沢の螢

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八月尽
2002年08月31日(土)

今日で八月も終わり。
長いひと月だった。
猛暑の東京、それを避けての森での生活。
いずれも、感慨深い。
人間は、人と人の間にいるから、人間、そして、人という字は、人と人とが支え合っている形から来ている。
外国生活をしているとき、言葉の違いからくるコミュニケーションのまずさを、時として経験した。
言葉さえ通じたら、こんな行き違いはないのに、と思ったことが何度もあった。
でも一方で、何事も、言葉が通じないんだから仕方がないと、諦めてしまえる、気楽さもあった。
同じ日本人同士、同じ言葉を使っていながら、通じ合えない、あるいは、通じ合おうとしない事柄に遭遇したとき、どうすればいいのだろう。
そんなことを考えながらのひと月であった。
きちんと話せば、絶対分かり合えるはずだと思うのは、一方的な願望で、本当は、食い違った歯車が、正しく噛み合うことは、あり得ないのかもしれない。
人間が、簡単に理解し合い、こころを通じさせられると思うのは、見果てぬ夢のようなもの、だから地球上では、戦争は絶対無くならないし、一見平和だと思うのは、偽りのものであって、どちらかが、我慢をしたり、無理矢理、形だけの平和を、保たされているにすぎない。
もし、本当に人と人とが、対等で、正直に、自分の考えを表現したいと思ったら、必ず、ぶつかるはずである。
それを避けて、当面平和を維持しているように見えても、それは、表面的なものであろう。
しかし、価値観の少しずつ異なる複数の人間がいる場合、リーダーは、偽りであっても、平和であることを第一に考えるので、時としてそこからはみ出す人間も、当然出てくる。
もしリーダーが、一人一人を大事に考えるなら、それぞれが抱いている考えの違いを、よく聞いて、みんなの問題として、考える方法を採るであろう。
しかし、それを、煩わしいとだけ感じ、問題が表面化せずに、平和を保つことだけ考えるなら、はみ出した人間を、有無をいわさず排除して、何事もなかったように、蓋をしてやり過ごす道を取るであろう。
それが、老獪な大人の知恵というものかもしれない。

明日から9月、別のホームページを、新しいサーバーに作り、3ページばかりアップした。
今までのファイルから、大事な物を移し、少しずつ新しいページを、加えていくつもりである。
今月最後の日記、いささか感情にすぎた。
これがあることで、私は救われている。
抽象的にしか、表現できなくとも、心ある人が、感じてくれたら、それでいい。
もう秋、「誰もいない海」でも、口ずさむことにしようか。

2002年08月31日 16時22分41秒


朝顔
2002年08月30日(金)

朝顔や想いの丈は測られず   みづき(8月11日江ノ島)

今朝、夫が大学病院に行くので、珍しく早起きした。
雨戸を開けると、南南西に向いた窓の傍に、朝顔が二十輪ほど開いている。今まで、あまり気づかなかったのは、起きるのが遅かったからだろう。
ついでに、ほかのところお調べてみたが、私の書斎の窓の下に、赤い花が二輪ほど。
南南東に面したベランダは、ちょっと勢いがなくて、ブルーが三輪。
ここは、上に大きな樹があるので、日当たりがよくないせいだろう。
しかし、蕾がたくさん付いているので、これから咲くかもしれない。
同じ頃に、まいた種が、いろいろの条件の違いで、開花に差がある。
色も、ブルー、赤、紫、絞りといろいろ蒔いたが、あまり計算せずにやったので、見た感じがよくないが、来年の参考にする。
朝食の支度をして、テーブルにつく前に、夫にデジカメで朝顔をとってもらう。
うまくとれたら、ホームページを飾りたいと思う。

昨夜、ホームページの改造に取りかかったが、ディスクと、ネットの具合が、あまりよくないので中断。
ソフトの中の原稿作成のみで終わる。
なにを表示し、なにを非表示にするかが、思案のしどころで、考えあぐねている。
とりあえず、今アップされているものと同じようなページを別サーバーに作り、公開用」と「非公開用」に分けてみる。
作ったファイルは、みなとってあるので、表示の問題のみだが、アップロードの方法にわからないところがあり、ソフトのメーカーに、問い合わせているところ。
新しく作るページには、いままでのものの一部に加えて、介護の問題を考えるページを入れるつもりである。

今日は、昨日に次いで暑くなりそうだ。
家事を能率よく片づけ、美容院に行かねば。
来週はじめは、佐渡に行く。楽しみである。

2002年08月30日 08時56分29秒


ホームページの作り直し
2002年08月29日(木)

