おーのの育児日記

2003年03月31日(月) 豊橋へ

さてさて、豊橋へ帰る日です。
晃太朗の昼寝の時間を見計らって出発です。

旦那様は、好き勝手できて楽しかったものの、やっぱり一人は寂しいなあと実感してくれたようです。
家に帰ると旦那様が掃除をしていてくれました。
晃太朗は車の中でぐっすり眠っていたので、家に着くと駐車場で旦那様に遊んでもらってうれしそうでした。

家に帰ったら、おっぱいなしで眠れるかなと心配しましたが、なんと9時前には熟睡でした。
こんなに夜をのんびり過ごせるなんて・・・感激です。
明日からしっかり遊ばせなくてはっ!



2003年03月30日(日) 花見

心配だったお天気も、本日快晴。暖かい一日でした。
桜は昨日よりもたくさん咲いていて、お弁当もおいしかったし、晃太朗もまあまあいい子にしていたし、なにより楽しかったです。

お花見・カラオケの後、美知子ばあばの実家で法事がありました。
晃太朗はじいじに抱っこされていい子にしていました。
美知子ばあばの父のひいじいじは、集まってくれた近所のかたがたに、まずはひ孫披露をしていました。
晃太朗がいい子にしていてくれる間、私はお茶を出したり、お菓子を詰め合わせたり大忙し。
やっと近所の人たちが帰った後、やっと家族でお経をあげました。
今日の法事は、美知子ばあばの兄、私のおじさんの23回忌でした。
おじちゃんは交通事故で亡くなったのです。私の幼稚園の入園式の日でした。
おじちゃんは結婚もしていなくて、子どももいなかったので、姪の私をとってもかわいがってくれました。
弟は生後半年の時に、おじちゃんが亡くなっているので、顔は覚えていないけど、私はよーく覚えています。
遊びに行くと「ちぃきたか。おかわり(弟のこと)もきたのか」といって、私を膝の上に乗せてくれました。
仕事の関係で、中東に出かけることが多く、今戦争をしているイラクから電話をしてくれたり、民族衣装を買ってきてくれたりしました(着たことないけど)
29歳で亡くなったので、お葬式でみんながわーわー泣いていたのを覚えています。
大人がみんな泣いているので、私はなんだか泣いちゃいけないような気がして、弟を連れて、誰もいない玄関で一人で泣いていました。
まだ赤ちゃんの弟はわけがわかっていなくて、きょとんとしていました。

法事では、ご近所の人や家族でおじちゃんの思い出話をしていました。
普段はあまり思い出すこともないけど、時々こうやって亡くなった人のことを思い出して話すのはいいことなのかもしれません。
とくにおじちゃんみたいに、若くて突然亡くなってしまった人はそうなのかもしれません。
子どもだった私が、1歳児の母になるなんて、空の上のおじちゃんはどんな顔しているのでしょう。

お経をあげている間、晃太朗は私の膝の上でおとなしくしていました。
時々、一緒に「あー、うー」とお経をあげていたので、ひいじいじがニコニコ笑ってみていました。
最後は「まんまちゃー」と手を合わせていたので、びっくりしました。
「晃太朗は賢いなあ、偉いなあ」と褒められ、みんなで座布団を片付けている間、自分も片付けている気分になったのか、仏壇のリンを持ってうろうろしている晃太朗の顔が得意げで、思わず笑みがこぼれました。

夜、やっぱり疲れた晃太朗はお風呂に入っておっぱいなしでぐっすり寝ました。



2003年03月29日(土) おっぱいなしで寝る方法

寝つきはおっぱいなしだったものの、朝方気がつくと、晃太朗が私の布団に入っていておっぱいを飲んでいました。
寝ぼけながら母のパジャマをめくったのでしょうか。記憶がありません。

今日は母が花見ということで、明日の下見もかねて公園へ出かけました。
その前に母の職場に寄って書類をもらいに行きました。

公園の桜はさっぱりでしたが、花見をしている方々はちっとも気にしていませんでした。
晃太朗は鳩を追いかけたり、石を拾ったり、草を触ったりして遊んでいました。
知らない子どもやおばさんについていったり、遊んでもらったりするもの平気です。美知子ばあばはお酒を飲んでいい気分になってしまいました。
おしゃべりが尽きることはありませんが、この後も予定があったので途中で失礼しました。

