ステップママ繁盛記



 写真・・・

夏休みももうすぐあと一日で終わる。長い長い休みだった。

一番上の子は結婚してしまったので、すでに家にはいないし。
二番目子はインターンシップで夫の弟の会社へ夏休みはほとんどそこで費やした。
先日帰ってきて、ちょっと精神的にたくましくなったのを見て、やっぱり男の子だなーと思う。夫の友人が遊びにきたので二番目の子の部屋を使ってもらおうとシーツとかを換えていたときに小さなアルバムを発見。ちょっと見てしまいました。
あんまり入ってない写真、赤ちゃんのときとか兄弟でうつっているものそんなのが入っていた。そして最後に私の写真まで入っていた。それも写真はないから、デジカメの画像をプリントアウトしたものをアルバムにいれてあったのに愕然としてしまった私。泣。先日夫とプエルトリコにいったときにとったプリクラもどきの写真にがんばれよと添えて、大学に行く前に渡した。いれてくれるといいな。
あっというまに去っていってしまった。

一番下は・・・やっぱり前奥の死を受け入れられてないようだ。というか私を受け入れたくない模様。これは一番上の子と同じなんだけどね。ま、しょうがない。
数年前に発見した、彼女の財布の一番上には写真が入るようになっていてそこに夫と前奥のツーショットが入っているのを知っている。見たときは唖然とした。
かわいそうだし、あんまり写真とかないから仕方ないとも頭の中では思うんだけど、どうもあのツーショットだけはいやだ。つい自分がここでしていることがメイドだけでいるような気がしてしまう。何かあるたびに写真を思い出してしまう、そういう大人になれない自分もいやでたまらない。そして先日トラブルが発生して怒りにまかせてそのことをいってしまった。彼女もショックだったのだろう。翌日からPCの画面まで前奥の写真にかわってしまった。しばらくしてから話し合いを持って、その写真は消えた。彼女もがんばっているんだから私もがんばろうと思った矢先。おととい、またあの写真に戻っていた。

なんかさ、たかが写真されど写真だけど・・・
心のよりどころは彼女だと思う。お母さんだから。
でも彼女と夫の関係は終わったから私がいるわけで、でもそんなことわかんないだろうな。そして何よりも体力的に毎日面倒を見ているのは私なんだから。間違ったことをしたときお母さんならなんでもOKで通してくれるわけはない。間違いは直すに決まってる。私もそうだ。でもステップマザーだからといいターゲットになるのはごめんだ。

どうしても女の子はステップマザーを女と見てしまうんだろうな。
夫と2人で旅行に行くのもいやな感じのコメント。これだって、お父さんとお母さんが旅行っていったら理解もっとあるはずだと思うけどな。

・・・とまあ、夏休みはふつふつしていたのでした。
後一日で終わる。夫は出張。数日はねのばさせていただきます。

ステップマザーだって、疲れるんだよ。










2007年08月27日(月)



 結婚・・・

また間があいてしまった。
すでに今年も半分以上終わってしまった。

大きな出来事といえば、一番上の子が結婚を本当にしたこと。
3月に一番上の子のフィアンセが数週間やってきた。
当初、結婚はまだ・・・彼は彼で自分の仕事にキャリアを積み、一番上はとりあえず2年の大学を卒業しそれから結婚だったはずが。
結婚式は6月とだけ聞いていたが、日取りも決まらず。まわりからは両親は知っているものといつなの?と聞かれたが、私たちはさっぱり。(夫は知っていたと思う)
結局公表されたのは母の日に一番上が訪れた日。式は6月の頭で平日だという。

夫側はだいたいがシカゴに住んでいるのと平日なのと、きわめてラストミ二ッツなので大半が不参加。式は彼の実家と前奥と彼女の親戚大半が住んでいるラスベガス。一番上はルームメイトとのリース契約が満期になったので満期と同時にラスベガスへ飛んでいった。式はリハーサル等があるため私たちも数日前からラスベガスへ。

式の大半はラスベガスチームで固められ、夫側は私たち、子供2人、そして夫の母親と夫の弟カップルのみ。式はやっぱりお母さんが主役。みんなが着席したあとお母さんの写真のもとにあるろうそくに火を灯す。ここで涙がこらえきれず泣いてしまった。それと同時に彼女こそここにいたかっただろうなと。そして、あああなんであたしはここにいるんだろう?本来なら後ろの後ろでこっそり見守るはずなのにな。式のあとはパーティでパーティで一番下のコがメイドオブオナーをしたのでスピーチをする。やっぱりお母さんのことを思い出しているんで涙ぐんでしまう私。
娘と父のダンスもルーサーの「ダンスウィズマイファーザー」お母さんが死んでいくところで娘と父がダンスをするっていう内容の唄。

