Comes Tomorrow
ナウシカ



 好き過ぎて…

もうすぐ今年も終わりですね。
なんか色々あった1年でした。
今年はいっぱいいっぱい好きなことして、自由に自分を解放した1年でもありました。

それで、そういういろんなことを、大好きなこと、楽しかったこと、これはと思うことをいっぱい書くぞ〜と意気込んでいたんですが、コレがどういう訳か書けない。
私はどうも好き過ぎると書けないらしい。

コブクロのライブとかも今年は初めて行きました。
ap bank fes'07(つま恋ライブ)、風に吹かれて(万博3万人ライブ)
コブクロ単独ライブは、まだ行ったことないけど満喫しました♪

コブクロファンの人とか、いっぱい感想とか詳細を書いているんだけど、私も書きたくて書こうと思いはするんだけど、やっぱり書けなくて…
最初の頃は書いていたけど、好きになってハマればハマるほど書けなくなってきて…

私のHNにもしてる『風の谷のナウシカ』
これも書けないのですよ。
中学生の時に、初めて『風の谷のナウシカ』の映画を観てから、ずっと好きで毎回泣きながら観ていて、それでも書けない。

好き過ぎたり、想いが強すぎるとどうも書けないみたい。
亡くなった友達のこととか諸々、胸に溜めてる思いはいっぱいあるんだけど、どうも想いが溢れ過ぎて書けないみたい。
言葉にすると、どれも違うみたいな感じになるような気がして、書き出せないというかね…

だから本当の想い?みたいなものは、全然書けてないblogってなってしまうね。
まぁ〜どうしたもんでしょ?

こういうときは詩にしたらいいんだけろうけどね。
ああ〜書けない、でも想いは溢れてる、パンクしてこぼれ落ちそうになる前に…

まぁ〜無理はやめとこ、マイペース、自然体が一番!
頑張ることは止めて久しい私です。

変な〆になってしまったけど、やり残したこともあるけど、まっ来年ということで…こんなんでいいんかな、私?


2007年12月31日(月)



 それぞれの15歳

あれは看護学校の実習病院でのこと。

身体全体に麻痺があり、言語障害、視覚障害(失明)のある15歳の男の子の看護(といっても、ほとんど見学)につきました。
彼は中途障害で、シンナー中毒によるものでした。
指導看護師からは『シンナーで脳がドロドロに溶けちゃったのよ』と聞かされました。

15歳で、身体は不自由、言葉も上手くしゃべれない、目は完全に光を失い、今、彼は何を思っているのだろう?
そんなことを思いました。

ロレツの回らないか細い声で何かを伝えようとするのですが、私は耳をそばだてても、彼が何を言っているのか理解できず聞き返すばかりでした。
『つ・ん・ぼ』
その言葉だけ理解できたなんて、何とも皮肉…

私は彼と真正面から向かい合いたかった。
『そうだよ〜私はつんぼだよ〜ごめんね』
と言いながら会話を続けようとしたのですが、彼の手がゆっくりと私の目の前を通り過ぎました。

いったい彼は何をしているのか?
すぐには理解できなかったんですが、彼の手はわずかに拳を握っていました。
(ああっ私を殴ろうとしていたのか!)
彼の手は脳の障害のため、本当にスローモーションのようにしか動かせなかったんです。

いわゆる不良だった彼。
怒りを表すにも、今はスローにしか表せない彼。
何とも悲しくなりました。

彼はなぜ、こんなことに…
彼のお母さんという人が面会に来ているのを見て、何となく察するものがありました。
綺麗にというか派手に着飾った女の人が面会に来て、少し言葉をかけただけですぐに帰ってしまい、親戚の人か誰かかと思っていたら、それが彼の母親だとのこと。

何だか他人行儀な、どこかよそよそしいなと思える態度で、とても彼の実母だとは思えませんでした。
(彼はきっと寂しかったんだな)と勝手に彼の気持ちをわかったような気になって、でも何ができたわけでもなく、短い実習期間は終わってしまいました。

『しにたい』と言って、食事を拒否することも度々だった彼でしたが、リハビリも病院スタッフから励まされながら頑張っていた彼。
今頃どうしているのかと、今でも時々思い出します。
彼の拳に殴られてあげれば良かったかなとか、そんなこともふと考えてみたり…


あれは勤務先の病院でのこと。

15歳の時に交通事故で脳にダメージを受け、今は植物状態の彼。
私が出会った頃はもう18歳になっていました。
人工呼吸器はもう外されていましたが、気管切開された喉元から息をしていました。

聞くところによると、彼は暴走族に入っていて、自宅に帰らない日が何日も続いていたとか。
そんな時、暴走族の走行中に事故に遭ったのだとか。

完全看護の病院ではなかったので、昼も夜もほとんど彼の母親が付き添って看護をしていました。
そのお母さんからいろいろお話を聞く機会があり、『事故にさえ遭わなければね…』というお話をしたところ、意外な答えが返ってきました。

『いや、この子が元気な頃はね、反抗ばかりして、ほんとどこで何をしているのかもわからなくて心配で心配でね。
でも今はこうやって、私のそばにいてイイ子でいてくれる。
こんなにイイ子はいない。
今の方が安心なのよ』
そう言って、本当に愛しそうに我が子の頬にスリスリ頬を寄せて微笑まれていました。

