沢の螢

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銀座今昔
2002年07月31日(水)

友人と銀座和光の前で待ち合わせた。
「暑いから、店の中でね」という約束に、私は、10分ほど遅れた。
あの辺の四つ角が、久しく見ない間に、様変わりして、やや迷ったこともある。
服部の大時計が見えないので、出口を間違えたかと思ったら、外側のお化粧のために、和光の正面が、すっぽりと、覆いが掛けられていたのだった。
ちょうど時分どき。
2年ほど前に入った、感じのいいフランス料理店に行くことになったが、その周辺に見当たらない。
探したが「どうも、なくなったみたいね」と、見切りを付けて、行きずりの店に入った。
銀座も、近頃は、あまり来なくなって、ちょっと間があくと、こんな風に、あったはずの店が、消えてしまったりする。
人通りも、ひと頃に比べて、少ないように思われた。
20代の中頃、私は、銀座7丁目にあった広告会社で働いていたので、銀座というのは、懐かしい場所である。
新入社員の頃は、上司が、昼ご飯を食べに連れて行ってくれたり、昼休みに、銀座通りのデパートをめぐったり、近藤書店や、日比谷近くの音楽喫茶で、人と待ち合わせたこともあった。
並木座という映画館も、よく行った。
新婚生活を送った麻布のアパートから、都電で銀座まで30分、有楽町のフードセンターで、食料品を買って、走って帰ったこともあった。
それらのことが、断片的によみがえって、一度も住んだことはないのに、ふるさとのような懐かしさがこみ上げてくる。
都電は、とっくに廃止になり、並木座も、今はない。
お茶を飲むために入った店で、「銀座百点」をもらった。
この小冊子だけは、ずっと続いているようだった。

2002年07月31日 00時58分03秒

土用干し
まだ8月になっていないが、ページが重くなったので、日記を更新する。
カンカンでりというほどではないが、うかうかしていると、機を逸してしまうので、今日は、梅の土用干し。
庭の梅を、中ぐらいの壺に塩漬けしてあったのを、2枚の竹笊に並べて、日の当たる庭先に干す。
これを三日繰り返して、梅干しが出来るはずである。
若い頃は、毎年、梅酒を造り、時々は梅干しも漬け、マジメに実行していたのに、近年、そうしたことを、トンとやらなくなってしまった。
今年は、いい梅の実が1キロほどとれたので、もったいないと、久しぶりに漬けることになった。やり方も忘れていて、本と首っ引きで、どうやら、カビも生えずに、うまくいった。
こんなことをしているときは、連れ合いは、機嫌がいい。
元々、古典的な世話女房好みの男である。
(少し心を入れ替えたか)などと、思っているのかもしれないが、どうしてどうして、そんな簡単なものではない。
梅干しが終わったら、見事に、元の不良女房に戻りますよ。あるじどの。

2002年07月31日 12時35分13秒


バッグの中身
2002年07月30日(火)

いつか見たテレビのバラエティ番組で、こんな場面があった。
ゲストの女優に、「ハンドバッグの中身を見せて下さい」といい、女優は、「あら、イヤだわ」とか何とかいいながら、ハンドバッグを開け、テーブルに中身を一つずつ取り出してみせる。
化粧品の入った小袋、財布、ハンカチや手帳、ペン、マスコットにしている小物、それらを、司会者が、あれこれ、冷やかしながら、吟味するという趣向である。
これは、予め、打ち合わせが出来ていて、バッグの中身といっても、人に見せてもいいもの、あるいは、むしろ見てほしいものだけを用意してあるのだろう。
司会者が手帳を開け、「オヤ、彼氏との約束は、どこに書いてあるんですか」などと、おどけていたが、そんなものは、はじめから、持ってくるわけはないのである。
「ほほう、xxブランドのハンカチがお好きなんですね」とか、「思ったより、現金持ってませんね」などといいながら、スタジオに来ていた見学者の反応を、みなで愉しみ、女優自身も、大げさなリアクションで、サービスしているのだった。

今年になって、ホームページを作ったとき、連れ合いが言ったことがある。
連れ合いは、昨年はじめにホームページを立ち上げ、すでに、50ページを超える量になっていた。経済、政治、社会の動きについての考えなど、、どちらかというと、堅い内容である。
はじめは、やはり、誰かに見てほしいと思い、知っているパソコン愛好者に声を掛けて、掲示板に書き込んでもらったり、反応があると、嬉しかったそうだ。
そのうち、どこかで検索するのだろうか、見知らぬ人の中で、いつも見てくれる人も、少しずつ出てきて、こちらからも、訪問するとか、パソコンを通じての、交流も出来てきた。
ところが、時々、困ったことが起きてきた。
何かについて、書こうとするとき、ときに、自分の職業体験を通じて、具体的な例を挙げた方が分かりやすいと思うことがある。
とこらが、それを読んだ知己の中には、「あれは、あの時の、あの人の、あのことでしょう」的な、事実解明の方に、関心が行ってしまい、自分の言わんとすることを、ちゃんと読んでくれないというのである。
もちろん、例として挙げてあることは、「あの時の、あの人の、あのこと」そのものではなく、第三者個人や事柄を、特定するような書き方はせず、普遍化して表現してあるのだが、事情を知る人が、そのつもりで読めば、現実にあったことを当てはめて解釈することは出来る。
見知らぬ人なら、表現されていることだけを、純粋に読んでくれるのに、なまじ顔見知りの人は、思い込みがあるから、難しい、「だんだん書きにくくなっちゃったよ」と、ぼやいていたことを覚えている。
そして、そういうことに気を遣って書いていると、どこか、蒸留水のような、味のないものになってしまい、せっかく今まで参加してくれた、ネット上の、見知らぬお客さんの足が遠のいてしまったそうだ。
「もうやめちゃおうかな」と言い始めている。
そういう経験があるので、私に「ホームページは、知っている人には、あまり、見せない方がいいよ」と、忠告してくれたのであった。
私のサイトは、連れ合いのホームページより、もっと個人的で、自分のバッグの中身を、そのまま見せているようなものである。
でも、そこにいるのは、現実の私ではない。
ホームページの中には、いろいろな場面が設定され、種々の人物が登場するが、それは「茉莉花の書斎」という、私の劇場の役者たちであり、あくまで私の作り出したものである。
現実の人間と、たまたま似た人が出てきても、「あのときの、あの人」ではない。
しかし、現実の私を知る人なら、そのような詮索は、可能かもしれない。
表現されたものを、虚構の世界のドラマと見て、愉しんでくれるか、たまたま知る下世話な事実に当てはめて考えるかは、読む人の、品性による。
私は、ホームページを、現実に私が属する世界の人たちには、よほど信頼できると、思った人以外には、見せない方針をとってきたが、ものによっては、多くの人に、見てほしいし、参加してもらいたいものもあるので、関係者に公開するうち、少しずつ、見る人が増えてきた。
ほとんどは、礼儀正しく、現実に会った場所でも、ホームページについては言及しないし、節度を心得て参加してくれて、有り難いと思う。
しかし、バッグの中身は、そうした礼儀正しい人にでも、見せずに、一人で取り出して、愉しみたいものもある。
そこで、今まで一元化していたページを、「公開したいもの」と、「しまっておきたいもの」に、分けることにした。

