ステップママ繁盛記



 すごい時間がたってしまった・・・

最後に書いた日記は8月の半ば。
すでにカレンダーは10月になっている・・・あああ。

9月の頭に、夫が帰ってきた。
その前からリズムがまったくあわず。帰ってきたという実感はあっても、実のところあんまりうれしくなかった。というのも、当然のことながら子供たちの態度がお父さんが帰ってくることにより変わるからだ。
案の定、帰ってきた数週間はまったの好子供。

そして、一番上のこの態度のことで、私は爆発した。
夫を仲裁にいれて。それ以降、彼女もあんまり進展を見せなければ、私も変わろうという気分にさえなれないのだ。
頭の中ではわかっていても、感情が溢れ出してこない。イコール、子供たちに対して無関心気味になってしまう。

そんな折、一番上のこの誕生日目前となった週に、夫のお母さんの妹の娘の訃報が届く。お母さんと夫のお姉さんが、ここまで飛行機でやってきてここからお葬式に夫と出かけた。お葬式の前日は一番上のこの誕生日。学校のあとは夜にバイトがはいっていたこともあったのでこれといって特別なこともしなかった。

夫とはリズムが合いそうであわない日々が続いている。
仲が戻ったように思っても、なんらかのことであたしがいらいらしてしまうのだ。
なんだか本当に自分が変なのではないだろうか?と思ったりする時もある。
そんな私を見て、「君は面白半分にこの状態を楽しんでいるのでは?」といわれた。面白半分で怒っているほど自分は馬鹿ではないと思う。変わりたい、変わらなくては、まずは自分から何かを起こさなくてはと思うほど、肩の荷が重くのしかかってきてしまうのだ。一生懸命、コミュニケーションしようとする夫がとても疎ましく思えてきてしまったり、長々と話込む彼の態度に途中でくたびれてしまったりもする自分がいる。

昨晩はパソコンのソフトを買いに行ったときに、口論になり延々と車の中でも続き、夜いっとき仲直りして、ご飯を食べたあとさらに軽いつまみを食べにいったときにまた勃発。
「じゃ、どうして俺たちこうやっているんだろうね」と言われた。
まさしくそのとおり。

波長があわないでいるこのごろです。

やっぱり前の奥さんとの結婚生活がこの生活にとても染み入っていて、ときたま膿がでてくるのです。






















2004年10月03日(日)



 いやな気分・・・

学校が今週からはじまりました。それはそれは、エクササイズ仲間は「子供がいないと本当に静かだわー」「静かな生活が戻ったわ!」とママさん軍団はうれしそう。私もそれにもれずです。でも一番上の子がお昼過ぎぐらいまで寝ていて一日中携帯してます。

そして、ここ一週間いやな気分でもいます。
一番上のこの大学は決まったのはいいけれど、あいかわらず授業料やら寮のお金はどうするのかまだはっきりきまらず、一人でどうするのどうするの?といっても、夫はなんとかなるさ〜、一番上の子は親がなんとかしてくれるだろうののりでいるのです。
支払いはもうすぐというところで、奨学金やらエイドのオファーがきたものの、まだまだぜんぜん足りないことを二人に説明すると、ようやくことの大きさに気づいたみたいです。やれやれ。でもあいかわらずなんですが・・・こういうことって何よりもって考えるのが日本人なんだけど、こういうところは完璧アメリカ人の、楽天的っていうのが親子でとってわかります。しまいには、はじめてのことだし・・・なんてはじまる始末。

夫と私はなんとかできる限りのことはしたいと思うが、限りもある。
どうみても、外見だけみて大学いきたいとしか思えないし、あんまり誠意もこもっている様子でもなく・・・

