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大人力
2004年09月29日(水)

珍しく早く起きて、見たテレビの話題。
最近「大人力を試す」類の本が次々と出て、爆発的に売れているとか。
ひと頃「バカの壁」(率直に言ってイヤな題だね)の著者の物がベストセラーになり、その前は、「声に出して読みたい日本語」に連なる一連の本だった。
「世は歌につれ」ではないが、本屋に行けば、世の中の動きが解ると言うところだろう。
最寄り駅のターミナルビルには、比較的大きな本屋があるので、出たついでに、立ち寄るが、「大人力」関連は、気づかなかった。
大人力を試す100問などという本があり、テレビで取り上げていた例は、大体こんなことである。

問題:得意先との約束の時間ををうっかり忘れ、遅れてしまい、待っている相手から電話が掛かった。どうするか。
答1.言い訳せず、率直に謝る。
答2.「え?・・時ではなかったですか」と、勘違いの振りをする。
答3.「会議が長引いて・・今から駆けつけます」と、それらしく慌てる。
答4.電車や、道路の混み具合など、不可抗力を言い訳にして、自分のせいではないことを説明する。

テレビに出ていた人たちの答は、1と3に分かれた。
私の答は、1である。
ところが、正解は2で、それが、大人力なのだという。
冗談じゃない。
そんな直ぐバレるような言い訳なんかするより、遅れて相手を待たせた事実は事実なのだから、それをを認め、素直に謝ったほうが、好感が持てるではないか。
しかし、その本によると、ウソをつくのでなく、勘違いとしたところに、相手が許す余地があるのだという。
へえ、それが大人なのか。
私だったら、そんな人とは、付き合いたくない。
テレビで見た範囲だから、本全体を読めば、ニュアンスの違いがあるかも知れないので、一般化した話として書いているが、この種の本を買っていくのは、二十代、三十代の男性が大半だという。
子どものまま成人し、社会に出て、人との付き合い方もわからぬ人が増えていると言うことであろうか。
「恋愛力」なんて本も出ているらしい。
マニュアルがないと、恋愛も出来ないのかと、心配になる。
100点を取ったら、上手な恋愛が出来るというのだろうか。
そういえば「老人力」という本が流行ったこともあった。
外見は、立派な老人なのに、自分では老人だと思っていない人たちが読んで、話の種にしていた。
老人は、この種の本を読んでも、ごもっともとは思わないから、あまり害はないが、若い人が、人間関係に関することをハウツー本で読む場合は、どういうニーズなのだろう。
テレビの聞きかじりで、あまり余計な講釈は出来ないので、今度、本屋で、立ち読みでもするか。
投稿記事

大人力
2004/09/29 15:42
珍しく早く起きて、見たテレビの話題。
最近「大人力を試す」類の本が次々と出て、爆発的に売れているとか。
ひと頃「バカの壁」(率直に言ってイヤな題だね)の著者の物がベストセラーになり、その前は、「声に出して読みたい日本語」に連なる一連の本だった。
「世は歌につれ」ではないが、本屋に行けば、世の中の動きが解ると言うところだろう。
最寄り駅のターミナルビルには、比較的大きな本屋があるので、出たついでに、立ち寄るが、「大人力」関連は、気づかなかった。
大人力を試す100問などという本があり、テレビで取り上げていた例は、大体こんなことである。

問題:得意先との約束の時間ををうっかり忘れ、遅れてしまい、待っている相手から電話が掛かった。どうするか。
答1.言い訳せず、率直に謝る。
答2.「え?・・時ではなかったですか」と、勘違いの振りをする。
答3.「会議が長引いて・・今から駆けつけます」と、それらしく慌てる。
答4.電車や、道路の混み具合など、不可抗力を言い訳にして、自分のせいではないことを説明する。

テレビに出ていた人たちの答は、1と3に分かれた。
私の答は、1である。
ところが、正解は2で、それが、大人力なのだという。
冗談じゃない。
そんな直ぐバレるような言い訳なんかするより、遅れて相手を待たせた事実は事実なのだから、それをを認め、素直に謝ったほうが、好感が持てるではないか。
しかし、その本によると、ウソをつくのでなく、勘違いとしたところに、相手が許す余地があるのだという。
へえ、それが大人なのか。
私だったら、そんな人とは、付き合いたくない。
テレビで見た範囲だから、本全体を読めば、ニュアンスの違いがあるかも知れないので、一般化した話として書いているが、この種の本を買っていくのは、二十代、三十代の男性が大半だという。
子どものまま成人し、社会に出て、人との付き合い方もわからぬ人が増えていると言うことであろうか。
「恋愛力」なんて本も出ているらしい。
マニュアルがないと、恋愛も出来ないのかと、心配になる。
100点を取ったら、上手な恋愛が出来るというのだろうか。
そういえば「老人力」という本が流行ったこともあった。
外見は、立派な老人なのに、自分では老人だと思っていない人たちが読んで、話の種にしていた。
老人は、この種の本を読んでも、ごもっともとは思わないから、あまり害はないが、若い人が、人間関係に関することをハウツー本で読む場合は、どういうニーズなのだろう。
テレビの聞きかじりで、あまり余計な講釈は出来ないので、今度、本屋で、立ち読みでもするか。





傍目八目
2004年09月23日(木)

