ネコヤシキ日笑
日記モドキ ↑目次|明日→
このごろ、寝入りがわるく、肩もかなり凝ったきりだ。
がんばって遅くまで起きているようですね、と言われるのだが、そうではなくて、寝入ることができずに遅くに(翌日の はやく に)なってしまう。やすめるように、あたたかいものを飲んだり、香を焚いたり、お風呂にはいったり、じぶんなりにいろいろ試みたが、相変わらず。
そこで、以前、もらってあった残りのデパス(錠)をのむ。これは、内科でも婦人科でも処方する、ありふれた安定剤だ。身体が緩んだかんじになって肩凝りにもいいし、ちょっとした眠剤がわりに寝入る助けにもなる。
欠点は、私にとっては効きすぎて、寝過ぎてしまったり、昼間にのむとゆらゆらして仕事にならなかったりすることだ。
そんなことをじぶんで知っておいて、うまく利用するといいんだろう。
しばらくは、デパスちゃんにも頼ることにしようか。
私はその人物を
なんでそんなにアタマ悪くて考え足らずなのよっ
そばにいるだけでイライラするっ
と小馬鹿にしているが
そうやってひとを小馬鹿にする私こそは
大馬鹿ものなのだった。
深夜、というよりももう未明という時刻、
ずいぶん疲れているのに寝入れないでいて、
洗面所の鏡の前に立つ。
不意に、
必ず死んで、無くなるのだ、と
鏡に映るじぶんを見て思い出す。
それで、いま、どうするのか?
2002年02月24日(日) |
FAXはめんどう、と感じる |
グループ内で意見をあつめるのに、メイルや電子会議室のようなもので済むと思っていたら、メイルアドレスはあるがメイルチェックはしていないというメンバーもおられて、きょうは、メイル等のログをFAXで送り届ける係をやっていた。
iBookにはFAXstfというソフトが入っているから、それでぱぱっと送ってしまお、と思って試みたが、何度も何度もコールするのに送れない。そこで紙にプリントアウトし(このへんでもう、ああめんどくさい、というつぶやき)さらに何度もリダイヤル。
ふう。FAXってこんなにめんどくさいもんだったろうか。
ああこんなのメイルでぱっと済んだらカンタンなのにぃ、と感じる。
4,5年前だと、FAXで連絡をくれるのも、カンタンでありがたいことだと感じていたように思う。
メイルを受信はしてくれているようだけれどお返事がなかなか返ってこない、ということもあるみたい。声を聞いたり、会って面と向かって話をするのが効率のいいときもあるけれど、多くのことはメイルで済ませられたらカンタンなのに、と思ってしまう。
私が電子メイルを使い始めたのは、1989年。パソコン通信の、ニフティサーブで。それ以来、日々メイルチェックをしてお返事を書いている。いわゆるインターネットのメイルも、1995年ごろから。メイルで用が済ませられるのは「ふつう」のことだと感じているみたいだ、とあらためて思った。それも私の思い込みにすぎないのだな。
このごろはセケンでもメイルですぐに連絡がとれるのが「ふつう」になっているなあ、と思っていたけれど、そうでもないのかもしれないのだな…。
出勤。
ふだんの土曜半日勤務は、お留守番、のような楽なじかんなのだが、きょうは、機械が壊れて修理の手配でディーラーさん、メーカーのサービスさん、施設課さんなどとのやりとりや、メモリ増設のアレコレなど、ちょっとおしごと。
今月中にやらなければならない書類のしごとに、まだ手をつけていない。つけたくない。今日こそ取り組まなくては、と思ったのに、いやがって後回しになる。こういうときは、まず、ほんのちょっとから、だ。…とファイルを開いたが、それだけで今日もやめてしまった。このパターン、脱却したいのだが…。
本業ではないほうの「しごと」のやりとりで、また何時間もパソコンの前にはりついている。作業が多くてそうなのではなくて。このパターンからも脱却したいのだが…。
ほんとうにシングルタスク人間だ。