2002年07月30日 10時00分04秒




出逢いと別れ
2002年07月28日(日)

安室奈美恵が、離婚したというので、話題になっているらしい。
私は、最近あまりテレビを見ないので、この種の話題に疎くなっているのだが、今日の朝日に取り上げていたので、それで、アウトラインを知ることとなった。
この人は、確か、19か20の若さで、いわゆる「出来ちゃった結婚」をした。
年末の紅白歌合戦で、妊娠中の身ながら、ステージのトリをつとめていたことを覚えている。
ご亭主は、一回り以上も年上の人。やさしい笑顔の印象がある。
生まれた坊やと一緒に、何かのポスターに出ていた。
若い妻と、成熟したおとなである夫。
仕事を続けるカップルの、理想的な形でもあったらしいのに、結婚という枠には、はまらないものがあったようだ。
男と女が出会って愛し合い、結びつくのは簡単なこと。
別れることの方が、ずっと難しい。
争い、憎み合いながらの別れもあるだろうが、相手を思い、愛するが故に別れる場合もある。
二人でしか、分からない、いろいろなことがあったのだろうと想像する。
離婚は、安室の方から言い出したことらしい。
女というのは、妙に思い切りのいいところがあって、それまで、さんざん逡巡しても、いったんきめたら、決断も早い。
たぶん、彼女は、後ろを振り返らず、前向きに生きていくのだろう。
子どものこと、夫のこと、仕事のこと、そんなに簡単な決心ではなかったはずだ。
失うものの大きさを承知しながら、最後は、自分を選んだということだろうか。
時が経って、男と女を超えた人間関係を築くことが出来たら、すばらしい。

暑さは、ちょっと収まったような気もするが、やはり、暑い。
蓼科に行っている夫から、「こっちは、快適だぞ」と、電話がかかってくる。
二人の、日程が合わず、別行動になっていたが、そろそろ私も、暑い東京を脱出したい気分、一つ予定が減って、体が空いたので、今週末から、行こうかと思う。

朝顔は、だいぶ蔓を伸ばしているが、花の咲きは、今ひとつ。
梅も、土用干しせねばならず、2,3日、カッと照りつける日差しも、ほしいところである。

2002年07月28日 16時05分37秒


Mさんへ
2002年07月26日(金)

夕べは愉しい時間でした。
井上ひさし新作「太鼓たたいて笛ふいて」は、笑いと涙と、終わってからずしんと、重いものが残る、すばらしい舞台でした。
大竹しのぶはじめ、6人の役者も、初日の堅さと、未完成な演技が一部あったものの、大変な熱演でしたね。
ひさし作品は、初日の舞台が終わって、ホールで乾杯をするというので、お付き合いさせていただき、役者の一人からサインをもらったり、何人かの人のメッセージを伺ったり、舞台の興奮さめやらぬまま、暑さも忘れていました。
帰り道、舞台関係者が立ち寄るという飲み屋さんで、お話しすることも出来て、嬉しく思いました。
その際、「今日の芝居で、何を感じましたか」ときかれ、うまく応えられなかったことを、恥じております。
ひさし氏が芝居を通じて、訴えようとしているもの、私たちが、生まれる前から続いていて、今に繋がり、そして未来へ引き継いでいくメッセージ、どうしても伝えて行かねばならないことを、渾身の力を振り絞って、書いているのだと、仰いましたね。
林芙美子という、一つの時代に生きた女流作家の人生。
戦争を挟んだ時代の波と、時の権力に翻弄されながら、ある時、今まで信じていたものが、嘘であり、時代の作った物語の正体に気づく。
自分が、物語を作る側にまわっていたことも・・。
それからの彼女は、身を削るようにして書き続けますが、47歳という若さでの突然の死。
ほとんど芙美子の作品を読んでいない私には、理解の浅いところもありましたが、それを抜きにしても、時代の中に生きる個人の姿のありようは、充分感じるものがありました。
また、私のホームページを、見て下さっていて、有り難うございます。
日記について、「周辺のことより、もっと広く目を向けたらいいのに・・」といった意味のことも、仰いました。
私のつぶやきのような日記、ホームページに載せるからには、「財布代わりですから」という私の言葉も、いいわけに聞こえたかもしれません。
確かに、日記は、誰に向かってでもなく、自分自身の心の中を確かめるため、そして、そのことによって、自分を励まし、明日への生き方に繋げたいために書いているのですが、社会性がないという批判、その通りだと思います。
せっかく他者に向かって発信するメッセージ、身の回りの小さなことにとどまらず、社会に繋がることとして書けばいいのに、と、仰りたかったのでしょう。
ご忠告として、有り難く受け止めました。
こういうことは、あまり言ってくれる人がありませんので、貴重な言葉だと、思いました。
でも、たぶん、私の日記は、これからも、同じ書き方と内容で続いていくだろうと思います。
私は、この地球の、日本という国の、小さな場所で生きており、日々の暮らしが、平穏に過ぎていき、私に繋がる家族を含めた人たちが、同じく無事であることを願い、その日その日に顔を合わせる人たちと、幸せな出会いがあることを祈る、それだけの人間です。
遠く離れた国の人たちの不幸を耳にしながら、私には、どうする力もありません。
でも、たとえば、電車の中で、具合が悪くなって、苦しそうにしている人がいたら、一緒に、プラットホームに降りてあげることは出来るかもしれません。
顔を知らない人であっても、同じ電車の近くにいたというそのことで、私に縁の出来た人だからです。
そして、名前も告げず、別れていくでしょう。
ご近所で、市民運動に熱心な人が、自分の家の周りはゴミが散らかっていても平気、「立派な」ことをしてるのだからと、地域のことは、よその奥さんたちに任せて、意に介さずと、言う人がいます。
それも、一つの生き方、そして、どんなやり方であれ、そこに価値の上下はないというのが、ささやかな私の考えと申しましょうか。
夕べは、直接お話しできて、大変愉しうございました。
また、どこかの舞台のロビーでお会いできますことを、願っております。

2002年07月26日 09時21分46秒


大活字本
2002年07月24日(水)