昨日、信州から東京に帰ってきた。
ひと頃に比べて暑さは和らいでいるようだが、やはり高原とは違い、今日は少々蒸し暑い。
風はあるが、さわやかとは行かない。
なんだか、ずいぶん久しぶりの暑さのように感じる。
出先では、思うようにインターネットが使えず、メールの返信などもそのままになっていたので、帰ってから、早速、返信。
元々私は、メールの送受信は少ないので、頂いたら、なるべく早く返すのを原則としている。
今日は、私のホームページを見てくれている人から、メッセージがあった。
社会的な広がりのない私の日記なども、読んでくれる人がいるのは嬉しい。
ひと月前、私のホームページに関して不快なことがあり、いっそ閉じてしまおうかとさえ思った。
でも、こうして、少ない数ではあるが、好意を持ってみてくれる人があることを考え、また、私自身も、せっかく一人で、半年がかりで、ここまで作ってきたのだからと思い直し、ページ全体を、この際、編成替えすることにしたのだ。
イヤなこと、それにからむ人間たちのことは、もう考えないことにした。
けろっと、何もなかったようには行かないだろうが、メソメソ嘆いても仕方がない。
所詮、偏見と悪意のあるところに、何かを求めるのは、無理なのだから・・。
折りも折り、だいぶ前にリンクの依頼をしたまま忘れていたサイトから、「掲載しました」との知らせがあり、もはや自分の感情だけで、簡単に消すことも出来ないなと悟った。
当初、私はホームページを、自分のメモ代わりに考えていて、サーバーに置いておくのは、銀行の貸金庫のようなもので、時々、取り出して、一人で愉しんでいれば十分と、思っていた。
でも、コンテンツが増えるに従い、自分だけで見ているのは、物足りなくなってきたのである。
さらに、連句のボードを設けてからは、連句関係のページだけは、関心のある人に、なるべく多く見てもらいたいと思うようになった。
しかし、世の中には、いろいろな人がいる。
こちらの考えが、そのまま受け入れられるとは限らない。
「坊主憎ければ袈裟まで」という言葉があるが、「あの人が作ったホームページなんか、見たくもない」という人がいてもおかしくない。
ネットは、虚構の世界、削除も、アップロードも、一瞬のうちに出来てしまう。
人間の気持ちより重く見ることはない。
ファイルは、保存しておけば、いつでも復帰が可能だが、傷付いた人間の心は、簡単には元に戻らない。
インターネットは、人間関係を豊かにするためのもの、それが大きな顔をしてのさばるようになったら、捨てた方がいいのだろう。
そう思いつつ、ホームページの更新に取りかかったところである。

2002年08月29日 20時09分10秒


風の音
2002年08月27日(火)

木々の間を抜ける風の音を感じながら、持ってきた本のうち、三冊を読む。
高橋治「ひと恋ひ歳時記」、これは「俳句」という雑誌に連載されていたもの。
大庭みな子「楽しみの日々」、六年前脳血栓で倒れた作家の闘病とリハビリの日々を綴ったもの。
久世光彦「薔薇に溺れて」、この人の本は、車谷長吉と共に、愛読している。
それぞれ、興味深く、面白かった。
先月見た井上ひさし芝居「太鼓たたいて笛ふいて」のなかに、藤村の「新生」に絡む話がでてくる。
これは、今まで読んでないので、持ってきたが、ちょっと時間がない。
上九一色村にゴルフに行っていた夫が帰り、静寂は破られた。
明日、掃除をして、東京に帰る。雨になるとの予報である。

東京に帰ると、懸案事項がいろいろ待っている。
まずホームページを作り替える。
佐渡の小旅行。
深川の連句の会、俳句文学館の連句の会に行く。
短歌十首送る。
漱石「夢十夜」についての講座を聴きに行く。
初台に、オペラを見に行く。
小田急沿線の連句の会に行く。「いらっしゃい」と言ってくれるところを大事にしたい。
その合間に、夏物をしまい、暑さを理由に怠けていた家の中の整理整頓をする。
そろそろ、万一の時に備えて、身辺整理も、ボツボツ。
両親の顔も見に行かねば。
これだけのことを、九月中に全部出来るかどうか、自信がない。
パソコンの前に坐る時間を、今までの半分にするつもりだが、どうなるか。
この一ヶ月、私にとっては、大事なものをなくし、人に裏切られたつらい日々だった。
でも、時間の経過のすばらしさ!そして自然の治癒力!
ほんの少しばかりだが、森が癒してくれた。
ともあれ、季節は確実に、秋になってきている。

2002年08月27日 21時56分51秒


夏の終わり
2002年08月26日(月)

今回の森の生活も、四日目。
昨日から、良い天気になり、日中は、太陽の下では暑いほどである。
昨日は、近くに来ていたY子さんが、こちらに寄ってくれることになっていたので、夫と共に、八ヶ岳農業学校に、迎えに行った。
ここは、学生が作った新鮮な野菜、果物、花などを、大きな売店で販売もする。
日曜日ということもあり、沢山の人達だった。
そこで、お仲間と別れたY子さんを乗せて、いったん我が家に落ち着き、あらためてドライブに出かけた。
湖のそばのレストランで昼食。
それから「マリー.ローランサン美術館」に行く。
白とグレイ、黒を基調にした作品を、テーマにしていた。
併設の野外彫刻も見て回る。
一番暑い時間で、すこし疲れたので、ほかには行かずに帰る。
夕飯は、家庭的なカレーライス。
巨人戦が気になる夫はテレビにお引き取り願って、Y子さんと私は、連句両吟を開始。
野外彫刻の中に、北村西望の作品がたくさんあったが、発句が刻まれた碑があったので、それをもらって脇起二十韻をはじめる。
打ち合わせもしなかったのに、2人とも、歳時記を持ってきていたのは、かなりハマッているというべきか。
夜10時。連日あまり寝てないというY子さんがコックリをはじめたので、半分で中断する。
今朝、夫は、一泊どまりのゴルフに出かけた。
朝食のあと、Y子さんと昨日の二十韻の続き。昼過ぎに終わった。
3時過ぎ、帰る彼女を散歩がてら、離れたバス停まで送っていった。
中央線特急は、幸いガラガラで、無事帰宅したそうだ。

