ネコヤシキ日笑
日記モドキ ↑目次|←昨日|明日→
夕刻から出かけて、大学の公開講座に出席した。
その一部にグループワークがあって、(講座受講の)ゴールを明確にするために、お互いに話を聴くという時間があった。
まず一人の人が1分間話す、それから、他の3人の聞き手が、2分半、その人に質問をする。こういうワークは珍しくはなくて、何度もやったことがあるのだけれど、きょうのは格別にけたたましく、暑苦しく、話す人が考えをまとめるのを妨げるものでさえあったように感じた。
席を近くに寄せて、目を見て、なるべく引き出すようにどんどん聴いて、といったインストラクション。それで、起こっていたのは、詰問しているようであったり、聞き手の関心を満たすような質問であったり。
少なくとも私には苦しかった。
よい聞き手になりたい、と思った。
いただきものをした。
おひるに、非常勤の先生が、ずっしりとあんこのはいったあんぱんを
持ってきてくれた。
夜、帰宅途中に、花屋のおにいさんと会った。
きものの話や、共通の知人である同僚の話をしていたら、
「和風のおふたりに」と、かきつばたの花束をふたつ、つくってくれた。
気がかりなことが、じぶんひとりでは解決できなくて、深夜、
友だちに電話をした。さいごには笑っていた。
ありがとう。
合宿ワークから帰ってきた。
イロイロあったので、ひとことではいえないのだけれど、
ひとつよかったのは、きょうのところは、
瞑想が苦でなく思えること。
しばしば、ああ瞑想が足りない、瞑想をしなくては、
と思っていたのだけれど、
瞑想をしたい、と感じること。
とはいえ、妄想ばかりで、呼吸に留まっていない。
いつか、毎朝瞑想をしないと歯磨きをしそこなったようで
気持ちが悪い、といった人のことを書いたけれど、
そういうのもたしかにありだろうな、と今日は思う。
「7年周期」のワークをやった。
7年周期でジンセイは変わる、という仮説のもとに、ひとつ前の7年と、いまからの7年についてグループでシェアする、というもの。
ひとつ前の7年のはじまりは、あとからこうやって振り返って思えば、ほんとうに何かの周期の区切りのように、さまざまのことが起こったときだった。
仕事のこと、仕事以外の活動のこと、プライベートなこと。
活動のことが、負担になっている。
「逃げ遅れて…」と、すこし事情のわかる人にシェアしていて、
でももう、ひとくぎり終わったんだ、
ひとしきりやったんだ、
もう同じことを続けていなくていいんだ、
もう、次のジンセイなのだから、
と腑に落ちるところがあった。
どうしてゆくか、具体的には決まっていない。
これまで、なんとかしなくちゃ、と思っていたのが、
これまでとちがっていいんだ、と思えた。
それだけといえば、それだけなのだけれど。
ようやくつくりあげてアナウンスしたものを読まずに、
あれこれおっしゃる方がおられて、
徒労感。
一切面倒はない、というので後始末を引き受けたおカネのことで、
あれこれおっしゃる方がおられて、
疲労感。
こんなことが私は最も苦手。
ともあれ、連絡はした。報告をした。
このごろ、疲れた夜に、きものの本を眺めるのが好きだ。
きものはそうそう買えないけれど、きもの本の、好い意匠のものを眺めて、和む。
萬田久子の感じる着物
森田空美の知的きもの入門
私のきもの生活
白洲正子のきもの
檀流きものみち
樋口可南子のきものまわり
きょうは、夜、勉強会。梅雨のひと休み、台風一過のよい天気、
ベージュの小千谷紬にきいろの生紬の帯で出かけた。
白過ぎて合わないかなと思ったけれど、萬田久子本に出ていた白いきものが案外よかったので、これにした。ミーハーである。
さらさらとしなやかで、着心地のよいきものだ。
先日、銀座で買った、ゴマ竹を貼った右近下駄もきもちのよい履き心地。
