不思議っ茶の日記
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2006年08月29日(火) 親子関係

山口県で女子学生が校内で殺された。
痛ましい事件である。ご冥福をお祈りする。

8月は、なぜか人が死ぬという事件が多かったような気がする。
事故もあった。かわいい我が子を殺された親御さんがいた。

記憶ではあまりしっかり覚えてないのだけど、親子間の殺人も
多かったような気がする。

稚内で、16歳の高校生が30万やるから自分の母親を殺してくれと
殺人依頼をしたのが、一番新しい。

親が子供を殺すのも、子供が親を殺すのも、よくある話になってしまった。
悲しいことである。

母親は生んでくれた人である。

子供は無上の愛情を注がれて育ったはずである。
でも、どこかで、間違いが起こったのかもしれない。

両親の離婚が原因で稚内に引っ越してきたらしい。母親はパートで働いていたというから、生活も仕事も大変だったのだろう。

また、離婚に至る経緯もさだかではないが、長男の心をきずつける出来事があって、それから母親不信になってしまったのか。

それは、母親のこどもより自分のことが大事という、エゴである。
男の子にとって16歳はデリケートな年令である。
身体も心も、ガラスのようなものである。

みかけは大人のように大きくても、中身はすごく壊れやすい危うい成長過程である。

おかあさんは、ぐちったり、お父さんの悪口を言ったりしなかっただろうか。

「二人になっても、がんばろうね!」という気構えがなくては、離婚を乗り越えて難しい年頃の息子を育てるのは文字通り難しい。

同じ難しい年頃のといってもむすめは、違う。
女性同志ということもあるのか、それこそ、友達親子が流行ってるそうだが
母とむすめがそんな関係を作ることができる。

息子とは友達親子をやりたくても、お互い異性なので、考える魂胆のようなものが見えない。

最近感動した親子関係に、早稲田実業高校の斎藤投手とお母さんとの関係がある。

佑樹君が優勝して、家に帰ってきてお客様がいなくなってから、お母さんは抱きしめてあげようと手をひろげたら、むこうから抱きしめてきて、「疲れた〜〜でもがんばっちゃった」と耳元でいったという。

ドラマみたいなシーン・・・・・・(TT)感動・・・・・

本当に佑樹君は王子様だね・・・・・・・・・ほぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

悪いけど、今年の高校野球の選手達、(全日本のチームの)
君達と斉藤君では野球はともかく見かけと育ちでも・・・注目度が違う!!(大変失礼)
アイドルのオーラがバリバリでている。
目立ちたかったかもしれないけど、あきらめて。相手が普通の高校生以上である。

なに?
早稲田大学の野球部に入ったら、もしかしたら嫉妬に狂った先輩のいじめでしごかれるかもって??

そんなことしたら、早稲田大学野球部は、全国のユー君ファンの女性から(昔は甲子園ギャルといってファンは女のこだったけど、いまはおばちゃんまでファンをやっているから、パワーは大きい)
恨みを買ってお叱りを受けますぞ!


2006年08月27日(日) 飲酒運転は殺人罪

福岡市の職員が飲酒運転で、事故を起した。夏休みの楽しい思い出を載せて
家路を急いでいた家族の車に激突した。車はそのまま海におちた。
のっていたのは、両親と3人の幼児。

子供を救おうと、両親は、もぐっては子供を頭の上に抱き上げ、必死で救おうとした。

そばを通った漁船の船長さんも手伝った。

お母さんは、暗い海に4回もぐって子供を抱いて救おうとした。

一人は、チャイルドシートに乗ったまま最後まで救出できなかった。
先に助けた2人の子供は、亡くなった。

かわいい盛りの子供さんを全員失ったご両親の悲しみは、あきらめることができないぐらい、悲しい、苦しい、悔しいと、感じる。

死んだらおしまいっていうが、元に戻すことはできない。
飲酒運転は殺人罪である。何度も言われてづつけているのに。

先日のいじめを苦に自殺した中一男子と同じく、どう悲しんだところで悔いた所で帰ってこない命というものを、なぜわからないのだろうか。

ご両親の気が狂いそうになるほどの悲しみ、苦しみ、悔しさを、決して他人事と思わず、自分の命も他人の命も、大切にする心を持たなければならない。


2006年08月26日(土) いじめの原因は無能な教師に

いやなニュースである。いじめである。
次元が低すぎる悲劇である。

一学年一クラスで、小学校からかわらないメンバーで進学進級してきた子供達である。なぜいじめが起こったのかというより、なぜ、いじめを止めれなかったのかというほうが疑問に思う。

