ネコヤシキ日笑
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知人が、タロットカードのことを書いていたので、久しぶりに思い出して、そのカードをひいてみた。
RIBIRTH/MOMENT-TO-MOMENT というカードを引いた。
「…この怒りはもう終わりにしなさい。いまではもう意味がない。お前が怒っているその男はもういないからだ。私は死んで、再び生まれている。…」
前後の文脈を省くとなにやら妙な言い回しだが、声に出して読み、泣いてしまう。
このごろ、みょうに泣きっぽい。
誰に見せるわけでもないから、害はなかろう。
ひとりで居て、妨げずに泣いている。
職場では、たくさんの学生さんたちと会う。
彼らはいろいろの測定の段取りなどを、淡々と、上手いこと主張しあい、交渉しあいながら進めている。すごいなあ、と思う。私などはむしろ彼らに学びたい。彼らのうちの数人のペルソナを借りようと思って見ている。
妹から電話、長話。うれしい。
こんなことなら、休みの間に、ちょっと電話でもしてみるんだった。
生身の知ったひとたちとはほとんど誰ともしゃべらず連休が過ぎる。
こちらから電話をしたり出かけたりすれば会えるしゃべれる人は居るのに、独りで過ごす。対人関係のなかに存在ありだ、と痛く感じる。朝、さみしくていたたまれない瞬間がある。
午後から活動を始めて、物置のなかのものをずいぶん捨てる。
古いコミック本が出てきて、ベランダで眺める。
杉浦日向子とか近藤ようことかやまだ紫とか。
もう20年近くも前のものもある。
当時の知人の薦めで買ったものもある。
もうずいぶん状況が変わった。
歳をとった。ずんずんときが経つ。
今回も捨てずに箱詰めにした。
洋服掛けを組み立て、古いハンガーラックや3段ボックスを解体。
重さでまっすぐに立たなくなったり、雨にぬれてゆがんでいたり。
10年、20年、使ったものたち。
家のなかの、古い部分を、ずいぶん捨てた。
洋服も1箱分、処分。
10月のヒコーキ便をひとつ、早割で予約。
まだ旅程を決めなければならない部分がいくつか。
2002年09月22日(日) |
「ビューティフル・マインド」 |
DVD。
中盤で、主人公が統合失調症なのだとわかるのだが、それまで、幻覚であるとは気づかずに見ていた。
ボーナストラックで監督や脚本家のコメントを聞き(見)ながら見ていると、きわめて周到に演じ、撮影し、編集された作品であることがわかる。そして、映画人としてだけでなく、人生のなかで、よい経験だった、と語っている。ていねいに編まれた作品だと思った。
また、未公開シーンのボーナストラックも併せて見ると、「流れ」「テンポ」を優先するためにカットされたところも多いことがわかる。現場のひとたち皆が気に入ったらしく、ずいぶんエネルギーも投じたはずのシーンでも。
このことも、知れてよかった。
じぶんがいくら力を入れていようと、気に入っていようと、いまたいせつな流れは何なのか、その場のテンポはどうなのか、ちょっと気にしていようと思う。
ついに冷蔵庫を購入(納品は10月になる)。
スチールの洋服掛けも(明日配送)。
夜型、睡眠悪し。食事劣悪、ファミレスで晩ごはん。
精神より心より、まず身体を整え足りない気がする。
遅く起きる。鬱。
あまりに汚いのでイヤになり、キッチンのあちこちを片づけ始める。
ビデオの処分続き。8年ばかりも昔の、自分が映ったビデオが出てくる。イヤなやつ。むやみな緊張をして無意味なことをしゃべっていて。それは今もそうかもしれない。写真も多数、金太郎飴のようないつも同じ作ったような笑い顔。
右、左、右、左、とウォーキングメディテーションがわりに夜道を歩いて食事に。きょうは予定では瞑想会に出かけるはずだったのだった。こんなに怠くては瞑想の途中で居眠りをしてしまいそうで、休む日にした。
2002年09月20日(金) |
Mother Earth |
マザーアースコンサートというのに出かける。
