ネコヤシキ日笑
日記モドキ ↑目次|←昨日|明日→
4日間の休みをとるために、先週、思いつく限りのさしあたっての仕事は片づけていったはずだったが、きょう出勤すると、事務の方から、あれこれとばたばたしておられたらしい話だ。申し訳なかったり、ありがたかったり。
年度末で、某省庁からもらっている研究費の報告書作成や、会計処理の締めが集中する。なかでも、某KR省の研究費ときたら…。平成13年度の研究費が振り込まれるのがこの14年の3月の下旬になり、それを約1週間で使って、会計報告を書くのだ。例年こうなのだ。例年、このお役所仕事には、みんなでぶつぶつ言っている。ことしもぶつぶつ。
ひとしきりの研究が1週間でできるわけがないじゃないか。
おカネなしに何ヶ月もの間、どうやって実験をしろというのだ。
きょうぢゅたちは、かわるがわる海外出張。
そのためのあれこれも、また急な変更があったりで、たいへんだったようだ。
私など居たからといって、そんなに役に立てるわけではないのだけれど。
私が担当の機械関係のしごともあったらしく。
平坦な、市街地近郊の道。午前中で4つの札所を巡った。
若い人や、おじさん、おばさんが、ひとり遍路、ふたり遍路をしているのに、あちこちで出会う。このごろ歩き遍路は流行っているんだそうだ。NHKとかいろんなメディアにとりあげられたせいもあるらしいし、ご時世のせいもあるんだろう。
じぶんのことを棚に上げて言うと、出会った、すれ違った、ひとりお遍路さんたちって、なんだかうつくしくなかった。なんというか、鬱陶しかった。
私も、20代の半ばに、ひとり遍路をした。
歩きではなくて、交通機関や自転車をつかって、何度かに分けて四国に通った。今のような流行りではなかったと思うが、ちょうど弘法大師の御遠忌かなにかの年で、団体でも個人でもお遍路さんはやはりけっこう多かった。
今回、ひとのことを「なんだかうつくしくない、鬱陶しい」などと感じてみて、あのころの私こそが、醜くて鬱陶しかったろうな、と思った。
今となってはありありと思い返すこともできないんだけど、なんだかじぶんのことであれこれ悩んでばかりいて、八方ふさがりな気持ちだったと思う。霊場巡りなんかしてみたって、けっきょく見えているのはいつもじぶんの方ばかりで、そのくせじぶんがどう覚悟して変わるかではなくて状況が棚ぼたのように変わってくれることばかりを願っていたような気がする。そういう今だって、どうなんだか。
いや、今回出会ったひとり遍路さんたちがそうだというわけではない。彼らをながめながら、私はまたじぶんのことばかりを考えていたわけだ。
----------
先達さん(リーダー、世話役)たちが居られるところで、「(交通機関を使ったお遍路より)歩いたほうが、自己満足はできるね」などと口走った。
それはある部分、ほんとうにそう思ってはいて、この忙しいご時世に休みをとって少しずつ歩いていられるなんて、そうとう恵まれていて満足できることだと思うし、「功徳を積む」と言うがそのじつ私利私欲かな、と個人のこととしては思う。
だけれども、私ひとりで歩いていられたわけではないのだ。
わかりにくい道を地図で探ることもなく、宿の手配や納経はもちろん、路傍でトイレを探すのから甘いものの補給まで、先達さんたちにすっかりお世話になって、歩かせてもらって、歩けたのだった。私よりも速いひとや遅いひとが居るおかげで、ペースを維持して歩けたのだった。
「自己満足」なんて、おこがましくて、傲慢な物言いだ。
おやつをいただきながら、「私は強欲を隠すまい」とも口走った。
これも、なんておこがましい物言いだろう。
そんな言動をしたこの日の私であることよ。
暗く反省していてもはじまらない。
観て、くらしてゆくしか。
疲れて、脚が痛い。列車でうとうと。3本乗り継ぎ。夜帰宅。
2002年03月27日(水) |
雨/うた/桜/CW-X |
雨。
雨用の装備をして、山道を下る。
足下、いっぽいっぽ。言葉が少なくなる。
杖をスキーのストックのように使って、とことこ降りてゆく。
ひるに雨があがる。
日が差した瞬間、「わあ!」といっせいに声がする。
Here comes the sun!