何なんだろう、プロ野球をめぐる、この妙な動きは!
私は、つい昨日までは、プロ野球の行方について、純粋に憂いていたし、選手会が、ストライキをするに至った経緯を、仕方ないと思い、応援してきた。
ライブドアが仙台に新球団を作ることを早くから表明し、動きだしていることについても、あの社長は個人的には好きになれないが、新しい風が、プロ野球界に吹くことで、全体が活性化されれば、歓迎していいのではないかと思った。
そのうち、楽天がプロ野球参入の考えを表明し、それも、まあ悪くないかと思った。
はじめから、仙台とはっきり表明して、そこに絞って動いているライブドアと違い、楽天の方は、大阪といったり、長野といったり、場所もはっきりしないし、どこまで本気なのか、ちょっと首をひねるような所もあった。
ウチの亭主は「泥縄だよ」と、疑わしげであったが、私は、「女は金に付いてくるなんて言ってる人より、ちゃんと背広を着てるだけ、こっちの方がいいわよ」などと、無責任なことを言っていた。
でも、プロ野球が今までよりよくなって欲しいし、選手達には、何よりも、いい試合をしてファンを愉しませて貰うことが、最大の願いなのだから、その為には、とりあえず、お金を持っていて、野球チームを運営する意志と力のあるところなら、どこが経営してもいいのである。
どちらも、今までの企業の中では新しい分野、若い人たちが多数を占める野球ファンにとっても、前向きな競争は、よいことだからである。
しかし、今朝ーいやもっと前から報じられていたかも知れないが、私が知ったのは、今朝のことでー楽天が、こともあろうに、宮城は仙台に新球団設立を考えているというニュースを聞いて、ちょっと待てよ、これは、何なのよ、と思った。
楽天社長は、「早い者勝ちということではない」といっているが、私の常識では、頷けない。
候補地を転々として、先にライブドアが名乗り挙げた仙台に、わざわざ持ってきた理由は何?
「ナベツネと同じ発想さ」と、亭主は言うが、直感的に、これはおかしい。
プロ野球の行方なんて、本当はどうでもよくて、同種の企業に負けたくないとか、自分の野心を満足させるほうが先じゃないの、などと、勘ぐってしまったのは、間違いだろうか。
ブログで、選手達のストに発して、議論が盛り上がるにつれ、ちょっと距離を置きたくなっていた私だが、楽天の動きに関してのニュースを聞いて、もう、この話には、これ以上、参加したくないと思った。
野球を本当に愛し、こころざしある人達の手で、プロ野球が、よい方向に向かうことを願っている。
ボランティア事業ではないのだから、地域の活性化とか、経済原理が働くのは、当然だが、間違っても、一握りの人たちの野心や、政争の道具にだけは、して貰いたくない。
野球を天職とし、ファンの夢に応えようと必死に努力している選手達、よい試合を見ることを愉しみに、せっせと球場に通うファン達、野球は、そうした人たちが支えている。
「野球は、僕たちの夢」と書いた少年の気持ちを、踏みにじらないで欲しい。


秋彼岸
2004年09月22日(水)

午前中墓参に行く。
東京郊外にあって、家から車で、一時間半ほど。
明日は道が混むであろうと、平日にしたが、逆に営業用のトラックなどが沢山走っていて、込んでおり、余計に時間が掛かった。
しかし、霊園内は、すいていて、ゆっくりと墓参りをすることが出来た。
夫と、墓の周りの植木を切ったり、墓石を洗ったりしていたら、少し離れたところで、ひとりで、墓所を掃除している女性がいた。
知らない同士でも、ちょっと目礼を交わす。
いずれは、あの世で一緒になるかも知れないからという気持ちが、お互いにあるような気がする。
公園墓地なので、広く明るく、余り墓場という感じではない。
春の彼岸の時などは、天気がいいと、ピクニック気分で来る人も多く、家族で賑やかに、墓参りをし、藤棚の下で、持ってきたお弁当を食べたりする光景も見られる。
我が家の墓には、夫の両親、生まれて直ぐに死んだ夫の弟が眠っている。
最近は、夫の墓には入りたくないと言う女の人たちも、増えているらしい。
時々、私も冗談半分に、そんなことを言ってみることがある。
「人は死んだら、生まれた家の墓にはいるのが自然じゃないの」と・・。
「じゃ、子どもはどうするんだ。親が、別々の墓に入ったら、両方に墓参りしなくちゃならないじゃないか」と夫は言う。
私たちの場合、冗談で収まっているが、墓の問題は、案外と深いものを含んでいて、時代が変わるに連れ、今までのような、男中心、家系第一の思想と墓とは、どこかで噛み合わないことになってくることも考えられる。
「生きている間は仕方ないから一緒にいるけど、死んでまで、あの人と一緒になんか居たくないわ」と、公言する女性も、少なくない。
それが、割合、年配の人であることを思うと、旧時代の価値観の中に組み込まれて、自分の意志を通すことなく過ごしてきた女性たちの、怨念のようなものを感じて、何も言えなくなってしまう。
墓に線香を手向け、死者の霊に手を合わせながら、そんなことを思った。
霊園内のレストランで、遅い昼食を済ませ、帰途につく。
途中、激しい雨に遭い、車に当たる音があまりに強いので、見たら大粒の雹だった。
局地的なものだったらしく、半時間ほどで抜けた。
蒸し暑い一日だった。


プロ野球をめぐって
2004年09月17日(金)