そこで、勃発したのが、前奥の姉妹の息子がここに遊びにくるという。
しかも、寮に移るときに引越しを手伝うという。こういう話を何気でも話してくれていたら、ふーんそうかありがとうとなるんだけど、すべて水面下で動いていたのでした。一番上の子にとってはいとこであって、高校の卒業式にもこなかったし、子供たちが前奥の妹夫妻のところに夏のあいだいっていたときも結局、子供たちに顔を出さなかったので、彼女も本当にくるのかな?ぐらいにしか思っていなかったらしく口に出さなかったらしい。でも!、すでにバイトもやめてしまい、寮したくのショッピングも彼がいうくるという日にむけて準備をしている。
あたしとしては、とりあえず家をまかされているので彼と彼女だけでいくのもなーと思っていた。しかも、夫や私になんにもいわず(普通、前もっていうのが礼儀だろう??)すべて水面下。彼女もうまく、私の同意もなく彼女は大丈夫だから〜口調ですべてを進めていることにかなりむかついていた。
結局、夫がいとこと話をしたらしく(メールにて)その晩にいとこからあたしあてに電話がきた。くるのはぜんぜんかまわない、いつきてくれても私たちはウェルカム。だが、その前に一言いってもらいたいとストレートに伝えた。

あーあ、またあんまりうれしくない客がくる。
今年はこんなことばかり・・・

















2004年08月19日(木)



 彼らの母親・・・

たまに、一番上の子を見ていると、その行動がこれは彼らのお母さんがとっていたものじゃないかと錯覚することがある。錯覚といっても、私は、彼らのお母さんには生きてるときにお会いしたことがないんですが。

一番下の子と二番目の子は、一番上の子を大事にして尊敬している。
私に二人とも打ち解けているとはいうものの、一番上の子が絶対なのである。
しかしこのごろは、その打ち解け方も少しはゆるやいでいるように見えるときがある。一番したこと、二番目の子と私が何かをしていたり話していたりすると、「あたしのこと話していたの?」「何をしてたの?」とか、楽しそうなところに「ふーん・・・」「あたしなら○○だけどね。」「そんなこと子供じみててばからしい」ちゃちゃをいれて雰囲気を台無しにしてみたり、二人を言葉で示し行動をさらっていったりする。

二人を私にとられることの不安なんだろうか。
私としてみれば、とられるようなものはないし。

そんなとき、ふっと夫を思い出す。
離婚裁判でもめていたとき、お母さんに絶対ついてね!お父さんは悪い人。裁判所ではお母さんが一番すきっていうのよ等。なんとなく、そんな話を聞いたり、見たりしていたときのことが頭をよぎってきてしまうのだ。
お母さんだって、自分の子供を夫にとられたくないので気持ちもわかる。
夫は夫で子供をある程度の成長過程をみながら育てたかったのはいっていたが、それ以上に子供が一番幸せの場所(この場合はお母さん、お父さんのどちらかに選択をしなければならなかったのだろうが)を選ばせたかったと思う。もし子供がお母さんを選ぶのなら、それはしょうがない。(ま、子供はお母さんと住むということを当時は選んでいたようだが)

ふっと記憶で残っているコメントの数々を手繰り寄せると、そんな風に思ってしまうのだ。




2004年08月14日(土)



 成長!?・・・

私のモニターが壊れたのが数ヶ月前、自分はあんまり今は家にいないので夫が自分のを使えといって交換してくれた。
先週末、夫からメールで、ここでセールしてるから、液晶モニターを買ってくれば?といわれた。今週買いにいき、新しいのを自分の場所に、使っていた夫のをもとの夫のPCへと取り付けた。

液晶は軽いが、普通のは重たい。いらなくなったモニターをさてどうするか?と思ったが、どこに捨てればいいのかわからないので、とりあえず一階のstorageにおいておくことにした。二階から運ぶとき、一階でテレビを見ていた二番目の子が見て、「大丈夫?手伝おうか?」といってきた。重いけど、もてないくらいではないので「大丈夫だよー」といったが、すくっとカウチから身を乗り出してきた。
とりあえず、「storageのドアを開けてくれればいいよ」といい、ドアをあけてもらう。どこに置けばいいか聞かれ、すくっと出された両手にモニターを預けることにした。
と、同時にリビングのテレビは大きな声援。
見ていた野球のテレビで自分の好きなチームがホームランを打ったらしい。
「う、見逃したーーーーーー!」といって残念がっていた。
すんません〜。苦笑

少し昔なら、ただぼーっとテレビを見ているだけで、目の中にさえ私という物体が目に入らないかったのに・・・成長したのかな?



