ステップママ繁盛記



 なんだかいや〜・・・

夏休みも終わり、新学年がはじまって一ヶ月になる。

少し前まで、一番上のこ(大学生)の生活態度が思わしくなく、カツをいれるために夫が車も使わせないというおふれをだしたんだけど、どうせ一週間そこらでそれも終わりになるに違いないと思っていたら、案の定そのとおりになった。
全然変わってないじゃないの返答は「俺を信じてくれ」ただそれだけ。
私から見れば自分のベネフィットだけとしか感じられなかった。ここでいう、ベネフィットというのは、将来自分が老いたときにたまに遊びにきてくれたり、ケアしてくれたりのことを言っている。というのも、彼のお父さんは、離婚後、あんまり孫や娘、息子があまり訪れないのを気にし始めてからの発言だったからだ。
確かに、彼の心の中まで完璧にわかるというものでもないけれど、それが感じられる。

しかも一番したは、学校で軽い問題を起こしたり、宿題を忘れたりしているし、二番目の子はあいもかわらず家のことはなんだかなーっていう具合なのである。そんな些細な部分にいらいらしていると、そんなことは俺はどうでもいいけれど・・・。私は大きな問題より小さなことが気になってしまうタイプである。というのも、生活をしてそういう場面にあたるのは私だからだ。

彼なりの考えがあるんだろうけれど、どうも賛同できない日々である。
ようは泳がしているだけ・・・で、つけは後で回ってきて目のあたりにするのは私なのに。
いつもはぐらかされてしまう。



2005年09月28日(水)



 不機嫌な自分・・・

夏休みが5月の終わりからはじまって、一ヵ月ぐらいしたあと、夫の弟が住む州へ下の二人は行き、そのあいだ、一番上の子はほぼ独断で彼女の彼氏が住む州へといったつかのまの数週間はお互い仕事をしているので、思うように時間がとれなかったけど、静かでゆったりとした時間が流れて終わりました。

一番上の子が、二週間前に帰ってきて、毎度のごとく、バイトをちょろっとするだけで、後はいつもの状態。あまりにもひどいので、夫からお叱りを受けるが、もう二十歳になるというのに、こういうのを毎回叱っている夫もなんなんだろう?と思い始めてきた。それと、これは親離れと子離れが必要なんではないかと思っている。依存しあっているといえばおしまいだが。

そして、昨日下の二人が弟の州から夫の実家の州へと移動して戻ってきた。
本当は夫が空港へ迎えに行く予定だったが、仕事でいけずかわりにわたしが。
ゲートのバゲージに現れた二人は私を見る限りなんともつまんなそうだった。
なーんだお父さんじゃないのかってな具合。
話すこともなんだかなーって感じですでにいらいら。
このいらいらは帰ってくるというのが現実化される自分の中でいらいらが増していたのは確かである。

明日から出張でまたいなくなるため、夫がスーツケースを取り出したとき、一番上のこのバッグを使おうとしたらしくそこの自分が布切れがついているのを発見。
どうやら自分が働いていた部で作った記念のようなものらしい。そこには刺繍で夫の名前とダディとぬあれていたものだった。それをつけて帰ってきたこともつゆ知らず、本日わかったらしい。どうも前の奥さんの妹夫妻のところにいたのでそこで見つけたのだろう。

こういう残骸がちらほら見えるときはむしょうにいやになるというか、はらだたしくなってくる。特にダディという文字。

前の家族、そして自分の家族はすでにあるものだからしょうがないが、問題が勃発するのはしょうがない、処理をしなくてはならないが、いつになったら、私の家族、未来の家族を耕そうとするのだろう?年が大きくなっても精神年齢がかなり低いうちの子達が大きくなったらと思っているのだろうが、いつ大きくなるのだろうか?????





2005年08月03日(水)



 甘すぎ???・・・

父の日の日に一番上の子が車を当てられました。夜中にでていき、友達の家で友達にあてられたそうです。

でも当日は父の日ということもあって、夫はそわそわ、わくわく、どきどき。
一番下の子から、二番目の子から父の日の言葉をいわれてうきうきしていたのも反日、夕方になってそのあてられたことが発覚したのです。
夕方バイトから帰ってきた一番上の子は、そそくさと父の日の言葉を述べてから、二階にいってお父さんへのギフトを机の上に置いた模様で、即座夫は二階へ。
夕食を食べているときに、事故の話がでました。
事故がおきたのは、土曜日の夜で、時間でいえばゆうに夫に言える時間はあったはずなのに、彼女のいいわけは「むこうの両親がお父さんにいうから」ということで一切口にしなかったのが、夫を余計に怒らせました。
車は彼女名義のものでなく、夫の名義なのでしかるべきことは最低限、借りている本人から聞きたいと。当然です。