春になり、野球シーズンにはいると、茶の間のテレビは、亭主に占領される。
大河ドラマや、BS映画が見られなくなるので、野球中継なんか、いい加減にして欲しいと思ったこともあるプロ野球。
夫唱婦随で、一応ジャイアンツのファンとして、他球団にどんな選手がいるかさえ、余り関心もなかったが、この2ヶ月ほどの、パリーグ球団合併問題に始まった、選手会と経営者側の交渉の行方には、無関心ではいられない。
中でも、日々の試合をこなし、得点に繋がるヒットも飛ばしながら、試合後には、選手会会長として、経営者側との交渉に臨んだ古田選手に、エールを送りたい気持ちだ。
話し合いは、決裂して、明日、あさっての試合はストライキという結果になった。
記者会見で、球団経営者側の、文書による味も素っ気もない報告には、血の通ったものが感じられなかった。
それに比べ、「ファンの皆さんには、申し訳ありません」と、土日の試合を楽しみにしていたであろうファン達に向けて、何度も謝っていた古田選手。
決して弁の立つ人ではないが、ストライキという苦渋の選択をする結果になった経緯を語る彼の、とつとつとした言葉に感動した。
野球を愛し、野球人として、身を捨てて、今回の問題に立ち向かっている。
そのあとのテレビで、彼は、キャスターの質問などに答えながら、時に、目に涙を滲ませていた。
朝から10時間という長い間、実りのない話し合いに臨まねばならなかった、彼の悔しさ、無念さがよくわかった。
経営者達は、野球に対して、こころざしというものがあるのだろうか。
赤字経営で、苦しいのはわかるが、この2ヶ月、彼らのとった態度は、プロ野球をこれまで育ててきた、先達や、古くからのファンの気持ちを考えず、選手達を、見下したものではなかったか。
野球選手達は、グランド以外では、不器用な人が多い。
会社の労働組合のような手慣れたことは出来ない。
老獪なレトリックに惑わされたこともあるだろう。
シーズンの終わり近くになって、ストライキという非常手段を打ち出さねばならなかったつらさも、想像できる。
でも、多くのファンは、選手会の決断を支持している。
選手会が、一致団結しているのは立派だ。
屈強な体力を持っていても、さすがに疲労の色を隠せない古田選手。
でも、「希望を持って、これからも闘っていきます」と語っていた。
古田選手よ、負けるな。
日本の野球が、ひとつの転換期に立っている今。
週末は、ゆっくり休んで、また来週から、野球のあるべき道に向かって、新たな闘志を燃やして欲しい。


オペラシーズン開幕
2004年09月15日(水)

秋と共に、新国立劇場のオペラシーズンが始まった。
毎年、4演目か5演目を年間予約して、夫婦で見に行く。
ちょっとした海外旅行ぐらいのお金がかかってしまうが、ささやかな楽しみである。
今日は、最初のプログラム、「カヴァレリア・ルスチカーナ」と「道化師」をセットで見た。
いずれも、イタリアオペラ、違った作品を、同じ舞台装置を使って、うまく構成してある。
両方とも、はじめて見たが、なかなか面白かった。
特に、「道化師」は、64歳の名歌手、ジュセッペ・ジャコミーニの主演。
道化師役の熱唱が素晴らしかった。
いずれも、中心人物達が死んでしまう悲劇。
オペラの主題は愛と恋であり、人間のこころである。
今回の演出は、どちらも、現代に近い時代背景にしてあって、衣装も、それに合わせていた。
女性は、引きずるような長いスカートを付けていないのである。
2年ほど前に見た「トーランドット」も、ヒロインが、スニーカーなんか履いていた。
最近は、こうした演出の仕方も多い。
今日は2本立てで、どちらも素晴らしかったので、大変得をした気分である。
この劇場は、オペラ用に作られただけあって、音響がいいし、ロビーも広々として、幕間のワインなど楽しめて、おとな向きである。
たいてい誰か知った人に会うが、今日は珍しく、誰にも会わなかった。
昨年まで、一階のS席で見ていたが、今年は節約して、席のランクを下げたので、三階席の前の方だった。
しかし、声はちゃんと届き、舞台の奥までよく見えて、また別の発見をした。
余韻を愉しみながら帰ってきた。
2004/09/15 21:27
秋と共に、新国立劇場のオペラシーズンが始まった。
毎年、4演目か5演目を年間予約して、夫婦で見に行く。
全部で、ちょっとした海外旅行ぐらいのお金がかかってしまうが、ささやかな楽しみである。
今日は、最初のプログラム、「カヴァレリア・ルスチカーナ」と「道化師」をセットで見た。
いずれも、イタリアオペラ、違った作品を、同じ舞台装置を使って、うまく構成してある。
両方とも、はじめて見たが、なかなか面白かった。
特に、「道化師」は、64歳の名歌手、ジュセッペ・ジャコミーニの主演。
道化師役の熱唱が素晴らしかった。
いずれも、中心人物達が死んでしまう悲劇。
オペラの主題は愛と恋であり、人間のこころである。
今回の演出は、どちらも、現代に近い時代背景にしてあって、衣装も、それに合わせていた。
女性は、引きずるような長いスカートを付けていないのである。
2年ほど前に見た「トーランドット」も、ヒロインが、スニーカーなんか履いていた。
最近は、こうした演出の仕方も多い。
今日は2本立てで、どちらも素晴らしかったので、大変得をした気分である。
この劇場は、オペラ用に作られただけあって、音響がいいし、ロビーも広々として、幕間のワインなど楽しめて、おとな向きである。
たいてい誰か知った人に会うが、今日は珍しく、誰にも会わなかった。
昨年まで、一階のS席で見ていたが、今年は節約して、席のランクを下げたので、三階席の前の方だった。
しかし、声はちゃんと届き、舞台の奥までよく見えて、また別の発見をした。
余韻を愉しみながら帰ってきた。
2004/09/15 21:27
秋と共に、新国立劇場のオペラシーズンが始まった。
毎年、4演目か5演目を年間予約して、夫婦で見に行く。
全部で、ちょっとした海外旅行ぐらいのお金がかかってしまうが、ささやかな楽しみである。
今日は、最初のプログラム、「カヴァレリア・ルスチカーナ」と「道化師」をセットで見た。
いずれも、イタリアオペラ、違った作品を、同じ舞台装置を使って、うまく構成してある。
両方とも、はじめて見たが、なかなか面白かった。
特に、「道化師」は、64歳の名歌手、ジュセッペ・ジャコミーニの主演。
道化師役の熱唱が素晴らしかった。
いずれも、中心人物達が死んでしまう悲劇。
オペラの主題は愛と恋であり、人間のこころである。
今回の演出は、どちらも、現代に近い時代背景にしてあって、衣装も、それに合わせていた。
女性は、引きずるような長いスカートを付けていないのである。
2年ほど前に見た「トーランドット」も、ヒロインが、スニーカーなんか履いていた。
最近は、こうした演出の仕方も多い。
今日は2本立てで、どちらも素晴らしかったので、大変得をした気分である。
この劇場は、オペラ用に作られただけあって、音響がいいし、ロビーも広々として、幕間のワインなど楽しめて、おとな向きである。
たいてい誰か知った人に会うが、今日は珍しく、誰にも会わなかった。
昨年まで、一階のS席で見ていたが、今年は節約して、席のランクを下げたので、三階席の前の方だった。
しかし、声はちゃんと届き、舞台の奥までよく見えて、また別の発見をした。
余韻を愉しみながら帰ってきた。 2004/09/15 21:27



