a Day in Our Life


2006年01月28日(土) 2006夢男達感想文。(ヨコヤマ+ムラカミ)


 初めて会った時、まるで死人でも見るような目で固まっていたのを覚えている。
 渋谷スバルの映画を作りたいと話を持ち出したその人物は、鬱蒼と濁った目をしていた。底の見えない不透明な池のような。そのヨコヤマの瞳の中に一瞬、深い深い奥底を見た気がしたのだった。


 「人殺し、って詰りますか?俺を」
 あなたの仲間達と同じように、とヨコヤマは言った。
 共にその身を危険に晒しながらリングに上がったスバルとカズヤ。挑戦者であるカズヤのグローブに鉛の板を仕込んだのはヨコヤマだった。結果として、重いグローブから放たれた右のクロスをまともに受けたスバルは地に伏し意識不明の重体、そして終には死に至った。ヤスダやマルヤマ、オオクラは怒り狂い、カズヤをこの世の悪のように憎んだ。憎悪して、その行方を血眼になって探した。けれど、その時の彼らは知らない。鉛の板を仕込んだのはヨコヤマだったことを。
 スバルを殺したのは鉛の板だったか、それともカズヤの一撃だったか。
 ムラカミは考える。スバルに恥をかかせることは絶対にしない、と言った自分。スバルの容態を知っていたのは自分だけだったから、無茶な試合に臨もうとするスバルを、本心では止めたかった。スバルの内心も分かると理解を示した振りをして、結局止められなかったのはムラカミの罪だった。
 止めなかったのか、止められなかったのか、ムラカミは自問する。
 止めたかった自分。止めたくなかった自分。スバルの生命が危機に曝されているのを知っていた。今の発作的な耳鳴りだけでなく、聴覚そのもの、そして視覚、言語から、いつかは記憶までもが失われていく。この先、遅かれ早かれスバルは失われる。その過程を見るのは辛かった。
 「だから、あなたの為なんですよ」
 ヨコヤマは薄笑いの表情を浮かべた。薄茶色の瞳は不明瞭に濁って、その瞳にムラカミは映らない。唇の端を歪めてどこか楽しそうにすら見えるヨコヤマは、僅かに一歩だけ、ムラカミとの距離を詰めた。
 「俺の…、」
 「だってそうでしょう?あなたはスバルを止めることが出来ない。彼の意思を尊重する振りをしながら、違うことを考える。このまま無様に廃れていくスバルを見るのは辛い。だったら、リングの上で死なせてやった方が、スバルの為なんじゃないか」
 その点、亀梨カズヤは絶好の対戦相手じゃないですか。ヨコヤマはムラカミの、奥底に隠した本音を引っ掴んで曝け出す。何が最良かを考えて悩むムラカミはそう言われても尚、眉間にきつく皺を刻んで閉じた瞼を震わせる。
 スバルの為に、どうすればいいのか。何が出来るのか。
 ムラカミは結局、スバルをリングに送り、そしてスバルは死んだ。
 今、ヨコヤマを見据えるムラカミの瞳は怒りと憎しみに研ぎ澄まされて、睨みつけるような視線を受け止めたヨコヤマは、うっとりと目を細めた。
 初めてその、とても大切だった人に似ていた顔を見た時、本当に吃驚したのだ。
 けれど瓜二つに似た顔はもちろん別人だった。当たり前のように死者は生き返る訳がない。ヨコヤマの大切な人はもう永遠に失われてしまったのだ。彼はヨコヤマの大事なその人ではない。けれどひどくよく似たその顔は、ヨコヤマの視界にちらついた。プロデューサーとしての仕事をまともではないやり方で全うしながら、ちらりとムラカミの事を考えた。彼はこの先訪れる未来に失望するだろうか。
 ムラカミの憤怒に満ちた瞳を見つめ返しながら、ヨコヤマは知らず唇を笑みの形に歪める。ヨコヤマの大切な人は自らの不運を、先天的に抱えた心臓の弱さを悲観することなく、短い生涯を恨まずに死んでいった。いっそ穏やかなその死に顔は生前そのもので、彼を救えなかったヨコヤマを責めることもしない。
 本当は、責めて欲しかった。冷静さを欠きあっさりと騙され、心臓を手に入れ損ねた挙げ句、彼を死なせてしまったヨコヤマを、詰って欲しかった。
 そう、ヨコヤマはその顔が見たかったのだ、きっと。
 最愛の人に憎まれる感覚でヨコヤマはムラカミを見る。偽善ぶるつもりはないけれど、ヨコヤマは、ムラカミを救いたいと思ったのかも知れない。スバルを想う気持ちとは裏腹に、本音と建前の間で苦しむムラカミに藁ほどでも救いを差し伸べてやりたかったのかも知れない。その藁を掴んだくせにヨコヤマの所為にして憎んで見せる狡いムラカミを、それでいい、と思った。
 ムラカミはスバルの、そしてヨコヤマはヨコヤマの大事な人の喪失感を抱えて生きていく。
 とても好きな人に似ているムラカミが、スバルの死を胸に抱えて、離さず生きていけばいいと思った。