ビートルズのその曲、
ハートというグループの Never Never…と繰り返す曲、
それから、…火の山へ 登ろう 登ろう フニクリフニクラ…という歌、
それらが繰り返し繰り返しアタマのなかでリピート。
----------
登山靴のかかとが壊れ、「靴が笑う」状態になってしまった。
みんなに待ってもらって、運動靴に履き替える。
手足では、あわてて靴を取り出して、靴下から履き替えて、荷物を入れ直したりしているのだが、なんだか可笑しくて、あはははと笑ってしまう。笑っている場合じゃない、とアタマではわかっているのに。
靴だけでなく、ニンゲン(私)も、どこか壊れている。
里に下りてゆく。
雨上がり、山肌に、霧立ちのぼる。
川縁の桜木から、花びらが、ひらりひらり飛んでくる。
八朔を割って食べ、蕗を煮たのや、たっぷりのやまかけうどんを食べ、珈琲のある店にも寄って、宿に入る。
お寺の近くの畑のあいなかに、みごとな枝垂れ桜が2本、ちょうど今を盛りと。
枝の下に立って見上げると、そらから花がふりそそぐ景色。
花のもとにて…西行の詠んだような。
食事が美味しい。お風呂が3人入れるくらい大きくて、手ぬぐいタオルが置いてある。それだけでひじょうにうれしい。
なんだか余計なことまでしゃべったり、しゃべられたり(と感じたり)、余計なことまでしてしまったり、し足りなかったり(と感じたり)。
夜9時には就寝。
----------
脚は、疲れてはいるが、なんとか保っている。
いろいろなもの、人に頼っている。
今回特に、CW−Xというサポーター(コンディショニングウェア)に助けられている。確かに脚をサポートしてくれている実感しきり。弱脚の私には、これなしには今日の道は歩き果すことができなかったかも。
痛みを抑えるインドメタシンの入った塗り薬貼り薬にも助けられている。
お遍路用の木の杖(金剛杖)にも体重をかけて頼っている。また短くなる。
「お遍路返し」とよばれる山道を登る一日。
きょうの道は、歩きでしかゆけないちょっと険しい道で、弘法大師のころから残っている数少ない遍路道らしい。古い時代に行き倒れた人たちを祀るお地蔵さまが途中にたくさんあった。この道を通らずにゆける別のバス道ルートがあり、たいていの人たちはそちらを通ってゆく。
きょうび、もともとの遍路道を歩いてゆくのは、ゆけるのは、ぜいたくをさせてもらっていることだ、と思う。
私たちのグループには、何度もこの道を歩いた経験があって山にも詳しい先達(リーダー)たちがついていて、ルートどりやペース配分はもちろん、歩き方や靴のアドバイス、休憩やトイレ、宿、食事やお菓子の配慮まで、すっかりお任せしていられる。それで、私のほうはといえば、グループのペースに合わせることは気にするにしても、ほとんどの時間、じつはじぶんの脚の心配や、途中でお地蔵さまをみつけて拝んだりすることばかりを気にしていられる。かなりぜいたくなことだと思う。
曇り空で気温もちょうど好い。脚は意外と軽く動く。歩くことでかえって血行がよくなって脚は喜んでいるかのようだ。途中の無人の庵で、朝もらったおにぎりを食べ、置いてあるお茶や生姜味の砂糖菓子をいただく。美味しい。
山のお寺には予定より早く到着できて、宿坊泊。
お風呂、洗濯、草餅と外郎のおやつ。
炬燵で微睡む。
精進料理がとても美味しい。
ついて歩くこと、休むこと、食べること、ばっかりを考えていられる。
ありがたい。
歩き遍路に出立。
出遅れた。駅構内を全力疾走し、新幹線に乗り込むと、まだ席に到達しないまえに発車した。ぎりぎりだった。あと途中3カ所で乗換があるので、これに乗り遅れるとあと全部の接続ができずに、ずいぶん遅い到着になるところだった。
身体はあいかわらずかたいが、今朝も鍼灸に行って、列車のなかでしばらくうとうとして、気分的にはすこしやわらかくなった気がする。