ひとつの気がかりがあると、そればかりに関わっていて、他のしごとがまったく手につかない。それならば、その気がかりなプロジェクトをさっさとやってしまって、次のひとつへ、そして次へとシングルタスクを活かしたはたらきかたをしてゆけばいいのではないか。
ところが、さっさとやりすぎては周りとうまくゆかないこともあるようだ。同時にあれも少しこれも少しと進めることが求められるときも多いみたいだなあ。ふうう。
朝起きられず。無理に出勤することもできたが、このへんで休みを入れたほうがいいのかもしれない。起きあがっても、また眠りにおちる。
午後、講演会の会場を手配しにでかける。
たくさんの施設をあたったが、ねらう規模・料金のところは軒並みふさがっていた。まだ4ヶ月も先なのに。同じような規模のことを考える・動いている集団がたくさんあるということだろうか。
ともあれ、ちょっと市街からはずれるが、ようやく見つかったホールを、「同僚」と見に行く。あたたかい雰囲気で、講演会にはわるくなさそう。次のしごとはPR。ふたりで話していると、いろいろアイデアは出るのだが、グループで動いているので、ふたりだけで進めてしまうこともできない(と思う)。
夕方から、まちなかにある温泉施設へ。
からだがかたまって、コリが痛いほど。なんどもあたためてもゆるまない。
マッサージをしてもらうと、やはり首や肩だけでなく、脚や腰からきているものらしい。お遍路まで1ヶ月少々になった。身体の状態をよくしていかなくちゃ。
夜、勉強会のじかんに、久しぶりに踊る瞑想(ナタラジ)。
じぶんから踊っているのか、踊りがわきあがってくるのか、よくわからない。
よくわかろうとするとなんだかヘンになる。
もういい。動くなら動いておこう。
ああどこまでも「考え」。
しばらく横たわっている。
詩、のようなもの、が浮かび、でも今はもう憶えていない。
その後、深夜まで話し合い。
いろいろ難しい。私には。
行きがけに電車でふと眠ってしまって、一駅、乗り過ごした。
帰ってパソコンに向かっていると、こんどはいつまでも寝入れずに、朝になる。
昨日泊めていただいた「仲間」の家は、自営で設計事務所をなさっていて、自宅はモデルハウスも兼ねているのだとのこと。
それはほんとうにすてきなお宅だった。「日常生活のリゾート」をテーマにした設計なのだそうだ。
天井を高くとったリビングダイニングには暖炉があって、火の燃えるそばにソファやロッキングチェア。天井から下がったプロペラファンが暖気を下におろすためにゆっくり回っている。
丸三角のようなテーブル、ピンクを基調としたファブリック類、窓の外に煙草を吸うための席もあって、温室もつながっており、一日中入れるお風呂からはその温室のみどりを眺める広い窓と扉。
いろいろおしゃれに造ってあるのだけれど、くつろいで、ゆったりした気分になる。
いれものの違い。環境。
こんな家に暮らしているのと、私の部屋のような狭くてモノに溢れた場所に暮らすのでは、気分や考えの基調のようなものに、ずいぶん違いが生じるんじゃないかな。
土・日・月と2泊3日、「仲間」たちとツアーをしていた。
よく笑い、よくしゃべり、よく食べ、温泉を満喫し、いくつかの用事を済ませた。
「仲間」と共に動くことは、ひどく楽しく同時にひどく課題を迫るものだ。…という思いこみを更新しつついる。
振替休日。
平日に休めるのはめったにないことだから、あれもしようこれもしようと予定はあったのだけれど、結局遅くまで寝ていて、家のなかのことをするだけで夕方になってしまう。
遅くに帰省。いつも高速バスをつかうが、降りるところまで妹が車でピックアップに来てくれる。iモードとPHSとのメイルで連絡をとるのだけれど、きょうはなぜか、妹のiモードに送ったメイルが一通届いていなくて、時刻の連絡がうまくゆかなかった(なぜか翌日届いたりした)。察して適当な時刻に来てくれていた。
私は明日から近場でグループ旅行。妹は、明日日帰りで「パソコン要約筆記」のボランティアスタッフとして出張。聴覚障害者の参加するイベントで、講演などをその場で打ち込み、プロジェクタで投影する、しごとらしい。複数台のパソコンをLANにして数人のチームで分担して打ち込んだりするらしく、そのための専用のソフトが開発されているとのこと。見せてもらったら、その業務にとって「あるといいな」な機能が満載されているみたいだ。