こんな小さな学校でなぜ子供が死ぬまでほったらかしにされたのかと、疑問に思う。

死んで初めてえ?いじめってあったの?と気が付いたのではないのか。先生方の対応を見ていると、そうとしか思えない。

そんなに指導が難しい生徒達ばかりだったのかと、聞きたい。
わたしは、先生方にもこの男子生徒に対する、差別感があったのではないかと疑う。
だからこそ、子供達が自殺した男子生徒をいじめるのも無理はないと、心の底ではいじめを認めていたのではないか。

「いじめは100%いじめたほうが悪い」という意識があったのかと、問いたい。あったら、もっと授業をやめてでもそのつど、話し合いを持つべきであった。もっと子供たちの本音を語らせるべきであった。

命の尊さを教えることが出来ない教師は即辞表を出すべきである。
もし、みじんたりとも、自殺した男子生徒にすまないと、思っているのであれば・・・である。

すまないと思っていても、自分が教師失格を認められないのであれば、それは反省したことにならない。

民間企業でも、職場で事故や、事件があったら、責任者は責任を取るべきである。この場合、担任、学年主任、教頭、校長・・・そろって、辞表をだし、即刻やめるべきである。

そうすることによって、前例を作り、あの時の事件の先生方はみんな辞めたなれば、つぎのいじめによる悲劇は、簡単には起きない。

次のいじめによる自殺を防止するためにも、教師の質を上げる必要がある。
教育の現場で子供がいじめにあって亡くなるという最悪な事件を生んだ原因は子供達に命の尊さも教えられない無能な教師たちの存在なのである。

彼の遺書を、何度も何度も読むべきである。


2006年08月25日(金) 冥王星悲喜こもごも

冥王星が、惑星からはずれた。
なんでいれたんやろ?

冥王星にとってその存在は惑星だろうが、矮惑星だろうが、冥王星なのである。いつもと変わらず、公転自転をしているわけだ。

パープルサンガがJ1からJ2へ降格したら、不利な点が多いからって、がんばるけど、冥王星は、J1からJ2に降格したとて、不利な点もなにもありゃしない。

ミッキーの飼い犬の人気者「プルート」の命名にもかかわった惑星なので、アメリカにとっては、プライドものかもしれない。

が、惑星としての存在がなくなったところで、なにも変わりはない。
むやみに子供向け科学館と教科書と星占いの業界を揺さぶるだけだったような気がする。

あと8年。アメリカの冥王星の探査機が情報を地球に発信するだろうし、まだまだ、矮惑星となっても、注目は集めるだろう。

さっさと、冥王星の名前を取り下げる必要もないはずである。

と、シロートの考え方はシンプルであり、省エネでもある。


2006年08月24日(木) 親子関係の変化

ヘリコプターペアレンツ。
上空から子供達を見張る親のことだ。
もちろん、実際ヘリコプターにのっているわけではない。

いつも、子供の上空から情報を得て、子供にとって悪いことなら、取り除こうと行動する。
親なら誰でもそんなものというものの、着目点はこれが「大学生の親」限定である。

子供が大学に入っても、干渉する。
自由であるはずのクラブやサークル活動も、干渉する。
人間関係でつまずくと大学に問い合わせて、干渉する。

私が、大学生の頃、まだまだ高卒で働く人が多かった。
つまり、高校を卒業すると大人の仲間入りが出来る年令ということになる。
それが大学進学でも、いえることである。
上手に子離れ親離れとしていく時期でもあった。

私の場合、親元を離れて大学進学した。
とりあえず、ささっと作れる食事を親に習った。
洗濯はどうしたらいいとか、布団干しのやりかたとか、掃除のしかたとか。
主婦の仕事を習ってから一人暮らしに入った。

離れているので、もちろん干渉されることは無かった。

今の時代、大学も特殊法人になって、至りつくせりのカラーを出さないと学生が集まらない、というか、親に気に入ってもらえないと、学生が集まらないらしい。

学業のため大学でもなければ、研究のための大学でもない。

しかも、少子化に加えて、教科書3割削減だの、学校の週休二日制だので子供たちの勉強の量が極端に減っている。そんな子供達が、専門の学問を学びに大学へ入る。
必然的に学力不足は以前から指摘されていた。