たった1人になると、周りに、ほとんど人がいないことに気づく。
改めて、森の夏は、終わったのだという感じがする。
数日前から、隣のうちに、主の車があるくらいで、道を通る人もいない。
井上ひさし「わが友フロイス」を読む。
短歌の締め切りが迫っている。
前回は、とうとう欠詠してしまった。
連句の頭を、切り替え、これから31文字に、取り組まねば・・。

2002年08月26日 23時49分12秒


森の秋
2002年08月25日(日)

森は秋を迎えようとしている。
昨日はかなりの雨、今日も、朝のうちは曇っていて寒かった。
「紅葉しかかってる樹があるよ」と、家人が教えてくれた。
夏休み最後の週末と、テレビがさかんに言っている。確かに、来週の土曜で8月は終わりだから、そういうことになるのかも知れない。
夏の間だけ走る巡回バスも、明日で終わる。
明日、たまたま近くに来ているY子さんが、うちに来ることになっているので、今日は掃除や買い物。
最近、怠けていたので、久しぶりの客迎えのための、窓拭きやら、押入の整理などに精を出した。
以前は、来るたびに、念入りに掃除したものだったが、だんだん横着になる。
20年以上経過して、この山荘も、大分古くなった。
もはや木の香りもしなくなったが、外側の塗装、敷地内の樹木の枝落としや、草刈り、屋根の掃除などは、業者に頼んでいる。
10月半ばになると、水が凍るので、水抜きを頼んで、春まで、閉荘する。
来年は、インターネットも使えるようになりそうなので、夏は、なるべくこちらで過ごしたいと思う。

家人が、ホームページを全面的に変える準備をしている。
今までのサーバーにあるスペースを、95パーセント使ってしまったので、別のサーバーに変え、そこからリンクするやり方をすべく、作り始めている。
そこで私も、ホームページを、編成し直すことにした。
関心のある人に、なるべく多く見てほしい連句部門は、今までのまま置いておく。
それ以外の、「虚」の部分は、メビウスのかなたに、アドレスを移すことにした。
顔も名前も知らないから「虚」の世界を愉しめるのだが、いつの間にか、顔見知りの観客が増えてきた。
面識のある人のホームページを見る場合、暗黙のルールがあると思う。
「見てますよ」と、明言して訪問し、時には、感想やアドバイスを述べたり、参加型のものなら、積極的に参加する。
もう一つは、黙って見る代わりに、内容その他について、一切批評がましいことはせず、見ていることさえ伏せて、完全に「実」の部分と切り離した態度を貫く。
実生活の場で、話題にしたり、勝手に他の人にアドレスを教えたりしないのは勿論である。
どちらも私にとって、大事なお客さんである。
しかし、時に「虚」を理解しない人が、私のページの「その部分」を見た場合、現実との落差というのは、「有害」でしかないかも知れないので、目に触れないように、配慮すべきだと思ったのである。
これは、じつは皮肉であって、本当は、イヤなものは見ない自由があるはずなのだ。
それを、こっそり覗いているくせに、バツの悪さを隠そうとして「見せる方が悪い」などと、人のページに、ケチを付ける。
そういう観客は、ご遠慮願いたいからである。
ネット上でだけ知っている人は、そんなことはない。その方たちには、メビウスのかなたのアドレスを、ご案内すればよい。
東京に帰ったら、早速取りかかる。楽しい作業になるだろう。

2002年08月25日 01時12分25秒


かはたれどき
2002年08月22日(木)

この数日、涼しい日が続く。
先日の台風が、熱気を運び去ってくれたのだろうか。
夕方、シャワーを浴びて、いい気持ちになったので、ちょっと歩きたくなった。
暑いときは、あまり外を歩きたくないので、少し運動不足になっている。
連れ合いが「ソバを食べる会」というのに出かけたので、夕飯を作る手間が無くなり、それなら、散歩がてら、普段は自転車で行っているスーパーまで、歩いていこうという気になった。
片道1キロほどの距離である。
途中の郵便局にも、投函したいものがあった。
6時、まだ明るいが、すぐに日は暮れる。
黄昏時である。
郵便局に行くと、手前の市役所の中庭で、なにやら賑やかな音。
見ると、音楽に合わせて、阿波踊りの練習をしているのだった。
20人ぐらいだろうか。
テープの笛や太鼓の音に合わせて、輪を作って動いている。
そういえば、毎年、駅前の大通りで、阿波踊りがあり、町内会や、いろいろなグループで、踊りを競うのが、この10年ばかりの行事になっており、結構盛んなようである。
中庭で練習していたのは、市役所の若い職員らしい。
立ち止まって、少し眺めてしまった。
郵便物を出し、そのままスーパーに行き、自分一人用のいなり寿司など買い、外に出ると、すでに日は暮れていた。
市役所の中庭では、薄暗いなかで、まだ練習が続いていた。
ライトアップの設備はあるはずだが、市民の非難を恐れてか、明かりは付けないのである。
もっと堂々と、通りがかりの人たちも呼び込んでやればいいのにと思いながら、通り過ぎた。
湯上がりの体を、スーパーの冷房に冷やされたためか、少しのどが痛い。
夜更かしが続いている。今日は、早めに寝るとしよう。
明日から、また信州に行く。

