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遠子(桜井都)

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 あけましておめでとうございます。







『竹巳、おめでとう!!』

 遅れた年賀状より早い挨拶がやって来た。
 年明け早々の元気溌剌とした声に、笠井竹巳は受話器を持ったまま苦笑に近い笑いを漏らした。全くこの親友らしいと言わんばかりの笑みだった。

「おめでとう。今年もよろしく」

 言いながら笠井はちらりとカレンダーを横目で見る。
 1月1日。元日。
 松葉寮で制作した日めくりカレンダーは今日が最終日だった。

『おう。今年もよろしくなー。ところで今日って何の日だ?』

 子供のような問い掛けをしてきた藤代誠二に、笠井はさらに笑った。
 わかりやすい。どうしてこいつはわかりやすいのだ。

「天皇杯決勝当日。見た?」
『見た見た! でもさ、ああいうの見ると行きたくなるよな、国立!』

 藤代の「行きたい」は観客として、見物として国立競技場に行きたいわけではないことを笠井はよく知っている。藤代は選手として、ピッチに立つ者として行きたいのだ。
 電話のそばのメモ帳に、手持ち無沙汰の落書きをしながら笠井は思った。

「なるね。再来年ぐらいが勝負かな」
『俺は絶対行くもんね!』
「それ今年の抱負?」
『今年の抱負はとりあえず受験パスかなー』

 武蔵野森学園は中高一貫教育の私立校だ。エスカレーター式で高等部に上がれるとはいっても、筆記試験は必ずついて回る。

『でさでさ、今日って誰の誕生日だ?』
「え? 堂本光一?」
『…………………………』

 あ、黙った。
 知らんぷりもいい加減にしてやろうかと、笠井は電話の向こうに声を掛ける。

「ごめん、冗談。誕生日おめでとう」
『竹巳、新年早々ひどくね? ってか堂本光一って、光一って』

 俺よりキンキのほうが好きなのかよ…と、小さく呟く声に笠井は忍び笑いを押し隠した。

「うちの姉さんが好きなんだ。でもさ、男の嫉妬は汗くさいから俺いらないよ」
『わはは新年からドライだよなー、竹巳。俺そういうとこ好きだけどさ』
「さらっと男相手に好きだとか言わない」

 ともかく、と笠井はふと電話の向こうに声を改めた。
 新しい年の始まり、藤代にとっては別の意味でも新たな節目の日だ。

「新年と、誕生日おめでとう」
『どうもー。今年もよろしくな』

 明るい藤代の声は、本当にめでたい日に相応しいと笠井は思った。

 あけましておめでとうございます。
 昨年はいろいろお世話になりました。
 今年も仲良くしていきましょう、親友。

2005年01月01日(土)



 

 バカでしょう、と呟いたのは不満だったのか不服だったのか。







「…ねえ、体調管理もプロとしての責任じゃないの?」
「…………………………」
「いくらシーズンが終わってるからって、どうして肺炎になりかけて病院行くまで放っておくの?」
「…………………………」
「普通驚くと思わない? 会社にまで電話掛けてきて『悪いけど俺の部屋から保険証と着替え持って来てくれ』なんて言われるのって」
「…………………………」
「ほんとに悪いわよ。私あのとき何やってたと思う? ねえ仕事中だったの。言ってみれば三上が試合中にいきなり買い物行ってきてって言われたのと同じことでしょう?」
「…………………………」
「聞いてるの」

 とうとう語尾の半音が消えた彼女に、白いベッドの上の三上亮は視線を天井の端に泳がせた。

「…聞いてる。ほんとに悪かった」

 情けない。そんな自己嫌悪に陥りかけて、三上は顔の上に指の長い手を置いた。
 ベッドサイドの椅子には仕事着のスーツのまま駆けつけてきてくれた彼女が座っている。その綺麗な唇から、ためいきがこぼれる気配がした。

「全く、変なところで子供みたいに」
「…悪かったって」
「じゃあもうしないでね。自己管理もちゃんとしなさいよ。いい歳なんだから。二十歳過ぎたら風邪引いたなんて恥ずかしいのよ」

 風邪なんて自己体調管理が出来てない証拠だもの。
 言い切る彼女の凛然とした態度に、三上はつくづく強い女だと思う。

「…だってお前ここんとこウチ来ねえし」
「あのね、二十五にもなる人が『だって』なんて使わないで」
「……………………」

 黙った病人に、彼女は少しだけ雰囲気を和らげて笑った。これ以上追いつめても仕方ないと悟ったのかもしれない。

「それで? 私のせいなの?」
「…ちょい前までずっとお前がウチ来てメシ作ってたじゃん。あれに慣れてたんだよ。んでお前来ねえから、めんどくさくてメシがテキトーになった」