秋日和
2004年09月12日(日)

日中はまだ暑さが残っているが、汗ばむほどではない。
夫と植物公園に行く。
運動不足だし、ちょうど昼時なので、歩いて公園に行き、近くの蕎麦屋に行こうという算段である。
散歩用の服に着替え、スニーカーを履いて出た。
植物公園には、普通に歩いて30分ほど。
木陰を選んで歩いて、間道をいくつか抜けると、公園の正門に出る。
時分どきではあったが、まず公園内を散策することにした。
入場券を買って入る。
花見や紅葉の頃は、土日となると沢山の人出だが、きょうはまだそんな季節ではないと見え、ほどほどの入りであった。
デジカメを持った夫が、所々立ち止まって、シャッターを押す。
花は余り無い。
コスモス畑も、半分くらいの咲きである。
10月になると、秋の花がかなり出揃うのだが、今は、ちょうど花にとっては、半端な時期のようだ。
木陰で、小休止したりで、およそ1時間ほど歩き、裏門から出た。
昼時を少し過ぎていたが、公園近くの蕎麦屋は結構混んでいた。
夫が、あちこち食べ比べて、ここが一番うまいという店にはいる。
もりを一枚ずつ注文、そば湯も飲んで店を出た。
違う道を歩いて、帰る。
歳時記では仲秋と言うことになっているが、やっと秋になったというのが実感である。
やがて月の美しい季節になる。
日も短くなった。
穏やかな良い日であった。

息子から、近況を尋ねる電話。
夏の間、私も夫も、ぜんそく性の風邪が抜けず、何度か来たいというのを、キャンセルしていたからである。
「もう元気よ」と、先週邯鄲を聴きに御岳に行ったことを話すと、安心して電話を切った。


かなし
2004年09月11日(土)

昨日、連句会でのこと。
6人ずつ2席にわかれて、付け合いが始まった。
捌き手は、この道20年になる達人、ほかの人も、みな連句歴10年以上のベテラン。
式目(連句のルール)など、今さら言わなくても、みな、頭に入っている。
私は、新米の部類だが、新陳代謝も必要と見えて、この2年ほど前から、時々誘って貰う。
声を掛けて貰った時は、ほかの座に優先していくことにしている。
厳しいが、そこでは、かなり鍛えられるので、充足感があるからである。
私のいた席では、歌仙9句目に入って、ちょうど恋句を出すところだった。
そこである人が「なで肩の人を抱いてやりたいが、それは人の妻である」という意味の句を出した。
著作権に触れるので、五七五の句形をそのままここで引用するのは、差し控えるが、句意は上に書いたとおりである。
次の付け句は短句である。即座に短冊が出される。
みな、付けるのが早い。
私も、一句出した。
出された短冊は、捌きが吟味して、これはと思う句があれば、すぐに採るし、なかなかいい句が出ない時は、しばらく待ったりする。
何句か出たところで、「この句を戴きます」と採られたのが、私の句だった。

愛しといふ字かなしともよむ

前句は人妻に横恋慕する句である。
だから、俗に堕さないように、ちょっと外したのである。
図らずも、その心がわかってもらえて、いい気分であった。
それに別の人が付けたのが、「自動ピアノがいつまでも鳴り止まない」という意味の句で、格調高くまとまった。
連句が面白いなあと思うのは、こんな時である。
一歩間違えれば、低俗になってしまうものが、複数の人の奏でるハーモニーによって、詩的空間を作り上げる。
予想せぬ世界が展開される醍醐味であろうか。
午前11時から始まり、お弁当を食べ、お酒やお菓子をつまみながら、歌仙36句が巻きあがったのは、4時前であった。
もうひとつの席も、大体同じようなペースで進行した。

ところで「かなし」という言葉は、愛しとも、悲しとも書く。
古語である。
切なさ、愛しさ、哀しさ、可愛さ、つらさ、こわさ・・・いろいろな意味を含んでいる。
短歌をやっている知人で、「かなし」という言葉が、死ぬほど好きと言った人がいた。
ほかの言葉では取って代われない、深い意味があるからと言うのである。
万葉集、古今、伊勢物語、源氏ほか、日本の古典文学には、この言葉が良く出てくる。
現代語では、ピッタリ来る言葉がない。
こういう言葉に接すると、日本語の持つエロキューションの豊かさに感動し、日本人が昔からもっていた、もののあわれを、思うのである。


美容院の料金
2004年09月09日(木)

私は女のくせに無精な方で、余り美容院に行くことに熱心ではない。
若い時は、女性の髪型は、美容院でなければ出来ないようなスタイルが普通だったので、ちょくちょく行った。
パーマを掛け、ロールで巻いてカールさせ、お釜型のドライヤーに入って固め、少々風が吹いても、崩れないようなキッチリした髪型だった。
その頃は、シャンプーも、週に一度くらいしかしなかったような記憶がある。
髪の量も、ずっと多かった。
今は、毎日のようにシャンプーするので、そのせいか、髪が全体に薄くなっているような気がする。
カーラーで巻くというスタイルは、ほとんど姿を消してしまった。
みなストレートヘアで、ハンドドライヤーで乾かすスタイルである。
女性が働くのが普通になり、いちいち美容院に行かなくても、自分で形を付けられる髪型が好まれるのであろう。