翌日私たちは家に戻り、カップルは遠いアメリカの地へ巣立っていきました。

ウェディングのドレスはどうするんだろう?と思っていたら、どうやら彼側のお母さんが購入したそう。夫の母親に「ドレスって母親が買うべきなんじゃない?」と。確かに。私もそのつもりだったんですけど。どうやら私は関係なかったみたいです。ウェディングシャワーも本来女性のみ出席でブライドを祝うんですが、これも私は夫からきてほしいっていってるといわれたくらい。いけば、「お父さんはどこ?」てな具合でした。

なんていうか、複雑きわまったウェディングでした。


















2007年07月10日(火)



 ぐるぐる・・・

あああ、ずっと書いてなかった。
どんどん、夫との仲が冷めていく。たまに盛り上がりどかーんと冷める。そんな去年からの繰り返し。

去年のお互いの誕生日月はふつーに終わった。
そしていやなイベント年末・クリスマス。
クリスマスは、おととしのプレゼント交換から今年はしっとりとしたものになりつつあったのだが、結局ラストミにっつでギフトカードを買いに行く。
夫が買うなら私も買わなくてはと思い私もラストミにっつでギフトカードを買いに行く。おととしはお年玉あげたんだよな・・・やっぱり現金だと思うんだけどもう年が大きいから、でも夫はなんかあげたいんだろうな。
私は子供の分のほかに上の2人のルームメイトたちにもギフトカードを。
クリスマスは夫と2人で料理を作りみんなで食べた。
ギフトをあけると、子供たちにはお父さんからの言葉、本、ギフトカードが送られる。クリスマスのあと、一番上の子が映画を見に行こうと言い出し家族総出ででかける。いつものごとく、会話はお父さんにだけあてられる会話のみ。
映画も私だけつまらなかった。(ミュージカル映画はだめだ・・・)

年末もこちらは関係ないので、ふつーに。
学校がしばらくしてはじまり、一番下も学校へ行き始める。
二番目のコも寮へと戻っていった。

去年から2人でゴーアウトが一挙に減る。
出かけるところといったら、一番下のばすけの試合観戦。以上。
たまになじると、仕方ないような顔で出かけるがそれでもかなり激減。

昨日けんかになりそうなことが勃発し、夫はいう「そんなに爆発するといくきもうせる」確かにそうだろう。
でもね、わかってほしいんだ、家族家族って自分のサイドをプッシュばかり。じゃあ家族のことをたくさんしたら、二人の時間を作ってくれるのだろうか??それは疑問です。

だって物語ってるジャン、2人で座っているのに、私には何もいわないでお父さんだけに一番上の子が愛してるよ、じゃまたっていうのは家族と見てないってことだと思うんだけどな。
ステップマザーって、脇役の脇役だよね。
そんなとき、自分の子供がいたらなって思う。
やっぱり親は子供だよな。当然か・・・







2007年01月26日(金)



 一ヶ月・・・

一番上のこの誕生日の日の日記を書いて一ヶ月。書いたあとに、ことがはじまった。結局のところ、タキシードは借りられず、2人の夕食は延期になり、家族総出でご飯を食べにいくことになったのだ。夫が帰ってきてからしばらく話をして、さて夕食に。というときに、なかなか彼と夫が家からでてこない。どうしたものかと思ったけれど、いざレストランへ。

なんだか様子がおかしい。
いつもはいかないのに、夕食中にトイレに行く人多数。
それにまぎれて、夫も・・・。
メインディっシュも終わり、さてデザートというときになったら、彼が指輪の箱をとりだし、プロポーズをはじめたのだ。お決まりの「ウィルユーマリーミー」でたー。彼女はびっくりの様子で、なんだか気の抜けない表現をしたが、オッケーの意味らしい。後で聞くところによると、家の中で彼がこれから娘さんをもらうためにプロポーズをするけれどいいですか?というようなことを話していたらしい。彼女は法的にはすでに結婚できるので、何も問題ないというようなことをいったらしいが、お父さんはショックだったんじゃないかと思う。