相性がよくないというのかしら、音楽そのものはよいものだとは思うけれども、気というか波動というか、よろしくない。楽しげに演奏してくださったらよいのに。
よかったことは、これまであまり好きになれなかったウォン・ウィンツァンという人のピアノが、はじめてとてもうくつしく入ってきたこと。ギターやピアノの人の所作がうつくしかったこと。
疲れていて怠い。相変わらず。
身体を鍛えなければ、と思うけれども、その元気がない。
またコーチについて筋トレをしたほうがいいかも、とも思案中。
本棚にすきまができ、玄関先の本の山もなくなり、新しいモノが入れられる空間が少しできた。片づけ途中のモノがあちこちに積み重なり、あいかわらず倉庫状態のなかに居る。古いビデオもぱかすか捨てた。もっと捨てよう。もう新しいモノを迎えるときだ。
夏の特別休暇の最後。せっかくの平日のおやすみだが、午前を寝て過ごし、昼夜逆転型のくらし。食事が乏しく、げんきな休日とはほど遠い。
古い手紙類を処分する。
10年〜7年くらい前のもの。
いまではもう全くつきあいのなくなった人の名前。
いまではよく思い出せない、私の関わっていたこと。
私に関わってくれた人のことば。
いくつかをとっておき、多くを、えい、と捨てる。
これからのモノを入れてゆくために、
これまでのモノを、えい、と捨てる。
2002年09月16日(月) |
「ベルリン天使の詩」 |
ビデオ。
もう思い出せないくらい昔に見た。
暗くて美しいものが見たくなって、また借りた。
箱詰めにしてあちこちに積んでいた本を、本棚に移動。
収納箇所が縦にひろがっただけなのだけれど、床が空いてすこしすっきりする。古いマニュアル本や雑誌を思い切って捨てる。
捨てる、捨てる、捨てる。
薬をもらいにゆき、スリランカ料理屋でランチを食べる。古道具屋にスチール本棚を探しにゆくとそこで新品の本棚が安く出ているのが見つかり購入。やっと決まった。
本やあれこれのモノが玄関先にも台所にも山積みになったままで、この片づかない気分がどうにもたまらずイヤになってきていた。北側の部屋の3段ボックスや紙袋を積んだ場所に本棚を入れようと、しばらく前からカタログを見たり店を巡ったりあれこれ考えていたのだが、やっと決まった。たった6千いくらのものなのに。
夕方から本棚を組み立て、モノを大移動にかかる。
印刷物はけっきょく今日になった。
今日は新幹線にのって出かけるつもりだったが、
予定をとりやめた。
けっきょくは自分で選んでそうしているのだ。
原稿は断ることができるし、
昨夜の会合も中座することができる。
人のせいにしたがっている。
きっぱり断るとか、
それは私にとっては困るなあ、と伝えるとか、
できることはあるはず。
もっと違うところでひっかかっているのかな。
今夜のうちに作り上げたかった印刷物だが、深夜になって原稿が来る。むっとする。いったいいつの間に私は作業すると思っているのだ、不眠不休のロボットじゃないんだ、別のところに書いている情報を読んでいないんだ、いや、私が〆切を2日も延ばして伝えたのがまずかったのだ、〆切の時刻までは言っていなかったのがまずかったのだ、いつも〆切後まで原稿を受け入れてしまうのがまずかったのだ、とかなんとか高速回転する。
つかれるなあ。じぶんの高速回転に疲労している。
これが続くと、つらいなあ。
あらら、送ってくれたのはありがたいけど、
困るわ、もう眠る時間がなくなるじゃないのー
といい
こんどから〆切まででほんとに切るわ
よろしくね
といい
明日さっさとしごとをすれば、それでさしあたっての疲労は少なくてすむのではないかしら。
もっとなにか、あるのかもしれない。
講演を聴く。
わがままをして、講演のための部屋に居ないで聴く。
別室でスピーカーからの声を聴きながら横になっていたり、また、なんとなく近くに居たくない人のそばから離れるために別室に居たりする。
「愛」は不随意。
意欲が先にあるのではなくて、やっているうちに生じるのが意欲というもの。
このごろ、動いていない。
身体が怠い。
それで意欲が生じるわけがない。
こころよく休むときなのかな。