さて、伸びた髪を気にしながら、2ヶ月経って、いよいよ目に余るほどになったので、美容院に行った。
駅近くの銀行に行った帰りに入ったのは、昨年まで、行っていた店であった。
最近は男性美容師が増えた。
今日行った美容院も、スタッフの8割は男である。
はじめ、私は、男の人に髪をいじられることに、なかなか馴染めなかった。
美容院に行き、「ご指名はありますか」と訊かれた時は、「誰でもいいけど、女の人にして下さい」と注文した。
しかし、現在は、そんなことを言っていられないくらい、男の美容師が多くなった。
今では、私も、抵抗感はない。
慣れると、女性美容師と違った良さもある。
私の髪は、パーマを掛けず、カットだけでスタイルを決めねばならないが、思い切って、カッとしてくれるのは男性美容師である。
昨日の美容師は20代後半と思われる男性。
鶴のように痩せて、顔は三角に尖っている。
そして、この店の男性美容師は、何故か全員髭をたくわえていて、彼も、頬と、あごに、髭を付けている。
「どんな風にカットしますか」と訊くので、「あなたみたいにして頂戴」というと、ちょっと困った顔をした。
私の顔は両顎が張っていて、丸と言うより、四角に近い。
顔の形が違うのに、髪型を同じにしても、と思ったのか。
「じゃ、冬のソナタのペ・ヨンジュンみたいなスタイルにしてくれる?」と言うと、「済みません、ぼく見てないんですよ」と逃げた。
見てないわけはないのだが、断りにくかったのであろう。
「ま、そんな感じでお願いします」というと、やっとニコッとして、私の髪に挟みを入れはじめた。
2ヶ月ぶりの美容院だから、カットのし甲斐がある。
床にザクッザクッと髪が落とされていく。
見習いスタッフが、床ブラシで掃き集める。
美容院の床が綺麗なのは、人の髪の毛で、始終床を撫でているからだそうである。
髪の油分で、床にワックスを掛けているのと同じだという。
カッとしながら、いろいろ話し掛ける。
インターネットのこと、野球の合併問題に発したストのこと、看護師をしている母親のこと、受けて返しているうちにカットが終わり、別のスタッフが、ヘアマニキュアにとり掛かった。
この美容院のいいところは、店に入り、担当美容師が決まったところで、「料金はこれこれになりますがよろしいですか」と、最初に金額を示し、客の承認を得てから、仕事にかかることである。
通常、美容院というのは、この点が曖昧だった。
店の中に料金表は掲げてあるが、かなりアバウトである。
ヘアマニキュアいくらと書いてあっても、それはシャンプーが付くのか付かないのか、また、髪の長さによってどう違うのか、終わって、請求書を見せられるまで、よくわからない。
客の方も、スーパーの買い物には、一円の誤差にも目をつり上げるくせに、美容に関しては、あまり細かなことはいわないというような、一種の気取りもあって、言われた料金を黙って払うことが多いのである。
今日の店は、その点明朗である。
ビジネスライクに処理するので、店舗を次々増やすくらい繁盛するのは、この点もあるのではないかと思った。
これも、男性スタッフが多くなったための変化であろうか。
オシャレ産業に、男の経済論理を入れる。いいことである。
女は、気取っていても、本当は、納得いかないお金は払いたくないのである。


台風来たる
2004年09月07日(火)

台風が次々と訪れてきて、テレビは、そのニュースを優先的に放送している。
立ち木が大きく揺れている姿、傘がおちょこになって、立ち往生している女性、ひっくり返った自転車の列や、吹き飛ばされた看板等々・・。
いつも不思議に思うのは、そんなひどい雨と風の中でも、レインコートを着たり、長靴を履いたりしている人が、あまりいないことである。
特に女性は、こんな嵐の中でも、傘はさすがに差しているが、レインコートは着ないし、雨靴もほとんど履いていない。
若い女性など、ミュールとか言う、踵の付いていないような剥き出しのサンダルで歩いている場合さえある。
足元は当然濡れるし、歩いている間に、服だって、びしょぬれになるのではないだろうか。
ニュース画面でなく実際に外出する度に、いつも感じる。
小雨ならともかく、余程の雨でも、最近は、雨具という物を身につけなくなった。

私は、踝まであるオレンジ色の、たっぷりしたレインコートを持っていて、強い雨の時は、ためらわずそれを着る。
そしてゴムの長靴を履く。
歩道を歩いていて、乱暴な車に、雨のしぶきを掛けられても、平気だ。
ゴムの長靴は、足元を流れる雨水から、守ってくれるので、天気の良い時と同じ速さで歩ける。
ショルダーバッグを掛けた上からでも、羽織れるレインコートは、真夏は暑くてつらいが、屋根のあるところに入ったら、すぐに脱いで、ポリ袋に入れればいい。
なかの服は乾いているので、濡れた服を着たままにしている不快さもない。
何故、みんな雨具を付けなくなったのだろうか。
その分荷物が増えるとか、長靴は、電車の中で格好が悪いとか、雨具を付けたくない理由がいろいろあるのだろうか。
服一丁も、大事に着ていた昔と違い、今は、安い服が何着もあるし、濡れてぐしょぐしょになった靴は、惜しげもなく捨ててしまうのだろう。
交通機関が発達して、雨の中を長時間歩くと言うこともないから、思ったほど濡れることもないのかも知れない。
レインコートに雨靴という出で立ちで、街中に出るのは、本当に少数派になった。