そのために、大学が予備校の教師をやとって、補習をやったという話も聞いたことがある。

大学の先生は、先生というより教授である。

教授というのは自ら学び研究し、それを学生とともに、深めていく。

が、先生というのは、教えるのが職業という考え方に立てば、教授の先生化は、時代の流れなのかもと思う。

それに親の存在が加わり、大学は誰でも入学できる場所となり、
「高校の上の学校」という意味合いになっていくのだろうか。



時代は確実に変化している。


2006年08月23日(水) 明日から学校だよ

夏の甲子園大会が終わっても、フィーバーが続く。
早稲田実業の斎藤選手。
たしかに、「王子」という雰囲気で、清潔感がすごくいい!!

しかも、あの決勝15イニング目で魅せた140キロを超える投球。あれがすごく印象に残っている。決勝再試合より残っている。

準々決勝から連投でその日も3時間を越える投球をしてて、15イニング・・・まだ、そんな速い玉を投げれるのかと、びっくりした。
打席に立っていた苫小牧の本間君もビックリした表情だった。
しかも笑ってたよ。すごいなって感じだったのかな。

その時の、王子の表情もクールながら、負けん気の強さ全開だった。
思わず、息を呑んだ。
「この子、すごい・・・!」

それまでの試合経過もそうだったけど、この場面だけがやけに印象に残った。
彼らの先輩の荒木大輔君は、東京大会の時点から、アイドルだった。
甲子園が決定した時も注目の選手といって、報道された。
斉藤君が人気者にというのは、決勝と再試合の内容で注目されて人気者になった。
試合が終わってから人気沸騰というのは、試合の内容がよかったわけだ。
試合の内容で、注目されたのだ。

今大会、どこが優勝しそう〜〜なんて考えも及ばなかった。

初日、大阪桐蔭と横浜高校の対戦日程を見て、惜しいな〜〜〜初日で決勝戦だ、と思った。大阪桐蔭、二戦目はその早稲田実業とだった。
つくづく・・・くじ運が悪いと思った。

その試合桐蔭のスラッガー中田君は打てなかった。斉藤君は12奪三振。
11−2で早稲田が圧勝した。
大阪では恐いものなしだった桐蔭が、大敗した。

西東京代表としてあまりにも有名な早実だが、優勝経験が無いというのがビックリだった。レベルの高い、学校も多い、東京を勝ち抜いてくるには実力があるということなのだろうが、それでも優勝経験が無いとは、意外だった。

ともあれ、今夏のクライマックスを見せてくれた駒大苫小牧高校と早稲田実業の選手にありがとう。敗れていった学校の選手達にも、ありがとう。
また来年を楽しみにしてるよ!


2006年08月20日(日) 決勝はまた明日

早稲田実業対駒大苫小牧の甲子園大会決勝戦。

再試合になった。

まさか・・・
一点ぐらい、入るやろ、と思ってたら・・・・入らない!!

打線は、苫小牧のほうがうまいような気がした。
その苫小牧が打っても点が入らない。

早実のエース斎藤選手のピッチングだ。
苫小牧の田中選手を敬遠した時、ランナーは2塁3塁だった。
満塁策で次の打者と勝負するってのは、分が悪くなっているのかと思ったけど。そんなものではなかったらしい。思惑通り、このイニングも零点だった。

どこまでも、淡々と投手戦が続いた。
緊張の連続だった。

夏の天空にあるまぶしい太陽が、西に傾くまで、戦いが続いた。
ダイヤモンドに照明灯の黒い影がおちても、勝負が付かなかった。

息を殺して、見ていた。
3時間半にも及ぶすごい緊張感を感じた。

彼らは何かを成し遂げる時の充実した緊張感を気持ちいいと感じていたのではないだろうか。

そんな彼らに「勝負のゆくえ」などという「気持ちいい緊張感」の終点など要らなかったのかもしれない。

いつまでも、夢中になって野球をやっていたかったのかもしれない
勝負の付かない試合を楽しんでつづけていきたかったかもしれない
どこまでも自分たちの野球を愛する気持ちのままに
つづけていきたかったかもしれないと、思った。