いろいろなことが、かろうじてで、とにかく夕暮れどき、集合場所の宿に到達した。夕餉が用意されていて、ふつうといえばふつうの食事なのだが、うれしくて、美味しかった。
2002年03月24日(日) |
お遍路コンディショニング |
明日から、歩きお遍路に出かける。
じっさいには、明日は夜集合するだけで、明後日の早朝から山道を歩き始める。
身体の調子は、あまりよくない。
全体がかたく、コリがとれなくて、痛く、疲れていてる。
今月にはいるころからずっと、こういう状態。トレーニングどころではなく、体力をあげて備えるはずだった目標はあきらめた。せめてコリを少なくして備えようと目標を下げて、このところ薬をのみ、温泉やマッサージに通いしていたが、回復しきれなかった。
土曜日に鍼灸治療に行った。これは、けっこう効いた。
今日は、かなり久しぶりに、泳いだり浮かんだりした。
それから、久しぶりに山靴をはいて、すこし慣らして歩く。
こんな段階で、でかける。
塗り薬、貼り薬、サポーターを用意した。
なんとか、もちますように。歩き通せますように。
2002年03月23日(土) |
堅実ってどうすること? |
私たちが今やっていることは、ちいさくてあいまいだけれども、一種の非営利の(しごとをする)組織 Non Profit Organization を立ち上げつつあることだ、と私は思う。
みんなで関わって、とか、仲間で協力しあって、というのは、それはまったくそうなのだが、うつくしいことばだけでは、やってゆけない、と私は思う。
何かをやるためには、タダではできない。
活動のための、いくらかのおカネも、確保しなくてはならない。
堅実に続けてゆけるようにしたい、しなければ、と思う。
堅実、ということも、うつくしいことばだ。
で、それって具体的にどうすることか、となると、人により、バックグラウンドにより、なんと差異のあることか。
百円、千円の倹約をするために、手間ひまをかけ、時間を割きましょうというのが、堅実なことなのかどうか。だからといって、百円、千円はどうでもいいから、万円レベルの対策を考えましょうというのが堅実なことなのかどうか。
みんなで、どうすることになる(する)のやら。
わあなんとおもしろい、と書いてみたり、しておこう。
研究室の送別会。
今年は、ながく非常勤生活をしていたスタッフがひとり、ようやくちいさな私大の常勤講師に決まって、出てゆくことになった。
長かった。ハタから見ていても。
院をでたあと、期限つき助手職を含めて、十年以上になったのではないか。
他の道もあるのではないかと、ハタも考え、本人もずいぶん考えただろう。
納得してやっておられたようだが、妻子ある生活を支えるのはやはり、かなり苦しかったようだった。ある面とても有能で、学生からも教員たちからもしたわれるタイプの人だが、論文というかたちではあまり順調には業績が積めてこなかった。
ともあれ、よかった。ハタの私たちも、こころから安堵する。
わあ。
まどをあけると、
うちのにわ(団地の公園)の桜たちが、
きょう、いっせいに咲いていて。
いつも見えるとおくの山たち
すっかりかすんで白いせかい。
中国大陸からの風がふいている。
夕方おそく、まだ職場に居ると、友人から電話が入った。
「もう、出て来ちゃったわよっ。子どもも置いて、きょうは出てきたゾっ!」
彼女は、年子の乳幼児二人のお母さんで、主婦。なんでも、車がぶつけられてその修理が時間どおりに来ないし、夫がぁぁ…、子どもがぁぁ…、で、「ちゃぶ台バーン!って、ひっくりかえしたくなる気分よっ!」になって、家を出て来たのだという。
といっても、彼女の家から車でほんの15分くらいの、私の職場のあたりへ、出かけて来た、だけなんだけれど。
おいしいもの食べてやる!…と、近所のお肉料理屋さんでアスパラ巻セット。1500円。
続いて、温泉行こう!…と、まちなかの温泉センターへ。650円。
露天風呂で半身浴しながら、だらだらとおしゃべり。
「捨ててやる〜」「トラブルから学ぶのよ〜」「オバサンってねえ〜」…。