夜の公園を歩いて帰る。くうきもさらさらと心地よい。
えいや。ブックオフに本を売る。13冊、810円也。
アマゾンのマーケットプレイスにも何冊か出品した。
この数週間で2冊売れて、1500円ほど振込があった。
売値はこの際どうでもいいのだけれど、とにかく空間をつくりたい。
いれものの大きさは変わっていないのだから、
1冊入ってきたら1冊追い出さなければ置き場がなくなる。
十数冊追い出して、ちょっとほっとした。
このところの増加は十数冊どころではなかったから、
もっと追い出さなければ帳尻は合わないのだけれど。
あと20冊くらい、がんばってみよう。
これはまた読むかも…と思うココロが最大の障碍。
ひるすぎまで銀座、千駄木経由、夕刻からまた銀座。
雑誌で見ていたきものの店を実際に見るのが今回の目的のひとつ。
佳いものがあってひかれる。
それに、銀座とくれば最高に高いかと予想していたら、それほどバカ高くはない。かといって、お手頃というほどでもない。
なかで、グレイと芥子色の格子柄の越後黄八にはとてもひかれた。
焦げ茶の文様の久米島絣も、わるくなかった。
結局、夕刻入った店で、綿紅梅の浴衣一式を誂えることにした。
あれこれ見たのだが、藍色は私には強すぎ、ちいさな絣柄や暈かしでは弱すぎる。グレイがかった青の、きっぱりと竹と笹の柄は、たぶん、色も柄も私らしいのだと思った。白黒の紗献上の帯。よい見立てだと思う。寸法も、すっかり計り直して検討してくれた。担当のおばさん店員さんは朴訥なところがあり、それも好ましかった。わるくない買い物ができたと思う。
バースデー早割で、この週末の東京行きを予定していた。
台風接近。予想は少し遅れて、出立のころにはまだ雨は降っていない。
武相荘。
白洲夫妻の旧邸で、一度訪れたかったところ。
雨が降ってくる。
ちょっと企画が勝って素朴な味わいが失われている気がするが、
企画して公開してくれる働きがなければ、私などここに接することは
できなかったのだから、しかたないのだろう。
展示されている手紙で、白洲夫妻のフィアンセ時代の往復ポートレイトに
英文で互いへの讃辞を書いたもの、正子に、力が入りすぎていて
幼稚園児だよ、とたしなめる人の手紙、織匠の田島氏からの
情のある手紙。それらを読めたのが、いちばんよかった。
町田の田舎から、千駄木へ、そして宿泊先のお茶の水へ。
電車、地下鉄、雨のなかの徒歩、タクシー。
単の紬、紫陽花の麻の帯。
梅雨冷え。
雨はあがった。単のきものに、紫陽花の麻の帯をしめる。
帯締めを思案して、結局、縹色のにした。キレイな青。
勉強会。
ただ聴くだけではおしゃべり大会になるだけではないか。
工夫がいると思う。
おしゃべりが起こっている場に居合わせるのは、
おしゃべりを強要されない限りはまあまあ平気でいられるようにはなったけれど、
この場で、工夫がいると思うのは、目的に合っていない、と私は思うから。
問われて説明を返したことを、また問われて説明しなければならなくて、
しかも、それでも伝わってほしいことは伝わっていないことがわかって、
ぐったりと疲れた。
また続くのだろう。こんな関わりに対応することも今は役割だ、と思ってはいて、
そのために工夫も努力もしようと思ってはいるが。
まずは、率直なところ、疲れた。タメイキのひとつも、憚らずにつきたい。
帯がまあまあいいあんばいにおさまってくれて、
裾のからまるのも静電気よけスプレーが効果があって、
衿がほどよくゆるく抜けて。
鼻緒が緩んでじつは歩きやすくはなかったけれど、それ以外は上出来。
夜半の公園のみちはほどよい空気で、歩いていていっとう気持ちがよかった。
3週間後の催しのためのお知らせハガキの発送を頼まれた。
メールとFAXをそれぞれ2往復して内容を決めて、
それからあれこれ微調整をして、
名簿にちょこちょこ手を入れて、打ち出して、チェックする。
