ねこや  ネコヤシキ日

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2002年06月29日(土) メガネ3

家のなかと、某しごととを片づけるつもりが、どちらも着手せず。

朝から背中が痛い。洗濯だけをして、怠惰に過ごす。

昼、宅急便で、大阪から交換されたメガネが届く。
きれいなもので、きちんと調整もされている。わるくない。
出先でぱっと買ってしまったし、調整等の対応はよくなくて、少々悔いていたのだけれど、これなら愛着もって使えそう。

夕刻、昨日注文のメガネ3を取りにゆく。
2日間、他に客らしい客も見かけなかった店だが、きょうは、待たされるほどの繁盛。

新しいセルフレームのメガネ。じぶんでは顔にまだ馴染まなくてみょうなかんじだが、それゆえ、イメージチェンジにはいいのかも。調整を待ちながらながめていると、さらにサングラスと、目立たないオーソドックスなものも欲しくなったが、さすがに思いとどまる。

1週間のうちに、3本のメガネを購入。

これまで、私にとってメガネは、視力を補正するものだった…でしかなかった。しかたなくかけていたもの、だったかもしれない。いまは、どうせかけ続けるものなら、あそんでしまおう、顔のイメージを変えるのに投資しよう、などと思ってみるのだった。

腕時計と靴(サンダル)も着替えたくて、探している。いまだ決まらず。
これらも、けっこう高額。こうしてボーナスはモノに消えてゆく。


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夜は、スタバに通って、ミルクティー一杯、読書少々、の今週だった。
いろいろな人たちの会話が耳にはいる。

このあいだの隣は、何かの制作の打ち合わせや契約をしていた。
フリーの印刷物かWebのデザイナーさんと、小さな事務所系のバリバリおねえさんだろうか。
きょうの隣のおにいさんとおねえさんは、仲よさげではあるが、なんだか浮ついている。
向こうの席は、看護師さんだろうか。
左の席は、事務系の職場の話題。
ひとりで勉強している人、書類を書いている人。

など、観察されて、いとおかし。
ひとのメガネや時計に目がいったりもする。


2002年06月28日(金) さらにメガネ

紅いメガネを取りにゆく。

そして。さらに見ていて、もう一本のメガネを決める。
こんどは、コーラルピンクの、セル(プラスチック)フレームのもの。
カタギの勤め人が年中はめているタイプのものではないなあ。
メガネを着替えるコースに突入か。

この店は、移転記念セールのためにレンズを半額にしているのだという。
こういう機会にしか、着替え用のメガネまで新調するなんてできにくい。ふだん、高度の近視のために、高屈折率の薄型レンズを使わねばならず、これがけっこう値が張るのだった。


メガネについて調べようとWebを眺めていると、メガネ趣味な人々はけっこう多いらしい。夫さんとふたりで次々にメガネとコンタクトとを買って、いちどの出費が10数万円、というような日記があった。

メガネ店も、量販店が展開する一方、こじゃれた店でカフェといっしょになったのやらが各地にできているらしい。


2002年06月27日(木) メガネ2

一 昨日、登山靴を取りにゆく際、こぎれいな眼鏡店をみかけた。

月曜日に、999.9というメガネメーカーに問い合わせた際に訊いた、地元での取扱店、3つほどしかないうちのひとつだった。繁華街からはちょっと離れた通りにある。

きょうは、そこに出かけてみた。
せっかくイメージチェンジしようと買ったメガネが交換返送になってしまった。メガネは、買ったあとも細かい調整などしてもらえるほうが安心だ。やはり地元で手に入れたほうがいいのかもしれない。

小さい店で、若い女の子(といっては失礼かもしれないけれど)がひとりで店番をしている。私の帰省先の近くに本店があるそうで、そんな話をしていると、彼女は、メガネの仕事がしたくて、その本店のある隣県に4年間ほどメガネのバイトに通っていた、のだそうだ。じぶんでも10数本のメガネを持っていて、作ってみたりもするらしい。ほんとうにメガネ好きが伝わってくるようなひとだ。

見るだけ…のつもりが、彼女と話しながらいろいろかけてみているうちに、気になる何本かが生じ、けっきょく、ひとつを選んでしまった。

日曜に手に入れたばかりのとおなじメーカーの、同じ素材のもので、色と玉型がちがう。こんどのは、紅いいろで、フォックス型というのか、細いすこし尖った楕円形のもの。明日出来上がる。