あ、いっておきますが、ギフトは今年の母の日はなにもなかったです。苦笑。

そこで、夫は一番上の子に、車は使わせないといい、カギをバッグさせました。

むこうの親御さんからもいっこうに連絡がはいらず、翌日ようやく連絡がついて保険を使わず示談ですませることになったのですが、車は治さないといけないので、またまた夫が車やにいったりとしてごたごたをこなしていました。

この週末前に、夫は他の州へと出張にいき、週末だけ私は夫のいる場所へと遊びにいき帰ってきました。

行く前の日に、とある新聞の中から父の日の切り抜きを見つけ、一番上のこに渡しました。父というもの、ダディというもの、ステップふぁざーというもの、そんなことをシングルマザーで育てられた大学生が同じ年のこに向けて書いてあるエッセイなのですが、とてもじーんとくるものでした。何かの役にたてばと思って。

昨日、日曜日の夜に飛行機がつき家路に戻る途中、一番上の子から電話がありました。「ご飯作ろうか?」いままでにないそんな言葉に、「どっちでもいいよ、かえって作ってなければ私が作るから」とだけ言い伝え、家に戻るとしっかりとご飯が作られていました。これまでにないことです!!!!にっこり。

夫とテキストメッセージをしていると、「今日の夕飯は何?」というので、一番上の子が作ってくれたというと、「えええええええええええええええええええ?」
そのときに、その記事のことを伝えたのですが、それが役にたったかはさだかです。

さて、今日仕事から帰ってくると、ご飯を食べるか食べないのかわからない一番上の子はいつものごとく、食べないようでした。車は治って家にあるしと思うと、「これからボーリングに行く」と。自分の車で行くかと聞くと、お父さんが許してくれて車をつかってもよい許可をもらえたという。
ははーん。ちょっと甘いんじゃないの?と伝えると夫は「2ストライクで、あと1ストライクで彼女はアウトだから」といっていました。
でもでも、一番下の子の罰にくらべたら、ゆうに甘すぎる。
かわいそうだと思ったけれど、せめてあと数週間このつらさを味あわせてあげたほうが彼女のためだと思うのは私がステップマザーだからでしょうか???????






2005年06月28日(火)



 かたを持っている?!・・・

仕事から帰ってきて、すぐにカクテルを作ろうと思ったら、氷がない。誰かが、氷のお皿に作りおきをしないで、そのままにしていたんだ。
その場にいた夫を問いただすと、自分もさっき帰ってきたばかりだという。
トイレを我慢していて、いきなり長話を聞かせれるくらい、同じ気持ち。
なんだよーと怒りをぶちまけたら、隣にいた夫がいきなりだまった。

あとで氷ごときで(結局子供が作らなかったということが気に入らない、しかも何回もいっているのに)という。
それくらい、ないと思って当然だと思えと。
なんだかかちんときたのと同時に、その場から無視しはじめた夫。
子供のことで怒りをいったからだと思う。

このごろ、こうやってなにかしらと子供のことであたしが怒ると、雰囲気的に子供のほうに肩を持つ風潮がある。
自分の聞いて話の途中だったからのもあるんだと思うけど、こっちは働いて帰ってきて一杯のお酒が飲みたかったのに。
長い話もすでに朝メッセージで聞いていたので、わかるし、いくら話を聞いたからとて、事態がかわるわけでもないのに、どれだけ自分がチャレンジしたかなんて、トイレを我慢しているときに聞かれても上の空だと思うんだけどな。

はーーーーーーーーーー。
夏休みがはじまりました。
家にはごろごろ何もせず、氷さえフィルアップしない子供がいます。





2005年06月02日(木)



 このあいだも・・・

仕事が終わって、家にかるときになると家に帰ってゆっくりしたいという気持ちと、あーいるんだなという気持ちで複雑な気持ちになる。

特に家までたどりついて、一番上の子の車があると、ぐっとくるものがあるこのごろ。

玄関をあけて、夕食を食べている子供たちのそばの居間でテレビを見ている夫。このなんともいえない家族団欒風景が私の気分を逆なでする。私と夫がテレビを見ていて、子供たちが夕食を食べている場合でも、二人で会話をしているときに、一番上の子は必ずといっていいほど、「お父さん、−−−−−−−?」といって会話の中に入ってくるのはいいのだが、99パーセント、お父さんへの会話になって結局私との会話は切断されるのだ。毎度のことなのでかなりいらいらするが、そういうときはすっと自分の部屋にいってしまう私。どうも、家の中に夫のもうひとりの奥さんまたはガールフレンドがいるような気分。嫉妬ととってしまえばそれでおしまいなのだが、とても複雑な気分になってしまう。