夕方、陽が、おちて「もう夕方だから帰りなさい」と、大人に声をかけられるまで、時間を忘れて楽しく遊んでいた子供と同じだと思った。

両チーム同じ気持ちで
戦う楽しさを共有していたひとときに、15回というルールが適応された。

どんな場面で点が入って、優勝が決まった瞬間をどちらがどう表現するだろうか・・・
その感動を見たさに、付き合ってしまった15回裏。
1対1で終わってしまった。

きっと、この試合は、心に残っていくだろう。
二つ目の決勝再試合。(一つ目は昭和44年、松山商業対三沢高校)

優勝の感動を明日に回しても
やはり、すばらしい感動をありがとうと、いいたい。


2006年08月19日(土) 雲がわき立つ甲子園

高校野球、いよいよ決勝戦。
駒大苫小牧高校は、たしか去年も夏の大会で優勝した学校である。
対する、早稲田実業高校。古い高校野球ファンにはおなじみの学校である。
どっちがどうってあまり興味もないけど、早稲田実業を応援したい。

今年の高校野球は、大量得点をとらないと、勝てないという感想を持った。
最後までわからないといえば、そうだけど。

古い高校野球ファンの私にとって、例えば、3点取れば勝ちに行くことができると、以前まで見ていた。

ところが、一部金属バットの影響やら、選手の筋トレの成果だのといわれているが、打つとよくボールが飛ぶ。

何年までだったか、たしかラッキーゾーンがあった。
ここに入るとホームランである。

が、今はない。なくっても、ホームランが出る。

あの智弁和歌山と帝京戦は両チームあわせて7本のホームランが出た。
得点は13対12で智弁和歌山が勝った。
単純に3対2というわけにはいかないのである。

高校野球を見ていると、スポーツをする熱い気持ちというのが見えてくる。
いまどきのさめた子供達に足り無い心をスポーツは与えてくれる。

一方で、選手育成中心のチーム作りのために、そこまでスポーツをする気はないけど、楽しみたいという子供たちのスポーツをする場所がなくなっている。

全国大会などにかならず出てくる学校のクラブなどは、特にそうだろう。

ある公立高校のテニス部の話を聞いた。
「楽しくテニスをするのが目的です」。

いいなぁ〜〜〜と感じたが、学校経営を重視する私学などは、全国大会などで実績を上げていくのが学校の伝統を守ることとされているためだろう。
公立高校を羨ましく思う時である。

全国の頂点に立つのはどちらのチームだろうか。

負けて甲子園の土をもちかえる球児たち。
一礼をして球場を去るとき大きな拍手と歓声が上がる。

「また来年来いよ!!」「がんばれよ!」

来年来るぞ!
後輩たちをよろしく!

真夏の奇跡を起した球児たちが、秋のにおいのする青空へ帰っていく。
あれは、夏の天使たちの競演だったのだろうか。
そんな面影を甲子園に見た。


2006年08月17日(木) 勉強合宿

息子(高校一年)が、希望者のみの学校主催、勉強合宿にいった。
4泊5日だ。

・・・・・・・大丈夫かな・・・・・・

中学は全員参加で、楽しいイベントもあったようだが、
高校は希望参加で、12時間勉強とやらで・・・・・

最初、不参加だったのだけど、参加に変更した。
なぜ?と聞くと、先生が参加したほうがいいといったというのだ。
七月の懇談会で、先生に「勧めましたね?」と、詰め寄ってしまった。
「強くは勧めていません」といった。

勧めとんやんか!!(大怒)


座りっぱなしになって、エコノミー症候群にならないだろうか?
頭に新鮮な血液が流れなくなって、脳梗塞にならないだろうか?

なによりも、にわとりのブロイラーのごとく、勉強させられて
太って帰ってこないだろうか??

心配は多かった。

そのうえ、自己管理と自己責任で、ケータイを持っていく、持ってかないを
自分で判断しなさい、とケータイの件も相談したのに。
主人が、言下に「必要ないだろ!」といって、おいていくことになった。

だから、


メールも出来やしない・・・・・・・(大怒)



現地集合のゆえ、JR湖西線というものを検索して、京都駅まで送った。
おかあさんも一緒にホームへいこうか?ときいたら、案内を見ればわかるしいいよといって、改札に入っていった。



ものの、1〜2分後、同じ高校生を4人見た。
見ても、誰だかわからない・・・・・・・(情けない)
声もかけれない・・・・・・だって違う学年かもしれないし・・・



ああ・・・・・やっぱりケータイ持たせたらよかった!!!!!!
物凄い後悔をした。
車で待っていた主人に八つ当たりである。


持たせていたら、息子が嫌がるまで、メールをし続けたことだろう。



そう・・・・

私は、子離れ、できない母である。(自覚)