紅色のメガネは私にはちょっと冒険だが。えいっ。


2002年06月25日(火) おたくな店

3月に靴底の剥がれた登山靴。

買い換えも考えたが、そう頻繁に山に登るでなし、またじぶんの足に合う靴を探すのも一苦労。で、けっきょく、先月、メーカーに訊いて市内の登山用品屋経由で修理に出した。

きょう、出来上がったそれを取りに出かけた。

店では、夏用の登山用ウェア類のセールをやっていた。
Tシャツなどを物色。
速乾性素材のチビTとタンクトップを購入。

しかしなあ、どうしてだろう、ここに来ると、他の場所では会わないような種類のひとびとに会うような気がする。登山用品屋というのはどこもそうなんだろうか。某Iスポーツとかはそうでもなかったような気がするのだけれど。

そういう私も、そこに2,3度、こうして足を運んでいるわけだが。

ところで、この靴底素材は、クッション性がいいのが長所だが、傷まなくても5年に一度くらいは張り替えないと、経年変化で脆くなりやすいのだそうだ。各メーカー共同での警告チラシがついてきた。私の靴のように剥げた靴の写真があって、応急処置として、紐で巻いたりテーピングテープでぐるぐる巻きになっている図がある。こんなことをしても、厳しい山では命取りになるかもだ。


2002年06月24日(月) メガネ

新しいメガネをかけて職場へゆく。
が、誰にも気づかれない。
あるいは気づかれているのかもしれないが、コメントされない。
髪を切ると、あ、切りましたね、と誰かが言うようには。

これまで3年ほど使ったメガネは、「エアチタニウム」という製品で、ネジを一切使わず、フレーム重3.3gという超軽量、針金のような細いチタニウムとシリコンを使ったものだった。色はマットな金で、目立たないもの。

こんど選んだのは、「999.9」(フォーナインズ)という、これも機能美で売れている(らしい)ブランドのもの。チタニウムで、ゴムメタルという弾力のある素材を使っていて、エンジ色の、ちょっとスクエアな玉型のだ。

じぶんでは、ずいぶん思い切って変えたつもりだったのだけど。

ところで、この新しいメガネだが、昨日、調整でぐいぐい押したり曲げたりしてくれたらしく、ペンチ跡で塗装がずいぶん剥げているのがわかる。新しいのにキズが顔の中央に来るのって、なんだか、イヤだな。
…と、メーカーを調べて問い合わせ。塗装し直しだと工場送りで1ヶ月ほどもかかるという。大阪の販売店に電話すると、交換するので送ってくれ、というので宅急便で発送。

はあ…。



2002年06月23日(日) 新しい本/無駄な緊張

関西エスペラント大会。

午前中、グローバル化との関連でシンポジウム。
それから、発音のクラス。
抑揚のパターンに気づきながら聴くのは、他のコトバを聴き話すのにも役に立つ、と思う。

あいかわらず、ご高齢の方が多く、独特の雰囲気。
書籍をいくつか購入。
いつも相談にのってくださる、地方組織で編集などをやっておられる方がおられて、きょうも声をかけてくださる。
今年出た本について、機関紙に一筆書かないか、とのご依頼。
曖昧にひきうける。

今年、エスペラント―日本語の、新しい対訳本が出たのだ。
内容はもう1世紀近くも読まれているものだが、新装なったもので、うつくしいものがたりだ。
それから、きょうの参加者記念品にもなった、新しい学習書も出た。
どちらも初級を終えたくらいのレベルを対象としたもの(だと思う)。
ちょうど私にとってありがたい。
内容も洗練されていて、佳作だと思う。

こういうものもあるのだが、世に知られない。
書店にも、入らないのではないだろうか。
書店の棚に、(すぐれたものであるが)昭和30年代の本だけしか並んでいなかったりすると、エスペラントって昔のものなのね、と思われても、しかたがないよなあと思う。

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夕刻、環状線→地下鉄で移動して、メガネを受け取り、それから、京都へ移動して、アレクサンダー・テクニークのレッスンへ。

慌ただしい。じぶんで慌ただしくしている。
汗だくで、椅子にすわっても、足ががくがくしている。
レッスンの途中で、呼吸がゆっくりと深くなっているのがわかる。
ということは、それまで呼吸が浅く小さかったのだった。
そして、足は使わないときでも足を緊張させ、腕は使わないときでも腕を緊張させている。