妹は、レジュメを読みつつ特殊な単語を辞書登録したり学習させたりして、高速な入力ができるように準備している。登録のしかたも工夫しだいで易しく憶えやすくなるみたい。かたや、なんども変換させても学習しない語もあるみたい。見ていると、FEPは私も同じATOKを使っているのだけれど、ふーんそんな機能もあったのか…ということ多々。長年使っていてもなかなか学習しない私。
そばでじゃましてる姉…。妹にはなにかと深謝である。
ちょっとしたしごとをするグループを立ち上げるための下準備に、「同僚」とふたりで話し合いを繰り返している。
お互いにメイルまめで、ほとんどの話し合いをメイルで往復している。1日に数通を往復することもある。近所だけれど直接会うことはめったにない。
たたき台を送って、お互いにコメントの応酬をして案文をつくりあげる作業で、「たたきあい」と言ってみている。ちょっと熾烈ななまえ。ふんいきはやわらかいけれど、かなり真剣。
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いつものことだが、書いて伝えあうことでしごとをするのは、考えを整理するためや記録を残すためにもとてもいいけれど、とてもタフだなあと感じることがしばしばある。
タフなことからは、しばしば最もよく学べるので、それ自体はイヤではない。というか、むしろありがたい。ただ、しごとをすっきり・なるべく負担少なく・理解多く進めるためには、こんなに書いている間に、すこし遠くたって会いに行って1,2時間を共にしゃべったら済むんではないか、と思うことも、ある。書いて無用な誤解が生じたらしいことも、ある。
私が下手(?)だからそうなんだろうか、それとも“書くコミュニケーション”の特徴であってだれにとってもそうなんだろうか…。
2002年02月13日(水) |
ほんやく・こんにゃく |
きのう、「何になんの?」=「どんな実益があるの?」のように、問い・答えていた。実益ではない何か、だって、いろいろある。
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…と言ってるそばから。
きょうは職場に、インドの大学の先生たち4名が来訪。いきなり英語にて研究室案内のお役目が回ってきた。
ここではこれこれの測定をしていて、それによってこのような貢献ができる、みたいな概説と、ちょっとの質問に答えればよかったのだけど、その語彙が出てこない。単語50コくらいで済ましちゃったんではないかしら。安静、測ります、脂肪減らす、普通の人、お金払う、…みたいな。話しているなかみが中学生レベル。忸怩。
先方も、流暢に込み入ったことを訊いてくる方と、(コトバのせいだけでもないかもしれないが)単語を連呼していてあまり話にならなかった方とが居られた。お互いに母語で通じるのなら、もっと楽に欲しいレベルの情報を交わすことができるだろうのに[仮定法]。
ドラえもんのポケットから出てくる道具に、「ほんやく・こんにゃく」というのがあるそうだ。そのこんにゃくを食べると、どんなコトバでもぺらぺらに翻訳できるようになって(母語の異なる)相手と話が通じるんだそうで。そんなのほんとにあったらいいな[仮定法]。
ゲンジツに立ち戻る。研究室ご案内業は忘れたころに(いつも突然)ふりかかったりするのだから、一度レジュメでも作っておこうかしら。それかついでにプロモーションビデオにでもしちゃおうかしらん。
2002年02月12日(火) |
そんなの勉強して何になんの? |
エスペラント日記モドキの方に書いたのだが、このあいだ、エスペラントで書かれた文書(日本語訳)を読んでいたら、同僚から「へえ、今でもエスペラントなんてやってる人がいたんだね!」と言われた。