2006年08月16日(水) なにやら嫌な感じです

考えられない事件が二つ。
ひとつは、自民党加藤紘一議員の実家が放火にあったこと。

どうも、国会議員としての加藤氏の発言に異論を唱える人の仕業とか。
(まだはっきりとわかっていないが)だと
すれば、民主主義に対する犯罪行為である。

このくらいと許すわけには行かない。

もうひとつは、歯舞周辺でのロシアによる日本の漁船の拿捕である。

拿捕であったとしても、日本人の一人が銃殺されている。

丸腰の日本人になぜ銃を向けるのか?

あいてが、銃を持っていて、発砲してきたわけではない、戦争をやっているわけではない、政治のことはどこまでも話し合いで決めるべきことだ。

しかも、相手は漁船。銃の必要性などない。
武器を持てば、話し合いをするより使ってしまうことになる。
この場面、もし、ロシア人が銃を持っていなかったら??
殺人はなかった。
取り返しの付かないことにならなかった。
ロシアの誠意ある対応を望む。

しかし、どうもこのところの政治の外交は、武器だのみになっているような気がする。

北朝鮮のミサイルがその象徴である。

たいした外交戦の戦術ももってないのに、ミサイルを打つだの、核を開発するだのと、小出しに国際社会を脅し、注目させいのままに操ろうとしている。

ロシアという大国まで、民間人相手に銃を発砲するなどという野蛮でルール違反な行為に出てしまった。

くちより、なにより武器なのか?

それでは、民主主義はありえないし、平和な世界も実現できない。

武器を捨てよ、対話のテーブルつけとは
古今の知性が、訴えていることである。

武器を捨てることから本当の外交戦が始まると、私は思うものだ。


2006年08月14日(月) 16年目

息子の誕生日。

息子タメイキとともに「16年か〜〜〜〜〜〜〜〜〜ぁああああ」
なぜか、そう感慨深げにつぶやく。


「ついに、16年かぁぁあああ〜〜〜」
なにか、もっと深い思いがあるのだろうか??


「16歳かぁぁああ」
そうそう、年令を書く時まちがうなよ。


「10代は短いな〜〜〜〜〜」
年々、一年が短くなるよ。


「ずっと10代だったらなぁああ」

んなわけにはいかへんわ・・・。


「16歳かぁ・・・・・(ーー゛)」

お誕生日おめでとう〜〜!!(^O^)/


2006年08月12日(土) おいしい温度

スイカが今一番おいしい季節。
今年初めて気が付いたことがアル。
冷蔵庫で冷やすより、バケツに水を張って普通に冷やしたほうがおいしい、ということだった。

なぁ〜〜〜〜んだ・・・

そんなこと・・・

誰でも知ってるって・・・

いう???


温度も味のうち。甘い味は、冷やすと鈍くなる。
桃も、葡萄も。
果物の甘い味を味わうには普通の温度か少し低い程度が、ちょうどいい。

麦茶もそうだった。
同じお茶を冷やしたのと、通常の室温で冷やしたのとでは
確かに暑い日には、冷たいほうがいい。
麦茶の甘さと香ばしさは、常温で冷やしたほうが、よくわかる。


ってことで、
我が家では、「常温」というのが、今、はまっている味付けである。


2006年08月11日(金) 女性の人権

京都大学のオープンキャンパスへ行って来た。
息子の付き添いだ〜〜〜。
高校生といっても、子供なのだ(-_-;)

付き添いは、イベントが終わるまで別に待っているということで、ひまなあまり法学部の校内を見て回った。
ちょっと気になったことがあった。

法学部の自治会の新聞の内容だ。
「女子学生が安心してキャンパスライフを送るためには」

京大の女子学生は、なにか不安なことでもあるのだろうか。
アメフト部の集団暴行事件があった。
私の記憶(あまり当てにならないけど)では京大の女子学生というわけではなかったかもしれないが、女性に対して不埒な行動に出るやからがいるということだけでも、女子学生にとっては、腹が立つものだろう。

これに対する自治会のアンケートのコメントが載っていた。
たいていが、男子学生側が悪い、とんでもないことだというが、なかには、「ついていった女性が悪い」という見方もあった。
「訴えるにも自分達(女性側)にも非があるのを認めよ」。
「報道の内容が偏りすぎているのではないか。」
などなど。
理学部や工学部ではない。
法学部である。法曹界へ行く可能性があるからこそ、注目した。