ご飯を食べて家に戻ったが、まだ彼女の新しい住処にいってないので2人はばたばたとしていた。あれから、一ヶ月・・・

一度、風邪気味だということと、お金がないというので、一度彼女のアパートへお見舞いがてら行ってみた。
結婚は来年の6月だそうで、それまでにお金をためないと・・・といっていた。しかも結婚式は彼の実家の州でやるそうで、大学も転入したばかりだあと数年残っているのに、彼のもとへいって大学をまた転入するという。そんなことをしたら、いつまでたってもやりたい職業にもつけず、終わらないかもしれないから、卒業後にといってみたが、らぶらぶな2人へはただの通りすがりの助言に過ぎないようだ。

ひょっこり今日現れた彼女はあいかわらず元気そうだったが、補助教員のバイトの面接がちかじかあるあしい。受かればいいけれど、そしてそのお金を他のものに使わずしっかり貯金してくれたらなあ・・・。だって、彼女の銀行口座はゼロなんだもん。







2006年10月29日(日)



 21歳の誕生日・・・

今日は一番上の子が二十一歳になった誕生日。日本でいう二十歳の意味あいがあって、大人ということになるのだ。

ちょうど、この日に彼女の彼がこの場所にやってくるというのでかなりエキサイトしている模様だった昨日。
さっき、予定より早くやってきた二人は言い合いをしたりしてなんだか若夫婦のようでおかしい。

午後やってくるというので特に料理を作ったわけではない。というのも本当は2人でご飯を食べにいくというので、あまり無理に食べさせてもおなかいっぱいになってしまうかなーと思ったのだ。だが・・・家につくなり、彼のほうがおなかすいたーといいはじめて結局作ったのである。そうしたら、今夜着る予定のタキシードの予約をとりにいくとかいかないとか、タキシードのお店がしまっているとかなんだかひっちゃかめっちゃかになっている。

結局、ご飯は明日に予約を変更したらしく、今晩は家族でご飯を食べにいくことになりそうだ。

いやはや、まだ子供なのか大人なのか難しい年頃である。

2006年09月25日(月)



 落ち着かない・・・

いろんな出来事に悩み、考え、怒り、悲しみ、その結果そして光が見えるのだろうか?

夏休みがようやく終わり、今週はレイバーデイという三連休の休みです。
結婚式から帰ってきて、一度落ち着いたなと思ったら、またいやな雰囲気で勃発事が多発。今度は、そんなに親のことが心配なら先に日本に帰ったらといわれる。

というのも、一番上の子が家をでてから数ヶ月。ルームメイトとはそれなりにうまく関係を保っているようだが、電気代をとめられてしまったようだ。(かなり悲惨)そして、彼女の中には、二番目の子に対する父親のかける大学費用があまりにもげせないようだ。今回は本代をせがんできた。(仕事をしているが大学生の働くこと、貧乏学生、それはしょうがない)

二番目の子は大学に向けて数週間前に家をでた。一人で荷物を作り、車で寮のある場所へとでていった。

2人とも家をでてしまい、さぞかしさっぱりしてしまったなーと感慨にふけっている間もなく、今度は電話とテキストが頻繁になるようになる。
朝から晩まで・・・それに対応してる夫を見るたびに私はげんなりする一方。
しょうがないことだし、心配なのは重々承知してるものの、心はとっても複雑なのである。テキストメッセージで何度もやり返すより電話で話をしたら効率的だといったら、君は君のことをしていればいい、俺に干渉するなといわれる。

子供が一人となった今、引越しをしようといいはじめてきた。
これは前々からいわれていたことだが、今回はかなり強気である。
そんな余裕もあるわけでも、どんな風に引越しに向けてとかそんなことは一切ふれず、断固として引越し引越し。正直いって、今住んでいる場所はあまり好きではないが、増えてしまったものと掃除と、またいろんな費用がかかるかと思うと気が重いのといっしょに、今は引越しする時期ではないと強く思うのである。

子供をうまないことになってしまったことで、日本にいくこともどうにも実現不可能に見えてしょうがない私は、引越しをしてまたここになーなーでいることが不安でしょうがない。今はあと一年とかいっているがこれがまた二年・三年とずるずるが今の私の不安なのである。

すべてを捨てて、日本にはいけない。それはよくわかっているから、日本にすぐ行こうとはいわないのであって、その辺もわかってくれるといいのだけど。
希望と光がない今の生活で、この関係は非常に重いものになっている。








2006年09月03日(日)



