ネコヤシキ日笑
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たまたま、神経症者の特徴を書いたものを読んだ。
あまりにぴったりなので、じぶんを笑ってしまう。
次に、シンポジウムの録音を聴いていて、
「あの人たち(神経症の人たち)は共同体感覚がない」
との旨。苦笑。
「じぶんの尻尾を追いかけて、ぐるぐる走り回っている犬」
という喩えが思い出される。
モデルから学ぶか。
だれか健全なひとの ペルソナ を借りるか。
ともあれ、いくつかの作業。いくつかのメイル。
カレンダー。一枚切り離して。年の残り。こうして過ぎゆく。
某きょうぢゅから諭されていた学生さんが、部屋から出て行きしな
「はげしく凹んだ。がんばろっ」と。
あら、いいな。こういうの。
こんど声に出して言ってみよう。
言ってみたいから、なにか凹ませて。さあ来い。なんつて。
2002年10月29日(火) |
「エレファント・マン」 |
仕事場の臭気問題は、きょうは、あっさりと解決している。
他の実験の都合もあって、問題の臭気源は片づけられ、部屋は全然臭わない。思いきり呼吸ができる。他の人たちも困っていたようで、「ああ。臭わないと楽ですねえ」などと言われる。
昨日の独り言は、やっぱりヘンだな。
困ったらあっさり「困ってるんです」と言ってみるとか
じぶんだけでは解決できないことってたくさんあるんだから
じぶんでなんとかしようというのも傲慢かもしれない。
かるく力を借りられるようになることも
とってもいいことじゃないかな。
と今日は思った。
DVD「エレファント・マン」。
昔テレビで観た覚えがあるのだけれど、ふと借りてみた。
思ったより古い映画で、暗くて、
夜観ていて気分がせつなくなりすぎ。
仕事場の臭気が酷い。
実験室で動物を飼育しているののニオイが、隣の私たちの部屋にも、こもっている。消臭スプレーや消臭剤を持ってきて、窓も開けられるだけ開けて、それでもこもり続けている。先週は耐えられたのだが、今日は気分が悪くなって耐え難く、逃げて別室へ行ったりもしたが、それでも夕方には頭痛がしてむかむかしてきた。
さらに、今日は別の実験室に出かけたのだが、そこで壁の補修をしていて、その塗料のニオイの中に居たこともいけなかったのかもしれない。
で、別室でぐったりしていたら、そこに居たボス(某きょうぢゅ)から「どっか具合悪いの?」と訊かれた。「どうもニオイで頭痛がして…」と答えると、「こないだRさんも具合悪そうだったけど、みんなでぱーっとやったら、元気になったよ。こんどぱーっとやるか…かえってストレスになるかな…(笑)」と返ってきて、ますますぐったりしてしまった。
さらには実験室で、ハンカチで鼻や口を覆いながら片づけものをしてると、そこにいらして「あ、なんだ、ネズミ(のニオイ)だ」と得心して嬉々としておられる(ように見えた)。
…だから何なのよ、そんなことぐらい、もとからわかっているわよ
(以下略)
あーーー怒っている私。
クールダウンと頭痛のもとから逃れるために外を一周して図書室へ。
なんの目的で怒っているんだ私は。
実験は大切なのはわかるけれど、私たちの仕事場環境はどうでもいいわけ?
こんなんをこれからも我慢するしかないわけ?
なんとかしてくれーーー。
なんとかして、だって?
どうしてくれることができるだろう、この人が。
しれくれるわけがないのだ。
この人だけでなく、だれだってが
私を幸せにしてくれるモノではないんだもの。
とにかく空調や排気のことがなんとかなるのか、
じぶんであたってみて、
実験の余波でこんな迷惑があること、
何らかの方法で冷静に伝えてみて、
我慢できないニオイは我慢しないで
身を守ることも、
じぶんでできることがある。はず。
間違っているかなあ。
いきなりはげしい寒さになった。
先週訪れた金沢からは、みぞれやあられの荒れ模様、とのたより。
目覚めると午後で、すっかり冬の風が吹きすさんでいる。
冬の敷物をとにかく干して敷きかえなけりゃと思ったものの、
もうぐったりとして、また寝たり起きたり。
食べた他はほとんど寝ていた。
身体がもう、かなり休養しないとやっていけないかんじだ。
これだけねたきりでいられる一日がとれたことには感謝。
月見わかめうどんにしたかったのだけれど、月見の卵がうまいぐあいに固まらない。これってどうするといいんだろうなあ。
明日からの合宿の前に、小松へ飛び、きょうは金沢泊となる。
金沢では、まずエスペラント仲間の古書店&カフェに寄らせてもらった。小さい静かな店だけれど、みどりの深い街路沿いで、凝った本が並んでいて、いいかんじだ。
そこから周辺のお散歩がてら、古い町並みや、せせらぎのある公園や、かんじのいい公営の建物を案内してくださる。ちょうどいいお天気のお散歩日和。立ち寄る場所も好ましくて、この町はたいそう気に入ってしまう。
そして、ふうら美術館さんのお宅へ。
ここがまた、茅生うる趣のある空間で。
途中、犀川にお散歩し、また戻らせていただいて、
なつかしい音のLP盤を聴かせてもらいつ、
ひとつふうら(風の羅漢像)を頒けていただく。
夕刻、武家屋敷そばの研修館で、勉強会に参加。
笹寿司や酒饅頭。食べたり、運営話など。
今日泊めていただくお宅は、町中の小さなお宅で、
もうひとつの川沿いと茶屋町を保存した界隈、
趣のなかにゆったり過ごさせてもらう。
居間に、うつむきかげんに本を読んでいる人の小さなエッチングがあって
そんなふんいきがあるお部屋がたいそう気に入った。
モノも、その家のご夫妻も。
1泊だけなのが残念。
年長の友人が編集しておられる隔月刊の句詩詩帖を開けて、その友人のおくさまが、この夏、亡くなられていたことを知った。
おくさまも短歌を投稿しておられて、そこに 絶筆 とあった。
追悼の句詩が多く寄せられていた。
直接お会いしたことはなかったが、友人からお話をうかがったり、写真を見せていただいたことがあった。
なかに、天野忠という詩人の遺稿詩集に触れたページがあった。
結婚よりも私は「夫婦」が好きだった。
とくにしずかな夫婦がすきだった。
結婚をひとまたぎして直ぐ
しずかな夫婦になれぬものかと思っていた。
「しずかな夫婦」