ネコヤシキ日笑
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箪笥の置き場を空けなくては私が眠る場所がない。
おかげで、捨てるモードにスイッチが入ったゾ。
ぱかすかぱかすか捨てた。
もう、とうに処分した服の余り切れやボタン、
就職したころの給与明細や古い通帳、
ユースホステルの会員証や周遊券、
少しだけ残った化粧品、
かわいい箱、布、
古い保証書、取扱説明書、などなど
象、とまではいかないけれど、 豚、くらいは捨てられたかな。
でも、きょうもまだ、箪笥の置き場は空かなくて、
足の踏み場がなくて、つま先だちで箪笥を避けて歩く状態。
とにかく眠る。
まあ、おかたずけ初日としてはまずまず上出来。
いただきものの箪笥が配達される。ありがたいこと。
けれど、箪笥のおさまるべき場所がない。
置くべき場所を片づけて空けなくちゃ、
と思う先に、浴室のカビが気になって、
ひとしきりお掃除。
すっきりしてキモチイイ。
夜になってやっと、クローゼット部屋のお片づけに着手。
ゆかが見えてきた。
部屋に空間ができると、ココロもひろがってキモチイイ。
よっしゃ。6月は 空間をつくろう月間 でいこう。
…今日は、箪笥はけっきょく、居間においたまま、
布団をのべる場所を占領したまま。私は布団なしで仮眠の一夜。
午前中出勤。午後ヤボ用。
用事で出かけたビルのなかにカルチャースクールのようなものがあり、そこで、合気道のクラスがある。そこの見学に行った。
見学ですけど…と入っていくと、指導者のひとが、一緒にやりましょうよ、と誘ってくれて、ところどころ一緒にやらせてもらった。
15年以上前に、すこしだけやっていたことがある。
だから、全く初めてというわけではなかったのだが、新鮮で、おもしろかった。
力のつかいぐあい、動きの方向、あらためて、理にかなっている。上手い人の動きには、ほれぼれとする。
来週からおいで、と気さくに誘ってくれる。
教える人も、習っている人たちも、なかなか「気」がよく感じられて、
わるくないなあ、と思ってしまう。
問題は、土曜日は用事が多くて、月4回のうちの平均半分しか来られないであろうこと。
今週、ただ一日だけ、夕方からの外出のない日。
宅配される荷物を受け取れなくて、
出来上がったクリーニングを受け取りに行けなくて、
きょうは、こんな用事を済ませるための日にした。
ゆうパックさん、カンガルー便さん、ペリカン便さん
それぞれに、複数の荷物を受け取る。
ふう。
それぞれに、支払、受け取り、連絡に評価など、
そして、品物を片づけ、梱包材を片づけなくてはならない。
便利なお買い物なのだけれど、さすがにちょっと疲れてきた。
疲れてきたのはいいことだ。
疲れたことに気がつかないとあぶないことになる。
疲れてきたと気がついたら、まず休むことだな。
かかえすぎているから、捨てることだな。
そろそろ転換だな。ほんのちいさくだけれど。
たとえば、荷物を受け取るのは月に1回くらいになるような
お買い物ぐあいだとか。
たとえば、夕方から何もなくて家にいる日が週に2,3日は
いつもあるようなくらしだとか。
深夜。日付の変わるころ。
城趾のお濠沿いを歩き、そして、公園の大きな湖のほとりを歩く。
お濠に、蓮の葉。水鳥。牛蛙のモウともゴウともきこえる深い啼き声。
柳の街路樹。草いきれというのだろうか、木々からのかおり。
公園。この時刻の静かになったこの場所は、いっとう好きだ。
街の灯りや、影が、遠くに見える。水面に映る。
ほどよい気温。薩摩大島のきぬずれの音。
深々と、群青色のグラデーションのそらのもと。
茶道を再開しようかと思った。
先月、近くの古道具やで、萩と、紫陽花柄の京焼の茶碗を買った。
適当な教室がないだろうかとたずねると、近くのカルチャースクールを紹介してくれた。問い合わせると、そこの茶道教室は、近くの豪邸の本格的な茶室を使ってやっているのだといって、いちど見学だけでも行ってごらんなさいとのこと。
きょうがその教室の日。
昨晩、むかしむかしの懐紙入れやら懐紙やらを取り出してきた。
もう20年モノだ。
ほんとうに立派な茶室。お稽古がしやすいような広間と水屋。
先生はいかにも茶道教授らしいたたずまいの端正なひとで、柄を織りだした紬に上品な桃色地に菖蒲柄を染めた帯。
生徒は今は学生さんひとりのようす。もうひととおり習っているようで、柄杓扱いの手、位置、細かい所作を、厳しい口調で直されている。
客をするにも緊張する。
身体で憶えるものだし、きちんとした型を身につけていないとこの世界ではあとで困るだろうから、そんなことも必要だとは思う。ただ、私が今優先したいものは違うような気がする。
よい茶室で、お茶は美味しかったが、私はここで、このお稽古はしないだろう、と思った。もうすこし彷徨ってみる。
ぽっかりと休日。久しぶり。
積もっていた不燃ゴミを仕分け、
積もっていた新聞をやっつけ、
積もっていた段ボール箱を移動し、
崩壊しかけた十年モノの靴と鞄を捨て、
掃除機をかけ、
そうしていたらもう日が暮れた。
ブックオフに本を持って行くのと
書かなければならないと思う手紙を書かなかったのは
積み残し。
もっと捨てよう。
もっと空間をつくろう。
3年着なかったものを処分する。→救援衣料センターとオークション
5年出番がなかったモノを捨てる。
1冊買ったら1冊処分する。→ブックオフとアマゾン