2002年08月22日 19時48分28秒


台風一過
2002年08月20日(火)

日曜日、台風が来るというので、高速道路が閉鎖になっては大変と、予定を早めて帰ってきて、すぐに雨になった。
そのまま、昨日一日、風も吹いて、結構な降りだったが、今日は、快晴。
暑さも和らいで、秋らしい一日だった。
まだ8月だが、歳時記は、初秋である。
大洗濯をしながら、初秋の句でも一句ひねりたいところだったのだが、どうも、日常から、飛躍するのが、私は下手なようである。
ひょいと、神経を、どこかに飛ばせる遊び心がないと、洗濯しながら一句という具合に行かない。
あきらめて、庭の朝顔の様子を見に行った。
紫と、青、それに絞りの入った赤が、少しばかり咲いているが、蔓の伸びばかりが勢いある割に、花が今ひとつ。
「先の芽を少し摘まなきゃだめだよ」と連れ合いが言うので、そのようにする。
ベランダに張ったネットに、蔓が絡み始めているものの、まだ、蕾が見えない。
鉢に、輪をかけた方は、花が咲きそうである。
朝顔の時期というのは、いったい何時なのだろう。
熟年の人たちがやっているホームページの中には、花の写真が、載せてあるものがある。
写真自慢が多いようだ、季節季節の花を、大きな画面いっぱいに、載せて公開している。
時々、覗かせてもらって、愉しんでいる。
そして、礼儀として、そのサイトに掲示板があれば、「見せていただきました」とひとこと、ご挨拶をしておく。
昨日、見つけたある女性のホームページには、芙蓉の花が、まるで浮き上がってくるように、見事にページを飾っていて、思わず見とれてしまった。
5日ごとに、写真を換えるのだという。
これから、ちょくちょく、訪問して、花を愉しませていただこうと思う。
心が傷を受けたとき、いやしてくれるのは、こうした花と、美しい音楽である。

2002年08月20日 21時08分42秒


ソンな性分
2002年08月18日(日)

女と生まれたからには、愛嬌があって、上手に人に甘え、この人のためなら何でもと、思わせてしまう可愛さがあれば、絶対トクである。
そうしたことと、およそ正反対の私は、今までの人生で、ずいぶんソンをしている。
いや、ホントにソンかどうかはわからないのだが、なぜだか知らないうちに、損な役回りにまわってしまうことが多いのは確かである。
子どもが小学生の頃のこと。
父母会があり、出かけていった。
まず教師が、学校側の連絡や、必要なことを言ったあとで、「お母さんたちの方から、学校に対して、何かご意見はありませんか」と言った。
そういうとき、母親たちは、黙っていることが多かった。誰かが、何かを言えば、それについて、コメントをするが、自分の意見を、サラの状態で表すということをしないのである。
今の親たちは、たぶんこんなことはないだろうが、二昔も前の母親たちというのは、おおむねそうだった。
意見がないというより、人前で、意見を表明したくないのである。
それなら、終わりまで何も言わないでいるかと思うと、帰りの下足箱の前などで、言い始めるのである。
こんなことは、百害あって一利ない。
そこで、ある時「皆さん、意見があったら、ここで言いましょう」と、私が口火を切って、教師の訊きたいことを、みんなで、つぎつぎにはき出したと言うことがあった。
教師は、「今日は、お母さんたちの忌憚ない発言が訊けて、とても有意義でした」といい、その日は無事に終わった。
ところが、しばらくして私の耳に入ってきたのは、私が、母親たちを扇動して、教師に迷惑をかけたという言葉だった。
みんなが黙っているから、きっかけを作っただけなのに、それが、なぜ、「扇動」だの、「迷惑」になるのか。
これは一つの例だが、私は、なぜか、いつもこういう羽目になるのである。
みんなが、心の中で思ってはいるが、表に出しにくいということがあって、私も同じ考えだというとき、本当は、誰かが言うのを待っていれば、いいのかも知れない。
しかし、後先考えずに、口に出してしまうのが、私の浅はかなところである。
そしてその結果、口に出した私が、全部罪をかぶることになって、黙っていた人は、何も責められずに済むのである。
だから利口な人は、私のようなおっちょこちょいをうまく使って、自分は傷つかずに、言いたいことを人に言わせ、思ったことを成し遂げるのである。
結果が悪い場合は「私、何も言ってません」という逃げ口上を、ちゃんと用意してある。
そして、ひとり悪者になってしまうのは、いつも私である。
こうしたことで、今まで、どれほど悔しい思いをさせられたかわからないが、神様は、必ずしも不公平ではない。
ほんの一握りではあるが、理解者を付けていて下さる。
時々、自分で、イヤになることがあるが、ソンな性分は、たぶん一生ついて回るのだろう。

2002年08月18日 15時52分42秒


森の中で
2002年08月17日(土)

森の中での、静かな生活も五日目。
昨日あたりから、高速道路の上りが、混み始めているらしい。
台風が、近づいているというので、明日の昼頃に、帰ろうかと話している。
東京で、パソコンのコンセントを抜かずに出て来てしまったので、雷などが来ると、ちょっと心配である。
この辺の人口は、七月半ばから、八月半ばまでがピーク。
ひところは、子どもの声が聞こえたり、若い人達の、はしゃいだ様子が、窺えたが、だんだん静かになってきた。
いわゆる観光地から、大分離れているため、あまり、騒々しい雰囲気はなく、外からの侵入者もほとんどないので、静謐を保っている。
車がないと、どこにも行けないという、不便さも、俗化を防ぐ要因になっているのだろう。