その後、ベルシティでお昼を食べて、妹のバイト姿を見てからひまわりにひいばあばを訪ねました。
ひいばあばは糖尿が500もあるとかで、栄養士さんに栄養指導を受けるため、美知子ばあばが呼ばれたのです。
ひいばあばは「お菓子が食べられないなら死んだ方がまし」と栄養士さんを困らせていましたが、少しなら食べていいよ、ひどくなって目が見えなくなったり、手や足が腐ってなくなるよりはいいでしょ、と説得されていました。
でも、ちょっと痴呆のひいばあばなので、次に会ったときにはまた「みたらしが食べたい」「バナナが食べたい」と言うのでしょう。
栄養士さんが来る前に、妹のバイト先で買ったタイヤキを食べたことはもちろん内緒です。これからはめったに食べられません。
でも、お年寄りの楽しみなんて食べることくらいで、ひいばあばは歩くこともできないし、家に帰ってもさらに不自由な生活になることは本人もよくわかっているけど今の生活で満足できないというストレスもあって、余計食べたくなるのでしょう。
時々は好きなものを食べてもいいよ、と栄養士さんは言ってくれて、ひいばあばは少し嬉しそうでした。

晃太朗は栄養士さんの話の間、ひまわりを歩き回り、知らないおばあさんに声をかけ、車椅子を押したりブレーキをかけたりして遊んでもらっていました。
おばあさんたちは晃太朗がよちよち歩きなのに「わしより歩くのが上手や」と褒めてくれ、晃太朗が尻餅をつくと「危ない危ない、寝たきりになってしまう」と心配してくれました。
大丈夫、子どもはそんなに弱くないです。毎日何十回と尻餅ついています。

夜、やっぱり疲れたのか、晃太朗はおっぱいなしで寝てしまいました。
夕方寝させないのと、昼間しっかり遊ばせるとよいようです。お風呂の中でうとうとしはじめ、パジャマを着るころにはぐでんぐでんになってしまい、あとは熟睡です。
明日は花見。晃太朗もしっかり遊ばせて、明日もおっぱいなしで寝させるぞ!



2003年03月28日(金) 鈴鹿へ

お花見&法事のため、鈴鹿への移動日でした。
晃太朗の昼寝の時間を見計らって出かけました。
車の中で泣いたり寝たりの晃太朗でしたが、無事に鈴鹿へ到着。さすがに3時間の運転は疲れます。ぐったりです。

実家は誰もいなかったので、鍵を開けて勝手に上がりました。
荷物を運び込んでいる間、晃太朗は庭で一人で遊んでいました。
草をもぎ取ったり、石を拾ったり、砂を頭からかぶったり、よくわからないけど楽しそうでした。
家に入ろうとしないので、いっしょに外でぶらぶら遊んでいました。
晃太朗がむしりとった花を玄関の前に並べたり、晃太朗とかくれんぼもどきをしたり、平和な時間でしたが、暑いくらいのじりじり日光に右腕がむずむずしてきました。
・・・か、かゆい。
1時間近く外で遊んでいたせいでしょう。運転している間は手袋をしていたので大丈夫だったようです。

嫌がる晃太朗を無理やり抱きかかえ、家の中に入りました。
手を洗って、テレビをつけても好奇心旺盛の晃太朗はじっとしてくれず、階段をのぼろうとむかったら、弟がぼさぼさ頭でやってきました。
自分の部屋で寝ていたようです。
姉と甥の姿を見た瞬間、固まってしまった弟・・・
間をおいてやっと第一声。
「なんで姉ちゃんと豆がおるの・・・」
後半は消えそうな声でした。そんなに私が来ると迷惑かい・・・
姉はこんなにも弟をかわいがっているのにさ。

弟はそそくさとバイトに出かけてしまいました。
晃太朗は階段をのぼって妹と弟の部屋へ潜入。
中は昨日、テレビで見たごみ屋敷のように汚かったです。
特に弟の部屋は、足の踏み場もなく、見なければよかったと後悔しました。
が!!
晃太朗は足の踏み場もない部屋をとことこ歩いていってしまいました。
追いかけるのをためらったけど、ラジカセのスイッチを入れたり消したり遊ぶ晃太朗をほったらかしにしておくわけにもいかず、息を止めて部屋へ入り、急いで出て、ドアを閉めました。
ぜえぜえぜえぜえ。

晃太朗を抱きかかえたまま、階段をおりて居間へ行くと母が帰ってきました。
美智子ばあちゃんの強烈な歓迎に、ちょっと引き気味の晃太朗。
引き出しを開け、タオルやお弁当箱を全て出し、包丁までも手にしようとしてばあばを驚かしていました。

夜は疲れたのか、晃太朗はおっぱいなしで寝てしまいました。
ちょっと落ち着ける夜でした。
毎日こんな風ならいいのになあ。



2003年03月25日(火) 紫外線アレルギー??