今夜、その作業が終わった。
8月の催しのための、後援名義申請をまだしていなかった。
先月のうちにと予定していたのだが、延びていた。
広報のスケジュールを考えると、この手続きはそろそろタイムリミット。
ハガキの作業が終わったその勢いで、何種類かの書類を作り上げた。
2カ所の提出先、それぞれに2種類の申請書と資料。
とても難しいという作業ではないのだけれど、あれこれ細かく気をつかって作り上げなくてはならなくて、そのためのひとしきりの時間を作るのが後回しになっていた。
夜、というより、朝になり、出勤までの限られた時間で、やった。
終わった。一段落。
ぶらさがっていた宿題が、ようやく片づいたような。
と思ったら、速達で送った書類は不備があって、電話がかかってきた。ふう。
こんな、致命的なほど厳しい仕事ではないものの、ちまちまと真夜中や休日を割かなければ済まないしごとが多い。そのことでちょっと疲れている。疲れたままでいると、危ない。毒を吐きそうで。休むか、辞めるか。
◆
きものの着つけを習いに。マンツーマンで教えてもらえる。いくつか新しいポイントを習って、ずいぶん楽に、すっきり着られるようになった。…つもり。うれしい。さすがにプロの講師だ。
歌舞伎の観劇。幕見を除くと、初めて。
そして今日は、「きものの日」という設定になっていて、きものを着てゆく。
興味深くて、きょろきょろしてしまった。
歌舞伎のような古典芸能は私には理解できるのだろうかと案じていたのだけれど、イヤホンガイドという便利なシステムが提供されていた。見ただけではわからない点もさりげなく、よいタイミングで教えてもらいながら、舞台を見ることができる。
衣装も、所作も、展開、音響も、独特の様式美のようなものがあって、それがわかると面白くて楽しい。相当の修練を積んで演じているであろう役者さんたちに見とれたりもする。
でも、だれでもがこのイヤホンガイドを使っているわけではなくて、そういうものなしに楽しんで見ている人も多い。演じる側だけでなくて観て楽しむ側にも知識や経験、造詣といったものを要求するが、そういう見る目を持つと、この芸能はとても味わい深いだろう。そして、そういう見る目を養った人によって、存続してゆけるのだろう。
そして、今日は、礼装ではないお洒落着の格のきものを着たひとたちを、何十人も見た初めての日でもあった。
日舞だかお茶だかのお仲間であろうか、何人もまとまって来ている人たちもいたが、ひとりで、「通」なきものや帯を纏った人たちも居て、ついうしろからその姿を追ったりした。今ごろの季節にふさわしいさわやかな色の紬に、やはり綺麗な色の紬の帯や、季節の花の染め帯の人など。いったいお家にはどのくらいの季節毎の衣装を持っておられるのだろうかと思ってしまう。
そして、着こなしも、ぐちゃぐちゃな人、堅苦しいほどきっちりしている人、ほどよくゆるやかでしかもすっきりとまとまった人など。そんな人たちをさりげなくきょろきょろ眺めて、幕間も面白かった。
歌舞伎見もきものも、今の私には巧者になるのは難しいだろう。
でももうすこし先までいきたいな。と思った日であった。
2004年06月05日(土) |
沖縄/ネパール/韓国 |
友だちが誘ってくれて、彼女の家にばんごはんを食べにゆく。
彼女と夫さんと幼稚園の子どもと、共通の友だちひとりと、私。
沖縄の音楽、沖縄の皿、ネパールのじゃがいもの料理、各地のビール。
宮古に赴任していて帰ってきた人だし、ネパールに住んでいたことのある人だし、いずれもハマっているのだ。
転勤の可能性の話、家を建てる話、協力しているイベントの話、
知人たちの話、幼稚園の話、美味しい店の話…
ここに転勤で戻ってきてまだ1年余だというのに、たくさんの関わりごと、
とくにたくさんの人脈、興味深く。