2002年06月22日(土) お買い物/蕎麦屋で呑む

午前中は空き時間。お買い物へ。

友だちの誕生日が近いので、プレゼントを探す。
それから、じぶんの旅行用の鞄を探す。

プレセントを探すのは、楽しい。
あのひとにはこういうのはどうかな?とか、うろうろとする。

鞄は、めざしていたものには出会えず。

その過程で、メガネ屋に立ち寄り、紫茶色というか、エンジ色というかの、つやけしメタルフレームのものを買うことに決めた。すこしイメージを変えてみたかった。メガネで少しは顔の印象が変えられるのでは。

あす出来上がり。

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午後、公開カウンセリングの見学。
終わって、夕方、友人と、蕎麦屋。

アスパラガスの天ぷらや、地鶏サラダ、枝豆、梅干しなどをあてに、焼酎のそば湯割りなどをすこし。さいごに、仕上げ蕎麦というのもつく。

料理も上品で美味しく、そば湯自体が好きなので、これは佳かった。
いろいろ話を聴いてくれる。
なかなか地元でできない話。ありがたい。


2002年06月21日(金) 高くつく旅

大阪へ。

今回は、アドラーと、アレクサンダーと、エスペラントの3点セット。2泊3日の予定。

今日は午後7時ごろまでに新大阪に入ればよいので、ゆっくりなのだが、それでも出だしが遅れてしまった。ぎりぎり間に合う新幹線にも危うい時刻になった。

時間の余裕があれば、駅までバスで行き、格安チケット屋で回数券のバラ売りにあたるのを買って、ひかりの指定席で行くということができる。これだと往復の交通費が2万3千円くらいでおさまる。

さらに日程の余裕もあれば、JRとホテルとか、飛行機とホテルとかがセットになった出張パックのような旅行商品があって、それだと1泊2日の宿泊まで込みで、2万6千円〜8千円くらいでおさまる。

きょうはといえば、駅までのバスを待つ余裕もなく、途中からタクシーに乗りかえ、さらに、格安チケット屋に寄る余裕もなく、みどりの窓口でふつうに往復割引だけ適用のチケットを買うことになった。これだと往復の交通費は3万円近くにもなってしまう。

私自身の出遅れのために、私自身の出費が増える。

いまは、やたらに切りつめて暮らそうと思ってはいない。
時間や体力の負担とのかねあいで、おカネも使おう、とも思う。

だけど、放漫は、いかん、と思う。
ちょっと考慮を要すぞ>じぶん。


2002年06月20日(木) ワンダフルライフ つづき

昨日のビデオ『ワンダフルライフ』を、再び観た。

死んでから1週間の間に、生きている間で最も印象深かった幸せな想い出の場面をひとつ選ぶ。それを映像にして、鑑賞してその想い出に浸っているときに、天国へと逝く。その他のことはすべて忘れて、その想い出のなかに永遠に過ごすことができる。

場面は、その1週間滞在する、想い出を選ぶ施設(?)。訪れる人たち(死んだばかりの人たち)、施設で働く係員たち(かつて想い出を選べなかった死者たち)。

22歳で戦死し、その後50年間、想い出を選べなかったひとりが、さいごにある場面を選び、逝く決心をする。

  じぶんもひとのしあわせに参加していることがわかった。
  それはとてもすてきなことだった。

と。ひとつの映像。


朽ちそうな建物(古い研究所跡をつかったらしい)、雪、モデルが本職であるような役者たちと、とげぬき地蔵などでインタビューして登場してもらったらしいふつうのひとびと、現実と、現実離れしたところと…ふしぎな、メッセージのある作品。


2002年06月19日(水) ワンダフルライフ

先日(6月2日)の日記に書いた、高速バスのなかで途中だけを観た映画だが、この日記を読んでくれている在米の友人(というか先輩というか)が、題名をメイルで教えてくれた。