相変わらず、野菜は食べずで、このあいだもかなり切れてしまった。

今年の母の日は、子供たちがコーヒーを作ってくれた。とてもおいしかったが、とてもそっけない、形だけのものと考えるのは私だけだろうか。

母の日の当日、夫の実家へ飛行機で日帰りでとび、お母さんへ母の日のお祝いの言葉をいいに行く。私も母の日でお祝いしたいからといっても、毎回、ファミリーパッケージでくるまれてしまう。今回は、彼の母、彼の姉、そして私への家庭サービスといったところである。私には母の日だから君も値するといっておきながら、万面なく誰かを幸せにしようという気持ちはわからないでもないが、結局10の幸せをあげる夫から与えられる幸せは3分割になってしまう。いいほうに考えると、ちょっと買い物ができたし、少しはゆっくりできたからこれで充分だけどね。

そのしっぺ返しに、翌日からの仕事はとても疲労がたまり、家庭の雑事もそのあとに倍になって降りかかってきたのはいうまでもない。

さて、これで終わったように思われる家庭のイベントも、今月ももうひとつ。
彼の母の誕生日があるので、みんなで夫の弟の場所でお祝いをしようということ。
はー。










2005年05月10日(火)



 習慣・・・

我が家の継子たちは、一般の子供と同じようにジャンクフードが大好きです。
野菜より肉、肉と同様にプロセスフード(加工食品 ハムやソーセージなど)が好き。手をかけずに済むと思えばそれでいいのかもしれない。
でも、子供のころに食べていた食べ物って大人になっても当然嗜好が同じで変わらないのだ。大きなアメリカ人、それも非常に肥えすぎたアメリカ人が多く、政府からでさえ「運動をしなさい、砂糖を減らしなさい、ダイエットしなさい」とうるさくニュースのように流れている昨今である。
昨日今日とで食べ物を変えたからといって、人間のダイエットは変わるわけでもなくこれは長い長い間に培われた習慣というものになってしまうのだ。

ウィークデイに働いているのだが、帰ってくるのがどうしても夕食の時間に間に合わないので、朝起きて、夕食の支度をして仕事にでかけるということにした。
毎日ありあわせや簡単な食事にすることもできるが、日中学校で栄養のないカロリーだけ多いものを食べて、家に帰ればスナック菓子、夕食に冷凍ものや宅配では脳も働かなくなるだろう。
それと、働きながらでも家庭の味を作れるということをわかってもらいたいがためにせっせと作っていたが、昨日は目に余るものがあった。

昨日の夕食はご飯、ステーキ、ゆでた野菜とサラダ。
別にどうってことのない夕食だ。帰宅するとすでにお肉をあっためていたのと、サラダもテーブルの上にあったので、食べてくれると思っていた。

自分が夕食にしようと下に降りていくと、誰一人としてサラダに手をつけていないことが判明。ティーンエイジャーに野菜をもっと食べろというのが無理なのだろうか???
でも野菜がメインにしているわけでもなく、とりあえず(強調)肉がメインにしているのだから、少しぐらいは食べてくれても・・・の期待は見事にうちくだかれてしまった。

ちょっとしばらく、簡単ディナーで私も息をつこうと思う。
彼らが大人になってからの食生活なんてどうでもよく見えてきた。
ディナーを作らない分、6月のテスト勉強ができるし。

先日、一番したのこの陸上の大会があったのだが、その前までは「これる?」と毎回聞いてきたが、このあいだは大会があったことさえ知らなかった。大会はだいたい4時ぐらいからはじまる。当然いけない時間だし、他の家の人はどうやって見に行っているのだろう?しかも平日。
上の二人の子は応援にいったらしく夕食の時間に二人は戻ってきたが、「どこにいったの?」と夫に聞けば、「大会にいったよ」とのこと。「知らなかったの?」
はい、知りませんでした。
ま、私がいってもお父さんがくることしか頭にないし、覚えてないし。
そんな気持ちが行く気をなくさせます。きっと子供たちも同じだろう、どうせこないだろう。








2005年04月07日(木)



 ご無沙汰です

大変ご無沙汰してしまいました。日記を書かず、更新もせず数ヶ月。そして年も変わってしまいました。ごめんなさい。
そんな中、メールをいただき心配してくださる方がいることを感謝しています。