息子が結婚した夏、若夫婦を呼んで、二日ほど一緒に過ごしたことがあった。
ところが、息子の妻には、どうもお気に召さなかったらしい。
彼女は、都会的、人工的なものが好きなのである。
私が、ここで10日ぐらい、たったひとりで過ごしたことがあると言うと、「まあ、こんなところで、何をしてらしたんですか。さぞ退屈したでしょうに」と、半ばあきれたらしかった。
そして、息子の車で、湖や、土産物屋や、リゾートホテルで食事したりと、あちこち走り回って帰っていった。
それから、二度と来るとは言わない。
息子の話によると、彼女は、虫、鳥、小動物、草、木などに、全く関心がなく、人のいないところで、終日何もしないでじっとしているなどということは、耐えられないそうな。
息子のほうは、高校から大学にかけて、友達を誘って、よく、ここへ来ていた。
しかし、今は、自分の妻の好みに合わせて、たまの一緒の休暇は、ヨーロッパ旅行などに出かける方が多い。

不況が長く続き、リストラや、経費節減で、人手を減らした分、現役の人達の仕事量が増えている。
三十代四十代が、過酷な働き方を余儀なくされている。
息子たちの年齢が、それに当たる。
あんなに働いて、命を縮めるのではないかと、気になる。
そんな中で、時折、「元気?」なんて、電話がかかってくる。
私は、「体に気を付けてね」としか言えない。
私達の寿命が、すこしぐらい短くなっても良い。
若い人達に、もう少し、人間らしく、心豊かに生活させてやりたい。
年寄りの智恵、老獪さは、あるところでは必要かも知れないが、このごろ私は、未熟でも嘘のない、若い人の純粋さを、むしろ愛しく思っている。

2002年08月17日 17時05分46秒


高原の夏
2002年08月15日(木)

一昨日から信州に来ている。
連れ合いのほうは、先週から東京の暑さを抜け出して、早々とこちらに来た。「浮き世の義理」の合間を縫ってである。
私にもそれなりの「浮き世の義理」があって、酷暑の東京で1人、過ごしていたのだが、今度「浮き世の付き合い」がひとつ減ったので、超満員の特急「あづさ」に乗り込み、避暑地の住人になったのだった。
連日34,5度の暑さが続いていた都会から来ると、ここの空気は、ひんやりしていて、白樺の木々のあわいを縫って吹き抜ける風が、何ともさわやかである。
窓を開け放つと、蜂や虻まで、うち中を駆け抜ける。夜は、台所でコオロギが、歩き回り、玄関の外では、火取り虫が、灯りを目指して、戸を叩く。

戸を叩く旅人なりや火取り虫

5,6年前までは、北沢美術館や、マリーローランサン美術館などに、よく出かけたものだった。
北沢美術館には、エミール・ガレの作品があり、ローランサンも、初期の頃の佳いものがある。
でも最近は、ほとんど、出歩かずに、風の音、鳥の鳴き声を聞きながら、静かに過ごすことが多い。
今日は、朝から、少し曇っていた。
食料がなくなったので、駅近くのスーパーに行き、野菜、果物、豆腐など、3日ぐらいの量を買い込んで、戻ると、しばらくして、雨になった。
諏訪湖で、今夜は、花火があるはずだが、どうなることか。
高原の雨は静かである。
土の中に染みていくような柔らかな音を立てて、降る。
さっきまで、きれいな声で鳴いていた駒鳥らしき鳥も、木の間に潜んでしまったと見え、静かになった。

連れ合いが、古いノートパソコンを持ってきていたので、自分のホームページの、気になるところだけ、、覗いてみる。
ブロードバンドに馴れた身には、ダイヤルアップは、もどかしい。ここには、まだ、インターネット環境は整っていない。
時間を気にしつつ、まめに接続を切ったりしながら、見るが、書き込みまでは出来ない。
それでも、連句の付け合いは、矢張り、入力してしまった。
この日記、メモ帳にオフで入力してから、コピー、張り付けで、送信するつもりだが、うまくいくかどうか。
なにも、こんなところまで来て、インターネットをやることはないのにと思いつつ、私も、かなり、ネット中毒に、侵されているのかも知れない。

人間くさい生活の中で傷ついた心が、ここで少し癒されると良いのだが・・。
今日は、終戦の日だった。

2002年08月15日 17時05分05秒


紳士の条件
2002年08月12日(月)