女性側が「訴えた」ということは、「合意」がなかったと見られる。
つまり、一緒に飲み食いしようと誘われてついていったわけだ。

ここで、きっと男性側はその後の行為については、無言の合意があったはずとするだろうが、無言というのはなんの証拠にも、なんの証言にもならない。
よって「ついていった女性も悪い」というのは、「合意」が無いので間違いである。

でも、世の中のお母ちゃんの一人でもアルわたしに言わせれば、ついていった女性も悪いといわれれば悪いわな。男の部屋にいくってのは!

それ以上に、強姦した学生はもっと悪いわな。刑事罰を問えば、男子学生は罰せられるものだわな。

もうひとつ、校内で痴漢が発生したという。被害者は京大の女子学生。
外部の人間だろうか?自治会の書き方によれば、内部、つまり大学関係者か、学生かであった。

夜、おそくまで、何かの調べ物をしていたのか、クラブ活動か、校内をあるいていての事件である。

先ほどの集団暴行が、「据え膳を食っただけ」というのであればこれもまた一人歩きは襲ってくれといっているようなもの、といって「据え膳をくった」だけという、言い分をするのだろうか?

だったら、確かに女子学生は安心してキャンパスライフをおくれない。

もうひとつ、図書館にある大型DVDのスクリーンに数名の男子学生がアダルト映画を映して楽しんでいたという。
それを見て、職員に通報したのは女子学生だった。
大学の設備は、アダルト映画を見るためのものですか??そんなものは、自分の部屋でこっそり見るものです!!
大学の図書館でアダルトビデオを見る。女子学生にとってこれほどの侮辱は無い。知性の府で女性という性を面白おかしく欲望のままに描かれた画像を男子学生は見て、楽しんでいるわけだ。

ここで私がムカついているのは、「女性の人権」という考え方である。
いくら優秀な男性がもし自分が女性であったら、と以下の如く考えていたとする。
・・下心なしに暗い道を一人歩きなどしない、とか
・・京大のアメフト部に一緒に宴会しようと誘われても、エッチまでしたくなかったら行くわけがない。

だから、この場合女性にも非があると考えるのは、自分が男性であるという土俵上に立っての考え方である。
女性の心理は全く違うということを知るべきであり、認めるべきである。

男性は、男性である自分を基準にして女性を推し量ってはいけない、と訴えたいわけなのだわ、私はね。

かなり単純な例えだけど、「毎月の生理はきついよ〜〜」って理解できるだろうか。
でも、みんな平気な顔してるからたいしたこと無いのだろうって思うかもしれない。

毎月、虫歯一本抜くほどのストレスだよといえば、わかるだろうか。
でも毎月だったら慣れてしまってたいした事無いと感じているのでは?と殿方(?)は切り返すかもしれない。

だから、基本的に分かってない、分からないということだ。

子供を生む時の、痛みはすごいよ〜〜〜というと
女性って痛みに強いから平気なんでしょ。という殿方!!

そんな、基本的に違う部分まで理解できないのに、前述の「ついていった女性も悪い」というのは、間違いであるのを理解していただきたい。

きっと、誘われて、素敵な王子様に見えたから、シンデレラ気分で舞踏会にいっただけのこと。

夜一人で歩いている女性は誰もが襲ってくださいと、願っているわけでないこと。

大学内で平気でアダルトビデオを見ている男子学生をみて「憤り」や、「女性に対する侮辱」と彼女達が感じたとしても当然であること。

これらを理解せよというほうが無茶なのかもしれないが、人としての「心」をきちんと成長させていれば、同じ人間ゆえに、女性の心理も理解できるはずである。



長ったらしくなってしまった。



2006年08月10日(木) 残暑お見舞い申し上げます

立秋も過ぎ、慌てて暑中見舞いを残暑見舞いに変えた。
毎年、今年こそ暑中見舞いをだすぞ!と思うけど、今年も残暑見舞いになった。

でもあの梅雨のなか、暑中見舞いという感じではなかった。
8月になって夏がやってきて、ようし!!暑中見舞いだ!!!と、力んで

画像を作って、ハガキを仕上げたら・・・
立秋だった。(笑)

来年は、早く作って、だすぞ!!

