ネコヤシキ日笑
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毎日のようにウイルスつきのメイルが届く。うんざりする。
MACなので、感染はしないようなのだが、もっともらしいなまえのファイルで、知っているひとや、知らないひとからメイルが届く。私用のアドレスにも、しごとのアドレスにも。
エスペラントのなかまが発信者名につかわれた、英語のメイルが届いたりする。題名をみただけで、このひとが出したのではないなあ、とすぐわかるのだが。
ある本を翻訳したいね、という話が立ち上る。なかまが、私に声をかけてくれる。ありがたい。
分野としては、ぜひやってみたい話だ。けれど、充分なしごとができる能力がじぶんにあるか。もしできるとしても、チームづくりによってはそのことがかえってしごとを辛苦にするだろうという予測も、ある。
翻訳をはじめると、かなりの時間、それだけに没頭することになってしまって、他のことをかなり削がなくては私にはやれない、という予測も、ある。
翻訳の勉強をきちんとやらなくては、と思って、再び始めたのが昨年の春だったが、昨夏に別の勉強をはじめて、潰えてしまった。けっきょく、また半端な勉強でおわっている。私には、翻訳は、とてもむずかしい。
いつも、ひとつずつに一直線になってしまう。はげしくシングルタスク人間だ。
エスペラントの会合に参加してみる。
「若い人たちに講習会に来てもらうために、みなさんのアイデアをお願いしたいのですが」とおっしゃりながら、そのじつ、その課題について話し合ってくださいと既にグループ分けがされていて、役割や発想をまとめるための書き方や発表のしかた、数や時間をこまかく指示される。しょうしょう強引に進められる。まず、そんなに、年長の人たちが指示なさる場に、若い人たちというものが、好んで来るものだろうか。
エスペラント界に接してみていると、若い人に、といいながら年長者ががんばっているところが、矛盾しているのではないかな、と思わされることが、しばしばある。あつくるしく接して来られる方々に少々閉口してしまうことも、しばしばある。
若い人に元気に関わってもらいたければ、世代交代をする。年寄りがあえてひっこむ。…そう考えてしまう。それは批判というより、私が私の関わる分野で、私がどうしていくか、と考えさせられることでもある。ひっこむ、といっても、年経るにしたがってのしごとはあるだろうけれど。いずれ、世代交代ができるようにするにはどうしたらいいか。
あたらしく対訳で出たものがたりの本を買う。
うつくしい話で、エスペラントでの表現もうつくしい、と思う。
こういううつくしさが、私がエスペラントにほそぼそとひかれているところのひとつで、また、こういうあつくるしさが、私がエスペラントで苦手なことの大きなひとつだ。