 つい素直に答えてしまうのは熱のせいだろうか。
 点滴の管が繋がる左腕を横目に捉えながら、三上は息を吐いた。黒髪が白い寝具の上に散らばっている。
 実家が料理関係の客商売をやっているせいか、元クラスメイトの料理の技能は三上の親友に勝るとも劣らない。一度それを知って以来、三上の舌は無駄に肥えた。たった一泊の入院ですら病院食に我慢しきれない。

「…なあ」
「なに?」
「退院したら筑前煮食いたい」

 アレ絶品。
 そう繋げた三上に、彼女はあからさまに大きなためいきをついた。

「退院明日の午後でしょう? いきなり筑前煮じゃ消化に悪いから、まずはお粥か雑炊ね」
「なら鯛茶漬けがいい」
「…………………………」

 俺様がお子様になったような男に、彼女が半眼になった。
 やりすぎたか、と三上はとってつけたように笑う。

「あー悪い、冗談」
「…人にさんざん心配させておいてこれだものね。今日が何日だかも忘れてるでしょう?」
「忘れてねえよ。24日、クリスマスイブ」

 予約していたイタリアンレストランはキャンセルになったけどね、と辛辣に彼女は付け加えた。
 仕事で忙しいと言いつつも、夜までには終わらせると約束してくれたことを思い出して三上の胸が痛む。情けない。
 淡々と責めているような口調と言葉の羅列は、それだけ彼女が心配してくれたことを何より明確に示している。焦ると言葉数が多くなる癖は昔と変わっていなかった。
 聖なる夜だというのに、この殺伐とした雰囲気と病院という場所は全部三上のせいだった。

「マジ…悪かった」

 夕食後の薬が効いてきたのか、妙に瞼が重い。
 彼女が今日何度めかのためいきをつくのがわかった。
 その細い手が、寝具の上に投げ出された三上の手にそっと触れる。やわらかい女性の手のぬくもりが伝わってくる。励ますように、いたわるように。
 やさしく、包み込むような微笑みを伴って。

「筑前煮はお正月に作ってあげる。まずは身体治して」
「…ああ」

 メリー・クリスマス。
 大量生産のクリスマス商品ケーキよりも、筑前煮のほうが今すぐ食べたい気分。


2004年12月25日(土)



 

 雪が、ずっと降っていた。









 足元で溶けかけた雪が音を立てていた。
 彼が早足になればなるほど、それに合わせて音の大きさも比例する。乱雑な足取りに服の裾が汚れるのを見て、彼の斜め後ろで彼女はわざとためいきをついた。

「三上」

 薄闇が支配しようとしている夕暮れの街並み。彼女の声は雑踏にかき消されずに彼の耳に届く。黙って歩いていた彼はようやく歩みを遅めた。

「足、大丈夫なの?」
「……………」

 数時間前に捻ったという彼の右足首の痛みはまだ消えていないはずだ。
 歩幅の違う相手をどうにか追いかけながら、彼女はあまり馴染みのない街で声を張り上げる。

「三上、とりあえず一度ホテル戻って」
「…どっかで飯食ってからでいいだろ」

 敗戦の後の彼の機嫌が良かったためしはない。今回も例に漏れない三上に、たまりかねた彼女は腕を掴んで引きとめた。

「話しするときはこっち見て」

 ようやく三上は振り返ったが何も言わない。甘えるなと言ってやりたい気持ちより、慰めたい気持ちが先に立ち彼女は言葉を選びながら口を開く。

「…反省も大事だけど、次のことも大切でしょう? 歩き回らないでゆっくり休んだほうがいいわよ。私は構わないから」
「…誕生日だろ」
「いいから」

 今期最後の遠征になるかもしれない場所に来た時点で、こうなることはある程度覚悟していた。三上の腕を掴んだまま、元来た道を戻り始める。
 試合中ずっと降っていた雪はもう止んでいる。溶けた雪は今晩のうちに今度は氷へと変貌するだろう。