快進撃を進めてきた巨人が、今夜はどうも旗色が悪く、敗け戦になりそうなので、テレビをやめて、パソコンに向かう。
昨日、図書館に行き、本を10冊借りたが、大活字本が含まれている。
これは、弱視の人向けに、大きな活字で印刷された本。最近、本の種類も増え、時々、借りてくる。
最近出た「俳句類語辞典」(三省堂)、一つの言葉について、類語が9種類、それに全部俳句が付いていて、字が大きいので、読みやすい。
私は、このところ、ちょっと俳句に興味があって、その種の本を少し読んでいる。
短歌の結社に入っているが、そちらは全然気が乗らず、今月も、とうとう欠詠してしまった。
2ヶ月に10首の歌が、出来なかったのである。
少し閉塞状態。
俳句に、新鮮なものを感じて、時々、句作を試みている。
一つは、季語の魅力。
そして、一七音で、すべてを語るという、奥行きの深さ。
初心の私には、とてつもなく難しい。でも、今は、知らないことで、、かえって愉しい。

大活字本その2は、泡坂妻夫のミステリー。
ほかに、中村哲「医者、井戸を掘る」、月遅れの雑誌、パソコンの本など。

ここ2,3日、気になっていたことがあった。
でも、思い切って人に送ったメールの返事を読んで、少し気が晴れた。
思い過ごし、思い込みだけではないのだが、直接的な答えは返ってこなくても、ボールを投げたという事実は、伝わったはずだから、それでいいと思った。

2002年07月24日 22時08分15秒


夫婦二組
2002年07月21日(日)

昨日は、少し遅れた私の誕生祝いをするといって、息子夫婦が、やってきた。
「腰痛が続いて、家の中は、散らかしっぱなしだから」と、あらかじめ、予防線を張っていたが、最低、掃除機を掛けたり、居間のテーブルを片づけたりした。
料理は、いつも、息子の妻が、一抱え用意してくるのが、この数年の習慣である。
夫が、車でスイカとワインを買いに行き、私は、和え物と、冷たいオニオンスープを作った程度。
3時の約束が、来たのは6時近く。
道が混んでいたり、寄り道に手間取ったそうな。
ちょうど時間なので、早速晩餐にはいる。
息子の妻は、料理が得意。
姑が、その方はだめなことを知っているので、テーブルいっぱいの品数を、揃えて持ってくる。
正月のおせちも、最近は、彼女の手作り。
昨日は、ビーフのサラダ、鰻の混ぜご飯、ピクルスに、インゲンのごま和え、豚の角煮。
ワインの紅白に、誕生祝いのケーキ、薔薇の盛り籠。これは、精巧に出来た、造花である。
「いつも面倒掛けて悪いわね」というと、「いえいえ、こんなことしか出来なくて」と、けろっとしている。
正月以来の顔合わせなので、夫の誕生日や、母の日など、いくつか一緒にして、乾杯をした。
二人とも30代半ば、仕事が忙しく、すれ違いで、この夏は、一緒に休みが取れないので、どこにも行きませんと言っていた。
4人の会話は、やはり、社会の一線で働いている若い夫婦と、先輩である夫との、話が中心になる。
私は、そちらの方は聞き役だが、時々、入り込んで、感想を言う。
親子と言うより、夫婦二組といった雰囲気である。
まだ、息子夫婦に子どもがいないせいもあって、あまり、家庭的なことは、話題にならない。
あれこれ、話が弾んで、気がついたら、夜中の12時を回っていた。
二人を送り出して、残った親夫婦は、それぞれの部屋に戻り、めいめいのパソコンの前に座ったのであった。

2002年07月21日 08時47分54秒


酷暑
梅雨が明け、代わって、連日の猛暑である。
酷暑とも、極暑とも言う。
この暑さの中、外出は、正直おっくうである。しかし、家にいても、暑さは同じ。
むしろ、冷房の効いた場所で日中を過ごす方がいいので、思い切って出かける。
今日は、連句サークルの例会。
夫が、車で駅まで送ってくれたので、時間も短縮、暑い思いをせずに済んだ。
出席者9人、二つのグループに分かれての付け合い。
和やかに、愉しく終わった。
このサークルには、昨年初めから、参加している。
最初は、お客さんとして声を掛けられ、2度3度と足を運ぶうちに、「入りませんか」と言われ、喜んでメンバーに加えてもらった。
名簿上のメンバーは、16人ほど。
このごろは、10名前後が、いつも出席している。
ここ半年ばかり、私に対して、心よく思わない人がいるのを知っているし、目に見えないところで、不明朗なささやきがあることも感じている。
思ったことを、すぐ口に出してしまう、私のような人間は、雰囲気に合わないのではないかと思い、行かない方がいいかもしれないと、悩んだりしたが、表に出ないことは、ないものと解釈することにした。
人の好き嫌い、誤解や、思い違いは、どこにいても同じである。
人の心の中まで、責任はとれない。
私は、このサークルでの連句が好きだし、メンバーの人たちも、善良すぎるほど、いい人たちで、おおむね心よく、受け入れてくれていると、信じている。
最初に、いらっしゃいと、熱心に誘ってくれた事実だけを大事にしたい。
それ以外の思惑は考えず、淡々と、「その他おおぜい」に徹することにした。
それで、少し、気が楽になった。
連句が終わり、外に出ると、まだかなりの暑さだったが、途中で買い物をして、家につく頃は、少し涼しい風が吹いてきた。
留守中、夫がふんだんに水を撒いたらしく、門の前の鉢植えが、生き生きしていた。

朝顔は、順調に蔓を伸ばし、わずかだが、咲き始めている。

朝顔やひと日ひと日の蔓の伸び

2002年07月21日 19時27分22秒


「藪の中」
2002年07月20日(土)