紳士の国なんて言われた英国でも、ジェントルマンという名に値する男は、いまや全体の1パーセントくらいだとか。
ということは、1パーセントのジェントルマンがいれば、紳士の国といわれると言うことだ。
ということは、日本には、ジェントルマンは、ほとんどいないということかも知れぬ。
こんなことを言うと、「日本には、レディの名にふさわしい淑女はいない」などと、男性から反撃をくらいそうである。
本当は、そんな統計的なことはどうでもいいのである。
先日、私は、あるところで、ジェントルマンとは、お世辞にも言えない男と、席を同じくした。
それは、新宿のカルチャーセンターの流れで、お開きの会があり、偶然同じテーブルに座る羽目になった、ある男のことである。
はじめは、そのテーブルを囲んだ5,6人は、お互い名前も素性も知らないので、それなりに、「気取って」話をしていた。
前の日記で「気取り」について書いたが、私は、よく知らない人たちの間では、「気取り」は、大事なことだと思っている。
適度の遠慮、言葉遣いも含めた礼儀は、欠かせないし、いろいろな配慮も必要で、大人であれば、当然のことだ。
その席でも、当初はそうだった。
ところが、だんだん話が弾み、それが趣味の分野での集まりだったこともあって、次第にうち解けてきた。
戦争の話になって、私の斜め向かいにいたその男が、私と、同年代ということがわかった。
そのことで、急に親しみを感じたらしく、男の言葉が、だんだん崩れてきた。
もちろん、私とだけ話していたわけでなく、その席には、男の仲間の女性も2人いて、はじめから親しく話していた。
私には、少し遠慮がちだったのが、同世代とわかって仲間意識が出たらしく、友達感覚になったらしかった。
それはまあ、いい。
いつまでも気取ることはない。
共通点があるなら、それがきっかけで、話が弾むというのは、自然なことである。
ところが、ついでに遠慮もなくなったらしく、私のメールアドレスを訊き、私が、黙っていると、今度は、名前を聞いてきた。
三日間の講座で、同じ教室にいたというだけで、名前や、メールアドレスなど、教えるつもりはないので、それも、無視した。
こちらは、礼儀正しく「さあ、誰でしょう」と冗談めかして、相手がばつの悪い思いをしないように、配慮したつもりだった。
すると男は、何を思ったのか、わたしに向かって「まさか、大物政治家のコレではないでしょうね」といって、小指を一本立てて見せたのである。
この種の言葉が、女性に対して、いかに礼を失しているか、女性なら、誰でも知っている。
男の仲間の女性が、「失礼よ」とたしなめ、私は、怒るよりも呆れてしまい、「あら、色っぽいショーバイに間違えられたのかしら」と、軽く受け流したが、心のなかの不快さは、如何ともしようがなかった。
そんな男が、カルチャーセンターの詩の講座に、通っているというのである。
不作法、デリカシイの無さ、どこぞの有名大学を出たらしいが、それで、どんな詩を書くというのだろう。
ところが、自分では、失礼なことを言ったという感覚は全くないらしく、けろっとして話を続けたばかりか、頼みもしないのに、私に名刺をくれて、メールアドレスなど書き込み、「お待ちしてます」なんて言ったのである。
この鈍感さ!
私は、どこかの国の県会議員ではないから、名刺を折ったりせず、礼儀正しく受け取り、帰りの駅のそばのゴミ箱に、放り込んでやった。

2002年08月12日 23時01分26秒


気取る
2002年08月09日(金)

私は、女子校育ち、思春期を、異性の目を気にしない中で、のびのび過ごした。
女だけの社会では、当然のことながら、長も副も女、力仕事も多少危険なことも、全部自分たちでやる。
もちろん、性格は、様々。積極的で、リーダーシップがある人、大人しく、人の中で目立たずにいる方が合っている人、いろいろいたが、共通しているのは、割合本音で、ものが言えることだった。
もちろん、仲違いやイジメもあったが、異性を巡るトラブルが皆無だったのは、女子校だから当然である。
ススンでいる子は、校外で、ボーイフレンドと付き合っていたが、こっそりカレの写真を持ってきて、親しい人たちの間で見せ合う程度、大多数は、映画スターに熱を上げたり、若くすてきな男の先生が入ってくると、ちょっとざわざわしたり、今思うと他愛ないものだった。
デパートに寄り道するのに、親からの願い書を、学校に出さねばならないくらい、一面では厳しかった。
私が、社会に出て一番驚いたのは、女性の中で、同性だけでいるときと、男性が混じっているときと、違う態度をとる人がいることだった。
学校時代には、まず、見なかったことだった。
女同士は、お互いをすぐ見抜くので、気取っていても、バレる。
自分をさらけ出さねば、本当の友達は出来ないし、信頼も湧かない。
「気取り」がないというのが、女同士の付き合いの真髄で、そういうところに、気取りを持ち込む人は、「フン」と、内心軽蔑されてしまう。
ところが、男を含む場では、この「気取り」というのが、オンナの武器として通用するのである。
みんなの話を黙ってきいていて、別のところで、自分の話にすり替えてしまったり、男にミステリアスな魅力と錯覚されて、妙にもてるのも、この種のタイプ。
そして、このタイプは、女だけの集まりが嫌いである。
そこでは「気取り」が通用しないことを知っているし、自分が、同性の間で、どんな風に見られているかを、うっすらと感じていて、居心地が悪いからである。
女も男がわかっていないが、それ以上に男は女が分かっていない。
そして、それを本能的に察知する女にとって、男をだますのは、わけのないことである。
同性に信用のない女は、その武器で、男に近づき、結構自分の城を築いている。
礼儀正しく、決して、あからさまに表明はしないが、心ある女たちは、この種の女を、同性を裏切る敵と思っている。
「わかっちゃいないんだから」と、悪口を言いながら、モテない女同士は、ごまかしのない友情をはぐくんでいる。
本当に支え合えるのは、同性の友達だと言うことを、よく知っているからである。

2002年08月09日 09時23分55秒


「物語」の物語
2002年08月08日(木)