こういう反応には慣れてしまって、ふふふと笑って聞いている。私もそう思っていたもの。むしろ、エスペラントというのが言語のひとつで、かつてはわりと学ばれていた(らしい。私はその時代を知らない)ことを知っておられただけでも御の字。
そんなにも流行っていない(?)マイナーなコトバをほぼ毎日学んで半年になり、まだほそぼそと続けようとしている。たまに「そんなの勉強して何になんの?」と問われると、もともとの目的もあるし、やっているうちに新しく生じた関心もあるのだけれど、人にはたいてい「物好きだからね」かなにか言ってごまかしている。ほんとに物好きだと思うし。
これが英語なら、「そんなの勉強して何になんの?」とは訊かれたことがないし、もし訊かれたとしても、これこれの役に立つから、とすぐに答えられる。
私は今も日々、英語で読んだり書いたり聴いたりする機会・必要があってくらしている。仕事でもだし、英語が母語である友人とのメイルでも。旅先で役に立つし、仕事の国際誌(英文)が読めないとメシが喰えないし、アジアの人たちとも英語で用を足すことが多い。
経済力や軍事力のある国のコトバが世界共通語化しているような現状には、思うところがないではない。だけど実際上、私が生きてるあと数十年間かくらいはたぶん、(米語ではなくなるかもしれないが、何らかの)英語は多くの場面で用を足すのに役立つメジャーな言語(の少なくとも一つ)であり続けるだろう。
母語話者が少ないマイナーな言語でも、ある国や地域でそれなしでは用を足すのに困るなら、これこれの役に立つから、という答えは明らかに伝えられる。
エスペラントはというと、それができれば足せる用はあるが、できなくても困る用はない(なさそう)。何にもならなくてもいいから、ある段階までは習得してみたいな…ぼちぼちだけど…という、固くない決心みたいなものがあって、当面続けることには迷いはないんだけど、いろいろ考えたりはする。
ここ(2月8日)で
自分はなんでこんなことをしているのだろう、こんなことをする意味は何なのだろう、と考えているうちは万全ではない。だからいろいろ考えたり、迷ったりするわけだ。ところが、それをずーっと続けているうちに、だんだんとその行為の意味を自問することが少なくなってくる。それは何か明快な解答を見つけたり、最終的な結論を見いだしたりしたということではない。
そうではなくて、その行為そのものが答えなのだ、ということに気づくということなく気づいてしまっているからなのだ。
とおっしゃるのはたぶんここでもそうで、いまは全然「万全」じゃないと思う。ということは、もし数年続いて万全になるとしたら、このことについて書くこともなくなるかもしれないわけだし、続かなかったらもちろん書くこともなくなるので(ははは…)、今のうちにせいぜいあれこれ考えて、書いておくのもいいかな。
…初心者、世にはばかるのだ。
お天気だが冷たい冬型の一日。休日出勤。入試のデータ係。
日暮れどきの帰途、気分がどんよりしている。
たいして厄介なしごとをしたわけでもないのに。
ここ数日のしごとのせいではなくて、このごろ全体に「あそび」がないせいかもしれない。
私にとっての「あそび」、何だったろう。
それより、「しごと」は何だったろう…。
とりあえずは気分転換に、街まで出てお気に入りの定食屋さんか喫茶店か、マッサージや温泉か…。が、夕食のお弁当が出たので、出かけるのもやめて帰宅した。入試業務中で定時を過ぎる予定の時は、おひるのお弁当プラス夕食のお弁当も出るのだった。
おひるは幕の内系、日々ちょっとの変化はある。夕食は寿司折、毎日同じ店でネタも全く同じ。ありがたいのだが―ぜいたくを言うのはわかっているのだが―これも気分の低迷に関係あるかもだ。
ああ…あったかいごはんと変化のあるおかずが、食べたーーい。
入試監督。今日は約9000人が受験。約90教室を使い、監督要員も数百人。
監督マニュアル冊子が渡されて説明会が行われる。なかなかよく練られたマニュアルだと思う。受験室ごとの監督責任者は、それに書かれている受験者への指示を読み上げることになっている。