そして、マッサージ、40分3500円。気持ちいい〜。
友人は、ああ、こんなにすっきりしたの(この3年間で)初めて、と言う。
彼女からは、「ちゃぶ台バーン!」につきあってくれてありがとう、と、なんだかすごく感謝されたのだけれど、私のほうこそ、車で温泉センターに連れていってもらえて、ぶつぶつ話も“対岸の火事”で笑いながらきかせてもらってて、そんなんでこんなによろこんでもらえるなんて。こちらこそ、なんとありがたい。
また「ちゃぶ台バーン!」のきぶんになったら、家のなかでバクハツしないで、その場を離れよう、また私を呼んで、ちょっとだけのごちそうを食べて、温泉に行こう〜、という話になった。
ささやかな、ぜいたく。オバサンたちの、リフレッシュ。
こんどはいつ、彼女の「ちゃぶ台バーン!」が起こってくれるかな。
彼女には申し訳ないけれど、私にとっては、美味しい機会。ちょっと楽しみ。
迷惑だよ。あなたの動きは。
だけど、いちばん迷惑をかけているのは、私だ。
思いこみが違い、欲がちがい、
迷惑をかけあわずにはいられない。
それでありながら
協力してやってゆくために、
“アドラー”が、私には要る。
それでも近くに居よう、と
課題を挑んでくる人(たち)が、
最も“仲間”だ、と思う。
2002年03月17日(日) |
あたたかな日曜/そこまでも英語 |
春暖。まどをあけて、ゆっくり過ごす。
…のだが、なんだか、意図のわからない文章を読んで、
じつはしょうしょう苛々している。
苛々する、ということは、私になにかの欲があるということだな。
ふうん。
----------
妹から電話とメイルが来て、職場の朝会の業務報告を英語でしなくてはいけなくなったから、日本語の文を英語に翻訳して、と言う。
会社がシンガポールとかに営業所を出すことになって、上司たちが英語を使わねばならず、そのとばっちりらしい。妹は、地方の事務所のふつーのOLさんで、商業高校時代から英語キライで、これまで英語とは無縁であることを選んできたひとなのにね。
2002年03月16日(土) |
「地」から「図」を取り出すしごと |
議事録をいくつか書いていた。
これは、ひじょうに意図的に「地」から「図」を取り出す作業だったんだな。
このあいだ、議事録を、とお願いしたら、なるべく「地」を再現しようとしたかのような会話録(?)をつくってくださった方があって、それはたいへんな作業だったと思うので感謝するのだけれど、読んでみると、だからこの会議では何について検討され、どんな意見が出て、そもそも何がどう決まったのか決まらなかったのか、議事録を読んで知りたいと思うことがらが、私にはいっこうに読み取れなくて、困ってしまった。
良い悪いということでなく、こんなにも違いがありうるものだったんだな、とびっくりした。
これまで、議事録といえば大すじではこうするものだ、と思っていたのは、ひとつの私の思いこみにすぎなかったのだ。と知った。
なにを報告すればいいか、読み手はどんな情報が欲しいのか、私(記録作成者)は何を伝えたいのか、それらによって、取り出すもの、取り出し方が、こんなにちがうんだな。
これまで、あまり意識したことがなかった。ミーティングの報告を、というとき、私はなるべく忠実に報告しようと思っているけれど、じっさいの発話をなるべく全部書き出しそうとはしていないんだな。カテゴリーをわけ、階層をわけして、発話から情報を切り出しているわけだ。人によってまとめ方の差異はあるのは知っていたが、意図して「図」を取り出しているとは、思っていなかった。
事務的な議事録だと、あらかじめフォームが決まっていたりする。
あれって、だれが作成にあたっても、取り出される情報がそんなに大きく欠けたり、逸れたりしないで、まあまあ用が足せるようにと工夫されているのかなあ。よくしたもんだ。
また失敗してしまった。
じぶんのみぐるしさを露呈する仕業。