「…雪の試合なんて初めて見たけど、ボールの色がいつもと違うのね」
「…白だと同化するからな。っつーか、高校んときのインハイで雪試合あったぜ?」

 出来るだけ普段通りの口調を心掛けた彼女の努力は、三上にも伝わった。
 言外に「覚えていないのか」と眉をひそめた彼に彼女はやや視線をずらす。

「見てないもの」
「おい」
「そのとき受験だったから。話に聞いただけ」
「…あんときは勝ったんだよ」

 最後の一言は独白に近かった。思い出したように痛む右足首が疎ましく、三上は冷たい夜の空気を肺に吸い込んだ。
 雪が降っていた。あのときも、今日も。

「今年も終わりか」
「…来年もあるわよ」
「また昇格出来なかった」

 戦う者だけが持てる厳しい声。
 彼女が見る三上の横顔は少年期を抜け出た精悍な青年のそれだった。見惚れるほどまではいかないが、かつての少年に彼女はやさしく微笑む。
 彼の努力を手伝うことは出来ない。けれどせめて、いい方向へ転換させる支えにはなりたい。

「…お正月、ゆっくり出来るわね」
「今年も筑前煮な」
「ほんと好きね」

 笑いながら、手を滑らせ相手のむき出しの手に触れる。静かに手が重なった。
 その手の冷たさに三上は驚く。

「なんでこんな手冷たいんだよ」
「ああ、試合中に冷えたみたい。手袋忘れちゃったの」
「んじゃもしかして手袋ナシで試合見てたのか?」
「新幹線遅れたから買ってる暇もなかったのよ。折角こっちまで来たのに、試合途中からじゃ勿体無いでしょう?」
「アホか。女が末端神経冷やすんじゃねえ」

 冬季の現在、野外スタジアムでの観戦は相当冷え込むことは想像に易い。
 事前に膝掛けそのほかの防寒はしっかりして来るようにとしつこく言っておいたが、寒さには強いと豪語する彼女はやはり薄着に近い。
 彼女はベージュのファーコートは外観の都合でマフラーが巻けないのだと自分で言っていたくせに、手袋抜きで二時間以上の野外を乗り切った。驚嘆に値する。

「ほら、そっちの手嵌めてろ。大きくても文句言うなよ」

 変なところで手のかかる女だと心中で三上は思い、自分のコートのポケットから片手の手袋だけを引っ張り出した。繋いだほうの手はお約束通り自分の手ごとポケットに突っ込む。
 ありがとうと言って素直に受け取った彼女が、鞄を持ち直しながら三上の手袋を嵌める。
 それを待ちながら、三上は雪に彩られた中国地方の電飾の街を眺めた。
 有給休暇が取れたら観戦に行くと彼女が言い出したときは冗談かと思ったが、見た目同様実行力のある彼女はさっさと自分ですべて手配を終わらせていた。ホームでの試合すら滅多に観に来ないというのに、どういう風の吹き回しだったのか。
 誕生日だった。彼女の、年に一度の。
 どうせなら勝ち試合で祝いたかったというのに、悪天候に思いきり阻まれた。

「また来年、ね」

 声と同時に見透かした穏やかな笑みが三上を真っ直ぐに捉えた。
 へっと口許を曲げ、三上はわざと顔をしかめた。

「俺の考え読んでんじゃねーよ」
「三上、わかりやすいから」

 少数派の意見だった。今度こそ彼女の歩調に合わせて歩きながら三上は少しだけ笑う。

「んなこと言うのお前ぐらいだろ」

 わかりにくいと言われるのも、ひねくれ者だと笑われるのも慣れている。我ながらどうしようもないと思いつつこの歳まで来てしまった。
 それでもごく稀に、彼女のように理解しようと努力してくれる人間と出会える幸運もあった。

「…なあ」
「なに?」

 呼びかけに応える声。やさしくて愛しい。
 二十数年前、彼女がもし生まれず、出会えないままでいたなら今の自分はどうしていたのだろう。相変わらず屈折した精神を持て余していたかもしれない。
 そして負けた試合の後のささくれた心を癒す存在も知らず、独りで生きていたかもしれない。
 誕生日おめでとう。
 出会ってくれて、ありがとう。
 そんな言葉が言えるはずもなく、三上は仕方なく細い手を痛みを感じない程度の力で握った。

「…何でも」

 言葉にしなければ伝わらないことのほうが世の中には多い。けれど、これだけはきっとわかってくれる。言えない理由と、伝えたい気持ちを理解してくれる人だと信じている。
 彼女は静かに、彼の好きなやさしい笑みを浮かべた。

「そう」

 雪が止んだ夜空に、冬の星座が瞬いていた。






 誕生日おめでとうございます。









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2004年12月18日(土)

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