 夫の実家に帰ると・・・

7月の終わりに、一週間夫の実家に行った。目的は親戚のウェディング。
ウェディングの日取りは、数ヶ月前から知らせており、何人でくるのかという招待状も届いていた。参加者人数限定らしい。結局うちは、5人と書いて返事を出したら、5人は多すぎるので、人数を減らしてほしいといわれた。それに動じず、夫は5人でいくのだといきまいて、結局5人でいくウェディングにへと予定をたてはじめる始末。

ウェディングだけいって、帰ってくるのかと思えば、もっと休めないかといわれ、結局一週間の滞在になった。一番したの子は、その前の週から実家に戻り、夫と、二番目の子と私は、彼女がたった一週間後に実家に行くことにした。ウェディングの式当日に、一番上の子がやってきた。

いつもの如く、夫の実家に行くとすべてがスローになってしまう。朝から支度しても動き出すのは夕方または午後半ば・・・
檻の中にいてなにもできない状態がいつも続き、フラストレーションが溜まる。
そんな毎度のことで、観光もあまりいったことがないので、今回は美術館や行きたい場所に行こうと案をねってくれた。が、ホテルをとったにもかかわらずチェックしたのは夜の8時過ぎで、観光どころかその日の疲れでぐったりして一夜が過ぎてしまった。あああ、いつものように。

結婚式当日は、ホテルからウェディング会場までの渋滞や、他の人をピックアップいかないといけないので、レセプションには参加できず。しかも、5人で行ったので、テーブルセッティングもばらばらで着席。かなりこの時点で疲れていた。
極めつけは、一番上の子でお父さんにからみついている状態。この親子の関係本当に変だと毎回ながら思う。まあ、お父さんもまんざらではないから、何もいわないけれど。ちょっと異常だと思う。

うっぷんが絶頂に達し、私はまじめに切れてしまった。
その夜、もう終わりだ。と言い合いになったが、またしてもこらえる2人。どうしてこらえて継続する方向になるんだろう?お互いの感情は当然あるのはわかっているからだと思うが、その他のしがらみが強すぎて反発になってしまう。

翌々日に、ダウンタウンで時間がとれなかったので、美術館を巡る半日を過ごす。
楽しかったし、2人にはいい時間がとれたと思う。

翌日今度は、一番上の子がもう反発をし、お父さんとけんか。
ようは、もっともっとお父さんと過ごしたいらしい。(彼氏のことでうまくいってないときは、いつもお父さんお父さん。きっと誰かアテンションをくれる男がいればいいんだと思える)それも、なんとか和解?して、5人で空港から戻ってきた。

ある意味、お父さんとの関係を保つのはいいと思うが、四六時中携帯電話、テキストメッセージ(日本でいう携帯メール)、で夫はトイレに隠れながら打っていたり、2人でご飯を食べにいってもテキストしてるのはどうかと思う。二人とも、親離れ、子離れが必要だと思うのだがなかなか他人からの助言はわからないらしい。















2006年08月07日(月)



 この半年・・・

最後の日記を書いたのが1月。今、7月の半ば。
なんだかいろいろあったな・・・

最後の日記を書いたのが、結婚記念日の前の日で、その当日もまたごたごたと口論になり、結婚記念日の日に、「離婚を考えないか・・・」といわれた。
それもそうだな・・・と思い始めていたころだったので、それもそれでいいのかもしれないと思ったのだけど、二人はとどまった。

翌月に、2人で日本に数週間の旅行。まずまずの楽しさだったのだが、一度大喧嘩になった。「アメリカに一人で明日帰る」といいだす始末。これも未遂で終わり、日本からグアムに行って、数日後アメリカに戻ってきた二人。
お互いの生活は忙しい生活をたどる一方で、なんの解決もすぎぬまま、なーなーと生活してきてしまった。当然楽しいこともあり、いやなこともあり。これが生活なんだな。

5月の終わりに、二番目のこの高校卒業式があった。前回同様(若干人数は減ったが)、卒業式のために家族・親戚がやってきた。前回の反省もあって、ことは順調に進み思っていたほど(みんながくる前までは頭が痛かったが)、無事終了してくれた。みんなで夕食のときに、夫が私に感謝の言葉を述べてくれた。とってもうれしかった。

6月の最初の週に、ようやく一番上の子がルームメイトといっしょに住むために、引っ越した。ちょっと気分が軽くなった。ルームメイトとはいろいろ問題が最初からあるようで、しょっちゅう夫に連絡が入る。それに対応する夫を見てるとなんだかな、変わったようで変わらないと思う。でも少しずつ大人の階段をあがっているんだなと思うので、まだ引越ししたばかりで落ち着かないからと、自分に言い聞かせるようにしている。