前に見せてもらった上西重行さんの写真集。大好き。買えばいいのだが、ここに来て見せてもらうのがまたよい。
話題の「冬のソナタ」を初めてみた。
ふーん。なるほどね。と、うわさのほどは確認できた。
それにしてももどかしい展開。
◆
紹介してもらって、はじめてゆく美容院で髪を切った。
まちのうらどおりの、若い人たちのゆくようなところだが、
紹介された美容師さんは、たしかに腕のよい、眼のよい、
手のうごきのうつくしい、表情のシンプルな人であった。
なかなか気に入った。
きょうも夜更けに帰宅。
満月は昨日だったのだけれど、まんまるいおつきさま
帰り道、夜空にくっきりと。
書類のしごとを積み残したまま週が終わる。
それよりもなによりも、いまは眠りたい。
それから、なめらかに働いて、
メールを書くのや、お話をするのや、
部屋を調えるのを、ああ疲れたなんて思わないで
おだやかにやれる日々。あこがれて眠る。
ピラティスのレッスン。
定期的に通い始めてからまだ数回だけれど、これはなかなかよい。
内容も、スタジオも、そして教える人も、すぐれていると感じる。
ディレクターである今日の講師は、まだ30代だと思うのだけれど、この道のトレーニングはかなり積んでいるとみえて、気さくなのだけれど、要点をゆるがせにしない厳しいところもある。5,6人の生徒に目を配り、アシスタントに目を配り、指示を出す。有能な人だと思える。おそらくはスタジオの調度なども彼のテイストで選ばれていると思う。来月から、もう1フロア増えて、クラスも増えるという。
生徒で来ているラテン系の人、どこかで見かけたと思ったら、ステージでサルサを踊っているのを見たのだった。プロのダンサーなのだ。笑顔で楽しげに踊っていたけれど、こうやって基礎トレーニングにも励んでいるのだな。
ダンス系ではないかと思われる人は他にも多い。私のような、ふつーの勤め人らしい人で、身体を調える必要を感じているらしい人も。穏やかだが、コアの安定や、呼吸、肩のコントロールには役に立ちつつある気がしている。
というわけで、気に入っている。
家でするトレーニングもあるので、続けてやってみないと、その成果のほどについてはまだ言えないけれども。
朝4時頃まで眠れないのが続いた。きょうはさすがに辛い。
ずきずきじんじん 血管を感じるような頭痛。
なにもかもパスして眠る。
ショック。
いい気になってるんじゃないよ。
ちょっと何だよその暮らしぶり。
と、言われているような、しかし慇懃な事務的なことば。
しばらくショックのままに居よう。
もう、本気でどうにかしなくてはいかん。
6月。
お洗濯日和。梅雨入りらしかった昨日一昨日とはうってかわって。
今こそと、仕舞う冬物のお洗濯。2ラウンド。
ひとばんにできるしごとは、ひとつだけだな。
こぶたのようなゴミ出しと、大物のお洗濯をしたら、もうひとしごとで、
お掃除も、荷造りも、書類作りも、今晩はパスした。
深夜になって、ともあれ置くべき場所に箪笥を置いた。
きものを仕舞う箪笥。4つだけの引き出しに、譲ってもらった古いきものや、誂えたばかりの新しいきものをおさめる。冬向きのもの、春向きのもの。季節毎に引き出しをわける。たとう紙の包みがちょうど横たわる。防虫剤をかねた香木の小さい包みを添える。
きものは、きょう六月一日で 更衣(ころもがえ)。
裏のついていない単(ひとえ)にかわる。
もっと早くから融通してもよいらしいのだけれども、正式には今日から切り替えるものだそうだ。袷(あわせ)のきものたちには「お疲れさま」といいたい気分になる。箪笥の下のほうの、秋からの季節のひきだしに仕舞う。
素材も、色合いも、柄も、これから夏の季節向きに調えてゆくことになる。
この衣装にかかわるいろいろは、手がかかり、お金がかかり、場所をとる。
楽ではないのだけれど、それゆえに興味深いこのごろでもある。