が、前回も今日も、そして昨年も、責任者であるきょうぢゅ方は、なぜか皆、このマニュアルを指示通りに読み上げることをなさらない。なぜか、こんなところで個性の発揮をなさるのだ。
ジョークのつもりだろうが、緊張しているはずの受験生には笑えそうにもないひとことをしばしば付け加えたり(内容削除)。手順がわずかに、しかしなにかと矛盾して指示されたり。…「印刷された名前を確認して自分の解答用紙を取る」が「裏返しのまま後ろの人へ」になったり。「配布前にトイレへ」がもう開始の合図を待つときになってから「遠慮せずにトイレへ」になったり。照合のために「通路側に受験票を」が「左側に受験票を」になったり(半分の人は「右側」が「通路側」だ)…の類。
どれも些細なことといえばそうなんだが、受験生さんたちの間にはちいさく「あれ?」とか「ん!」とかの反応も見てとれる。ジョークも滑ればクレームになるかもしれない。臨機応変は必要だろうが、こういうときはまずは「マニュアルどおり」が誠実なしごと、だと思うのだけれど…。
英検のときみたいに、全教室に一斉に放送で指示を流すとか、どうかしら。
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国語の問題、感涙。
(四国遍路の)37番札所岩本寺から足摺岬にある38番札所金剛福寺までの距離は百キロもある云々…と、その問題文は始まる。
そうなのだ、百キロもあるのだ。数年前に、そのうちの約80キロを歩き遍路の仲間たちと歩いた。三日、ただただ歩いて歩くあの道。
生死や業(ごう)に言及するこの問題文もまた、入試で読むにはもったいないようなしみじみとしたもの。文中に『梁塵秘抄』の歌や、田宮虎彦の『足摺岬』から「生涯を歩き草疲れ(くたびれ)て…」などの引用。後で調べたら、おそらくこの本が出典のようだ。
遍路にウンチクを蓄えるようなのはやめて、ただただ歩こうと思って、このごろこの手の本は読まなくなっていた。けれど、ちょっと手にとってみたくなった。
さらに調べている途中で見つけた、充実おへんろサイトいくつか。
・Pligrimage on Shikoku Island
・掬水へんろ館 - 歩き遍路を中心とした四国遍路の実践
・四国へんろ、道先案内
3月下旬に、もう一度、歩き遍路にゆきたい。
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古文の問題も、『とはずがたり』から、足摺岬の由来を書いた部分…らしい。二人の菩薩が舟の艫舳で泣く泣く足摺を…とかと読める。どういう経緯なのか知りたかったが、私には古文が読めなくて、よくわからなかった。
むかし、今はなき共通一次を受けたころには、助詞の使い方だの基本古語だの、ひとしきりは知っていたはずなのだ。古文や漢文の素養があれば、それなしにはアクセスできないものを味わったり、情報を得たりできる。詩歌とか仏教関係などで、そう思わされることがときどき生じる。受験生のころにはそんなもののありがたみなんか、想像もつかなかった。
2002年02月09日(土) |
修論発表会/ぐりとぐら |
修論発表会。
うちの研究室からは3人の修了予定者が発表。今年はそつなく。ただし、もう1人いた修了予定者は、今日にたどり着かず。
プレゼンは、数年前からほとんどスライドをやめて、液晶プロジェクタでの投影に変わってきた。今年は、先日の卒論発表会も含め、すっかり全部が液晶プロジェクタ使用になった。うちの研究室の小さなプロジェクタも活躍。かつては研究室のパソコンを譲り合って(取り合って)やっていたのが、今年にはすっかり、学生さんたちがそれぞれマイ・ノートパソコンを持ってくるようにもなった。発表会前の風景はずいぶん移り変わった。
それでも皆、プロジェクタ係への送りの指示では、やはり「スライドお願いします」と言っている。液晶プロジェクタでもそう言うものなのかな?