2004年08月13日(金)



 歯を抜く・・・

来週から学校がはじまるので、その前に一番したのこの抜歯をしなくてはと夏中のあいだ時間が合う日を探していて、今日抜いてきました。
歯ががたがたなので、矯正の歯医者から歯を抜かないとできないといわれ一時保留状態でいたのがこれで少しは軽くなった。
いっしょにつれていった、二番目の子は歯を抜く必要がないのですんなりとはじまったので今では一ヶ月か二ヶ月ぐらいに行けばいい。

こちらでは数本まとめて抜くというのは普通?!なのか、一番上のこが親知らずが痛むというときも一気に4本抜いて、目がびっくり。
まだ12歳ということもあり、一気に4本はつらいだろうと思っていたのだが、医者は大丈夫という。ま、痛さは4倍だが終わればなーと思ってアポをとる。

彼女は抜歯よりも、そのあとの矯正で歯がきれいになるほうがうれしいらしい。
心配で朝からあたしのほうがどきどきしていたが、数十分で終わった。
一番上のこのときは、夫が付き添いでいったのだがかなりてんてこまいだったようで、余計に心配していたのだがなんとか無事に終わった。
局所麻酔でしばらくうとうとしていたが、看護婦さんに起こされて車に乗せて家に帰る。気持ち悪くなったり痛みがでてきたのでとりあえず、軽い流動食を食べさせたあとに薬を飲ませていっきに眠りに落ちていった。

おきてからは少しは元気になったようで安心。
アイスクリームをほおばりながら、かがみとにらめっこ。
夕食も無事に食べ終わり、一安心。

彼女は3人の中でもタフだと思うが、改めてタフだと思った。

それとは別に、寝ている彼女の隣の部屋で音楽をダウンロードしてがんがん聞いているのにはちょっと・・・と思い、彼女が寝ているんだから他の時間にしなさいといっている自分にもちょっとなあ・・・と思った。


2004年08月11日(水)



 LeaveMeAlone・・・

うーーーーーーーーーーーー、たまには一人にさせてほしいといいたくなるときありませんか??
ありますよねえ・・・

大きな我が家の問題、オリエンテーションも終わってつかの間、二番目のこの歯医者にいったり、学校のレジストにいったり、一番上のこの問題で夫の怒りを聞いたり、一番したのこは軽い問題等を起こすしで、毎日ぱーっと終わってしまう。
ふとため息をつけば、夜になっているという今週でした。

抱えている自分の課題がまったく進まず2週間。来月までには少なくても三つの課題を終わらせなくてはいけない。頭の中には来月のイベントとどうやって時間をマネージするかでいっぱい。毎朝エクササイズからかえってきて、夫とメールのやりとりをすると一日の半分が終わってしまう。だがいざPCから離れると課題はできないし、やれ雑用にいかなくては、やれ夕食の支度だとなってしまって集中ができない。そんな折、毎日、今日は何するの?今日の予定は?エキサイティングな予定はある?と毎日聞かれたらうんざりしてきたのでとうとうあたしも切れそうになってきている。あの・・・・そちらで何か楽しい出来事あるんですか?毎日エキサイティングなことあるんですか?同じ質問されたらいやになると思うよ。それでなくても「早く家に帰りたい」「こんなところはもういやだ」「これが最後だ」なんていってるんだから。
あなたががんばっているから、あたしもがんばらなくちゃって思うのに・・・あ”−いきなり子供が4人になった気分。そんなに時間があるなら、娘とテキストメッセージでもしてろ!

ということで、数日いらいらしていました。(進行中)
今日は、完璧にメールを無視して課題にとりかかる。
途中でメールで話し掛けられたけど「勉強中だから」といっても「そうだよね、忙しいよね」といいながらたわいのない話がはじまる、しかも決まって同じ質問。
あーーーーーーーーーーーーーーーー。

こういうときこそ、勉強のしがいがあるというもので、完璧無視できたおかげで少しははかどりました。「何かできることはない?」「終わったら見せて、僕がチェックするから」はいはい、無視しているおかげでもうすぐ自分のところにまわってくるからね。それまで十分まっていてください。