またやってしまった。
くよくよ。
くよくよしていてもしかたがない。
やってしまったことは「消去」はできない。
ごめんなさぁい、とペコリ。舌だして、
次にゆくしか、ない。
学ぼう。学ぼう。どこからもここからも学ぼう。
…と書いておく。
親しい客人を迎える機会。ラフな会なのだけど、なんとなく、キモノを着てみた。
大島紬と博多の帯。紬は、母からの“お下がり”。
帯を結ぶのはかなり久しぶりだったが、幸いに手は覚えていてくれた。むかし、着付けはひとしきり習った。いったん着てしまえば、キモノって案外楽ちんなのだ。
心意気、居心地、のようなものが変わる。わるくない。
キモノと見れば仲間たちは「おお!」と言い、「大島」と見ると「すごい」と言ってくれる。自分で選んで買っていないので、よく価値がわかっていない。身につけているだけでこうした反応をひきだすとは、ひとかどのものなのだなあ、と思う。
「姐さん」ってかんじだと、やっぱり言われる。
そんな気っ風を演じてみる。
夜風。春の気配がしっかりする。
橋を渡り、川沿いの街を、キモノ着て歩く。
20代の半ば、ひとりでお遍路をしていたときのこと。
そのときは、歩き遍路ではなくて、交通機関の使えるところは使い、歩くしかない山道だけを歩いていた。
徳島から高知への途上だったか、あまり険しくはない山の上の札所に参り、次の札所に向かって降りていた。おだやかな日。人通りはなく独りで、木の葉を踏んで歩いていた、と記憶する。
うしろから、さくさくと慣れた足運びで、柴木の束を抱えたおじさん(おじいさん)が追いついてきた。地元の人らしい。追い越しぎわに、私に声をかけてゆかれた。ひとりごちてゆかれた、のかもしれない。
「お遍路をしとりなさるか。いいことだ。お大師さんのおかげで、わるいようにならん。お大師さんのおかげで、死ぬるようなときでも、いいように生きていられる」。
……へえ。ずーーっと命拾いできるのかなあ。ホントかなあ。
「死ぬときには、いいように死ねる」。
……なによう。いいもわるいも、どうせ死ぬんじゃない。同じじゃないの。
おじさんは、そのままどんどん先に降りてゆかれた。
このごろになって、みょうに繰り返し思い出される。
ゆだねます。と言ってみた。
違う。
私が、じぶんが、はからいたがっている。
こんなにも。
ゆだねてなんか、いないんだ。
2002年03月04日(月) |
「消える」という「うつくしさ」 |
しごとでよく、学会大会の“ウラ事務局長”のような役割を、私は担う。
表向きの大会長や事務局長は、きょうぢゅたちで、
しかし彼らは実務にあたっている時間はあまりないので、
実務の仕切りや、表向きの長たちの名前で行うことのお膳立ては、
私のような立場の者に回ってくる。
そういう役割に、私はきっとけっこう向いていて、じぶんでもキライではない。かなり好きかもしれない。
たった2,3日の会議のために、2年も3年も、ときにはそれ以上もかけて、あくせく準備をする。
おエラい役職の会議、実務寄りの委員会、事務局内だけの会議…の数々、
それらのためのたたき台作成、…のためのまた会議、調査、根回し、
自治体長、○○会長、周囲の学校関係へのスジを通し、
協賛金集め、企業への挨拶、
座長選定、依頼、ゲストスピーカーの旅の手配、
演題の受付、整理、審査、割り振り、
スタッフの配置、バイト代、マニュアル作成…
会場と、器材やさんと、学会本部と、打ち合わせ、
文書、文書、文書、帳簿、帳簿、帳簿…
名簿、印刷物、郵送、メイル、電話やFAX、雑多な問い合わせへの対応
お弁当を、椅子を、指示棒を、画鋲を、あの部屋にいくつ、予備をいくつ………
本番の3日間が動き始めたならば、こんな「あくせく」なんか、
参加者やスタッフたちにとっては「消えて」しまって、全く見えない・感じられないで、するするとコトが回ることを、私は私の役割を果たすことの「うつくしさ」だと思っている。