*****
昨年に引き続き、捏造にも程がある小話。

2006年01月23日(月) 雪讚歌。(直樹→アントーニオ)


 「寒くないですか?」

 まるで魂が抜け落ちてしまったかのように、呆然と前を向く人へかけた声は、辛うじてかの人の耳に届いたらしい。いや、と短く呟いたきりまた黙って前を向いてしまったその人を、少し微笑ましく眺めた。
 雪を見せたい、と思ったのは完全なる思いつきだった。
 この冬、何度目か街中を染めた雪に降られながら、ふと直樹は思ったのだった。この雪を知らないだろう、遥か遠くに住まう人を、ここに連れて来たいと。
 果たしてそんなことが出来るのか、だって直樹の住むここは21世紀の日本で。彼の住むアセンズは時空さえも越えた16世紀のヨーロッパだった。本来、その存在同士が交わうことすらありえない。けれど事実として出会ってしまったのだ、自分は、彼に。
 最初はただ神様か妖精のいたずらだったのかも知れない。けれど初めて訪れたアセンズの土地で、自分の意志とは無関係に巻き込まれた騒動が解決して、姿は見えないものの確かに気配を感じた妖精たちのおかげで無事、現代に帰ることが出来た。普通ならそこで物語は終わりの筈だった。だから、終わりたくなかったのは直樹自身だったのだ。
 それからしばらくして、アセンズに舞い戻った直樹を見て、今や一国の王たるクローディオも、その片腕として変わらない手腕を振るうアントーニオも、一様に驚いた顔をした。驚くアントーニオの傍らで、一人表情を崩さなかったクインスだけが、或いはこうなることを予想していたのかも知れない。今、直樹は何となくそう思う。まさか彼がそれを手引きしたとは思わないけれど。
 直樹は時空を越えて、アントーニオに会いに行く。行けばアントーニオはその足を止めて、直樹に笑いかけてくれる。その存在が確かにそこにあるのだと、直樹は知る。
 けれど逆はあり得るのだろうか、と直樹は思った。彼を直樹の住む現代に連れて行くことは危険なことだろうか。だから人知れずホープランドの森を訪ね、そこにいるであろう妖精達に願った。ただ彼に、美しい雪を見せたいのだと。妖精達が雪の存在を知っているかどうかは怪しかったけれど、真摯な気持ちは届いたらしい。最大の難関である国王や父の了承も得、何より当人の気持ちを導いて、今、時空を越えてここにいる。
 二人分の空間を歪めるのはたぶん、大変なことなんだよ、と妖精は言った。
 本当は妖精が言ったようで、ただ自分が懸念する事を、内なる自分に話し掛けているだけなのかも知れなかったけれど、とにかくその行為は安全ではありえないのだと、声はそう言った。当然だと思う。だから直樹はもし彼に何か危険があれば、きっと彼を守ると、もし時空の歪めに落ちそうになったのなら、自分一人が落ちればいいのだと、そんな思いを抱えていた。決意にも近い、確固たる想いは父クインスにも知れたのだと思う。だからクインスは穏やかに笑って、息子にその美しい、雪とやらを見せてやってくれと言ったのだった。

 「これが”雪”です」
 直樹の言葉に頷いたアントーニオは、一面降りしきる雪を、ただ黙って眺めた。
 「…美しいな」
 ぽつ、と漏れた言葉は感嘆の色濃く、ため息混じりに吐かれた息も白く広がり、空気を染めた。静かに重く、舞い落ちる雪の粒はしんしんとアントーニオの髪に、肩に、睫毛に降りて留まる。その冷たさも感じないのか、ふと見ると無防備に晒したアントーニオの指先が、仄赤い色を浮かべていた。アセンズを発つ時に、現代にその格好は不釣合いだからと用意した服に着替えて、中世の華美な衣服を脱いだアントーニオは、その人ではないようで。
 もし、これが現代のやり方なんです、とその手を取ったなら、何も知らないアントーニオはそんなものなのだと黙って手を握られただろう。けれどそれだけは外さなかった、現代服にはアンバランスなエメラルドグリーンの大きな指輪が、今もアントーニオの指に嵌っているのを見、結局、直樹は手袋を差し出した。
 「冷えるといけないから、これ使て下さい」
 ありがとう、と僅かに微笑んで、素直に受け取ったアントーニオが黒い手袋にその指を隠すのを、ぼんやりと直樹は見遣る。自分は今、彼の手を温めたかったのか、それとも彼の指輪を見たくなかったのかどっちだっただろう、と考えた。
 「直樹の言った通りだ。これほどの美しい純白はない」
 見れてよかった、とアントーニオは言った。彼の感動した白い世界は、果たして最愛の父を喚起しただろうか、と直樹は思った。どちらがより美しかったかと、直樹は聞こうとして、けれどあまりに下世話な質問だと結局、聞くのを止めた。
 直樹の感傷をよそに、今も雪は降る。
 しんしんと、黙々と静かに、直樹の、アントーニオの、誰の頭上にも降り積もる。
 好きなのだと、直樹は言いたかった。
 美しい白銀の世界を眺めながら。何より無垢な気持ちで、あなたが好きなのだと。ただそれだけなのだと。
 直樹にとって、それはそれだけで完結する気持ちだった。彼をどうこう出来るとか、しようとか、そういうことは思わない。ただひたむきに好きだと思う。それは彼の生き方や、純潔な精神や、穏やかに澄んだ瞳でさえ。
 今、その降り積もった想いを雪に乗せて、彼を抱き締めることで伝えたのなら、その体は雪のように消えてしまうのだろうか、そう考えた直樹はあまりに感傷的すぎる、と自嘲気味に唇を歪めた。
 思えば随分と、感情に滑りすぎていたのかも知れない。 
 だから、後ろから近付いてくる気配にまるで気が付かなかった。寒がりなせいで、首をマフラーに埋め、ダウンジャケットを着ても尚、寒さに息を白く染めながら、
 「直樹やんけ、何しとるん」 と邪気なく掛けられた声に、同時に振り返って。
 似ている、と気付いたのは先の自分だったのだ。一面の銀世界にそのまま溶け込みそうな、淡く白い肌。決して派手ではなく優美な銀髪とは対称的に、目にも鮮やかな美しい金髪の間、色素の薄い柔らかな瞳ですら生き写しのように似たその人は。