毎年この季節になると出てくる、右手甲のぶつぶつ。
たぶん日光アレルギーもしくは紫外線アレルギーだと思います。
10日くらい前から出てきたのですが、なかなか病院に行くタイミングがつかめずにいます。
天気が悪い日が続くと、よくなってしまうので、お天気続きで晃太朗がいい子にしていてくれる日じゃないと病院にいけないのです。
お天気が続くと痒いの。痒い、痒い、痒いです。

不思議なのは、右手の甲にしか出ないところです。
左手も10個くらいぶつぶつがあるものの、右手はぶわわ〜〜っと出ていて、両手の差が激しいの。
毎年同じ病院にかかっていたのですが、行く度に違う病名をつけられていました。
でも、出される薬は同じもの・・・
お日様に当たらないような生活をすればいいのですが、そうもいきません。

ああ、早く病院にいかなくては・・・



2003年03月24日(月) ミミズ

洗濯物を干していたら、ベランダから洗濯ハサミを落としてしまいました。
新聞がたまっていたので、1階におろさなくてはいけないし、晃太朗を抱っこして、新聞紙が詰まった袋を一つ持って降りました。
新聞紙は5袋。一度に2袋持つのが限界です。
晃太朗を1階に残したまま、新聞紙を持って2往復。息が切れました。

晃太朗は鳥羽に旅行に行ってから、突然階段をのぼれるようになりました。
とはいっても、ハイハイしてのぼるんだけど・・・
私が新聞紙を2階の我が家に取りに行っている間に、晃太朗は階段をのぼって101号室のドアについている郵便受けをパカパカして遊んでいました。
びっくりして再び階段下におろして、もう一度新聞を取りにいくと、やっぱり晃太朗は階段をのぼってパカパカしていました。
「こぉ〜〜たろぉ〜〜」と叱っても、「えへへ」と嬉しそうに笑っているだけで、ちっともやめません。

仕方がないので抱っこして外に連れ出して、洗濯ハサミを取りにいくと、晃太朗はミミズの干からびたのを見つけてつついて遊んでいました。
その次は、せみの羽を見つけてつついていました。
雑草をさわさわ触ったり、石ころをつまんで高々と持ち上げ、自慢げな顔をしたり、楽しそうでした。
部屋に入ろうとしても嫌がって、しばらく晃太朗につきあってしゃがみこんで地面とお友達になっていました。

夜、旦那様にそのことを話すと、「ミミズの干からびたのって、なんか晃太朗らしいねえ」と言いました。
確かに・・・なるほどなあと思ってしまいました。



2003年03月23日(日) モデルオーディション

名古屋に写真の撮影買いに行きました。ミキハウスのモデルオーディションも兼ねているそうです。
晃太朗は無理のようです。おもちゃに夢中で写真なんて撮らせてくれませんでした。
モデルはあきらめます。がっくり(笑)

弟の就職が決まったので、お祝いにネクタイを買いました。
にわとりの会社ともうひとつ内定をいただいたそうですが、にわとりのほうに決めたそうです。
本人はもうひとつのほうに心引かれたそうですが、周りに「向いていない」といわれてあきらめたようです。
この不況に二つも内定をもらってよかったね。
もうひとつの会社は医療器具を取り扱っている会社で、病院に医療器具を売りにいく営業職だそうです。
お酒が一滴も飲めず、口下手で日本語もまともに話せない弟には無理そうな仕事です。
にわとりやさんの品物管理のほうがあっているような気がします。
ネクタイ締めてがんばってね、ばっちょん♪



2003年03月22日(土) 伊勢参り

朝風呂は家族風呂をお願いしておいたので、旦那様と晃太朗と3人で入りました。
旦那様は大きな声で鼻歌歌ってちっとも手伝ってくれず、朝からイライラ。
もーいやっ!

