Comes Tomorrow
ナウシカ



 〇〇記念日

年末に何かと慌ただしく事が動き、疲れもあるにはあるけど、ストレスは軽減傾向にあるのか、眼瞼の痙攣は治まってる時間が長くなってる。
やっぱり旦那との関係とか経済的なこととか、そういうのがストレスの元やったんかな?
ムカツクこともあるけど、とにかく自分が腹を決めて動いたことで、スムーズに事が運ぶというのは心の健康にとってもいいね。
家族の問題とか本当に自分の努力だけで、どうにもならない問題というのはストレス増大で病気になってしまう。
それが一つでも減って、先が見えてくるとホッとするね。

結婚記念日が離婚記念日になりそうやったけど、そんな記念日合わせてる間もないほど急いでたから、中途半端な日になってしまったけど、たぶん忘れへんやろね。
良い記念日とは言い難いけど、私にとっては独立記念日や!
最低最悪な実家から嫁いで、実質独立して生活するのは、この年齢にして初めて。
看護師寮に入ってた時期はあったけど、まだ若かったし完全な独立とは言い難かったしね。
病院や先輩たちに面倒見てもらってた感があるし。

家族で住んでいたマンションを売ることにしたのも、子どもを転校させないために同じ学区内で賃貸マンション探したのも私。
旦那の自営業の仕事が傾いて何とかしないといけない状態になってから、もう2〜3年になるけど、私は私なりに夜勤バイトしたり、常勤でしんどい三交代勤務したり、飲み会好きな私が家飲みをするようになったり、大好きな芝居やミュージカル、ライブに行くことも控えたり、とにかく節約節約で頑張ってきたけど、旦那の方には大して変化が見えなかった。

仕事のストレスあるのはわかるけど、家で八つ当たりされたり、現実逃避的にPTAのソフトボールやPTA役員にもなって、そちらの方の付き合いを優先させて、休みの日も平日の夜もしょっちゅう友達と飲み歩いて(役員会は仕方ないけど、それ以外のどうでもいい付き合い)、子ども達と過ごす時間も減り、私ら夫婦で話し合うべき話も一切できず、収入はどんどん減って生活は苦しくなるし、私は仕事と家事と育児に追われ、その上経済的な心配や、旦那の家庭を顧みない態度を見るにつけ、私もとうとうキレました。

限界が来たのは、旦那の心ない一言がキッカケやったけど、それはココでは伏せとくことにしときましょう。
書くのも嫌やし、もう振り返りたくない。
離婚の二文字を決意していたのは、私の中ではもっと前の7年前ぐらいになるけど、子ども達のために仮面夫婦でいようと決めて、夫婦喧嘩したり、家庭内で揉め事を起こすのは極力避けてきてた。
なぜなら私自身、物心つく頃から親の激しい喧嘩に振り回され、散々嫌な思いして過ごしてきたから。
両親からの虐待もあったし、そんな経験は絶対子ども達にはさせたくなかったしね。

子ども達がもう少し大きくなって手が離れてから、私は第二の人生を考えようと思っていたけど、それが思いの外、早まりました。
私の通信制の看護学校に行くのが2〜3度流れ(コツコツ貯めてた貯金は旦那の借金返済に消えたり)、自分は節約するどころか飲み歩いているのに、子どもの喜んで頑張って通っている習い事を簡単に辞めさせろやと、子ども達の前で言ったり、仕事減ったら減ったでバイト行くとか、転職のための仕事探しとか、大型免許も取る取ると言いながら、なかなか行かなかったり、とにかく努力が見えなかった。
現状維持では厳しい状況だったのに、変に楽観視したり、見ないふり考えないふりして、挙句の果てにはお酒や友達付き合いに逃げてしまい…

もうこれはアカンなと思った。
子ども達も小6、小3ともなれば、状況見ればわかる年齢になってきてるし、ちゃんと私なりに話をしたら、しゃぁないな、わかったと理解を示してくれて、離婚別居の道を取ることになりました。
でも、ここにきても旦那は体裁悪いんでしょうか?
偽装離婚みたいなことを振れ回ってる。
母子手当もらうためとか、市営住宅当たりやすくするためとか、時が来たらまた一緒に暮らすんやとか。
私はそんな気さらさらありませんから。
真面目にやって、それでも大変な家庭が公的扶助として受けれる権利ですから、それは。
偽装離婚したつもりもありませんから。

離婚に至るまでに、役所や法テラス(無料弁護士相談)に行ったり、いろいろネットで調べたり、不動産屋も何軒か当たって、結局私が探してきた不動産屋が一番良くて、2〜300万は低くしないと売れないだろうと言われていたマンションが残債も残らず、頭が少し出るぐらいで売れて、その分が私の進学費用に一部当てられることになり、早め早めの就活で来年早々に新しい職場も見つかり、そこは進学のための奨学金も出してくれるし(通信制の学校で出してくれる医療機関はなかなか無い中)、働く条件も良くて、そこで心機一転頑張ってみようと思いました。

今月頭に引っ越しして、まだまだ荷物も片付いてないけど、取り合えず落ち着いて住める環境は整い、子ども達も少しずつ生活に慣れてきて、習い事も辞めることなく頑張って通っています。
ただお父さんが傍にいないのは、やはり寂しそうだけど、時々夕飯をうちに食べに来てもらってるので、それで我慢してもらって、私は旦那の顔見たり、夕飯作ったりするのは我慢してるけど、子ども達をお父さん嫌いの子にしなかったのは本当に良かったと思う。
夫婦は他人だけど、親子は親子だもんね。
私の時みたいに、両親の狭間で子どもが犠牲になるようなことだけは、どうしても避けたかったから。

旦那の両親は本当にいい人で、舅と私はとても気が合うし、入院してる姑にも元気な頃は本当に良くしてもらい、母親の温かみを初めて経験させてもらいました。
義兄も本当に穏やかで物腰の柔らかな良い人で、尊敬もできる人です。
離婚はしたけど、お付き合いは続けていきたいですね。
子ども達もこれまで通り、行き来していくことだろうし。

今年の正月は、来年からの仕事の準備とか進学準備とか、引っ越しの片づけとかすることにしたから帰らないことにしたけど、おせちは私が選んで送る手はずを整えました。
まぁ〜いつも通りのことだけど。
とにかく、淡々とやるべきことをこなしていくだけだわ、あとは。
健康第一に、元旦那には心を入れ替えてもらうキッカケにしてもらって、とにかく皆がそこそこ幸せに暮らしていけるように願うだけです。


2011年12月21日(水)
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