卒論生たちのプレゼンは、やたらアニメーションやらでさわがしいのが多かったのに対して、今日の修論生さんたちのは、多い情報をかえってシンプルにすっきり見せているものが多くて、さすがだと思った。
私は例年通り、写真係。発表者さんたちの勇姿(?)を撮る。オートフォーカス・ズームつきアナログ一眼レフ、いまはもう、こういうときしか登場しなくなってしまった。
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市民図書館にリクエストしていた 『ぼくらのなまえは ぐりとぐら―絵本「ぐりとぐら」のすべて。』を取りにゆく。
CDがついていて、絵本中に文字だけで登場する「ぐりとぐらのうた」を各家庭でそれぞれにアレンジして歌っているのが収録されている。「どうしておなかがへるのかな〜♪」の曲で「ぼっくらのなまえはぐりとぐら〜♪」になっているのなんかが耳にのこる。シンプルな曲は、アタマにこびりついてぐるぐる鳴り続く。これもしばらく続くかも。おそろしい。
ぼくらのなまえは ぐりとぐら
このよでいちばんすきなのは
おりょうりすること たべること
ぐり ぐら ぐり ぐら
九つの言語で朗読されたのも収録されている。これが聴きたかったのだ。
コトバの特徴というよりも翻訳者や朗読者の個性なのだろうか、ずいぶん違いがある。ぐりとぐらが森に入って歌っている同じ部分の訳文が、フランス語のは歌みたいな文で、ほんとうに歌い出して録音されているし、エスペラントのも調子よくて、歌わんばかりに読まれていたりする。タイ語やクメール語のも 、私には文字も音もおもしろい。
図書館では他に、久〜しぶりにカメラ雑誌(アサヒカメラ)をながめる。CONTAXのオートフォーカス機が載っているし、高級コンパクト機の特集があるし、ネコ写真の特集もある。物欲をそそる。でももう当分、銀塩カメラは買わないだろう。デジタルカメラは、いま持っている35万画素のサイバーショットをそろそろ買い換えようかと思案中。
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はああ。世は連休。だけど私たちは、あすもあさっても入試業務で出勤。
入試を受けるほうの人たちはもっとしんどいだろうけれど。
きょうは、入試・実技の記録入力が担当。ミスがないように複数の人で入力してベリファイをかける係のうちの一人。ウラというか奥のしごとで、現場で受験生さんたちには会わない。
現場を準備したり片づけたり、補助員さんたちを機能させたりするしごとなどこまごましたことは、若い期限つき助手・副手さんたちが務めている。私たちのところに記録を運んできたり転記したりも彼らがやってくれる。アンダーやマスターをおえたばかりで勤めるので、23〜26歳くらいの方たち。気働きがきくというのか、教員たちのもとでよく動くし、指示待ちだけで動くというのではなくその場で必要な動きを判断もして、はきはきと明朗に、厭わずに取り組んでおられる(と見える)。
じぶんがその年頃にはそんなふうに働いていたかというとそうでもなかったように思えるので、若いからそうだ、とくくってしまうわけにはいかない。ただ、私が誰かを雇う立場だったとしたら、多くの種類の仕事で、今の私のような人をではなく、彼らのような若い人を採りたいだろうな、と思った。
入試監督。
英語と国語の筆記試験、90名余の教室。滅多に着ないスーツを着て、黙ってやや神妙に、ずっと立っているので、ふだんと違う疲れ方をする。ふう。