近況はといいますと、年末・年始は私の両親がカリフォルニア・ラスベガスに旅行にきていたので、ラスベガスで落ち合うことになりました。お正月の元旦に両親と再会できるのはこの上ない幸せでした。おととしの元旦は、前奥の親戚に電話をかけまくりという幕開けでしたから。父親は夫がいっしょにカジノでプレイするのを楽しみにしていたので、お金をどんとすってしまってもきっといい思い出になったと思います。お土産の交換をしたとき、お父さんは「こんなにしてもらって申し訳ない」と何度もいっていたようです。いつも別れのときに弱い父親は、結局最後の見送りもこないでくれといわれて、ホテルの部屋でじっと涙を飲んでいたのです。最後の見送りにいかないなんてと夫にはいわれましたが、涙する両親を見るのはもっとつらいので我慢していたら、母親がホテルのドアの下から一枚のありがとうの手紙を投函していたようで、ロスから電話をよこしたときにきづきました。やっぱり両親って・・・。形で示さないとわからない愛より、ずっしりときました。

さて、お正月を過ごして家に帰ると、今度は一番上の子が、遠距離に住んでいるボーイフレンドのところに行くといって、前奥の妹夫妻から航空券を買ってもらい、彼のもとへすっとんでいってしまいました。大学は一月の半ばから学校がはじまるようで半月ばかりいませんでした。去年事故をおこし、車の修理代もまだのまま、成績もがたおちのまま、バイトのお金も貯金せず残金赤字のまま、すっと「リフレッシュ」といっていってしまったのには、ぽかんと口があいたまま、そして夫は激怒を押さえながら「逃げても現実はもとに戻ってくる」といって、帰りを待っていました。帰ってきてからも一向に生活は変わらずで、結局一番上の子と会議となったのです。

その結果、毎月車の修理代・および車の保険をバイトのお金が入るたびに少しずつ払う。家のことをもっと手伝う、成績を上げる。となったのですが、この先どうなるのかなあ??? あんまり言い過ぎるのも、子供として見すぎるし、かといってしらばっくれるのもうーんだし。

一番したのこは、相変わらず、宿題を忘れたり、うそとついたり、学校で問題を起こしたりと変わらないし、二番目の子は怠惰の怠惰で、家に帰ればテレビ・インターネット・ゲーム、または寝る。でも二人とも成績は抜群なんだよなー。

夫は私にもっと子供に目を向けてほしいというけれど、すでに人格形成されてしまってから知っている私は、なにをしても無理なような気がしていて、意欲がまったく子供にわきません。いけないのはわかっているけれど。

春休みがもうすぐやってくる。
また夫の実家にいく計画をたてているようですが・・・








2005年03月04日(金)



 クリスマス嫌い・・・

クリスマスを嫌う人なんて、私ぐらいかと思う。
毎年、この時期になるといらいらにいらいらが輪をかける。

結婚してから二回ほどツリーを飾ったが、ここ数年はクリスマス時期に旅行にいったり、家にいても飾らなかったりしていた。
去年夫から「クリスマスツリーを飾ろう」といわれた。
もめにもめたすえ、今年に持ち越すことになった。
今年も再度、飾ろうといわれ、数週間言われつづけて結局だめもとで飾ることになった。

飾るのもアシストしてほしいといわれたが、それは簡便だった。

クリスマスツリーは、前の結婚のもので、子供たちの母親をこの家では意味する。
毎年、夫や子供たちからの親戚からは「どうして飾らない」といわれつづける。

でも・・・いやななんだ。
いやな思い出や、とっても孤独感を味会う時期になってしまう。
きっとこれを読んでいる人は、「たかがツリーじゃん」と思っている人も多いと思う。

親戚の家に行ってクリスマスをしたとき、ツリーのてっぺんに星がないことがあった。「お母さんがいない」といわれて、急遽とりつける。
子供たちにとってはクリスマスイコール、楽しい思い出なのに、どうしても受け入れることができないでいる。
ストーレイジからいそいそと昔のツリーを出してきて、オーナメントやらを取り付ける夫。そしてそして、彼らの思い出の曲をかけながらとりつける光景。
私には絶えられません。

クリスマスツリーを新しいのに買い換えればと思ったりもするが、そうなるとじゃ、古い方はどうしよう?捨てるわけにもいかないし、結局物置に放置となったりしてしまう。それもそれでいやなんだ。