男女8人秋ものがたり
2004年09月06日(月)

土日、奥多摩に「カンタンをきく会」という催しを兼ねて、一泊旅行をした。
夫の友人四人がそれぞれカップルで、八人。
本当はもう一組いるが、たまたまほかの予定が重なって、今回は来なかった。
邯鄲は今頃の季節に、周囲の条件が整っていると、いい声で鳴くらしい。
らしいというのは、聞いたことがあるかも知れないが、認識していないのかも知れないと言うことである。
歳時記には、コオロギ科の虫で、美しい声で鳴くとあり、俳句にもよく詠まれる。
学名はカタカナでカンタンと書く。
たまたまグループの一人が、青梅市で毎年邯鄲を聴く会をやっていることを知っていて、参加したことがあるというので、今年はグループで一緒に行くことになった。
風雅の道を愛する人たちでもある。
新宿駅で昼過ぎに集合、青梅線に乗る。御嶽駅で下車。バスでケーブル下へ。
少し歩いて、滝本駅からケーブルに乗り、御岳山に着く。
「カンタンをきく会受付」という所で、今回の幹事役が申し込みの確認をして、宿舎として割り当てられた宿に向かった。
歩いて15分くらいだったろうか。坂道が続き、かなりきつかった。
日ごろの運動不足を痛感した。
今回の参加者は、90人くらいとのこと。
台風の予想があったので、雨が降ると虫は鳴かないからと、キャンセルした人もあったらしいが、毎年来るファンが多いようである。
小さな宿坊が沢山あり、参加者は、主催者によって、泊まる場所を割り当てられるが、私たちは、会場から遠い分、素晴らしい宿舎に当たって、ラッキーだった。
趣のあるたたずまいの宿は、一度台風で壊れたが、100年以上前から、あったという。
汗びっしょりになった体を風呂に沈め、早めの夕食となった。
「全部うちの庭で栽培した野菜です」といって出された料理は、山菜を中心に鮎の塩焼きが付き、なかなかの味だった。
食後、カンタンを聴く会の講演会場に向かう。
雨模様なので、傘を持っていく。
会場には今回の参加者が集まっている。
元多摩動物公園園長だった矢島氏が、「カンタンの生活とその環境」という題で話をする。
話の途中から、雨がだんだんひどくなる。
「今日は、外でカンタンを聞くのは無理ですね」というわけで、講演の後、テープでカンタンの声を聞かせてくれた。
天気が良ければ、みんなで外に出て、虫の声を聞きながら歩く筈であった。
矢島氏は、現在群馬の昆虫の森で、自然環境の中で、子ども達に、虫を知って貰うべく、準備中だそうである。
「どこからか採ってきて、籠に入っている姿しか見てないんです。どんな環境があれば、虫が生息できるのか知って欲しいし、直に障って、見て欲しいのです」と氏は言った。
話が終わって、けんちん汁と酒が振る舞われた。
雨が一向に止みそうもないので、足元に気をとられながら、宿に向かった。
グループの一部屋に集まり、お酒と会話を2時間ほど愉しんで就寝。
翌日は、御岳山神社の神楽を見て、ケーブルで下山。
そこから先の奥多摩に行き、「もえぎの湯」に入った。
温泉ではないようだが、最近は、あちこちに、銭湯のような浴場が出来ていて、ドライブの人たちにも人気があるらしい。
スポーツクラブの風呂場のような作りになっている。
余り広くはないが、野天風呂もあった。
そのあとで、遅い昼食を摂り、奥多摩駅から直行の新宿行きに乗り、帰路についた。
奥多摩は11月になると、紅葉で山が真っ赤に染まる。
それを求めて、沢山の人が訪れる。
春は春、夏は夏で、四季を通じて、いろいろな表情を見せる奥多摩。
今回は、カンタンを聞く催しに、一泊の宿と2食付きで、一人8000円。
いい週末であった。

夫の高校時代の友人がある時から、旧交を温めるために、集まるようになり、そのうち連れあい達も加わって、10人というのが自然にグループになった。
毎年、年一回の小旅行、日帰りのハイキングや観劇、花見、最近は温泉廻りも入って、14,5年経つ。
「体が動いて、カップルで動ける間に、せいぜい愉しもうね」が合い言葉である。
そして、いつの日か、グループの誰かが、欠けることがあっても、残った伴侶を、みんなで支えていこうねという暗黙の約束も出来ている。


ご近所あれこれ(2)
2004年09月04日(土)

2004/09/04 21:22
前回の続きを書く。
それから何十年も経ち、意気軒昂だったその世代の人たちが、次々と老化してきている。
連れあいを亡くしたり、病気で介護の対象になったりしている。
私が、イジメ三婆と、ひそかに名付けていたグループも、一人は癌で、7年前に故人となった。
70歳近くになって遺されたその連れ合いは、妻亡き後、しばらく意気消沈していたが、このところ、にわかに生き生きしてきた。
カラオケに夢中になり、市内のカラオケクラブで、長をやっているらしい。
私の夫も誘われたが、「私はコーラスの方で・・」と言ったら、それ以上誘わない。
「市内の人とは、余り付き合いたくないよ」というのは、私と同意見である。
最近になり、男1人暮らしのその家に、60歳過ぎの女性が引っ越してきた。
夫が道を掃いていたら、向こうから挨拶されたらしい。
カラオケの先生をしていて、生徒の一人であるその家の2階に、間借りすることになったというのである。
多分、同じく連れあいを亡くした人なのであろう。
「大丈夫かなあ、家ごと乗っ取られるんじゃないかなあ」と、夫は要らぬ心配をしている。
ときどき、その家からデュエットの歌声が聞こえてくる。
近所では、老いらくの恋などと噂してるらしいが、本当は羨ましいのであろう。
時代が変わったと思う。
夫婦でもない、いい年の男女がひとつ屋根の下に住んでも、昔ほど驚かなくなった。
近所のうわさ話で空しい老後を送る入り、どれだけいいかわからない。
「あなたも、私が先に死んだら、あんな風にする?」と夫に訊いたら、「死んだ後のことまで考えずに、安らかに逝きなさい」という答が帰ってきた。