あたらしくテーブルを買って
そこに香が焚けるようにして
7月になったら友だちを呼んで
ここで夏のお茶会をしよう。そうしよう。
雨がふり、雨があがり、山がけぶって、緑が濃い。
ベランダごしに見とれてすごす。
『和楽』のきもののページや、樋口可南子の『きものまわり』を担当しているひとの講演会にゆく。
講演というよりトークライブみたいな進行。
名のある作家の織り染めた、さりげなく、でも上質だとわかるものを何組か展示してある。
近くに寄ってお話をうかがうと、くずれないが楽なきかたをしておられる。無地にも見えるような紬に紅型ふうの帯、白っぽい帯揚げ、単の渋い色の長襦袢。
私もきものでゆく。
朝から迷った末に、ベージュの薩摩大島、空色のかわせみの帯にした。
ネットオークションで手に入れたもの。
雨がふりそうなお天気だから、このかわせみの帯の
さわやかでのんびりしたような風情を分かち合いたかった。
後ろから、知らない人たちからも、いいわね、今ごろの季節にぴったり、などと言われる。よかったな。
3月に誂えたイカットの鼻緒の草履、柿渋のバッグも、初仕事。
お話をきいて、着方のことで示唆を得る。色あわせ、紐の位置など。
きっぱりと率直におっしゃる方だ。
やっぱり、いちどきちんと習いにいこうか。
身につけるものに、思い切っておかねを注ぐこのごろだった。
でも、もうそろそろ、いい加減にしないと。
これみよがしになっていないか。
無駄なものを増やしていないか。
好評でうれしい一方で、ちょっとした反応も気になる。
気になっている自分のありようが、いちばん気になる。
両親と郊外の城趾へ。そして、川沿いの温泉へ。
城趾の展望台に歩く途中に、みごとな木。
大きな葉と、天に向かってのびるうすむらさきの花。
聞くと、それは桐なのだという。
実物を見るのははじめてかもしれない。
そういえば、家紋のよう。天晴れな姿。
長閑なお天気、川沿いにシートを敷いてお弁当。お散歩。
なんということもないふつうの話をする。
父は耳が遠くなって、私はこころしてきっぱり話をする。
夜、帰宅。
所在なく。
また用事済ませる。
姉妹で買い物にでかける。
そして、トレーニング。音楽に合わせて動くのは、やっぱり苦手だ。
そして、家族で温泉。焼き肉で夕食。
あかるいうちに出かけて、食べているあいだに日が落ちて、照明が店の庭を照らす。
運動していても、食べてくつろいでいても、ふと隙間があると、遠のいている。死期を知っていようといまいと、どっちにしても、生きているうち、いま、いま、いまだ。
雨模様だが、姉妹で山の温泉にゆき、大好きな杏仁豆腐のある、お茶の店にゆく。
ふとした隙に、昨日一昨日のことが思われ、その場から遠のく。
たびたびの隙に、感無量になって遠のく。
「ヘンだ」と言われる。
そうだろうね。
眠る前の少しの時間を、幸田文『季節のかたみ』を読んでいる。
告別式。
昨晩、ご遺族の意思を確認したのちに、思いつく範囲で連絡を廻した。
そこからまた人づてに連絡が廻って、金沢から飛んで来られた人までも。
急に知って、悲しみ、悔いる。
せっかく、だれにも言わずにおられた、逝かれた方
こんなふうにひとを嘆かせたくなかったかもしれない
お花なりとも手向けてとことづかり、また、お花でも供えたいと提案してくださる方もあり、それもとりまとめる。
思いがけず大きなスタンドになって届いている。
棺に花を詰める。
祭祀は、苦手だ
今さら他にできることもなくて
端の方でうろうろと花を置いたり、棺の蓋に手を添えたり
荼毘に送ったのちにその場でいくら集める、いくらおつり、などのこと。
久しぶりに会う人たちがいて、一緒に移動する。
帰途に寄り道をして、送らなければならない書類を抱えて帰る。
余計なことをひきうけてしまっていないか
これが今の役割なのだろうか
独りで、端っこのほうにいて、ばたばた用事などはしなくて
泣きたいままに泣いて、ぼうっとしていたいままにぼうっとしていたら
どうだろう。…たら れば はない。
余計なことだろうか、役割だろうかとまた右往左往しながら
報せをくれた人たちに宛てて報告を書いて送信する。
余計なことであるかもしれないが、今はそうする。
夜になって、帰省。
ひるすぎ、電話がかかって、お世話になっていた方が亡くなったことを告げた。まだ、五十代前半、逝かれるには若すぎる。
11月、2月とお会いしていて、急に白髪になられたなあ、お疲れなのだろうか…など感じていたが、それゆえ声もかけそびれていた。皆には内証にしておられたそうだが、そのころにはもう、ご自身は死期を知っておられたらしいことを聞く。
親しかった方に連絡をして、お通夜のことを聞く。
さいしょ、ご家族だけで、と言っておられたところに、参らせてもらう。
余計なことだろうか、知ってしまって居てもたってもおられないのは
こちらの都合で、こちらの欲で、
知っていようと知らなかっただろうと、生きて、会って、ことばをかわす
そのときそのときが全てだろうと、
それでもけっきょく寄せてもらった。
親しかったおふたりの仲間・友人は、毎週、日を決めて、食べやすいものでつくったお弁当を持ってゆき、添っておられたらしい。知っていて、言わずにおられたのは、どんなにかたいへんだったのではないか。
進行の速い癌。明らかに自分の状況も識って、ご家族のこと、お墓のことまでも、ご自身で手配を調えて。ふつうの話をして、笑って。
問わず語りにいろいろのこと。