昨夜「藪の中」を見る。
世田谷パブリックシアター。
芥川龍之介原作「藪の中」。
鐘下辰男脚色、演出。
主な登場人物、内野聖陽(多穣丸)、高橋恵子(女)、若松武史(女の夫)。
会場は、若い女性が8割方を占めて、満員だった。
一つの事実をめぐって、展開される、それぞれの主張の違い。
芝居は、中央に据えた円形の舞台で、事件の目撃者、役人、主役の3人が、次々と、登場して、劇中劇を交えながら、主にセリフの掛け合いで、進行する。
休憩無しの2時間、舞台を立体的に使っての演出は、なかなか凝っていた。
芥川の小説は、昭和25年に黒澤明により映画化されて「羅生門」というタイトルで、ヴェニス(カンヌ?)映画祭のグランプリを取った。
私は、当時小学生、映画好きの父親が、「まだ早い」と行って、見せてくれなかった。
しかし、グランプリを取った当時の世の中の興奮は、6月に、ワールドカップで日本が決勝トーナメントに進出したことよりも、遙かに凄かった。
戦争に負け、すっかり国際的自信をなくしていた日本が、一本の映画で、世界のトップに立ったのだから。
そして、映画は、当時の日本では、娯楽の王者であり、それまで目に触れることのなかったアメリカやヨーロッパの名作が、次々入ってきた。
子どもの私も「仔鹿物語」、「若草物語」、戦前のリバイバル「会議は踊る」、「未完成交響楽」などを、父親と一緒に見たのである。
日本の映画界も、どんどん作品を公開していた。
その先駆けのように賞を受けた「羅生門」は、公開当時、国内の評判は、あまり芳しくなかったらしい。
「わかりにくい」というのが、多くの世評であり、興行成績も、それ程ではなかったようだ。
しかし、外国で、グランプリを受けたと言うことは、それらを一掃するのに、大きな役割を果たした。
受賞後初めて、この映画を見に行った人が、多かったのではないだろうか。
私が見たのは、大人になってからである。
モノクロ映画の、光と蔭を巧みに使った映像。
三船敏郎の、引き締まった肉体の美しさ、京マチ子の、女のもろさと凄さ、侍役の森雅之の、まなざしの豊かさ、みな、鮮明に残っている。
この映画の成功の一つは、カメラのすばらしさである。
森の中で、茂った葉の間から漏れる光の揺れ。そこに一陣の風が吹いて、笠の陰に隠れた女の顔が、一瞬、あらわになる。
それをとらえた盗賊の目がきらりと光る。
女を我がものにしようと思いつく一瞬。昼寝を醒まされた眼が、獣のまなこに代わる刻を、カメラは見事に写していた。
また、縛られたまま、目の前で盗賊に犯された妻を見る夫の目、森雅之の目の表情も凄いが、やはり、カメラがいい。
木漏れ日と、このまなざし。
映画の重要な場面であり、話の展開の中心でもある。
昨日の芝居が、それをどのように表現するか、大変興味があったが、やはり、舞台では無理と見えて、全部、会話で処理していた。
木漏れ日と、まなざし。
映像でなければ表せないであろう。
映画は、このころから昭和40年代初め頃まで、黄金時代が続くが、テレビの普及とともに、次第に衰退していく。
内外問わず、名作として今に語り継がれているのは、多くは、その時代のものである。
将来映画評論家になりたいと、夢を描いていたのは、この頃であった。
「羅生門」のカメラマン宮川一夫は、黒沢映画はじめ、名だたる作品を残して、故人となった。
黒澤明、三船敏郎、森雅之も、今はいない。
そして、私は、最近、ほとんど映画館に足を運んでいない。
舞台の「藪の中」。
俳優は熱演であり、ナマの迫力は、三階席にも充分伝わってきて、面白かったが、私はしきりに、遙か昔に見た映画「羅生門」を、思い出したのであった。

2002年07月20日 09時21分06秒


無用の用
2002年07月19日(金)

昨日は、木曜講座の1学期が終わるので、大河内先生を囲んで、夕食会。15人ほどが、井の頭線沿線の小料理屋に集まった。
私は、教室で、いつも最前列に座っているので、後ろの人の顔を知らないのである。
先生と、2,3のほかは、初対面に近かったが、ほかの人たちは、私のことはよく見ていて、「遅刻しても、一番前に行く方ね」なんて、言われてしまった。
先生はじめ、下戸ばかりで、すぐに幕の内弁当が出てきて、お酒を飲み損なってしまったが、先生の話は、面白く、時間を経つのを忘れた。
その店は、先生の姪がやっていて、わがままがきくからと、先生が予約してくれたのだが、十年ばかり前、半年ほど住んだことのある駅のそば、そして、夫が、大学のクラスメートと、時々利用する店だとわかり、偶然とはいえ、世間は狭いと思った。
先生の追っかけグループと自称する四人組のレディたちは、先生が出ているカルチャー講座に、全部出席とのこと。
「あなた達がいるから、同じ話をするわけに行かず、弱ったよ」と、先生はいうが、レディたちに言わせると、同じ材料でも、先生の話は、料理法が、毎回違うから、面白いのだとか。
昨日は、あまりに暑いので、行く前は、ちょっとおっくうだったが、行ってよかったと思った。
私は、人と話をするのが好きだし、ほどほどに礼儀をわきまえた大人たちは、話題も深く、興味深い。
昨日は、子どもの頃の、戦争の話をしたら、一世代上のひとが、よくきいてくれた。
先生が常に言うのは、「文学は、そもそも役に立たないから文学なのであって、大事なのは無用の用だ」ということ。
最近は、文学のわからん連中が、試験の答案みたいな作品を書いてくると、嘆いていた。

おとといは、連句の集まりで深川へ。
こちらは、七年半ほどの付き合いになる。
連句そのものは愉しいが、その集まりは、このごろ、私にとって、あまり愉快な場所ではなくなった。
はじめの頃の、ほどほどに緊張感のある会合が、少したがが外れたように、締まりのないものに、変質しつつあるように見える。
それは、私が慣れてきたから、感じることでもあろう。
中心をなしていた重鎮が、次第に高齢化、病気、亡くなったりの変化が続き、代わって会を牛耳じりはじめた人たちは、企業論理を導入して、今までのやり方を一新しつつあるらしい。
確かに、組織の運営は、その方がうまくいくだろうし、事務的にもきちんとしてきたことはある。
だが、それと共に「古き良きもの」も、盥の水とともに、赤ん坊まで流してしまったように見える。
少し変わった人、黙っていても、人間的魅力を醸し出していた人、目に見えた働きはしなくても、いるだけで暖かい雰囲気を周囲に与えていた人などが、「扶養家族は不要」とばかり、押しやられていくようだ。
文芸の場が、こういう風に変質すれば、本来文芸にとって、もっとも大事な「無用の用」は、文字通り役に立たぬものとして、無視されていくのだろう。
そこには、優しさも、思いやりも、先達を気遣う気持ちもなく、あるのは、力のある人たちへの点数かせぎであり、礼節を欠いた人間関係の乱れであり、堕落である。
最近、心ある連句の先輩たちが、姿を見せなくなったことを、私は気にしている。
参加者数が、毎回増えていることを、誇らしげに語る「力ある人」の言をききながら、きちんとけじめのセレモニーもせずに、だらだら終わってしまった会合を、何か空しいものに思いながら、一人、帰路についたのであった。
いつものように、「力のある人たち」を中心とするメンバーが、どこかで、祝杯を挙げているであろうことを、想像しながら。
この日は、私の誕生日だった。