ご近所あれこれ
2004年09月02日(木)

ご近所というと、私の場合、ご挨拶程度で、ほとんど付き合いはない。
ゴミを出したり、家の周りの道路を掃いたりしている時に、顔を合わせれば、「暑いですね」と言うくらいである。
子どもの小さい時は、子どもの遊び仲間のお母さん達と、多少の行き来はあったが、高校生になり、電車通学をし始めると、近所で一緒に何かをするという必然性もなくなる。
お互い、干渉し合わず、平和に暮らしましょうという感じになってくる。
ご近所というのは、仲良く付き合っている間はいいが、いったん拗れると、ややこしい。
遠くにいる人なら、そのまま会わなければいいが、近所は、イヤだから引っ越しますというわけには行かないのである。
それがわかっているので、みな礼儀正しく距離を置き、つかず離れずで過ごすのである。

私が引っ越してきた頃、まだ30代のはじめだったが、ホットな付き合いを好む一世代上の人たちに、ずいぶんいじめられた。
味噌や醤油まで借りる付き合い方をしてきた人たちにとっては、半径500メートルくらいが全世界なので、その中で、自分たちと違うスタンスで付き合う人の存在は、許し難かったのである。
人がどんな暮らし方をしているかが、最大関心事であり、すべてをさらけ出さないと、仲間に入れてやらないと言うところがあった。
人が来れば、それはどこの誰かと訊きたがり、外出の途中で会えば、行き先を確かめないと気が済まない。
留守中に、物を預かって貰ったりするとあとが大変である。
つまらぬ噂のタネにする。
こちらが若いのだからと、何事も低姿勢にしてきたが、ある時、そういう態度は、むしろマイナスであると気づいた。
子どものイジメにもあるが、いつも苛められ役になっていると、相手は、図に乗って、イジメがエスカレートするのである。
そして、子どもにまで及ぶ。
子どもというのは敏感だから、親同士の力関係を察知して、同じことを子ども同士の関係に応用する。
ある時、息子が、近所の悪ガキに苛められて、泣いて帰ってきた。
そこで私はキレたのである。
その頃集団登校していて、私の息子は、一番下級生で、上の学年の子達の、苛められ役になっていた。
子どもの世界のことだから、余り口を出すまいと思っていた。
しかし度重なることに、これは、親の出番だと判断した。
相手の子を呼びつけ、怒鳴りつけた。
その勢いがあまりにすさまじかったらしく、ほかの子ども達も集まってきた。
あとには引けない。
私は、何故、いつも、一番小さい私の息子が苛められなければならないのかを、いじめっ子に、問いつめ、「文句があったらお母さんを呼んでらっしゃい」と言った。
その子は、すぐに呼びに行った。
その母親は、日ごろ私に何かと、イヤな仕打ちをしてきた人である。
もし来たら、今までのことも含め、ぶちまけるつもりだった。
息子は、涙のにじんだ泥だらけの顔で、成り行きを見ている。
子どもの為である。
村八分になっても構わないと思った。
そのときの私は、おそらく般若のような顔つきをしていたであろう。
自分が子どもの頃、いじめられた記憶も蘇っていた。
門前で、両足を開いて立ち、腕組みをして、相手の来るのを待った。
ところが、いじめっ子も、その母親も現れなかったのである。
成り行きを遠くから見ていて、ご注進に及んだ母親もいたはずだが、何故か、問題の親子は出てこなかった。
私は、集まっていた子ども達に「今度こんなことがあったら、誰でも、許さないからね。私が相手になるから、いつでもいらっしゃい」と言って、帰した。
その件については、瞬く間に知れ渡り、噂すずめたちの、格好の話題になったはずだが、私の耳には入ってこなかった。
多分、私が、ものすごい顔で、いじめっ子を睨んでいたことは、充分尾ひれを付けて、伝わったであろう。
集団登校は続いたが、息子は、前のようにいじめられることは、なくなったらしかった。
ある時、いじめっ子の母親に道でバッタリ会った。
先に会釈したのは、向こうだった。
私も何事もなかったように、挨拶を返した。(むらさきの風)


ご近所の噂
2004年09月01日(水)

9月になった。
暑さがぶり返して、30度を超えている。
今日は防災の日だとか。
町内会で、防災訓練をやるから参加してくださいという回覧板が回ってきた。
毎年のことだが、私は参加したことがない。
こういう訓練が始まった頃は、消火器の使い方や、担架で怪我人を運ぶ訓練など、物珍しさもあって、参加者が結構あったようだが、最近は、行事だから仕方なくといった感じで、主催者も、熱心ではないし、参加者も多くないらしい。
町会の当番の時も、私はパスさせて貰った。
「何かあった時、助けて貰えませんよ」とイヤミを言われたが、「結構です。そんなときは、あきらめますから、どうぞお構いなく」と言った。
神戸の地震のような規模で、東京に震災があった場合、町内会レベルの防災訓練がどのくらい役に立つかわからないが、多分、多くの死者、罹災者が出るだろう。
そんな場合のことを、いろいろ備えている人もいるが、私はこういう点にかけては、人智の及ぶところではないと考えている。
そんなときは、すぐ近くの市役所広場に行くという話だけは、家族の間でしているが、それ以上のことは、運を天に任せる。
「あの人は防災訓練に出なかったから、助けるのは後回し」と言われたら、それも運命だと思ってあきらめる。
でも、私自身は、イザという時、自分の力で助けられる人が傍にいたら、日ごろ付き合いのない人でも、助けたいと思う。