夫は定番の仕事を5月のなかばで辞めた。6月はその他の仕事が重なって結局どちらもとれずで、かなり家にいた。家にいてもそんなに家事をしてくれるわけでなく(たまにご飯を作ってくれたが)、一人で空回りしている気分だった。朝起きて、夕食を作り、仕事に行き、残業して帰ってくるというのが私の日課。ご飯食べて疲れてネル。私も思うところがあり、6月の終わりでオフィスのほうの仕事をやめた。かなりストレスが軽減されたと思う。

7月は、かなりジムにいける時間も持てたのだが、いまだに、自分のスローに生活するパターンがつかめてないようで、家にいてもなにをしていのかわからず、ただ動いていたり、時間だから!とばたばたしている。もっとスローになって、自分を取り戻さないとと思っている。

明日は、二番目のこの18歳の誕生日。そして今月の終わりには、夫の実家でウェディングがあるので家族総出で出かける。一番したが一足先に出かけ、夫、二番目、そして私がいっしょに行き、式当日に一番上が合流。みんなで帰ってくるという段取り。またこのイベントでどうなるのかだけど、あんまり考えないようにしようと思う。

2人の子供は結局、作らないことになりつつある、というか、作らないと思う。
私の望むものを提供したいが・・・というが、結局年をいいことにして、理由づけされてしまったようだ。不安がよぎるのは、結局日本に住むということもなーなーで終わってしまうような気がする。それだけは絶対にいやだ。







2006年07月18日(火)



 そんなに書いてなかったんだ・・・

去年のクリスマスに日記を書いたと思ってたんだけど、消えてしまったのか、送信しなかったのか・・・

かれこれ、数ヶ月以上日記をほおったらかしにしてしまった。
あいもかわらず、2005年のいやな気分をひきずっていて、あーあって気分を味わっています。去年はやたらと傷つきやすかったのと、やっぱり離婚か・・・と思いめぐっているときだったのだけど、今年早々やっぱりひきずってるものがぐらぐらしている。

お互い生活がまったく違う状態になってもうすぐ一年がたつのでそれもいらいらとなる原因なのだけど、それ以上に私との時間がすっかり減ってしまった。
私もかなり忙しい生活を送っており、それと同時に夫と子供の時間が(休みがあうので)増えているためである。いっしょにいる時間は減ったけれどなるべく時間をとるように勤めている夫は私も作らないとと思うんだけど、どうしても家に帰ってくるなり、親子の光景をまじまじとするとなんだかやる気のなさ、そして時間を作ろうとする自分が馬鹿らしくなってしまうのだ。

そんな光景を先日見て・・・いつものようになじったらやっぱり、逆切れされた。
本当の親子は、切っても切れないものがあると思うのだけど、夫と妻はやはり赤の他人。切れるときがやっぱりくるんだろうと思う。特に子供が二人にない場合は。
先週切れそうになって、一切口を聞かない状態も悪いと思って、下手にでれば、逆ぎれ状態。明日の結婚記念日(6年目)も、もうどうでもよくなってしまった。どっちみち、去年の結婚記念日に何をしたかなんて覚えてもないくらいのものなんだから・・・






2006年01月30日(月)



 結局は同じ・・・

ささいなことで、ぐさっとくることが日常にはあるけれど・・・

ずっと作らないでいた春巻き。そもそもこれをはじめてこの家で作ったとき、
夫が娘に「どうだ?春巻きは?」と聞いたとき、一番上の子が「お母さんのほうがおいしい」当然だけど・・・そういっているのが聞こえたのがかれこれ5年前。
忘れればいいのに、どうもこれがひっかかってというより、結局は何をやってもここにいきついてしまうんだな・・・という例のひとつだった。

でも5年以上もたって、何気に作ってもいいかなと思い始めていたところに、冷凍の春巻きを買ってきたら、自分の気分もなぜか落ち着いていてあ、あたしはとおりすぎたのかもしれない。ふっきれたのかもしれないと思い始めていた。

でも、また同じものを買ってきて冷凍庫にいれておいたら、すっかり食べられていた。ちょうどその前の晩に、一番下の子が、火を使う料理をしてもいいかといったので、誰か大人がいるときならいいといったのだ。

結局好きなものって変わらないんだな。
私もそうだもんな・・・


2005年10月24日(月)
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