息子夫婦が、週末に、来るという。
正月以来のこと。二人とも仕事で忙しく、夫の誕生日、母の日、父の日をパスしてしまったことを気にしている。
そこで、せめてお袋の誕生祝いを、ということになったらしい。
嬉しいが、私は、今月はじめから、断続的な腰痛に悩まされている。
少し、家の中でも、きれいにしなければ、と、少し気重でもある。
そんなことを言いつつ、今夜は、内野聖陽「藪の中」を見に行く。

2002年07月19日 11時34分04秒


「夏の日の恋」
2002年07月16日(火)

・・・というドラマを、最近、NHKでやっている。
私は、以前は、よくテレビを見る方で、中でもドラマは好きだったが、ここ1年半ほどは、インターネットに時間を費やすことが多くなり、また、見応えのあるドラマも、この数年はぐっと減って、ジャリガキ(まあ、私としたことが、こんな言葉を使うなんて!意味はおわかりですね)向きの、ふやけたものしかお目にかからないので、あまりテレビを見なくなった。
しかし、3週間ほど前、たまたま、夜9時のニュースを見ていて、何となくそのままにしていたら、始まったのが、表題のドラマで、ついつい見てしまったのが、結構面白い。
岩下志麻、松坂慶子の二人に、津嘉山正種が絡む、大人の恋物語。
懐かしの池辺良も登場する。
若いのは、緒方直人に、岩崎ひろみ。
夫に家出されながら、仕出し弁当屋を切り盛りする岩下に、ちょっと蓮っ葉だが、女の魅力を備えた松坂。
津嘉山が、どちらに靡くか、毎回はらはらさせられる。
この人は、舞台俳優で、テレビにはあまり出てこないが、なかなかいい。
ところが、今日、一つのヤマ場だったのに、ウッカリ忘れてしまい、見損なってしまった。
最後に、岩下と津嘉山が、浜辺でダンスをする場面があったから、こちらの二人で恋が成就したのか。
あと2回で終わる。

台風が近づいているようだ。今日も、一日熱い風が吹いていた。
夏物が、まだ全部出てないので、午後から、ひっくり返していたら、汗だくになってしまった。
その合間を縫って、洗濯やら、ホームページの手入れやら。
台風が去って、カッと暑い日差しが続いたら、梅を干さねばならない。
うちの庭の梅の木が、花が小さくなった代わりに、大きな実が付くようになり、先月、1キロほど採って、塩漬けにした。
干し方がうまくいけば、自家製の梅干しが出来るはず。

シャワーの火照りを冷ます間と思って、書き始めたら、長くなったついでに、昔話。
若い頃、夜中の12時に、同じ星を見るという約束をしたことがあった。
しかし、私は天文オンチで、星座などよく分からなかったので、これは長続きしなかった。
その代わり、同じ時間に、お互いのことを心に浮かべるという約束をしたが、果たして、いつまで続いたか、記憶にない。
今の時代に、若い恋人たちは、お互いの気持ちを確かめるのに、どんなことをするのだろうか。
夜空を仰いで、同じ星を見るなんてことは、おそらくしないだろう。
私だって、今なら、パソコンで、メールの送信時間を見て、あら、私も、同じ時間に、同じことを思っていたのね、なんて、ちょっとした一致点を見つけて、嬉しくなったり、充分いま風になっている。
もう、月や、星も、昔ほど、ふんだんに見えないのだから。

2002年07月16日 01時49分14秒

夕焼け
ひと月ぶりに図書館に行った。
近くの図書館が、6月はじめから、点検のため休館していて、借りた本がそのままになっていた。
すでに、開館しているのを知っていたが、返しそびれていた。
借りた本の一冊が、家の中で行方不明になっていたからで、今日やっと探し出したので、夕方まとめて持っていったのである。
期限はとうに過ぎていたので、わけをいって、謝った。幸い、リクエストもなかったらしかった。
本の借り出し期間は3週間、一人10冊までとなっている。ついつい、読めぬと分かっていながら、目一杯借りてきては、後悔する。
そこで、今日は、4冊だけ借りた。
月遅れの文芸雑誌、大河内昭爾氏の話にたびたび出てきたので、もう一度読んでみようと原口統三「二十歳のエチュード」、吉増剛造「剥き出しの野の花」、これは詩とエッセイが混じったもの。それに結城昌治「俳句は下手でかまわない」という本。
そのうち閉館の七時になったので、手続きして外へ出た。
まだ、薄暮。ふと西の空を見ると、真っ赤な夕焼け。美しかった。でも、建ち並ぶ二階や三階の家の陰に、すぐ隠れてしまった。
この十年あまりの年月に、心に残る夕焼けは、いくつかある。
まず、なんといっても、昨年夏、シベリア横断の、旅の列車から見た夕焼け。これは、とても、言葉では表せない。
二番目は、十年以上前、ロンドンで見た夕焼け。
テラスハウスの四階から、真っ赤に空を染めた夕焼けに気づき、思わず外に走り出て、しばらく、西に向かって夕日を追った。
街中で、地平線は見えないが、残照のすばらしさは、いつまでも、心に残った。
それから、蓼科の小屋から見る夕焼け。
西側には、はじめ、家がなく、赤松林の合間から見える夕焼けは、私の好きな景色だった。
ある夏、私を残して、夫だけ仕事のために、東京に帰っていき、何日か、たった一人で、過ごしたことがあった。
夕方になり、それが習慣になっていた私は、窓辺に座って、夕焼けを見ていたのだが、突然、あふれるほどに涙が出て、止まらなかった。
その前の夏、私は大病をして、まだ体も心も癒されていなかった。
人嫌いになり、話したい人もいなかった。
そのくせ、寂しくて仕方がなかった。
誰もいないのをいいことに、心ゆくまで、涙を流した。
しかし、その夕焼けも、五年ほど前に、西側に山荘が建ったことで、だいぶ様子が変わってしまい、もう、あのときと同じ景色ではない。

シベリア横断から、ちょうど一年経つ。
旅行中に誕生日を迎え、モスクワのホテルで、ケーキでお祝いをしてもらった。夫から、ホテルあてに、先回りして、お祝いのファックスが届いていたことを思い出す。
列車の中で見た残照と朝焼け。
きっと、今も変わらずにあるだろう。

2002年07月16日 20時42分28秒


役割
2002年07月12日(金)