と、一応決意した。


2006年08月09日(水) 知名度のねうちとは?

福知山成美が愛工大名電に勝った。
それほど知名度は全国的に高くないと思うが、なにしろノーシードで京都大会を勝ちきってきた。

平安にも外大西にも勝った。
実力がぐんぐん付いてきたチームだったのか、と感心して見た。

名門とか古豪などと甲子園の常連のことを形容する。
あの静岡商業高校も古豪である。
子供のころセイショウと呼んでいた。ユニフォームにもそう書いてある。

おなじみの学校はそれなりに、今年もでてきたと、うれしい限りだ。
でも、聞いたことのない名前の学校もある。
南陽工という学校もそうである。

明日は、去年の覇者駒大苫小牧高で、誰もが知っている学校だ。
またあの天を指差すパフォーマンスが見れるのか。

両校ともがんばっていい試合をして欲しい。
勝負は試合が終わるまで分からないものだ。


2006年08月07日(月) 夏の楽しみ、高校野球

全国高校野球選手権=甲子園大会が、6日からはじまっている。
どこを応援するという感覚はあまりないが、息子と同じ高校生がでているのでよけい親近感を感じる。

始まってから試合を全部みているわけではないが、仙台育英に注目している。
ピッチャーの佐藤君は安定感がある。打線もいい。

大阪桐蔭と横浜の試合は、思いがけなく決勝戦か?と思うカードだった。
横浜が先制してから、大阪桐蔭の逆転は、目が覚めるような瞬間だった。

つぎは早稲田実業が相手というが、このカードも準決勝?と思った。

清峰高校の22−3の大差の試合は、見ていないが、22点を見て驚いた。
レギュラー選手全員の20安打というのは、驚異である。

わが京都は福知山成美が、愛工大名電と当たる。
学校の名前を聞くと強そうに思うけど、同じ高校生である。
ネバーマインドだ(笑)

京都は、地方大会でシード校がことごとく敗れ去った。甲子園でも名前の通った学校の面々である。
福知山成美はノーシードだった。それだけに、ビックリしている。新しい学校がどんどん出てきてもおかしくないから、がんばって欲しい。


2006年08月06日(日) 墓参り

土日一泊で、墓参りに行った。場所は兵庫県の氷上町。

子供達は嫌がるのだけど、本心はどうなんでしょうね??
わたしの母が入っている。
もし、私が死んだら、だれもおまいりにはこないかもしれないと思って
永代供養で買った。

顔も知らない、孫と祖母の関係になるが、将来的に墓参りができる生活をするのかどうか、それもわからないから、私ができるうちに墓参りはやっておこうと思っている。
子供達に無理はいえない。

ただ、かれらが子供のころ、暑い中墓参りに行ったという記憶が残れば、きっと彼らはお参りをしてくれるだろうと、思っている。

かってな思い込みかもしれないけど・・・・。


2006年08月03日(木) 毎日が掃除の日

我が家が新築の時、キッチンは主人の妹の提案で、システム家具をいれた。

冷蔵庫と電子レンジの位置がきまっていて、サイズまで決まっている。
見た目はいいが・・・果たして意味はあるのだろうか?

そんな冷蔵庫とレンジが、たしか7年前に、同時に壊れた。
それもいまどき、暑い季節だった。

ひいきの電化店に、何処のメーカーでもいいから、サイズがあう商品を持ってきて!と、頼んだ。

それ以来、冷蔵庫もレンジもよく働いた。
今回、調子が悪かったレンジが壊れた。

修理に出そうと(買った店は倒産していた)電気店に持っていった。

修理代は1万円ほど、期間は2週間かかるって・・・・・毎日食べるんですけど。

よくよく考えれば、レンジのなかった時代・・・・冷凍食品という言葉さえなかった(日常生活的に)

いま、肉も魚も、かちかちに凍らせている。
それを解凍するのに、自然解凍では、必要な量だけというわけにもいかない。
かたまりすぎると切る事でも出来ない。

逆にいえば、料理を簡単にチンして食べることに慣れてしまった私自身・・・情けないのかもしれない。

結局、レンジ台のサイズを測り間違えて、かったH社製の商品は、置くに置けず、またまたお店に持っていかざるを得ないこととなった。

梱包を崩した後だったので、丁寧に元に戻しても限界がある。別の商品を買うつもりで、店の中を見てみると、サイズにあった商品は全体の4分の一ぐらいしかなく、圧倒的に時代遅れの商品しか置けないことが分かった。

