小ネタ倉庫
遠子(桜井都)

初日 最新 目次



 猫と雨と少年と(ホイッスル!)(渋沢と三上)

 長い人生のささやかな一日。






 しのつく雨の夕暮れだった。
 童実野町行、と書かれたバスの停留所で、渋沢は傘を手にしたまま一向に泣きやまない空を見上げる。ためいきが零れたのはきっとこの鬱陶しい天気と、秋の始まりという季節柄の肌寒さからだろう。
 さっきからバスどころか人も通らないアスファルトの上に、雨が小さな波紋を絶え間なく生み出しては消える。その繰り返しを、渋沢はぼんやりと見ていた。
 小さな停留所だ。雨露を防げるような屋根はついていない。ささやかな雨と風のせいで、制服のズボンにわずかな撥ね水が付いた。学校指定のローファーもきっと寮に着く頃には泥に汚れるだろう。
 次のバスが来るまであと十五分。雨のなか暇をつぶせるような物は持っていない。
 今度のためいきは、さっきよりさらに重かった。
 ふと、雨音に混じって鳴き声がした。
 他に何もすることがなかったのと、気になったので渋沢はその持ち主を探す。まだバスが来るまでに時間はある。多少停留所から離れても大丈夫だろう。
 ほどなくして、渋沢はその出所を発見した。

「猫、か」

 停留所からわずか十歩も離れていない場所に、渋沢の手のひらに収まるほどの小さな猫がいた。
 すぐ横にある住宅の垣根の茂みに隠れるようにして、子猫は身を震わせていた。親猫は近くに見あたらないが、人懐こくしゃがみ込んだ渋沢の膝あたりにすり寄ってくる。

「…参ったな」

 どう見ても迷い猫か捨て猫。どちらにしても飼い主はいなさげだった。
 この雨ではすぐに弱って死んでしまいそうなほど頼りない細さと小ささだ。放っておくのはどうにも薄情な気がした。
 かといって渋沢は寮暮らしだ。飼えるわけがない。
 半端な同情をしても仕方ないと割り切りたかったが、そうもなれない少年の甘さが渋沢の表情に色濃く浮き出る。指先で猫をあやしながら、ううむと眉を寄せた。
 指や手にすりよってくる子猫の濡れた毛の感触と、それでも尚伝わってくる体温。生きているのだとダイレクトに教えてくれるぬくもりだ。

「ごめんな」

 俺じゃ飼えないから。
 言い訳のように呟いて、渋沢は曲げていた脚を伸ばし、中腰になる。これ以上甘えるようにすり寄られたら、同室の親友にお人好しと笑われても構わない覚悟を決めて持って帰ってしまいそうだった。

「いい人に拾われろよ」

 そうっと猫を茂みの深いところに押しやって、渋沢はその上に自分の傘を置いた。
 こうしておけば、この猫がいることを他の誰かも気づきやすいだろう。見つかるまで濡れずにも済む。無駄なことかもしれないが、自分に出来るのはこのぐらいだ。
 猫に微笑んだ渋沢の髪に、止まない雨の滴が落ちた。







「…で、そのまま猫に傘やってきたのかよ」
「ああ」

 予想通り、三上はお人好し、と口のなかで呟いていた。
 濡れて寮に戻ってきた渋沢を着替えさせたあと、三上はその髪にふわりとタオルをかけた。椅子に座った同室者の髪をそのまま乱暴にぐしゃぐしゃと拭く。

「お前なあ、猫に同情して自分が風邪引いたらどうすんだよ」
「あの場合仕方ないだろ」
「しかもあの傘、こないだ買ったばっかだろ? 百円傘でもないのに」
「別にいいさ」

 鷹揚に笑っている親友に、三上はまったくと思いながら髪を拭いてやる。
 渋沢のしたことは人間の優越感による偽善だと思わないでもなかったが、本人が良かれと思ったしたのならそれでもいいのだろう。その後ずぶぬれになっても、渋沢本人は猫に傘をあげたことを悔いた様子はなかった。
 そういう奴なのだ、この渋沢克朗という人間は。
 決断に迷いがない。自分がいいと思えるのならそれでいい。時折羨ましくなるほど意志の強い人間だと三上は思う。

「だいたいあのままじゃ俺の後味が悪い」
「…自分のためかよ」
「三上だって俺の立場だったらそうしたと思うけどな」

 笑みを含んだ声で言われ、三上はややむっとする。

「お前のその何でもわかってるみたいな口調、ときどき本気でムカつく」
「俺も三上のその図星をつかれると喧嘩腰になるあたり、ときどきまどろっこしいな」

 平行線のやりとりに、三上は憮然となったが渋沢は楽しげに笑っただけだった。









************************
 神咲あきこさんとこにあげたやつ。
 こんな挑戦されたから
 手袋を 投げつけられたら 決闘だ
 桜井、心の川柳。
 次はスナイパー三上でっす!

2003年04月17日(木)