芝居友達で、いま一番親しくしているY子さんから夕べ電話があった。
「向こう一週間ばかり、多忙で、電話できないかもしれないから」と、芝居の日取りの確認や、連句の話など。
彼女は、私より少し年上だが、ずっとエネルギーがあって、一人何役もの仕事や、付き合いをこなしている。
長年、社会の一線で働いてきたので、3日も家にいると、落ち着かないのだという。
いったん最前線から退いたものの、周りがほっておかないのだろうか、大学の講師とか、いろいろな役回りが巡ってきて、毎日、何かしらの用事で、出ている。
その合間を縫って、電話をくれるわけである。
仕事だけでなく、昔のクラスメートや、仕事仲間との旅行や、付き合いも多いらしく、私と電話で話している間にも、始終キャッチフォンが入ってくる。
スーパーウーマンということばがふさわしいだろう。
でも、彼女のいいところは、そうした仕事のキャリヤや、能力が、どこにでも通用するとは限らないと言うことを、自覚していることである。
よく、男の人で、昔の肩書きが、抜けきらず、どこへ行っても、それが顔を出して、鼻持ちならないという人がいる。
この手の人は、私のもっとも嫌いなタイプ、一度、あるツァーで、この手の男と一緒になり、旅行の終わりに、大げんかしたことがあった。
「アンタみたいな人は、けちなツァーなんかに入らないで、お供を3人くらい連れて、一人で行きなさいよ」と言ってやった。
旅行の間中、威張り返り、初対面の私を「会社の女の子」扱いした口をきいたからである。
役所の窓口で、けんもほろろの応対をしたヤツに「何様だと思ってるのよ」と、言ってやったこともある。
私は、この世に亭主以外に怖い人はいないので、誰に対しても、同じ接し方で通している。
弱いものイジメはしない代わり、こういうエライさんをやっつけるのは好きである。
ムネオみたいなヤツは、結構多い。Y子さんがそういうタイプだったら、私は、はじめから付き合わないと思う。
忙しいと言うことは、それだけ、周りから期待され、役割があるということで,結構なことなのだが、そのために時間を取られ、金銭的には、入る方より、出る方が多いくらいだという。
「間に合わないとすぐタクシーに乗っちゃうから、交通費もバカにならないわ」と言っていた。
でも、何もしなくて、ゼロでいるより、同じゼロなら、何かして、プラスマイナスゼロの方が、いいのじゃ、ないだろうか。
少なくとも、数字に表れない満足感、充実感、そこで感じたり、思ったりの、体験をする。たとえ、いいことだけでなくても、生きている実感は、得られるはずだ。
家にいる安息や、静かさを、かけがえなく思いつつも、社会と繋がった人の、プラスとマイナスを、時に羨ましく思うのである。

2002年07月12日 12時49分43秒


台風一過
2002年07月11日(木)

昨日の台風も過ぎ、今日は真夏の青空。
珍しく早起きしたので、家事もはかどり、洗濯物も、朝のうちに翻ることが出来た。
昼前来たクリーニング屋さんが、「暑いですねえ。食欲がなくなりますね」といっている。
このクリーニング屋さんは、5年前から出入りするようになった。
親たちが来て、夫がまだ会社勤めをしていたので、洗濯に出すものが多くなり、隣の家に出入りしている人に、来てもらうことになった。
まだ若くて、幼稚園や小学校低学年の、男の子二人のお父さんである。
礼儀正しく、仕事に間違いはないし、人柄もいいので、最近は洗濯に出すものもぐっと減ったが、月に何度か来てもらう。
「今日はワイシャツ一枚だけなんだけど、悪いわね」というと、「いいんですよ。気になったら、ざっと洗っておいて頂ければ、汚れも落ちやすいですから」というので、今度からそうすることにした。
汗汚れは、時間が経つと落ちにくくなるのだという。
ワイシャツなど、自分で洗ってアイロンをかけていたこともあったが、綿100パーセントのシャツは、やはり、のり付け、アイロンがむずかしい。
いつか息子の妻が、「お母様、ワイシャツは、クリーニング屋さんに出した方がいいですよ。襟やカフスがピシッとしてないと、お父様が悪口言われます」と言ったことがあった。
オフィスの女性は、そういうところにすぐ気が付くのだとか。
以前は、別のクリーニング屋さんを頼んでいたが、来る日と、こちらが家にいる日が合わず、面倒なので、やめて久しかった。
いまは、私か夫のどちらかが家にいることが多いので、すれ違わずに済んでいる。

午後から大河内昭爾氏の木曜講座。会津八一の短歌についてのはずが、例によって脱線して、戦後の風俗小説の話になり、田村泰次郎や、日劇ミュージックホールの話題にもふれ、興味深いことであった。
来週で、夏休み。秋からの継続の申し込みを、ウッカリしていたら、もう満員だという。
あわてて、一人分潜り込ませてもらった。

2002年07月11日 17時08分45秒


その他大勢
2002年07月10日(水)

芝居では、主な登場人物のほかに、通行人とか、その他大勢の端役がある。
これはオペラなども同じ、バックコーラスや、背景の一部としての、一声も出さずに登場している人たちがそうである。
舞台の上でのそうした役回りは、人からは注目はされなくても、なくてならぬものである。そして、このような役を演じている人は、いつかは自分も、名前のある役につき、いずれは主役になると言う夢と、希望があるからこそ、いま自分に振り当てられた役を、懸命にこなしているのであろう。
でもこれは、舞台という、虚構の世界の話、実際に生きていく場で、その他大勢の一人というのは、いいものではない。
昔の話だが、「うちに遊びにいらっしゃい」と誘われたことがあった。
そのころ親しくなった人で、緊張するような間柄ではないので、気軽に訪れた。すると、私のほかに、2人の人が招かれていた。
全く知らないわけではないが、特に話をしたいような人たちではなかった。私と、彼女たちとの間には、何の接点もなかった。
私が、ちょっと咎めるような目をしたのだろうか、その人は言い訳のようにこう言った。
「この際だから、ついでに皆さんを招んだの」
せっかく、手間ひまかけて、人を招ぶのだから、前から招びたいと思っていた人たちを、この際いっぺんによんでしまおうと言うことだったらしい。
彼女なりに心を尽くしたらしいことは、卓上に並べられた料理の様子でも、分かった。
そしてほかの二人は、結構、喜んでいたように見えた。
私は、その人たちと、表面は、穏やかに振る舞ったが、内心、面白くなかった。
それなら、事前に言ってくれたらよかったのにと思った。
ごちそうなんか、何も要らないから、私は、水入らずで、じっくり話をしたかった。
こういう扱いを受けるのは、自分が粗末にされたような気がして、いい気持ちはしない。
私だったら、招ぶ人の組み合わせを考えて、事前に全員の了解を取るだろうと思う。
彼女がそれをしなかったのは、気軽なつきあいを許している私への、甘えだったかもしれないが、私を尊重してないと言うことでもある。
私は、彼女にとって、それだけの存在でしかなかったのだと、悟るしかなかった。
八方美人は、私は嫌いである。少なくとも、こういう人と、友達にはなりたくない。
私は、誰とでも、1対1でつきあいたい方なので、その他大勢の一員になることは、好まない。
自分がそのように扱われたと感じたときは、そこから遠ざかる。
舞台の端役だって、家に帰れば、かけがいのない父親であり、妻であり、息子や娘であるはずだ。
ついでに、とか、数合わせのために、誘わないでほしい。
私の、ささやかな五分の魂である。