天気も悪いし、早く帰りたいのに、なんだかよくわからない博物館に寄っていくし、テンションは下がりっぱなし。
今日は伊勢参りに行くはずでしょっ!

車の中では寝ていました。朝から旦那様とは喧嘩していたので会話もないし、昨夜は晃太朗がなかなか眠らなくて寝不足だし、体が疲れてつらいし、もうもう不機嫌はなおりません。

気がついたら外宮についていて、寒い中を傘をさしてお参り。
ばあちゃんは晃太朗を旦那様が背負うのが気に入らなくてぶつぶつ。
旦那様は私が晃太朗を背負おうとしてぶつぶつ。
どうすればいいのさっ!どうしろっていうのさっ!
イライライライライラ・・・

お昼ごはんを食べてたら少し不機嫌がおさまったけど、やっぱりイライラ。
早く帰りたい。

内宮に着くと、テレビの撮影をしていました。
なんだろうと思ったら、Teke 2がいました。
はなまるマーケットだわ!
・・・今度見なくっちゃ♪
なんとなく機嫌が直りました。Teke 2に助けられるとは・・・

お参りをして、赤福を食べて、お土産を買って、帰りました。
晃太朗は赤福が気に入ったようです。へんば餅も気に入ったようです。

鈴鹿に着くとぐったり疲れが出ました。
ひまわりにいってばあちゃんに顔を見せて、美智子ママが夕飯を作りたくないというのでサガミに食べに行きました。
お茶はそば茶。私も母もそばアレルギーなので飲めません。
うどんはそばと同じ釜でゆでているのでうどんも食べられません。
もうサガミになんて二度と行かないわっ!と母と誓いました。

なんだかあがったりさがったりの旅行でした。
ぐったりです。
来週の花見が楽しみです。



2003年03月21日(金) タラサ

朝7時出発と前日に宣言していた旦那様は、7時を過ぎても起きてくれませんでした。
晃太朗が寝ていてくれていたので、お化粧して洗濯物を干して、とにかく忙しく出かける準備をしていたところへ旦那様はのんびり起床。
ちょっとイライラ。フェリーの時間があるっていうのにぃ〜〜。

朝食は、前日に買っておいたパンを車の中でむさぼる、むさぼる。
晃太朗は大好きなクリームパンです。
みこちゃんに誕生日にもらった服を着て、晃太朗はかっこいい(?)と旦那様に褒められていました。

フェリーの時間にも余裕で間に合い、1時間弱で鳥羽に到着。
晃太朗はフェリーの中で、年下の女の子をナンパしていました。
よだれをだーだーたらしながら(うれしいサイン)「あ、あっ」と声をかけ、とことこ歩いていくのです。
女の子も「あーあー」と嬉しそうに笑ってくれたので、晃太朗は大満足。
ふたりはなんとなく通じ合っているようでした。

鈴鹿の人々と合流後、タラサへ行きました。
受付を済ませ、お昼ご飯の後私と妹はタラサの1日体験コースへ。旦那様と晃太朗を含む鈴鹿の人々はどこかへ行きました。
後で聞いたら、遊覧船に乗ったりしていたそうです。

タラサはビューティーコースというものです。
泥と海草パックや、アクアビクスなど4つのメニューをしました。
心地よい疲労感にうっとり。温泉に入って眠りたいわ〜〜。極楽よ〜〜。
アクアビクスのお兄さんのかっこいい体にもうっとり。
空き時間に入ったサウナでは、7歳年下の妹は入ってすぐにだらだら汗が噴出すのに、私は時間がかかってしまって年の差を思い知らされました。
実年齢は6歳差なんだけど、私は3月生まれ、妹は4月生まれなので学年はきっちり7つ違いなのよね。
でも、アクアビクスのかっこいい体のお兄さんにも、更衣室で一緒になったおばさまにも同じくらいの年の友達に見られました。
すっぴんでおでこ丸出しの私は、20歳前後の学生さんだと思われたらしく、結婚していて子どもがいると話すとびっくりしていました。
妹は7つも年上の姉と同じくらいの年だと思われて、がっかりしていました。