是枝裕和監督、『ワンダフルライフ』、英語版では『After Life』。

さっそく、レンタルビデオ屋で探してきて、観た。
見逃していた最後の部分。
出会えて、よかった。

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妹から、メイル。

彼女からの誕生日メイルへの(私からの)返信への、返信。
つまり2往復めのメイル。

としがいもなく(と私が思う)私なりであることを肯定してもらえること、
いっしょに泊まりの旅行に誘ってくれる人がいること。

書かれていることはみもふたもないことなんだけれど、
きょうのような日にはとりわけ、うれしくて、ありがたい。

プリントアウトして、何度も読む。


2002年06月18日(火) 同じ轍を踏む

失敗から学ぼう。
が。
同じ失敗を2度するのは、バカだ。
同じ失敗を2度、だ。


2002年06月17日(月) 誕生日

私の、誕生日。

朝、宮澤賢治の『どんぐりと山猫』の絵本をいただく。
同僚が、毎年、ネコにちなんだ本をくださる。

  山ねこ拝

と署名をした手紙が、出てくる。

これにちなんで、わたしは 「ねこや(もとは、 ねこ山)」と呼ばれるようになった。

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からだがしんどい。
それより、かんがえというのか、あたまというのか、しんどい。
じぶんでじぶんをさいなんでいるのでたぶん、しんどい。
ちゃんと学ばなくては。ここから。


2002年06月10日(月) 安楽死

深夜に、羽音がした。居間にゴキブリが飛んできたのであった。
1年に1,2度は出くわしてしまう。
古い団地なので、しかたがないのだろう。
大の苦手で、近寄れないので、別室に避難するが、
しかし、もう眠らねばならぬ。
だいいち、こやつが我が家のどこかで生存しつづけてもらっては、困る。

殺虫剤を遠巻きに振りかける。隠れて、また出てくる。振りかける。
かなり浴びたであろう、よろよろと私の机の上に落ちてきた。
困る。近寄れないのだ。
もう、今夜は、机でやるはずだったしごとは全部やめだ。
ゴキは、もうひっくりかえっていて、手足(というのだろうか)をじたばたしてはいるものの、動き回る力はなさそうだ。

しばらく遠くにいるうちに死ぬだろう、
と思って、風呂に入る。あがる。
遠くから机の方を見る。まだ、生きている。手足をじたばたしつづけている。
見なければ、もう、気配もしないし、飛んでくるおそれもないが、
死にそうにもがいている生きたモノが、いっしょの部屋に居る。
この状態で、私は寝るのか。

殺虫剤は、ヒトと昆虫の神経伝達物質の違いを利用して、彼らの神経伝達系を支障して、選択的に殺す、のではなかっただろうか。だとすると、いま、カラダが思うようにいかずに、相当に苦しいのではないだろうか。
もう、数時間。

このまま、あと数時間もするうちには、じたばたもできなくなって、死ぬのだろうが、そんなに苦しめるくらいなら、いっそ、もっと大量の殺虫剤を振りかけるか、洗剤のようなもので窒息させるか、苦しくなく死なせるほうが、いいのではないだろうか。

苦しい、という思いはあるのだろうか。

あまり眠れずに朝になった。死んでいた。

すぐに近づくことができずに、夕方まで放置した。
見ないようにして、処分した。



2002年06月02日(日) 高速バスで

夜、1時間半ほど、高速バスに乗って帰宅する。

バスのなかでは、題名のわからない邦画が、私が乗ったときにはもう始まっていて、降りるときにはまだ最後まで至らなかった。つまり、途中から途中までを観た。

ふしぎな映画だった。死んだひとが、じぶんの生きていたなかでいちばんいい想い出を選んで、それを映画にする。その想い出を鑑賞して浸っているときに、「あちら」へと逝ってしまう。その想い出を選ぶ助けをし、映画のディレクターをするのも、すでに死んで、しかも想い出を選べなかったひとたち――というもの(のようだった)。

ぜんぶを観てみたいと思うが、これって、何という映画なのだろう?

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妹とドライブ、温泉にゆき、そばを食べ、山でしばらく車を停めておひるねをした。

高速バスでは、隣に酒気おびのおじさんがすわって、かなり不快であった。ぷんぷん。


2002年06月01日(土) 感情的にならないことなんてできるの?

アドラー心理学のフォローアップ学習会に参加。

テキストがあって、きょうは、それのうちのあるページを読み合わせてシェアしたり。


感情っていうのは、心のものではなくて、身体のものなんです。ですから、体の感じを見ていると、自分の感情がよくわかります。


など。怒っていたり苛立っていたり、を、その場ではじぶんで気づいていなくて、あとになって、感情や、それをどう使いたかったのか気づいたりすることがある。

気づいて、目標を一致させて。

話がなかばで移ろい、やはり目標の一致とれず。まあ、すこしずつ、また。


夜、帰省。封筒づめ作業。



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