2002年07月10日 01時07分51秒


熱帯夜
2002年07月09日(火)

梅雨明け宣言は出ていないようだが、寝苦しい夜が続く。
昨日の朝、朝顔の様子を見たついでに、周りの雑草を取ったり、門の前の落ち葉を掃除したりして、1時間ほど働いた。
こんなことは、日頃「秘書」の仕事になっているが、いない間に、たまにはやっておこうと思ったのである。
ところが、その間に腰の痛みが出てきてしまった。腰痛は、このところ、私の持病になりつつある。
午後、パソコンを覗いたあとで、椅子から立ち上がったとき、ビリリと痛みが走り、これはいけないと、やっとの思いで、横になったが、しばらく起きられなかった。
腰痛を治すには、これがいいという決定打はないようで、私も整形外科には、何度も行ったが、結局、西洋医学では、治らないものと悟り、自己流で、痛みとつきあう工夫をしている。
腹筋、背筋を日頃から鍛えておくこと、これはうなずける。
無理な姿勢を取らないこと、長時間、同一姿勢を続けないこと、これらももっともである。
私は、40代の半ばで病気をして、大量のステロイドを投与されているので、医者から「骨がボロボロになります」と言われていた。
でも、その後、健康には人一倍気を付け、生活面でも節制して、「骨量は年齢平均より1割方多いです」と言われたのに、今頃になって、腰痛に悩まされるというのは、老化現象かもしれぬ。
「秘書」は、運動不足だという。あちらは、週2回のスポーツジム通いを欠かさず、おかげで、筋肉が付いて、体が締まってきたと自慢している。

熱帯夜と、腰痛のせいで、一晩浅い眠りを過ごした。
明け方夢を見た。ある人と、長い道を歩きながら、ずっと語り合っている夢。
たばこを嗜まないその人が、何故かたばこをふかしている。
野上弥生子は、晩年、哲学者田辺元と、深い交流を持っていた。
単なる男女の結びつきを越えた、信頼感と友情で結ばれていた。
弥生子は、毎日のように田辺のもとに行って、哲学や、思想を語り合うのを楽しみにしていたという。
また、中野重治と、佐多稲子の、同志的つながりも、知られた話である。
こうした、プラトン的な愛、究極の結びつきは、その人たちにして、はじめて持ち得たものであろう。
現実には、そして凡人には、なかなか出来ることではあるまいが、私の理想とするすがたであり、夢でもある。

2002年07月09日 09時26分58秒


溽暑
2002年07月08日(月)

ジョク暑、溽の字は、パソコンにないので、手書き入力せねばならない。
じめじめした今頃の暑さ。こんな時期の風は、ジットリと水分を含んでいて、あまり心地よいものではない。
夕べ、寝るのが遅かったので、今朝は9時過ぎまで寝てしまった。
雨戸を開けるとき、見ると、窓際の鉢植えが、だいぶ、乾いている。
食事前に、ひとしきり、庭の水撒き。
朝顔は、順調に、蔓を巻き始めている。雑草も気になるが、明日連れあいが帰ってくるので、仕事を取っては悪いと、そのままにしておく。
今日は、深川の連句会に行くつもりで、支度をしていたが、昨日の外出で疲れていたし、この暑さでは、ちょっと出かけるのもおっくうになり、出がけに電話がかかって、出遅れたのをいい口実にして、休んでしまった。
始まったばかりの、私のボード連句の行方も気になる。
深川に行って来た人の話によると、いつもより人数が少なかったが、先生ご夫妻は、見えて、元気だったとのこと。残念なことをした。
いったん出てしまえば、元気で目的地に行くのに、出るまでの時間が、かかること、かかること。
靴を履いては、一つ忘れ、鍵をかけたあとで、気になることを思い出したり・・。
そんなことをしているうちに、よけい暑くなり、だんだん気分もブルーになってきて、「やめるか」と言うことになってしまう。
このごろ、つくづく、年を感じる。

連れ合いのいない2日間、だいぶ家事を怠けてしまった。明日は、家の中の掃除をしなければ・・。

2002年07月08日 02時11分08秒




晩夏
2002年07月07日(日)

歳時記では、日付けの上で、晩夏になった。
梅雨明けも近く、これからが夏本番だというのに・・。
昨日あたりから蒸し暑い。連れ合いは週末を過ごしに八ヶ岳近くへ。
「涼しくていいよ」と電話をかけてきた。
電話口で、ガアガアと機械の音がしたのは、敷地内の雑草を刈ってもらっているからだという。
私は、週末に用事があり、あちらは、ウイークデイに約束があるとかで、予定が合わず、別行動である。
テキの魂胆は、私にご飯を作らせて、ゆっくりしたいのだが、こちらは、暑い東京に一人でいる方が、リラックスできる。
今日は、一日外出、夕飯の支度をしなくていいので、帰りに沿線の駅で、ショッピング。
ほしいものもないので、自分の食料だけ買って帰った。

人に貸した本が返ってきた。手紙を挟んであったのが、そのままになっていた。
ただの送り状だが、気づかなかったと見える。ちょっとがっかりした。

2002年07月07日 00時46分40秒


ウイルス殿
2002年07月05日(金)

7月6日は、なにやら新種のウイルスが活動する日なので、注意を、と言う知らせが入っていた。
私のパソコンには、ウイルス防御ソフトが入っていて、毎日のようにアップデートしているが、これだけ、人の愉しみに水を差すウイルス君とやら、何がよくて、そんなことを繰り返すのかねえ。
それだけの知識と頭脳をほかのことに使ったら、世界を救うことだって出来るかもしれないのに。
セキュリティを強くしたら、ある人から送られてきた、必要なファイルまで、自動的に、削除されてしまった。
もう一度ファックスで送ってもらい、お詫びのメールを送ったが、全く困ったものだ。
門戸を開けば、招かれざる客が入り、ドアを閉めると、来てほしい人を、シャットアウトすることになる。
おかげで、ページは重くなるし、便利なはずのメールも、知識の長けた人ならどこからでも読み込み可能とあっては、うっかりしたことは書けず、機械のごとき無味乾燥なものになる。
もっとも、そもそもメールで、ラブレターなど書こうとする方がおかしいのだろうが、大事な人へ、心情を込めたメッセージを書くなら、元のように、封書の手書きで、と言うことになりそうである。
住所、本名、電話番号などの個人情報も、個人のメールから漏れることがあるとのこと、それらをセットで書き込むことは、セキュリティの点でキケンと聞いた。
私は、ひとの個人情報を、断りなしで、第三者に知らせたりはしないが、そういうことに、あまり神経を使わないひともいるので、自分の情報が、知らない間に、往き来している可能性はある。
面識のないひとから、いきなり、本名で使うアドレス宛にメールが来ると、誰が教えたんだろうと、ビックリする。
ネット上のことなら、ホームページに表示してあるアドレス宛に来るはず。
私のアドレス帳には、本当に必要な人のものしか入っていない。15人くらいのもの。
ファイルにも、住所や電話番号は、入力しないことにしているし、複数のひとに同時にメールを送るときは、なるべくBCCを使うようにしている。
でも、それだけ用心していても、悪知恵の長けたひとには、かなわないだろう。
利便性と危険が裏腹に存在するネットの世界、自分とそれにつながる人たちのプライバシーを守りつつ、どこまで愉しむか、考えさせられることではある。