新しい商品を買って喜んだ後のショックたるや・・・しばし、主人と話し合いを持つことになった(マッサージ器コーナーで、マッサージをしながら)(-_-;)


主人も、サイズにあった商品だとなんだか情けないバージョンのレンジしかなくって・・・・使い勝手も期待できそうにもないのに、がっかりしたらしい。

こうなると、台所にあたらしくレンジを置く場所を作ることにしようと前向きになった。場所と簡単に言っても、システム家具を使っている関係上、余分な空間などない。

ないけど、壊れて使ってないコンセントとの修理をして、レンジ台を買って、そこに置くという発想は成り立った。

「お騒がせしました」と、お店に誤って、持ってきた商品を持って帰った。
(ほんまにお騒がせ!)

この台所レイアウト作戦と名づけた作業は、自然発生的にやらざるを得ない作業となった。

が、ここ数年来の宿題であった、息子の勉強部屋の確保をこの間、やっとこさ〜〜〜汗だらけになって、やり終えたばかりだったのに。

その余波で、お茶の間、未使用の洋間などをレイアウトやりなおし、だったのに・・・・


この夏、汗だらけになって

なるべくお金をかけない、レイアウト作戦が、

お茶の間、勉強部屋
そして、台所と

展開されている我が家である。


2006年08月01日(火) 小さな後悔、大きな成果

人生、遅きに失したなんてことは、小説以外ありえない。
気がついたときが「時」である。

たとえば、子育て。

しまった!!もうすこし、かまってやるんだった!!!

と、思ったら、子供は半分以上自立してる年頃だったとしても、
説教がましくなければ、話ぐらいは、聞いてくれるような期待はある。

しまったもう少し、勉強できるように、賢く対策を講じていたら、
・・・、後悔先に立たずである。
でも、多少の修正は、きくような気がする。

わが、娘。
もう大学生になった。

速いな〜〜〜〜さっきまで、小学生だったのにと、よく思う。

勉強が、できないと思ったことはなかった。
多少、人より、にぶいかも、と思ったことはあった。

が、小学校4年生で、家庭教師を雇った。

わたしでも教えられるが、あまりのにぶさに、つい手がでてしまうのだ。
平和でありたい親子関係上、これは不都合であると判断した。
どんな理由があるにせよ、暴力はいけない。

しかし、もろくも壊れる私の忍耐力では、むすめに勉強を教えることはかなり難しい。

だったら他人に委ねよう!!これは仕方がないことだ、と判断した。

もし、過去を修正できるものなら、この時点を修正したい。

家庭教師なんて雇うんじゃなかった!!

彼らに私ほど子供への愛情なんてない。あたりまえだ。お金さえ手に入ればいいのだ。

だが、わたしは、むすめには、学習で人に後れを取る情けなさを取り払って、人よりできる充実感を持って欲しかった。

だからといって私が教えるわけにはいかなかった。

ってことは・・・・・・あの時点で、補習中心、個別でもいい、塾にいれていればよかったと後悔している。

しかし、それで今以上に彼女の人生がハイレベルなものになったかというと
あながち、なんともいえない。

ただ、家庭教師ではダメだったとしかいえない。(金返せ〜〜〜〜〜!!!)

わたしに勉強を云々されると、恐いと思った娘は中学に入っても、勉強を教えてとは、いってくれなかった。

息子は、小学校も中学も、聞いてくれたのに。(そのたびに冷や汗もので教えたけど)

大学受験のときになってやっと、教えてというようになった。

私が、変わったのか、それとも、むすめが変わったのか。

もちろん、声を荒げることはあったとしても、娘をたたくことはなかった。
以前の経験が私を学習させていた。

やがて、大学入学。


めでたしめでたし・・・・・・のはずが・・・・・・・・


「英語わからない〜〜〜〜〜〜」



・・・・・・うそ・・・・・・・これ、高校一年レベルの英語ヤン・・・


教えるとまた、手がでるかもしれないと、自分を認識している私は、
英語の翻訳ソフトの使い方を教えた。

・・・・爆!!



そのつどそのつど、試行錯誤の子育てであった。育てる私も未熟者である。

純粋に、まっすぐに、親を慕って、ついて来る子供にどれほど、教えられたか、諭されたか、わからない。

今となっては、ほんの昔の事である。
・・・懐かしい、すこし昔のことである。


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