参加者たちが、そんなウラのことになど気づかないほどに、会議に集中して用を足していられる(ように見える)とき、私はウラで ふふふ♪ とほくそ笑む。
必ずしもそんなにまで万端であることは、要らないんだ。
素人運営なのはみんなご承知なのだもの、もしも当日、あたふたしながら参加者に迷惑をかけることがあったって、みんな許容してくれるんだ。
それでも私は、私の役割が当日には「消えて」しまえるように、
誰にも見えないくらい「うつくしく」あれるように、
2年も3年も「あくせく」する。
私がそうせずにはいたくないから、私はそうする。
(…もしかしたら、やり過ぎて、誰かに迷惑をかけているかもしれない…)。
これは、私の 私利私欲 で かなり強欲で
もちろん私の 思い込み にすぎないことは、わかっている(つもり)。
いま、本業ではない しごと で、毎晩「あくせく」している。
ちゃんとした組織ではないし、ちゃんと役割分担もしていないのだが、
やっぱり私は、ウラ事務局長のような役割を担ってしまっている。
本番が動き始めたとき、参加者たちが安らいで用に集中していられて、
私の役割なんかは、できるだけ「消えて」いられるように、
より「うつくしく」あれるように、
私利私欲から「あくせく」をひきうけたがっている。
(…もしかしたら、誰かに迷惑をかけているかもしれない…)。
おひなさまを出すのを忘れていた。
深夜になって、「吉野雛」を出す。奈良・吉野で買った、ちいさな土製の古代雛。すんなりした立ち姿の、華美ではなく、上品に彩色されているてづくりの人形。とても好きだ。
----------
「親鸞」という独り芝居。
近くの斎場を舞台にして行われるというので、出かけてみる。親鸞そのものを描いたものではなかったが、訴えるもののある内容。演じたひとは、ふだんはシェイクスピアのものや「羅生門」をやっているという方。なるほどそうだろうと思える、ドスのきいた迫ってくる声。
天竺で、小さい生きものを食べて生きていたサソリが、イタチに食べられそうになる。だが、あやういところで必死に逃げて、しかし逃げる道すがら深い井戸にはまってしまう。死にゆきながら、「じぶんは、あんなに他の生きものを食べてきたのに、こんどはじぶんが食べられそうになると一所懸命に食べられまいとした。こうして無駄に死んでゆくくらいなら、あのときイタチに食べられたらよかった。そうすればこの身が彼を一日でも生かす糧になれただろうに」と、そんな語りからはじまった。
この会は、某葬祭互助会の主催らしく、芝居のあとには「お葬式勉強会」というものがあった。つまりは、「世間体を気にするな、葬儀はもっと節約できる、元気なうちにこれこれは準備しておこう。そして、そのへん、うちの互助会に入ればこんなふうに大丈夫なんだ」という話。
互助会の勧誘からは、そそくさと逃げ帰ったが、棺のねだん、祭壇のねだん、焼き場のこと、病院で死んだとき、など、はじめてきく知識が多くて、ほおお!と聴いていた。
写真は2年に1度は撮り直して用意しておくように。撮ったのを引き伸ばさずに保存しておけば、「お迎え」が来ない。顔の左側から写すのがよい。旅行のときのスナップなど、楽しそうに笑っているのもよい。とか。
ありがとう!の気持ちから、花束を贈ろう、という話をしている。
何週間もかけてしている。
送り主はどの範囲でやるか、
グループから贈るか、有志として贈るか、
有志一同でやるなら私も入れて、私も、
誰にまで、いつの機会に声をかける、
とりまとめは誰が、
どの店のなにを、いつ予約し取りにゆき、
集めたお金が余ったらどうするか、
何往復も何往復も、議論。
もう、とりまとめるのなんか、やめようよ
だれでもがじぶんの「こころざし」からだれかに声をかけ
あるいはひとりからだけでも
「こころばかり」のちいさな贈り物を
シャワーのように
いくつでも、何種類でも贈ったらいいじゃない?
お花がいくつも重なったっていいじゃない?
そんなことを言ってみる。