2002年07月05日 08時23分48秒


白南風
2002年07月04日(木)

雨の日が続いて、時に、セーターを着たくなるほどの冷えもあったのに、今日は、じっとりと汗ばむ日だ。
そろそろ梅雨明けも近いのかもしれない。
私は、冷房嫌いで、室温30度までは、クーラーを付けない。
一昨年、台所の隣に、6畳ほどの小さな書斎を建てたが、冷暖房の設備をしなかった。
四方に窓を付け、夏は開け放ち、自然の風で凌ぎ、それでも我慢できないときは、隣の居間のクーラーの余波で、何とか過ごす。
寒さには強いので、冬は、足元の電気ストーブと、小さなホットカーペットで、間に合わせる。
パソコンをいじるときと、壁一面に作りつけた本棚に用のあるとき以外は、書斎に入りきりと言うことはないので、間に合っている。

書斎に面した窓に沿って朝顔を這わせようと、棒を立て、ネットを張ったが、今日見たら、蔓が巻き始めている。
やがて、ブルーや紫の朝顔が、私の書斎の周りに咲くはず。楽しみである。

毎週の木曜講座、今日は、「歎異抄」に関する話であった。

白南風や懸案事項片付きて
まがごとも忘れさらるる溽暑かな

2002年07月04日 17時10分25秒


脳の憂い
2002年07月03日(水)

連れ合いが、脳のCTスキャンを受けてきて、「ショックだよ」という。
本人の気づかないうちに、微量脳梗塞があるとのこと、脳の縮みもあるそうで、「いよいよキタか」と、悄げている。
でも、よく訊いてみると、年齢的に、ごくふつうに見られる程度のことらしく、たまたま、パソコンをやっているとき、腕が痺れるので、気にして、いつも行っている開業医で、診てもらった結果のことだった。
はじめは頸椎か、肩か、と言っていたが、念のため、CTを勧められたのである。
検査しなければ、判らずにすんでいたところだった。
原因は、どうも酒の飲み過ぎらしいというので、好きな飲酒も、減らすと言う。
「若いときから、あんなに呑んでて、何もなかったらおかしいわよ」というと「君は、思いやりがないなあ」と、がっかりしたらしい。
連れ合いと酒は、女房の私より、縁が深いのではないかと思う。
私は、父親が酒飲みだったので、結婚するなら一滴も呑まない人がいいと思っていたが、若気の至りで、酒飲みと一緒になってしまった。
連れあいの父も酒飲みで、だいぶ母に苦労をかけたらしく、連れ合いも、自分の母親の前では、ほとんど呑まなかったらしいのに、女房ならいいと思ったのか、本来の酒飲みの血が出てきたらしい。
最近、自分の酒の量がコントロールできなくなったようで、外で呑むと、悪酔いすることが多くなった。
「禁酒日」などを設けていたはずが、いつの間にか、「毎日が飲酒日」になっていた。
私も、お酒は嫌いではないし、かなりイケるほうである。しかし、過ぎた酒が、体にいいはずはないことは、よく分かる。
痴呆の原因の一つに、過度の飲酒というのも、指摘されている。
でも、そんなことをいくら言っても、酒飲みというのは、馬耳東風、スキャンで示されて、ビックリして、初めて、認識するのだろう。
本人がショックを受けているのに、重ねて言うこともないので、知らん顔していたら、気を取り直し、夕べは、「適度の酒はいいらしいよ」などと言い、寝酒を飲んで安眠していた。
そして、今日は、スポーツクラブに出かけていった。

2002年07月03日 12時05分14秒


文月
2002年07月01日(月)

日本中を熱狂の嵐に巻き込んだ「宴」も終わり、今日から7月。
文月。私の生まれ月でもある。日記も、新しくした。
昨年の今頃は、シベリア行きをひかえて、旅行の支度などをしていたのだった。
あじさいが無惨に変色していくさまに、片想いのかなしみを重ねてみたり・・・。
旱梅雨で、暑い毎日だったように思う。
今年は、雨が多く、水不足の心配はなさそうだ。
昨日は、いつもの芝居友達と、「雨にもマケズ」という、ちょっと変わったものを見に行った。
詩の朗読と、パントマイムの組み合わせ、それにオカリナの演奏が加わり、倉庫のような小さな空間で、なかなかの熱演だった。
パントマイムというのは、じかに見たのは初めてである。
俳優の汗がしたたり落ちるのがよく見え、惹きつけられてしまったが、終わってから、役者が観客に挨拶したのは、蛇足だったと思う。
舞台は、最後まで虚構の空間であってほしい。
パントマイムといえば、まず心に浮かぶのは、もう遙か昔になってしまった「天井桟敷の人々」という映画での、パントマイムの場面。
フランスの誇るパントマイム役者、ジャン・ルイ・バローの演技のすばらしさである。
日本では、パントマイムというのは、あまり人気がないのか、都心からかなり離れた、このような空間でやるのが、精一杯なのかもしれない。

その2日前に見た、文学座の芝居も、同じ友人と一緒だったが、こちらは、信濃町アトリエでの、シリアスドラマ、「ロベルト・ズッコ」。
次々と殺人を犯す主人公の心情が、今ひとつ伝わってこなかった。
悪人を主人公に据えてのドラマは、説得力が必要である。共感できるものがないと、見ている方は、乖離してしまう。むずかしいものだと思う。
でも、舞台は、楽しい。
役者と観客、舞台の空間が一体化して、初めていい芝居が生まれる。ナマの魅力である。
今月は、贔屓役者、内野聖陽演ずるところの「藪の中」がある。
この人の舞台は、いつもチケットを手に入れるのがむずかしいのだが、芝居友達の尽力で、席が取れた。
芥川作品を、現代に置き換えて、どんな芝居を見せてくれるか、今から楽しみである。

2002年07月01日 15時03分43秒



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