いい気分でタラサと後にして、ホテルに到着。
楽しみにしていた海の幸の夕飯は、時間になっても旦那様がお風呂から出てこなくて待ちぼうけ。晃太朗は眠さと空腹でぐずぐずし始めるし、先に食べ始めたものの結局一人で抱っこしてロビーで一人、晃太朗を寝かせることに。
・・・お腹すいたよぉ。
夕飯の時間を30分も遅らせたあげく、自分はさらに遅れてやってきた旦那様はおいしくお酒も料理もいただいて幸せそうでした。
ムカムカムカ・・・団体行動なんだから、すこしは気を使えよっ!
せめて一言「遅れてごめん」くらいは言えないのかっ!
晃太朗が寝てから、冷め切った料理と、乾いてしまったお刺身をほおばっても、ちっとも楽しくない!
タラサでいい気分になれたけど、すっかりテンションが下がってしまいました。

夕飯が終わるころ、晃太朗が起きたのでお風呂に入ったけど、すぐに晃太朗が眠くなってしまったし、私も疲れて眠かったので、布団に入りましたが、妹がテレビを見たいといって、消してくれず、とうとう晃太朗の目がぱっちり覚めてしまったようです。
・・・これじゃ寝られない・・・
もううんざり。
ビデオをセットしなかった自分が悪いのに「最終回だもん」と消そうとしない妹。美智子ママは「しょうがない」といって妹の味方。
夕飯食べる前は「友達にビデオ借りるからいい」っていっていたくせにぃ。
晃太朗はテレビが気になって眠れないし、もう、もう、もう〜〜〜。
なんで旅行にきてまでテレビを見なくちゃいけないんでしょう。
母なら娘をたしなめるべきでしょう。
18歳が1歳児のために生活パターンを合わせることがそんなに難しいことなんでしょうか。
うがうがうがうが・・・

ちっとも楽しくないっ!



2003年03月20日(木) 戦争が始まる

とうとう始まってしまいました。
テレビをつけているとどれもこれも戦争ばっかり。晃太朗の好きな「いないいないばあ」も「おかあさんといっしょ」も今日は放送中止のようです。

旦那様は小林よしのりの「戦争論」の愛読者。感化されやすい性格なので、すっかりアメリカ大嫌い人間になってしまいました。
でも、イラクもよいとはいえず、どっちもどっち。
どうなってしまうのかなあと思いつつ、遠い空で起こっていることなので、テレビを消してしまえば気になりません(それも怖いけど)

旦那様の愛読書のひとつに「ご姉弟」もあります。
晃太朗に似ているのさ。斜め上から見ると下唇がないところが似ているのさ。
でも、はじめて見たとき、おねえが「あおいさんと似ている」とこっそり思ってしまいました。必見です。

明日から鈴鹿の人々と鳥羽・伊勢に行ってきます。
タラサだわ〜〜。明日フェリーで旅立ちます。
「晃太朗 1歳おめでとう」と「妹 卒業・進学おめでとう」と「弟 卒業・就職おめでとう」の旅です。
私の25歳おめでとうは?・・・忘れられている・・・
日曜日にいったん豊橋に戻り、来週再び鈴鹿です。
花見です。あと法事もあります。
お天気いいといいなあ。



2003年03月19日(水) 25歳

地味に誕生日を迎えました。
去年は私が産後で鈴鹿にいたにもかかわらず、しっかり祝ってくれたのに(でも当日は忘れていておめでとうメールはこなかった・・・こういうことって忘れないわ)今日は職場の飲み会でいません。
晃太朗と二人でお祝い・・・というか、普段どおりの一日でした。
今日くらい晃太朗が愚図らなかったらいいのに・・・

飲み会から帰ってきた旦那様は、花束とプレゼントをくれました。
うれしいなあと思いつつ、明後日から旅行なので、帰ってきたら花がしおれていそうだなあと現実的なことも考えてしまいました。
プレゼントはかわいい靴をくれたのですがサイズが合わない・・・涙。
明日取替えにいかなくては・・・

今日、一番happyと思ったのは、最近見つけたおいし〜〜いパン屋さんに行ったら、白木蓮が咲いていたことです。
天気もよかったし、青い空に白い花が映えてきれいでした。
すっかり春ね☆