さっき、一番下の子からメールがきた。
ごめんなさいというタイトルで。
今日は二回も怒ったのがどうやら少しはきいたらしい。
お願いだから、あと半月ちょいいいこでいてください。学校はじまるまでは・・・

二ヶ月半の夏休みは本当に長いです・・・






2004年08月01日(日)



 その理由・・・

もし一番上の子が自力で大学にいけないのなら、しょうがない。
とれすベストはつくすが、経済的に彼女が自分をサポートできないマネージメントなら、近所の大学へ行くか、もしくはお金を少しためて春からまたは来年からいけばいい。すべてには理由がある。といった夫。

というのも、奨学金がまだ正式におりないからだ。彼女、すべてにたいしてスロー。そして私はせっかち。何度もいっても結局後回しだったり、書類不備だったりして来月の終わりに学校がはじまるというのにはっきりとしていない。大学側からは、4週間はかかりますね〜とオリエンテーションのときにいわれた。でも彼女は何を持っていくか、寮はどんなデコレーションにするかで頭がいっぱいなのだ。

ふと、自分のことに「すべてには理由がある」というのを置き換えてみて、どうして私は子供ができないんだろう?その理由はなんなんだろうか?とずっと考えている。すでに3人の子供がいるからか?
まあ、科学的なこと以外で考えてみると、やっぱり私はまだそういう準備ができてない人間なのかもしれない。というか、夫と私はが正解か。

先日、とあるステップままさんのHPを素通りしたとき、彼女は夫が娘に対する行動で嫉妬していたと書いてあった。
私もその嫉妬で悩んでいる。私の携帯はテキストメッセージがうまく夫と通じず、しかもメールもあるし、電話もあるんだから、いちいちめんどくさいと思っているので、買えといわれていてもそのままにしてある。
しかし、地球の裏側にいる夫は連夜携帯の電源をずっといれているらしく、娘と交信をとっているようだ。まあ、はたから見れば、いいお父さんじゃないと思えるのだろうが、彼女とて、メール、電話は彼と通じる。オリエンテーションの帰りの車の中で一分ごとに送られる夫から娘への質問メッセージを開けば、「お父さんがこういってるよーまったくー」といやそうなふりでもうれしそうな態度がむかつかせるのだろうか?
君は携帯に電話してこないし(通常に夫の携帯に電話するとつながってしまい通話料を一分4.99ドルとられてしまう、間違い電話でも同じ)・・・といわれても、そりゃ緊急なら電話するけど、夫から「一分4.99ドル」なんて言葉を毎回いわれたら、馬鹿な妻でも電話することはするまい。

あんまり、彼女の大学のことに関しては心配はしているが、あんまりとかいっておきながら、通話料を見ると、毎日のように、はたまた私と話したあとに電話したりしているのを見ると、なんだかなー。
合法的にいける愛人みたいなもんじゃん・・・と思ってしまうのである。









2004年07月30日(金)



 あったかい一言・・・

オリエンテーションに下の子供二人を連れていったのだけど、私も聞かなくてはならないものもあったりして、二人だけにさせてしまうのでかなり手間がかかるなーと思ってはいたものの、案外スムーズにいった。
行く前に、これはバケーションで行くのではなく、彼女をサポートするためにみんなで行くのだからねといっておいたためか、一番上の子がオリエンテーションに参加していたり、私も手続きやスピーチを聞かなくてはならないときは、自分の部屋にいたりちょっと散策したりしていた模様。

時間があけば、いっしょにいたり大学内を歩いて見学したりしたけど、一切小言もいわず、これだけは幸いだった。

2日目の夜、レクリエーションセンターというジムやバスケットコートのあるところにいった。バスケットがしたいというのでつれていったのだが、私は一番下のこと二番目のプレイを見学。楽しそうだった。「桜、見てみて〜」「今のシュートどうだった???」なんかこういうのはひさしぶりだ。

次の日の朝、二番目の子が「疲れた?」帰れば「眠いでしょ?ずっと運転してたもんね」といわれるとなんだか疲れもふっとぶくらいうれしかった。



2004年07月28日(水)