 頭文字K(ホイッスル!)(渋沢と三上)。

 人生最速ですっ飛ばせ。







 渋沢克朗が自動四輪免許を取得したのは制服時代に終わりを告げた直後の時期だった。
 学校が自由登校に切り替わった頃の隙を利用して取ったのである。これは友人たちのなかでも最速記録だった。
 そんな元キャプテンの運転する助手席に最初に座る栄誉には、見事その親友に白羽の矢が立った結果となったのだが。

「…イヤだ」

 当の親友氏は、最初の人間になることをごく真っ当に有り難く思っていないようだった。

「いいだろうが、三上」
「ぜってえイヤだ! いくらお前でも若葉マークの人間の助手席なんざ死んでも御免だ!!」
「安心しろ。俺だってこれから先お前に慰謝料払う羽目になるのも一緒に心中するのも絶対に嫌だ」
「他の奴がいるだろ。お前の幼なじみどうしたよ」
「女の子隣に乗せるのに若葉マークじゃ格好つかないだろ。まずはお前で練習」

 …しかしまた、言い出した渋沢を三上が止められないのも事実だった。
 かくして武蔵野森の元司令塔は、元部長の隣でナビゲーターの役目を仰せつかったのである。





 ある意味やはりというか、自然というか、渋沢の運転はごく穏やかな安全運転だった。かすかな振動から三上はそれを察し、動き出して数分の車内で緊張をわずかに解いた。

「…三上、その意地でもこちらを見ない様子は何だ」
「実際どんな風に運転してんのか見たら後悔しそうだからだよ」
「失礼な」

 言葉ほどに渋沢は不快そうではなく、むしろ笑みすら浮かべていた。
 空気でそう感じつつ、三上はじっと右半分に入る彼の姿から意図的に目を逸らし、過ぎ去っていく景色ばかり見ていた。当然シートベルトは必須である。
 怠るな安全確認命が大事。
 ほぼ無意識のうちに左手でシートベルトを握りしめながら、警視庁標語コンクールに応募したくなるような言葉が浮かんだ。実際あるかどうかは知らないが。
 三上とてこの親友がそう無鉄砲な運転をするとは思えない。渋沢は他人はもちろん自分の命を一時の好奇心で危険に晒すほど阿呆ではない。しかしどんな人間にも初心者の時期は存在するのである。

「マジ、頼むから安全運転な」
「わかってるさ。俺は武蔵野森の高橋涼介になる男だぞ」

 にやり、と筆舌し難い笑みを渋沢が浮かべるのをうっかり三上は見てしまった。
 やべえ、こいつそういや新しモノ好きだった。
 渋沢は普段は落ち着きのある様子を崩さないわりに、自分が興味を持ったものには子供のように執着する面もあった。F1観戦を趣味とし車の運転には以前から並々ならぬ興味を示していたがために免許取得もフルスピードだったのだ。

「い、いや渋沢ここ赤城山じゃないからな! コップに水入れてこぼさないように運転する程度にしとけ! な?」

 っていうか俺のいないところでやってくれマジで。
 本気でそう思いながら、しかし武蔵野森の高木虎之介になると言われなくてよかったと三上は別の視点で安堵する。F1レーサーより峠の走り屋のほうがまだ速度は遅い。

「俺はトレノよりFCのほうが好きだな」
「…もういっそお前喋んな。黙って運転しとけ」
「そんなの面白くないだろう。ああ酔っても吐くなよ、この車借り物だから」
「お前の辞書には気遣いとかそういう言葉は」
「自分の運転だけに手一杯なのに他人まで構ってられん」

 だから練習だって言っただろう?
 そう続けた渋沢の顔は、口調の軽快さとは裏腹に確かにかなり真剣な面構えだった。

「もう就職も何もかも決まってるのにここで事故って台無しにする気はない」
「そりゃ俺も同じだっつーの!」

 裏拳でつっこみを入れたい衝動を、三上は何とか言葉だけに留めた。ここは些細な行動が運命を左右するような場面である。

 心臓に悪いドライブコース。
 神様でも何でもいいから無事に帰らせてくれと、三上亮はひたすら祈っていた。




******************************
 森の司令塔さんと守護神様。
 彼女乗せる前にまず親友で実験台。
 ところでキャプテンは就職ではなく進学です。これ書いたときまだ最終巻出てなかったのね。

2003年04月16日(水)

初日 最新 目次