海外では暗雲立ち込め戦争の気配が漂っていますが、とりあえず我が家は平和です。



2003年03月18日(火) 祝!弟

不肖の弟が就職を決めたそうです。とりあえずおめでとう。
母曰く「四日市の鶏をスーパーに卸す会社」だそうです。
に、にわとり?スーパーって鶏のまま卸しているの?って思わずつっこんでしまいました。

とにかく鶏の会社らしいです。
よくわかりません。今度会ったら聞きましょう。

旦那様は日曜日から体調不良のため、本日は合唱の練習を休みました。
土日と二日間、職場の旅行に行って疲れが出たようです。
明日は職場の反省会(飲み会)なので休めないし、がんばって治すそうです。
花粉症の薬と市販の胃腸薬と風邪薬とサプリメントを飲んでいた旦那様。それだけでさらに悪化しそうだなあと思ってしまいました。



2003年03月14日(金) 送別会

今日はホワイトデーだというのに、旦那様は何にもなし!
しかも合唱団の高校生の男の子が、進学のため退団(大阪に行くらしい)なのでその送別会でした。
うがあ〜〜。
私は記念品買いに行ったり、お花を買いに行ったり、会計したり・・・めんどくさ〜〜。
おーたくん(高校生男子)は記念品に何かほしいものは?と聞かれて「ビデオデッキ」とおっしゃった。
おいおい、予算は5000円くらいしか考えてなかったわよっ!
旦那様もちゃんと予算を伝えておいてよ・・・
しかも、おーたくんは「ほんとは自転車がほしかったんですけど、ちょっと高くって・・・7万か8万くらいするんです」ってにっこり・・・
にっこり・・・にっこり・・・にっこり・・・
なんかムカムカ、ムカムカ、ムカムカ・・・

居酒屋さんだったのですが、平日の夜だったこともあってみなさん遅れていらっしゃる。
お店は混んでいて、旦那様が予約しておいてくれたんだけど、12人集まる予定なのになぜか10人で予約してあるし、12人に晃太朗はふくまれていないし・・・
個室は狭くて、旦那様は奥に座るし、晃太朗はぐずって部屋を出たり入ったりがめんどくさいっ!
うがうがうがうがうがうが・・・
お腹がすいているっていうのに、注文したものはなかなかこないし、晃太朗がぐずるから仕方なく部屋を出て廊下で遊ばせておいたら、その間に金目鯛の煮付けもお刺身もやってきていて、後から遅れてきた人の前にどど〜〜んと並んで、なくなってしまっている・・・
ああ、私の前には冷めた焼きうどんがひとつ。
さみしい、さみしい、さみしい・・・

旦那様は話に夢中だし、話している内容はちんぷんかんぷんだし、食べ物はないし、ないし、ないし・・・お腹はすくし、晃太朗はぐずるし・・・
うがうがうがうがうがうが・・・
帰りたい、帰りたい、帰りたい。

入り口付近で晃太朗をなだめていると、ちょっと派手なお姉さんが3人店長さんと話していました。
聞き耳を立ててみるとどうもコンパニオンさんらしい。
店長さんは「コスプレとかないの?」と聞いていました。一番年上っぽいお姉さんが「ないです」と答えると、店長さんは「他のところはあるんだよ。ここがすごくってねえ。コスプレだと料金1000円増しなんだよ」と説明。
ふつーの駅前にある居酒屋さんに、コスプレのコンパニオンさんがいたらちょっと他のお客さんは引くと思います。

二次会は合唱団のおじさんの奥さんが経営しているお店(カラオケスナック?)へ行きました。
晃太朗は寝ちゃってるし、私はお腹すいているし、帰りたかったです。
今日楽しかったのってコスプレのコンパニオンさんの話くらい。
・・・帰りたい〜〜。

家に帰ったら案の定旦那様は酔っ払ってお寝んね。
もういいです。
明日から旦那様は職員旅行。いってらっしゃいませ〜〜。



2003年03月13日(木) メロディーヌちゃん♪

朝、晃太朗と「おかあさんといっしょ」を見ていました。
「でこぼこフレンズ」というコーナーがあって、いろいろ出てくるんだけど、ここに出てくるメロディーヌちゃんは、いつみても誰かに似ているなあとと思っていたのです。
そして今日わかりました!
あけみさんに似ている!似ている!似ている!