 オリエンテーション・・・

一番上のこの大学の場所へ3日間のオリエンテーションにいってきました。
5時間かけてのドライブはかなり窮屈なものはあったものの、なんとか到着してオリエンテーションがはじまった。大学までの途中の景色はただただだだっぴろい平野が広がっていてなーんにもない。夫のいうとおり、何にもないからが的をえてました。大学の町についても、なにもないなんとなくゴーストタウンのよう。CityGirlを自称している彼女もかなり絶句状態でした。笑

大学についたら、それなりにエキサイトしているらしくかなりハイだったけど。
なーんにもオリエンテーションのスケジュールさえ確認しておらず、何時に何があるのかえも把握していないので、一発渇!このオリエンテーションは親元から少し離れる訓練もかねているようで、部屋もオリエンテーション用のルームメイトといっしょに過ごすのになんだかずっといっしょにいる始末。最初に地図を渡したのに、自分がいかなくてはならない場所がわからず携帯に電話をしてきて「わからない」という。「地図は?」と聞けば、「持ってこなかった」というので、道を歩いている学生に聞け!と渇!寮生活になれば、というか、大学生活になったらすべて親が干渉するわけでもなく、自分でやっていけなくてはならないのだ。
次の日の朝、8時にある場所にいかなくてはならない彼女は7時半でもまだ寝ていて、8時半に携帯に電話してきた。「どこにいけばいいかわからない」あのー・・・なんのためのオリエンテーションなんだろうとかなり沸騰しかけていたが、「自分で探せ!」とまたまた渇!「遠いから・・・」といわれれば「ふざけるな、自分の健康な足でいけ!」。なんだか・・・・朝から疲れます。
ご飯であったりすると、一番したの妹とトイレにいったり、俗にいう「一人でトイレにいけない女」のようです。何をするにも誰かいてほしいみたい。

極めつけは、2日目の夜に先輩たちが主催しているBBQを食べて親睦を深めるというイベントに、芝生に座ってご飯を食べるのだが、「いやだー芝生に座りたくない」とほざきだして、99パーセントが座って食べているところに一人でたってご飯を食べている。それにつられ、弟と妹まで同じようにいやだーと連鎖反応。
おいおい、簡便してくれよ、ドレスきているわけでもないのに・・・
「たかがジーパン、洗えばすむことだし、愚痴ばっかりいってないで座って食え!」と最後の渇!あーーーーーーーーーーーーーーーーーいったい誰がこんな風にしてしまったんだ???と感慨にふけってました。夫もその夜、唖然としていた。

三日目は2日間の渇がきいたのかかなりスムースにいって早めに帰ってきたけれど、
オリエンテーションで済ませたすべてのペイパーワーク等でこれで万事OKと思っているらしいが・・・・これからだよ・・・。
まだまだはじまったばかり。





2004年07月27日(火)



 大学からあくせぷとされたけれど、ぎゃーお・・・

どうやら、一番上のこに公に大学からきてもいいというお達しがきたようだ。
一番行きたかった大学ではないが、3番目ぐらいの場所らしい。わらをもつかむ重いだろうから、どうやらここに行く様子だ。
ちょっとほっとしていたら・・・

ここから車でゆうに5時間はかかる場所。ということは、寮生活。
一番行きたかった大学は12クレジットをとって、ある一定の成績なら春以降にいれてもらえるという。
まあ、その12クレジット分を三番目に行きたいところでとるのかもしれないが(詳しくは帰ってきてから)そのままその場所で大学生活を送るのだろうか?それとも、12クレジットだけとって戻ってきて、その大学へ行くのかは定かでない。
夫とメールで話をしていて・・・どうやら、オリエンテーションがあるという。
ひゃーそれも、今月。またしてぎゃーなのは、3日間のオリエンテーションらしい。
一人で行かせることもできないし、私が運転していくとしても、残りの二人もつれていかないといけないし・・・・はー小旅行になりそうだ。

夫は、自分がいたらヘルプしたいというが、帰ってはこれない身だし、結局私がいくことになりそうというか、あたししかいない。
はあ・・・今月・来月はまたしても忙しくなりそうだ。お金もかかるよなあー。ふう。





2004年07月09日(金)
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