昨日は、井上ひさし「太鼓たたいて笛ふいて」の千秋楽。
新宿サザンシアターで。
初日に見て、2度目である。
同じ芝居を繰り返して見る利点は、いくつかあるが、今回も、2回見てよかったと思った。
戦後6年して、47歳で急死した林芙美子の物語である。しかし、芝居は、女流作家の一生を追ったのではない。
この芝居のキイワードは、「物語」。
「戦争は儲かる」いう物語を、国家も、国民も信じ、「物語」の先頭に立って、太鼓をたたき、笛をふいていた作家の、魂の再生がテーマである。
語られていることは、60年も昔のことであるが、今の、たとえばアメリカの社会に、昨年の秋以来蔓延しているであろう、現在の「物語」でもある。
初日には、よく分からなかった「物語」の細部が、見え、聞き落としていたセリフが、よく耳に入り、大変よい席に恵まれていたこともあって、役者の熱気と迫力が、伝わってくる、舞台だった。
芝居の物語は、昨夜、終わりを告げたが、「物語」は、さらに続くのだろう。
目に見えない、いろいろな形をとって。

2002年08月08日 09時13分47秒


愛逢月
2002年08月07日(水)

暦の上では立秋。
愛逢月という、美しい名前も持つ。
でも、実感としての夏は、まだまだたけなわ。昨日は、39度と言うところもあったそうな。
新宿の高層ビルのあたりは、昼下がりに、42度に達したと、テレビが伝えていた。

昨日の夕方、庭の水撒きをしていたら、土に穴がぼこぼこ開いている。蝉が生まれたときの穴である。
蝉が生まれるまで7年、じっと地中で、そのときを待っていたのだろう。
地上に出て一夏の短い命。
そして7年後には、また新しい命が生まれ出てくる。
自然の営みの確かさ。
私は、ペットとしての動物はあまり好まないが、自然の中に生きる生き物は好きだ。
テレビの動物番組はよく見る。
まだ人間の手が余り入っていない、アフリカや南米の奥地などに住む生き物は、ちゃんと自然のルールに従って、命を受け継ぎ、子どもを育て、役目が終わると、静かに命を閉じる。
その厳かなほどの、生き物の一生を見ていると、人間は、一番愚かで、自然の倫理に逆らった生き方をしているように思えてならない。

庭に来る野鳥は、今が子育ての時。
親鳥の呼び声につられて、小さな子どもの鳴き声が混じり、うちの庭の木や草、土に潜んでいる虫などを見つけ出して、賑やかな食事を愉しんでいる。
庭には、欠けた土器の皿にいつも水を張っておく。
鳥にとって、猫は天敵なので、近所の猫が入ったときは、見つけ次第追い払う。今までに、何羽も犠牲になっている。
時々猫が、野鳥のための水皿を、ピチャピチャ舐めていることがある。
「おうちに帰りなさい」と言って、お引き取り願う。
近隣は、犬猫派と、犬猫拒否派とに2分されていて、水面下の争いがある。
ペット好きの共通点は、他の人もみな、犬猫が好きで、こんなかわいいものを拒否するのはおかしいと、思っているらしいことで、そうでない人を、天敵のような目で見るのである。
私は、犬猫そのものより、そうした飼い主の思い込みが嫌いなのである。そして、人間の飼っている動物は、不思議なほど、飼い主に似る。
教養のある人の犬は、やはり教養があって、やたらに人に吠えたりしないし、いい目をしている。

子どもの頃、私は、猫と一緒に寝るほどの猫好きだった。
しかし、今の家に住むようになって、猫嫌いになった。隣近所の猫たちとその飼い主の、あまりの不作法に、辟易しているからである。
ひと頃、猫たちのフン害に悩まされて、何とかしてほしいと、言ったことがあった。
「うちの猫のものだったら、片づけに行きますから、言ってください」なんて、言うが、現実に、フンの主まで、こちらが見極められるはずがないではないか。
猫が侵入しないやり方を、いろいろ試したが、どれも、効果はあまりなく、猫を放し飼いにしない法律でも、出来ないかと、思っているところである。

今日も暑そうだ。
連詩の講座を受けに新宿まで。
夜は、そのままサザンシアターの、井上ひさし芝居を見に行く。

2002年08月07日 10時25分18秒




蝉時雨
2002年08月05日(月)

このところ、時々雷雨がある。
そのたびに、暑さが和らぐように思う。
雷雨が来る前に、蝉の鳴き声が、ひときわ激しくなり、いっとき続く。
蝉に限ったことではあるまいが、自然の生き物は、天変地異を、察知する能力があるらしい。
人間も、たぶん、もっと素朴に生きていた頃は、そうした、神から与えられた力を持っていたはずである。文明が、人間を、ひ弱にしてしまったのだろう。
よそに言って、「暑いですね」というと、さっと冷房を強めてくれる。こちらは、季節の挨拶のつもりで言っているのに、受ける方は、自然の暑さも自分の落ち度とばかり、機械で、補おうとする。その心遣いに感謝しながらも、うっかり時候の挨拶も出来ないなと思う。
冷房も、はじめは、涼しくてホッとするが、少し経つと、手足がじわじわと冷えてきて、そのうち、頭が痛くなる。人間の体は、汗をかくように出来ているのに、過度の冷房は、汗腺を塞ぎ、新陳代謝を悪くするので、健康上、いいはずはない。
それでも、冷房無しではいられない人が多いと見えて、その放射熱で、アスファルトは焼け、オゾン層は、熱気に包まれて、地球の温度は、年々上がりつつある。
夏の外出がおっくうなのは、どこに行っても冷房があるからで、真夏だというのに、体を守るためのショールや、上着を持って出ねばならない。
室内と、外気との落差も大きいので、年とともに、体の切り替えが難しくなる。
うちでは、冷房は、湿度を落とすことにもっぱら使い、温度は、28度くらいに押さえている。
湿気がないだけで、かなり不快感は和らぐ。

