■■milkbambi■■
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2004年03月13日(土) |
祖母の死。舞台挨拶。 |
ずっと書きたくて書こうと思ってたけど、なかなか時間が作れなくて今になっちゃいました。
6日(土)午後2時ごろ ホテルビーナスの舞台挨拶でツヨシをみた。 8日(月)午前4時ごろ おばあちゃんが死んだ この両極端さで1週間疲れました。今日は死んだこと重視で。 舞台挨拶はまた今度です。すんません。
2月の末、28日金曜日に仕事が終わって家に帰ってきたら、わたしのおばあさん(父方の祖母)が危篤だという。2・3日後に死ぬと診断された。
おばあさんとは97年の正月まで一緒に暮らしてて、私はおばあちゃん子で小学生の時なんかは一緒にバスに乗って2人で山登りとかしてた。めずらしく雪が降った日に、雪だるま作って冷蔵庫にいれてたんだけど、おばあちゃんが間違って捨てて、私が駄々をこねたら1000円くれたこともあったな。うん。 あと、テレビを見せてくれたのもおばあちゃんだった。受験勉強ばっかりで全然テレビ見れる空気じゃないとき、おばあちゃんの部屋に駆け込んで夢がモリモリとかMステとかみてた。ずっと忘れないとかの時期だ。塾から帰って来て、見れるか見れないかの微妙な時間なのよ(笑)頑張って早いバスに乗って、急いで帰って来てたね。しかもあのころスマップ最後が多かったから。まぁ、こんな感じで普通のおばあちゃんと子供でした。
でも、ばあちゃんが97年の正月にいきなりボケて、家で暴れ出しまして・・・・痴呆ってやつですね。「私をここに閉じ込めるな!」とか「故郷に帰して!」とか意味の分からんことを大声で叫び始めて、家族だけでは面倒見きれなくなって、老人ホームに預けた。 それから、7年か・・・。その間に老人ホーム2回くらい移ったんかな?あと、階段落ちたりとか風邪引いて肺炎になったりとか、ちょくちょくそんな話しがあった。だいたい、こっち(私)が高校3年生とか大学で忙しい時期やったし、殆ど老人ホームにも顔だしてなかったね。うちの母は別に自分の親じゃないから感情はそんなになかったけど、父の目を意識して老人ホームにはよく顔出してた。うん。なんか普通に酷いよな。だって、老人ホームには訪ねてきた人の名前を書く欄があって、それにうちのおかんは名前を書き込むことによって、おとんにあんたの親の面倒をある程度みてやってんねんでっていう自己PRに使ってるわけやし。 そんな母もトモコよりはましかな。俺、老人ホームに行こうなんて気持ちが1ミリもなかったし。
そんな感じで危篤情報を聞いたんで、また騒いでるだけやろ〜って雰囲気で(今までも結構階段から落ちたりしてたし)面倒臭いなーって思って、でも、まぁ話しを聞いているうちに本当に死ぬ状態なんだということが分かってきた。 その状況っていうのは、肺炎になって体力が弱り食事をチューブ食に切り替えようとした時に、ちょっとだけ元気になって食事を普通に食べたらしい(離乳食)そしたら、その食事で菌が体内に入り、血管がつまってしまったとのこと。そのため、血が酸素が体に回らなくなってきて、肝臓・腎臓などの器官が徐々に機能しなくなり、死ぬ。 この話を聞くまでは(この話を聞いてもどっかで)まー別に治るんじゃないの?って思ってて、っていうのも私親族少ないし、周りで人が死んだことがなかったし、おばあちゃんめちゃくちゃ身体強い人で食事とかもすんごい気をつけてたから、こういう人が長生きすんだよーって昔から思ってたから。死ぬってことが分からなかった。
で、土曜日に病院にいった。おばあちゃんは6人部屋にいた。今日が意識のある最後の日だと言われた。実感がなかった。自分の顎とベッドのパイプを触って固さを比べたりしてたし(笑)でも、人が近づいて話しかけると「ごめんねぇ」ってめちゃくちゃ掠れた声でしゃべってた。私は色んなことが痛々しくて、だって人生90年生きてきて、今日が意識のある最後の日だよ・・・。なんか不謹慎なんだけど、おばあちゃんがっていうよりもこの人の最後の言葉なんだって事実がすんごいきた。あと、漠然と年取ると子供に戻るっていうじゃんか。意味が分かった。手がかかるな、子供も老人も。歳もとりすぎると可愛くなるし、アホになるし、だれか人がいないと生きてられない。 そんなことを考えながらおばあちゃんの姿をみてた。ベッドの端から。ずっとすこしずつ涙が出てきてとまらなかった。恥ずかしくて、顔をずっと見れなかったんだけど、帰らなくちゃ行けない時間になって、最後の最期に顔を真正面からみた。目があった。言葉では現せないような表情だった。すがってくるような。最期って分かってるような・・・・まぁ本当のとこ惚けて何にも分かってないんだろうけどさ。
で、翌日日曜日にはより具合も悪くなっているってことで、また病院へ。病院に入って、昨日の病室に行ったら、昨日いたとこにいない!?え!!もう死んでる!!とか思って焦ったら、個室の部屋に移ってただけでした(まぁそんぐらい死にそうっていうことなんやろうな) 個室に入ったら、ものすごい壮絶な光景でした。身体は管だらけで、酸素マスク(?)つけて、点滴で栄養入れて、腎臓が機能をなさないから腹から尿(?)をだして、腫れてくる腎臓を氷で抑えつけて、肺炎をぶりかえして肺がつかえないから呼吸がひどく荒れてて(喘息みたいなかんじ?分かりますか。喘息は呼吸したいのに気管支が狭くなってて酸素が入らないから苦しいんだけど、ぜーぜーいうのね)「ぜぇーぜぇー」いっててもがいてるみたいに見えた。目もひんむいてるし、呼吸がくるしいから常に口が開いたままで唇がパリパリに乾燥してた。リップクリーム塗ってあげたいって思った。私はじーっと見てた。で、しんどそうなのが余りに可哀想で、手をにぎった。子供の頃喘息の発作が出て、不安なとき人が隣にいてくれると安心したから。手を握ってたらね、時々ぴくって握り返してくるわけ(涙)この人、まだ生きてるんだって思ったこと。人が生きてること、暖かい体温があることにちょっぴり感動した。と、同時に早く楽にしてあげたくなった。あそこまで苦しまないとこの世と別れられないのかな。で、この日も明日仕事もあるだろうし、帰りなさいってなって家に帰った。
さぁ、そろそろ死ぬなと思って月曜日から会社に通勤していた。 が、月曜・火曜・水曜・木曜と日は過ぎるが死なない。???あの病室は凄まじかったが、人というのものは恐い。その空間にいなくて、時間が経つと記憶が薄れる。日曜日病院に行った時はあんなに心が痛かったのに、別に普通に毎日を暮らしている。普通にテレビ見てるし、ツヨシの舞台挨拶に誘われた時も6日までに死ぬやろうし、お葬式もできるな〜と1人で思って、行く行く♪って即答してた(あ、ここ書いてて、本当に俺酷いな。人間失格級・・・・) で、木曜日の夜にうんこがでなくなったとの情報が入る。この状況になると人は2・3日で絶対に死ぬらしい。 えー?そんなこと言いつつまた1週間位生きるやろ〜と思い(←鬼)東京へ出発する俺(笑)
長くなりましたので、続きは明日書きます。 明日は死亡・お別れ編です。
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