Comes Tomorrow
ナウシカ



 永遠のテーマ

「もう少し動けるようになりたい」
かすれるような小さな声で、平均寿命を優に超えた女性が言うのです。

今日、初めてお会いした患者さんは、ここ一ヶ月ほどで急に食欲がなくなり、元気がなくなってきたということでした。
いよいよ、お迎えが近いのか、それとも何かの病気か、それともたまたま体調が悪いだけなのか。

私はいろいろお話を聞き、状態をつぶさに観察して、高齢ゆえの身体の変化ではないのかと感じました。

しかし、ドクターに状態報告をすると、「その年齢まで元気に過ごしてきた高齢者が一気に体調が悪くなるということは、何か病気が隠れている可能性がある。寿命だとするなら、もうとっくに死んでいる」と言うのです。

つまり「治せる病気、治療のしようがある病気なら治しましょう。せっかくそこまで生きたのだから、いい死に方をしてもらいたい」と。
決して年齢のせいにはせず、深く人を診るのでした。

いくつになっても、何度やっても嫌なのは病気ですね。
それと恐れ・・死は覚悟しているけど、まだ受け入れられない、本人も家族も。
それぞれにドラマがあり、どれも一緒ではないし、正解もない。
自分はどうしたい、どうありたい、そうは考えてみても、いよいよその時が来たらジタバタするのでしょう。
生きている以上は誰人も免れない永遠のテーマなんでしょうね。


2019年09月03日(火)



 あなたに会いに行きます


『真っ暗な闇の中を歩み通す時、助けになるものは、橋でも翼でもなく、友の足音である』

ウォルター・ベンヤミンの言葉です。

友だちって何だろう?と考えた時、一緒に遊ぶ人、一緒に食事する人、一緒に過ごす人、まぁ人それぞれ、友だちの基準は違うでしょう。

私は、幼い頃から本を読むのが好きでした。
本の中には、いろんな世界の、いろんな人たちがいて、自分が見えてる以上の景色や経験を見せてくれました。
新しい知らない世界を見せてくれる友だちのようでした。

まさに『友の足音』のように、目には見えないけど、存在もないかもしれないけど、でも私の胸中には、本の主人公たちが息づき、足音が聴こえるのです。

私は看護師をしています。
患者さんと日々接していて思うのは、家族でもなく、また友だちでもなく、医療者と患者、それもなんかしっくりこず、人と人として、その人の物語があり、私の物語があり、それぞれが主人公であり、また時として友であるかもしれないということです。

人生の先輩方の歩いてきた道、その足音、それは今、闇の中にあるかもしれない人の助けになるかもしれません。
少なくとも、私はそうです。
友の足音を聴きながら、今日も明日も、患者さんに会いに行きます。
あなたに会いに行きます。



2019年09月02日(月)
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