この1週間ほど、私の心は、剃刀で切られたようにズタズタになっている。
まだ、癒されていないが、全く関係ない人の明るい便りや電話をもらうと、ホッとする。
今朝も、ある人から「ホームページ見ましたよ」というメールが入っていて、嬉しかった。

今日は、高橋順子「連詩講座」に、新宿まで。
あまり暑くないといいのだが・・。

2002年08月05日 08時57分32秒


物忘れ
2002年08月03日(土)

自分の脳の中身がどうなっているのか、見たことがないので分からないが、たぶん、かなり、縮んでいるか、穴だらけか、どちらかだと思う。
人の名前、ものの置き場所、昨日の晩ご飯が何だったかということまで、すぐに忘れる。
何か用事があって、2階に上がる。
上がってから、その用事が何だったか忘れる。
このごろ困るのは、日時を忘れるようになったことで、せっかく買っておいた芝居や音楽会の切符を無駄にしたことも、この1年の間に2回あった。
決まったことは、大きなメモ書きのカレンダーに書き込んでおくのだが、それを見るのを忘れる。
人と約束しておいて、すっぽかしたことがやはり2度ある。
待ち合わせ場所から電話がかかってきて「待ってるんですけど」と言われ、あわてて駆けつけたことがあった。
相手は一人でなかったので、先に、行くべき場所に行ってもらって、現地で落ち合ったが、だいぶ悪口を言われたらしい。
そろそろキタかと、知能テストをしてもらったが、「数字と、図形が少し弱いです」と言われただけで、脳の精密検査も必要無しと、帰されてしまった。
電話で、何か誘われるのが、一番困る。
「x月x日はどうですか」と言われ、カレンダーに書いてないので、安心して約束をしたあとで、まだ書き込んでなかった予定があったことを思い出したりする。
あとで、断るのも、イヤなものだ。
そこで、最近は、電話で誘われたときは、いったん待ってもらって、あとから返事をすることにしている。
昨日、誘いがあって、9月半ばのことなので、今のところ空いているが、何かあるかもしれないので、後から連絡します、と応えた。
ひと月先の予定も立ってないのかと、相手はあきれたらしかった。
今日は、やはり、私の記憶違いで、先約がありながら、だぶってほかの予定を立ててしまい、迷惑を掛けることになってしまった。
こういうことが、重なると、少し、自己嫌悪になる。
あまり先の約束、予定は、原則立てないと言うことにしようかと思う。

そんなに、物忘れが多いのに、不思議と、人から受けた理不尽な仕打ちなどは、いつまでも覚えている。
故なく傷つけた相手を、私は忘れない。
かなり、執念深いのかもしれない。
自分が苦しむだけなのに、と思いつつ、いつまでも引きずっている。
1錠飲んだら、イヤなことは忘れ、いいことだけ覚えているという、便利な薬はないものだろうか。

夕べの雷雨で、少し暑さも弱まったらしい。今日は、ほとんどクーラーも掛けなかった。
私は、梅を干し、連れ合いは庭の草取り、平和で静かな一日だった。

2002年08月03日 21時50分28秒


昭和20年の夏
2002年08月01日(木)

先日新宿の本屋で、目にとまった一冊。
NHKテレビで、今月から放映される予定の教育テレビテキスト、「終戦日記を読む」という講座で、野坂昭如が、講師となっている。
著名人の日記、市井の1少女の日記など、日本人が書いた、終戦前後の日記を読みながら、戦争を考え、語り継ぐというもの。
興味深いので、買ってきた。

もうすぐ、8月6日が来るが、広島で、母方の叔母が原爆で死んでいる。
母の実家は、広島中島本町で、店をやっていた。
家族がみな、別のところに出かけ、たまたま、ひとりで留守番していた未婚の叔母が、従業員4人とともに、原爆の犠牲となった。
爆心地に近いところ、その辺で生き残った人はいない。
あとから、葬式をしようにも、どれが誰の骨とも分からないほどだったという。
終戦後の秋、母は、疎開先の、父の実家から、私を伴って、遅れた叔母の葬式に広島まで行った。
真っ黒に焼けただれた裸木、一面瓦礫の山となった駅前の風景、今でもよく覚えている。まだ、放射能が、残っていたかもしれないが、そんなことは、母も分からなかったであろう。

3年前、母を連れて広島に行った際、平和公園を訪れた。
母の実家のあった場所は、少女の像の近くである。そばにある、大きな土饅頭は、名もなく亡くなった、多くの人たちの骨が埋まっていると聞いた。
「日本人は戦争を伝えていない」と、野坂氏は書いている。
60をすでにいくつか超えた私が、やっとかすかに覚えているくらいの、戦争の記憶。
世代交代が進み、やがて戦争の生き証人は、いなくなってしまうだろう。
どんな些細な断片でもいい。書き残し、語り継いでいくべきではないだろうか。
無念の死を遂げた人たちのために。

2002年08月01日 23時31分15秒



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