とくに、最後の「さ〜んきゅぅ〜〜」というのが似ているような気がするのです。
ああ、誰か見てください。でも平日じゃないとやってないんだよなあ。
ちっちゃくっていつもスキップしているところも、なんだかあけみさんです。

本日はすくすく広場でした。
晃太朗はいつもどおりふらふらと遊んで、楽しそうでした。
いつもいっしょのあっくんとゆうくんはまだ歩いていないようで、二人のお母さんに「すごいねえ」とほめられて、なんだかうれしそうでした。
ゆきちゃんはちょこっと歩けるようになったらしいけど、ちゃんとお母さんのそばでおとなしくしていて・・・うらやますぃ〜〜。
晃太朗なんてちょっと目を離すとすぐどこかに行ってしまって、誰かを泣かせているか泣かされているかです。
泣かされているのはいいけど、泣かせているのはちょっと困ります。
でも、どのお母さんも多めに見てくれるからありがたいです。
連れ戻しても、すぐにどこかに行ってしまう晃太朗。
元気です。



2003年03月07日(金) お返事

最近、晃太朗はお返事をします。
「おーのこーたろーくん」というと、「あっ」といって両手を挙げます。
うう(涙)私が半年かけてがんばったかいがあったってもんよ。
旦那様は変なことばっかり教えるから、せめて母がしっかり教育しなくてはっ!
でもまだ、気が向いた時しか返事をしません。
さすが晃太朗です。



2003年03月04日(火) 一歳検診

今日は一歳検診でした。
体重がとうとう10キロをこえていました。重いはずだわ。うう〜〜。

晃太朗は先生の診察を待つ間、はかせるオムツ1枚で廊下を歩き回っていました。
受付のお姉さんや看護士のお姉さんに愛想を振りまき、自分ができる精一杯の芸を披露し、時には診察室の引き戸をがらっと開け、楽しそうでした。
見ている母は、晃太朗がいたずらばかりするので、すみませんすみませんの連呼でした。
小児科なので、スタッフのみなさまは慣れているらしく、「こうちゃ〜〜ん」と呼ばれ、晃太朗は好みのお姉さんのところにはよだれをたらして行くのに、ちょこっと年上のお姉さまは避けて通るところが、やっぱり旦那様の血を引いているなあと思いました。

夜、寝る前、いつもどおり旦那様が携帯の留守電を聞いて寝ながら晃太朗は私に似ているというので、私はちゃんと旦那様にそっくりだ、と言いました。
おっぱい大好きなところもそっくりです。



2003年03月03日(月) 留守電

旦那様は、毎晩寝る前に自分の携帯の留守電を聞いて、にまにま笑っています。
先週、木曜日だったか金曜日だったか、いつものように晃太朗が家の子機でいたずら電話をしていて、旦那様の携帯にかけていたらしく、留守電には「うう、うー」と晃太朗の声が録音されているのです。
旦那様は大喜び。
まず自分で聞き、私にも聞かせ、再び自分で聞いてにまにま笑いながら「かわいいよなあ」とつぶやいて寝ます。

そういう旦那様もかわいいよなあ、と思うこのごろです。



2003年03月02日(日) 梅を見る

旦那様がチャリティーコンサートに参加したので見に行きました。
晃太朗はすっかり靴に慣れたらしく、てくてく歩いてくれました。でも、10mも歩くと、ぽてんと尻餅をついてしまいます。でもまたすくっと立ち上がって、てくてく歩きます。偉い偉い。

帰りにアピタによって、その後向山公園というところに、今週もまた梅を見に行きました。
晃太朗は靴を履いて、よちよち歩きます。
尻餅ついては歩きます。
周りの人には大変迷惑かけています。ごめんなさい。でも、晃太朗は自分で行きたい方向に、自分でいけるのが楽しいのか、なんなのか、にこにこしながら歩いていました。

梅は先週に比べると散ってしまっている木が多かったです。
でも、晃太朗が歩いているので、私も旦那様も下ばっかり見て、梅はゆっくり見ていられませんでした。
晃太朗の視線の高さじゃ遠くの梅がかろうじて見えるくらいだろうし・・・いったい何を見に行ったんだろう・・・
晃太朗はここでもまた、芝生むしりに熱中しそうだったので、抱っこしてすたこらさっさと帰ってきました。


 < 過去  タイトル一覧  未来 >


おーの [戻る]