ところで、ご近所というと、私の場合、ご挨拶程度で、ほとんど付き合いはない。
ゴミを出したり、家の周りの道路を掃いたりしている時に、顔を合わせれば、「暑いですね」と言うくらいである。
子どもの小さい時は、子どもの遊び仲間のお母さん達と、多少の行き来はあったが、高校生になり、電車通学をし始めると、近所で一緒に何かをするという必然性もなくなる。
お互い、干渉し合わず、平和に暮らしましょうという感じになってくる。
ご近所というのは、仲良く付き合っている間はいいが、いったん拗れると、ややこしい。
遠くにいる人なら、そのまま会わなければいいが、近所は、イヤだから引っ越しますというわけには行かないのである。
それがわかっているので、みな礼儀正しく距離を置き、つかず離れずで過ごすのである。

私が引っ越してきた頃、まだ30代のはじめだったが、ホットな付き合いを好む一世代上の人たちに、ずいぶんいじめられた。
味噌や醤油まで借りる付き合い方をしてきた人たちにとっては、半径500メートルくらいが全世界なので、その中で、自分たちと違うスタンスで付き合う人の存在は、許し難かったのである。
人がどんな暮らし方をしているかが、最大関心事であり、すべてをさらけ出さないと、仲間に入れてやらないと言うところがあった。
人が来れば、それはどこの誰かと訊きたがり、外出の途中で会えば、行き先を確かめないと気が済まない。
留守中に、物を預かって貰ったりするとあとが大変である。
つまらぬ噂のタネにする。
こちらが若いのだからと、何事も低姿勢にしてきたが、ある時、そういう態度は、むしろマイナスであると気づいた。
子どものイジメにもあるが、いつも苛められ役になっていると、相手は、図に乗って、イジメがエスカレートするのである。
そして、子どもにまで及ぶ。
子どもというのは敏感だから、親同士の力関係を察知して、同じことを子ども同士の関係に応用する。
ある時、息子が、近所の悪ガキに苛められて、泣いて帰ってきた。
そこで私はキレたのである。
その頃集団登校していて、私の息子は、一番下級生で、上の学年の子達の、苛められ役になっていた。
子どもの世界のことだから、余り口を出すまいと思っていた。
しかし度重なることに、これは、親の出番だと判断した。
相手の子を呼びつけ、怒鳴りつけた。
その勢いがあまりにすさまじかったらしく、ほかの子ども達も集まってきた。
あとには引けない。
私は、何故、いつも、一番小さい息子が苛められなければならないのかを、いじめっ子に、問いつめ、「文句があったらお母さんを呼んでらっしゃい」と言った。
その子は、すぐに呼びに行った。
その母親は、日ごろ私に何かと、イヤな仕打ちをしてきた人である。
もし来たら、今までのことも含め、ぶちまけるつもりだった。
息子は、涙のにじんだ泥だらけの顔で、成り行きを見ている。
子どもの為である。
村八分になっても構わないと思った。
そのときの私は、般若のような顔つきをしていたであろう。
自分が子どもの頃、いじめられた記憶も蘇っていた。
門前で、両足を開いて立ち、腕組みをして、相手の来るのを待った。
ところが、いじめっ子も、その母親も現れなかったのである。
成り行きを遠くから見ていて、ご注進に及んだ母親もいたはずだが、何故か、問題の親子は出てこなかった。
私は、集まっていた子ども達に「今度こんなことがあったら、誰でも、許さないからね。私が相手になるから、いつでもいらっしゃい」と言って、帰した。
その件については、瞬く間に知れ渡り、噂すずめたちの、格好の話題になったはずだが、私の耳には入ってこなかった。
多分、私が、般若のようなものすごい顔で、いじめっ子を睨んでいたことは、充分尾ひれを付けて、伝わったであろう。
集団登校は続いたが、息子は、前のようにいじめられることは、なくなったらしかった。
ある時、いじめっ子の母親に道でバッタリ会った。
先に会釈したのは、向こうだった。
私も何事もなかったように、挨拶を返した。

それから何十年も経ち、意気軒昂だったその世代の人たちが、次々と老化してきている。
連れあいを亡くしたり、病気で介護の対象になったりしている。
私が、イジメ三婆と、ひそかに名付けていたグループも、一人は癌で、7年前に故人となった。
70歳近くになって遺されたその連れ合いは、妻亡き後、しばらく意気消沈していたが、このところ、にわかに生き生きしてきた。
カラオケに夢中になり、市内のカラオケクラブで、長をやっているらしい。
私の夫も誘われたが、「私はコーラスの方で・・」と言ったら、それ以上誘わない。
「市内の人とは、余り付き合いたくないよ」というのは、私と同意見である。
最近になり、男1人暮らしのその家に、60歳過ぎの女性が引っ越してきた。
夫が道を掃いていたら、向こうから挨拶されたらしい。
カラオケの先生をしていて、生徒の一人であるその家の2階に、間借りすることになったというのである。
多分、同じく連れあいを亡くした人なのであろう。
「大丈夫かなあ、家ごと乗っ取られるんじゃないかなあ」と、夫は要らぬ心配をしている。
ときどき、その家からデュエットの歌声が聞こえてくる。
近所では、老いらくの恋などと噂してるらしいが、本当は羨ましいのであろう。
時代が変わったと思う。
夫婦でもない、いい年の男女がひとつ屋根の下に住んでも、昔ほど驚かなくなった。
近所のうわさ話で空しい老後を送る入り、どれだけいいかわからない。
「あなたも、私が先に死んだら、あんな風にする?」と夫に訊いたら、「死んだ後のことまで考えずに、安らかに逝きなさい」という答が帰ってきた。



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