国語の現代文の問題をながめてみると、古井由吉の随筆の一部。30代、50代での感慨などが書かれてある。問題は、いきなり「長大息」(ちょうたいそく)から始まる。読書をめぐって、「暮れ残る」を比喩としてつかったところなども問題に出ている。ゆっくり読んではいられなかったが、滋味のある佳い文章だと思った。入試以外のところで読むとしたら、ね。高校生には難しかったのではないかしら。いまになると、こういうしみじみしたものを選びたくなる老教授たち(?)の気持ちもわからなくはない。
受験者数は微増とのこと。数年前はかなり減って、私たちに向かっての説明会でも危機感をあおっておられた。入試は、私大の経営に直結なのだ。
入試不祥事の報も多い。うちはいまのところだいじょうぶみたい。監督者の不適切な言動にも指摘が入ると聞く。マニュアル通りに動かない監督者も居られて…大事には至らなかったが、ちょっと緊張したゾ。
11日まで続く。ふう。
間違えて早起きしすぎてしまった。
今朝、目覚まし時計の音に気づいて目覚めると、40分あたりを指している。7時半からスヌーズで何度も鳴るはず。で、8時からスヌーズで何度も鳴るPHSの目覚ましも、8時から8時40分まで鳴っているはずのコンポも鳴っていない。
…既に鳴り終わった?!
…8時40分?!
…やばい! かなり遅刻〜!!
慌てて出勤。外はオレンジ色を掃いたような空、ふしぎな色。
さて、慌てて出勤管理のために学部事務室に赴くと、入り口の窓にカーテンがかかっている。
…あれ? 入試のために閉めてあるのかな?
…中には、いつも私よりもかなり早い事務の方たちが、だれも居ない。
…えっ?(空白数秒)
…そうなのでした。8時40分ではなくて、7時40分に起きて、遅刻ではなくて、50分ほど早く着いてしまったのでした…。やれやれ。
職場のMACでCDをかけて、朝ごはんのミルクティーとクッキーをゆっくり食べて、webを見て回って。
1時間早く起きると、あんなにうつくしい空が見られるんだな。わるくないかも。
7時40分でもセケンではそんなに早い時刻ではないでしょう。
しかし、昨夜の就寝時刻は午前5時だったのだ。
あまりに眠たすぎて頭痛がしていた一日だった。
睡眠をきちんとしなくっちゃ。
減量のためにも睡眠。だって、筋肉がつくられるのは真夜中に寝ている間のはず。だから、高タンパク質食を食べて筋トレをしてしっかり眠るのが、筋肉を維持増大させて脂肪を燃やせるようにし、減量の下ごしらえになる、はずなのだわ。
日記ページのみ移転。
「日記」というよりも「週記」あるいは「旬記」のような状態が続いていた。エディタにメモはしているのだが、日々Webページにして更新するのがおっくうになっていた。そんなに手間のかかることをしているわけではなくて、ホームページ作成用ソフト(今はなき Visual Page)でワープロ感覚で書いて Fetch するだけなのだが、それでも少々おっくうになってきた。
毎日読んでくれる人がおおぜいいるわけでもなく、それをねらっているわけでもないので、「旬記」でもまあかまわない。でも、日々更新をしているときは、自分自身にとって、その作業が一日にくぎりをつける・落とし込むケジメのようにもなってくれる気がする。じぶんのために捨てがたい。
で、フリーの日記サイトをいくつか試してみて、ここを使ってみることにした。
ここは、自分でHTMLでもってレイアウトを変えられる。これまでのものを埋め込んで、ちまちまいじってみた。自動的に目次を生成してくれたり、便利にできているみたい。これだと出先からでも更新できる。どうなりますやら。
それから、試しにエスペラント版日記もどきもつくってみた。作文のおけいこがしたいからなんだけど、こっそりつぶやくのにもいいかも。
トレーニングに行くつもりで早く帰ったのだけれど、おっくうになって家から出ず。