それと、このごろ、夫が子供たちとこっそりでかけたりする。
いつもこっそり。私の焼きもちだというけれど、どうしても夫の彼女3人といるようでそのこっそりが発覚するたびにいやな気分になる。
「君は奥さんなんだから焼きもちやく必要はない」というけれど、すべてこっそり。でもいわれてもいやだったりするから程度が悪い自分がいる。

こういう気持ちをどうやったら打破できるのだろう?
打破できた方はどうやって打破したんだろう?
毎年12月が大嫌いです。













2004年12月28日(火)



 事故・・・

10月の半ばから日記を書いていない。
もう12月の半ばに突入するというのに・・・あああ。

変わったことといえば、先日一番上の子は事故を起こした。
不注意で運転していて、相手の車にぶつけてしまったらしい。学校が終わり家に戻ると、隣に駐車している車の頭がなにやらおかしい。
家に入ると、保険会社やら相手からの電話がはいっていた。やれやれ・・・
夫はすべての修理は彼女にまかなわせるといっていたが、すでに保険会社が介入しているので、多分・・いや彼女の車の修理代だけ払わせるのかもしれない。いや・・・甘いから結局それも治さずじまいで終わってしまう毛がある。

7月に彼氏ができてから、どうも彼女の頭の中には一番に彼氏があるようで、事故以来発覚したことだが、編入先の大学の貯金もしておらず、現在いっている大学でもあまり成績はかんばしくないことがわかった。
先日サンクスギビングに夫の実家にいったのだが、手には携帯、そして頻繁にメール交換やら電話。おばさんやおばあちゃんに彼氏を電話口で紹介させるのをみかねた夫は、親に紹介してからおばさんやおばあちゃんに紹介しろとまでいう始末。

ついこのあいだは、バイトから帰ってきてドアをノックする音がすると思えば、すべての荷物を耳に携帯を離さずもってドアをノックしている一番上のコ。
夫はなぜかぎを持っていない?と聞いたら、かぎを車の中に置き忘れてしまったためという。携帯携帯携帯・・・
頭の中はまわりの状況は見えていないらしい・・・

結局、お金もたまらず成績もかんばしくないようなので、本当に行きたかった大学は来年の春はいかないことになったようだ。バイトでためたお金はどこにいってしまったのだろう?すべての大学費を彼女にということは毛頭考えてないが、少なくともこれだけがんばった、これがやりたいことだというものを親は見たいのだ。
夫が帰ってきてからというもの、まったく言葉を交わしていないのでわからない。
これらは彼女の態度の一部だが、すでに一番下の子にも伝染していて、目に余る態度が見られるが、3人もティーンエイジのこが家にいるとなんともいえない状況だ。

二番目のコは、免許学校を終了し、車に乗りたくてしょうがないらしい。まあ、当然。
一番下の子はあいかわらず学校の部活動で急がしのだが、それと同時に学校での態度で何度となく先生から連絡がはいったり、通知表の記載欄に「授業中のおしゃべり」が見受けられる。

いつになったら、一番上の子は精神的に自立するのだろうか?





2004年12月11日(土)



 怠慢〜・・・

申し訳ありません、また日記が怠慢になってしまいました。

前回の日記にも書いたとおり、このところ夫とのリズムがあわず、衝突ばかり。
少し前には、「離婚をしよう」というところまでなってしまいました。
私も日本に帰ることを考え、彼もできる限りのことはするといったのはつい最近。
和解というか仲直りをしながらも、小言の衝突は頻繁に起きているので、火山爆発そして現在は沈下進行中といったところでしょうか。

幸せなことに、人数は少ないものの、ステップママとしての私ではなく、自分としての私を近くに支えてくれる人たちがいることに感謝をする毎日です。
セラピストの学校に9月の半ばから通いだして、そこにいる人たちからも精神的に支えてくれる人ができたこと、そしてまだまだだけど怒りの処理を少しずつ変えていけるように考えられるようになったからなのかなあ。
まだまだですが、少しずつ変わってきているような気だけはします。
相変わらず、家の中は変わった様子はまだありませんが・・・

昨晩夫から、一番上の子がサンクスギビングに遠距離恋愛中の彼のところに行くという話を聞きました。彼女とて19歳。あいたい気持ちも充分わかるのと、夫の心配もわかるのでなんともいえませんでしたが、夫は「それはひどいアイデアだ」といったようです。年が明けてからは次の大学に行くのも決まっているし、どうするのかな?今はまだ、お父さんのいいなりになって行かないんではと私は思っています。まだまだ、彼女にとってはお父さんの意見強しだもんな。
でもいつか、お父さんの意見なんかより自分の意見を貫きとおすときがやってくるんだろうな・・・














2004年10月25日(月)
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