 「父上…!」
 
 直樹が何か発する前に、息を飲むように吐き出されたアントーニオの声を耳にして、はっきりとしまった、と思った。



*****
これ系が続いた試しがありませんな…。

2006年01月22日(日) 白い華。(直樹→アントーニオ)


 「雪?」

 その、聞き慣れない単語を反復したアントーニオは、舌に乗せても尚、実感の沸かない言葉の意味を考えるように数回、瞬きをした。
 「そう、雪。日本は今年、近年稀に見る寒冬で、ここに来る前、大阪でも珍しく積もっとったんですよ。そう言えばアセンズでは降らへんのかな、思って。ここは今も全然暖かいし」
 初めてこの国を訪れた時、時空の歪みを越えて偶然に紛れ込んだあの時と違い、今や確信的に21世紀と16世紀を行き来する直樹はふと、アセンズに四季はあるのだろうかと考えた。特にこのホープランドの森の中はいつ訪れても緑に溢れ、柔らかい温もりで直樹の心を癒す。それともそれは、環境のせいではなく、無理矢理会いに来た直樹に付き合ってくれる目の前の人のせいかも知れなかったけれど。
 「雪っていうんはね、雲の中の水蒸気が結晶して地上に降る白い固まりなんやけど。気温が摂氏零度以下の大気中でしか出来へんから、主に北日本でしか見られへんねん。手に取ると体温で溶けてしまうから、持って来ることももちろん出来へん」
 直樹の説明を黙って聞いたアントーニオは、その頭の中で直樹の言う現象を何とか想像しているようだった。けれど実際に見たこともなく、存在すら知らなかったものをいくら口で説明した所でリアルには伝わらなかったに違いない。百聞は一見に如かず、と昔の人はよく言ったものだと思う。そう言う意味ではアントーニオそのものが直樹にとっては「大昔の人」に当たるのだが、そんな事を言っているのではもちろんなく。
 「雪が積もると地面も建物も一面が白く染まって、めっちゃ綺麗なんやで。それを銀世界、と表現するんやけど、白い雪は光に当たると反射してキラキラと光るから、それは、とても美しい光景やねん」
 「一面の、白。…銀世界」
 美しい白、と言われたアントーニオは、漸く具体的なイメージを思い浮かべる。それは身近にある華やかな白だった。彼が愛する父のそれは白く透き通るような、美しい白い肌。
 「きっと、この世のものではない程に美しいのだろうな」
 見たことはないまでもそう想像して、アントーニオは僅かに微笑んだ。摂氏零度の冷たい空気の中で手に触れた白い結晶は、その皮膚にどんな感触を与えるのだろう。
 「いつか、連れて行きますよ」
 それが果たして叶うことなのか、直樹には分からなかったけれど。それでもいつかこの人を21世紀に連れて行く。そして雪景色を見せてやりたいと、直樹は思った。一面に広がる銀世界を見た彼は、何と言うだろうか。どう思うだろうか。目に刺さるほどの眩い白を、何者にも替え難く美しいと愛でるだろうか。
 それとも、と直樹は思う。
 それともやはり、そうまで美しい雪よりも、同じ血を分け与えられた父の麗しい肌が、その艶やかな銀髪の方が、よほど尊く神聖だと思うのだろうか。彼の心を捕らえて離さないのだろうか。
 それでもいい、と直樹は思った。
 「いつか。必ず」
 それは直樹の決心にも近かったかも知れない。静かに美しく降りしきる雪が、優しくアントーニオの肩に落ちればいい。その光景を見たいと思った。
 対するアントーニオは答えることがなかったけれど、言葉の代わりに直樹を見た。栗色の髪の間から、今はもう柔和な瞳がゆらゆらと揺れる。濡れた黒眼だけで雄弁に微笑ったアントーニオが、ひどく愛おしいと思った。



*****
アセンズはむしろ、雪に覆われたイメージがありますが。

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