さらに収納改善計画。天井まで突っ張る形の本棚が玄関に収まるかもしれない。メジャーを持ってあちこち計ってみる。うん、ぎりぎりいけそう。あと数日寝かしてから決定しよう。テーブル類は、店をいくつか見てまわってから決めよう。
おそうじおそうじ。郵便物を処理。テーブルの上に横に積み重なっていたものを、プラボックスを使って縦にする。横の堆積が最も始末に負えなくなる。わかっちゃいるけどすぐそのへんに堆積させる。
すこしすっきり。いつもすっきり、に近づけたい。近づけよう。
深夜、久しぶりに、香も焚く。
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エスペラントの雑誌が届いている。新入会員紹介に書いたのが載った号。文が長く、くどく、気負っていて、嫌味だ。と私自身が感じる。あと1ヶ月くらい寝かしてから送れば、もうすこしすっきりできただろうか。しかたない。あの時点ではこれが私だったんだ。
読みました、とメイルをくださった方あり。恥じ入りつつ励まされる。
ぼちぼち行くしかないでしょう。今日は読む方をすこし。
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夜、筋トレ。腹筋、肩も、弱っている。いかんな。
しかし、いきなりやりすぎてもまたいかん。
1ヶ月かけて、じわじわ戻そう。戻す。
それもこれも、まずは身のまわりを整えることからだ。
どこにも行かずにしっかり休日。
晴天。洗濯。
昨日買った水回り用のおそうじ道具を使って、洗面台をごしごし。積年のうす汚れがかなりすっきりする。ニンゲンまですっきりする。うれし。
通販のカタログが届く。本や衣類をすっきり収納できるものをさがしているうち、そのほかのいろいろなものも、えいやえいやと変えたくなった。
カーテン、テーブル、布団カバー、トイレタリー、マット類。
布ものの色味も変えてみようか。
プラスチックのものを駆逐して、籐のカゴなどに変えてみようか。
合板のテーブルをしっかりした天然木のものに変えてみようか。
模様替えは何度も考えたけれども、おっくうで先送りになってきた。きょうは、ふしぎとそんなおっくうさがわいてこない。うん、すっかり捨ててしまってもいいな、新しいものになってもいいな、というような。お金もすこしかかるけれど、すっきりすることに投資してみよう。
玄関の壁面にすきま用の本棚を埋め込もう。
奥の部屋にもあと1本は本棚が入る。入れる。
そして、古いものを捨ててしまおう。
ひさしぶりにいいお天気。半日勤務の後、近くの市民図書館へ。
先日行った総合図書館は、新しくて広大・壮大、蔵書も専門書や希少なものも多くて「ザ・図書館」な匂いがする。かたや、きょう行ったような各区の図書館は、どこも小さくて、趣味の雑誌やこどもの本、小説、新刊書、生活関連の本などが大半で、「まちの図書室」なかんじだ。
総合図書館で借りていた本をここで返却。『ジャングルの少年』を借り直す。
図書館の横には、池のぐるりに遊歩道のある公園。佇む人、歩いている人、走っている人。市民の週末。私は自転車で駆け抜ける。またお天気の休日にゆっくり来てみたい。
そのまま自転車で、ちょっと遠いホームセンターまで走る。収納家具を探しているのだが、ちょうどいいものは見つからず。お掃除用品や文具などちまちましたものを仕入れて帰る。
帰り際に、近くのケーキ屋さんのイートインで、とよのか苺のケーキを食べつつ対訳本を読了。
夜、ふたたび街まで出る。なじみの定食屋さんでは、板さんもおねえさんたちも「久しぶり〜」と声をかけてくれる。収納家具捜索、ちょうどいいものは未だ見つからず。100円ショップでプラスチックの整理容器類をひとかかえ購入。