、ゆっくり一歩ずつ前進して行けばいい。
前を向くことを恐れず、後ろを気にせず、
恐る恐るでも一歩ずつ歩を進めていければ・・・
それでいいと思う。

立ち止まりそうな時、後ろを振り返りたくなった時、
自分の周りにいる誰かに声をかけることができれば、
きっと支えてくれるハズだから・・・


2001年12月08日(土)



 時事ネタ(笑)

たまには時事ネタ(苦笑)

野村沙知代(以下サッチ−)が逮捕されて、連日報道は大賑わい。
ワイドショーでもスポーツ紙でも、あとからあとからその悪行(?)の数々を拾い集め、攻撃している。
が・・・ちょっと待った。
ワイドショーを放送しているどの局も、視聴率欲しさ、話題性欲しさで、
サッチーに出演を依頼してこなかったか?
悪い噂が絶え間なく流れているにも関わらず、
そのアクの強さをわかった上で、商売道具として扱ってこなかったか?
たかが(ごめんなさい!)野球人の妻。
略奪愛がいいのか、その毒舌がいいのか、誉め称え、おだてあげ、
やれレギュラーだ、講演だ、果ては選挙だと担ぎ出していたのはマスコミではないか。
聞けば本人のギャラのランクは、どんどん上がっていった様子。
まぁおだてられた本人が、
水着になってメリーゴーランドに乗っていた(某遊園地のポスター)のには、ぶったまげたが・・・(苦笑)

確かにサッチ−のやったことは犯罪。当然糾弾されるべきであり、償うべきである。
然しながら、誰も自分たちの過ちを認めない・・・というか、忘れ去ったかのようだ。
いつもそう。
事件が起こればその加害者だけでなく、被害者やその周りの人たちの私生活まで暴き立て、
報道したのち、後は知らん顔。
「伝える義務がある」とか「報道の自由」を盾に、悪辣なことをやっているのはマスコミではないか。
過去にもいくつも例がある。
殺された被害者のプライバシーを報道して、さも「殺された方が悪い」という書き方まである。

今回の場合、確かに芸能界に存在していたサッチーの起こした事件。
しかし、手の平返したように、一斉に攻撃する各社を見ていると、どうも腑に落ちないのである。


2001年12月09日(日)



 続・時事ネタ(笑)

昨日の続き(笑)
今回のことで目に付いたのが、インタビューである。
サッチ−を目の敵にしていた人たちにばかり感想を求める。
「スカッとした」「正義は勝つ」「神は見捨てなかった」「ざまあみろ」
こんなコメントばかりを放送している。

インタビューとは怖いもので、制作者側の意図するコメントの部分しか放送では使わない。
反対意見・擁護意見などがあれば、編集でカットされる。
普通の事件でもそうだよね。
ご近所さんが訳知り顔で「いつかやるんじゃないかと思った」とか「ひどい奴」とか・・・
およそ加害者の人格を徹底的に、それも第3者のコメントを使って攻撃する。

今回の場合、まぁインタビューしたかどうかは疑問だが、
サッチ−擁護派(?)のコメントがあっただろうか?
「きちんと償って、また元気に戻ってきて欲しい」とか・・・
マスコミ側からしてみれば、こんなコメントは当然カット。

こうして、マスコミの手により「国民的悪役の誕生」となる。
まさしく「犯罪報道の犯罪」
その罪を罰することも出来ず、本人たちもその罪の意識がないからたちが悪い(笑)

結局、報道も含むマスコミとはいい加減な部分があって、
それを100%鵜呑みにするのはどうかなって話しでした。
あ・・・ちなみに自分もそんなマスコミの片隅に席を置くもの。
結局自己批判につながってしまうのが情けない(笑)


2001年12月10日(月)
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