母親がほとんど付き添っているといっても、時々自宅に戻らなくてはいけない時もあって、そんな時は私たち看護師が彼の母親に代わって看護するんですが、そんな時は植物状態とはいえ、彼の表情は一変します。
『お母さんはどこ?』と言わんばかりに不安げな表情をします。

そしてお母さんが戻ってくると、喜怒哀楽の表情が出ないはずの彼の表情が、とても穏やかな、今にも微笑みそうな表情になります。
元気な頃は、親に反抗して暴走族だったかもしれないけど、今は親の愛情に包まれ、とても幸福そうに見えます。

まぁ〜不幸な出来事ではあったかもしれないけど、これがこの子の人生なんだなと考えさせられました。


またまた実習病院でのこと。

産婦人科実習で陣痛室に見学に入りました。
ちょうど3人の産婦さんが頑張っていました。

その中に、なんと15歳の初産婦さんがいたんです!
助産師さんはバタバタと急がしそうで『学生さん、この子についといてあげて!』と言って、私は15歳の産婦さんにつくことになりました。
体格は大きくて十分大人って感じだったけど、顔はあどけない15歳の女の子でした。

実習だから、いろいろと情報収集できるわけですが(しないといけない)、
お腹の子の父親も15歳の中学3年生。
同級生同士で交際していて、できちゃったようなのです。

彼女は産みたいと思ったのかどうだか、お腹が大きくなるまで誰にも話さず黙っていたようで、気づいた時にはもう子どもを下ろせない週数にまでなっていたのだとか。

彼女の家庭は複雑で、彼女の両親は離婚。
その後、母親は再婚、再婚相手の間に子どもが2人生まれました。
彼女は連れ子で母親と継父と父違いの兄弟たちと暮らしていました。

陣痛の最中、彼女の母親が面会に来ました。
地味でおとなしい感じの人で、どこかしらおどおどした感じのする人でした。
どうも夫に気を使っている様子で『すぐに帰らないといけないの、ほんとはここに来ることも内緒で…』と言って、すぐに帰ってしまいました。

彼女とお腹の子の運命は…
当初は、相手の彼の両親が引き取って面倒を見ることになっていたそうです。
それが、産まれる日が近づいてきて気が変わったようで、産まれてすぐに施設に預けられることが決まったそうです。

15歳の彼女が1人で育てられるわけもなく…

初めてのお産、15歳の女の子が陣痛の痛みに1人で耐えていました。
大人でも、初めてのお産なんて不安で不安で、痛くて痛くて、1人で耐えるなんて、精神的にもかなりキツイものがありますよ!
そして、産んでしまって退院したら、すぐにお別れなんて!
彼や彼の家族にも裏切られたような形になってしまって、彼女の心中を思うと、何ともやり切れない思いでした。

彼女は、ごくごく普通のどこにでもいる真面目そうな女の子でした。

無事産まれて、初めてのオッパイ(指導)の時。
不安げに痛みに耐えていた彼女が、我が子を抱く時はパッと表情が明るくなって、本当に嬉しそうに頬を紅潮させていました。
抱き方はまだぎこちなかったけど、大事そうにお人形さんを抱くみたいに…

いざ、オッパイという時…
まだ首の座らない赤ちゃんの頭をしっかり支えきれておらず、彼女の手から赤ちゃんは床にまっ逆さま!
あっと咄嗟に私が無事キャッチしました!
目の前に私がいたからいいようなものの…

『赤ちゃんは首がまだ座ってないから、しっかり頭と首を支えて持ってあげなアカンよ!
お人形さんじゃないんだからね、しっかりね、お母さん!』

なんて偉そうに子どもを産んだこともない私が、一生懸命に指導したのでした。

そのとき産まれた赤ちゃんが、自分を産んだ親の年齢に近づこうとしています。
元気で過ごしているだろうか?
あの時の親子は?

退院したら離れ離れになる運命の親子だったけど、産まれた我が子を抱く15歳の女の子は、しっかり母親の顔をしていて、愛しそうに我が子を眺めていたんですよね。

共に幸福に暮らしていたらいいなと、本当に願わずにはいられません。


それぞれの15歳。
いろんな人生があるもんですね。

皆、それなりに一生懸命に生きている。
これから15歳を迎える人も、とうに過ぎてしまった人も、今という時をかけがえのない時を大切に生きていきましょう……なんてね♪


2007年12月24日(月)



 成りたい自分

今日は懐かしい人に会えました♪

病棟に術後の患者さんを迎えに行った時、病棟は申し送り中でした。
目と目が合った瞬間…
『お久しぶりです』
『戻ってきたの?』
『えぇ♪』
『えぇ?(笑)』

私がまだ准看の学校に通いながら学生として働いていた病院(今とは別の病院)で知り合った先輩。

20歳…私は悩んでいました。
この先輩とは夜診の点滴室で一緒になることが多く、2人きりの勤務なので仕事の合間に個人的な話をする機会もあり、自然と親しくなっていきました。
そこで相談に乗ってもらったりも…

『私って看護婦に向いてないんじゃないかなと思うんです…』
『う〜ん…私も自分が看護婦に向いているなんて思ったことないよ。
向いているかどうかというよりも、自分が成りたいか成りたくないかなんじゃないかな?
成りたいと思うことが向いていることなんじゃない?』

私はその言葉を受けながらも看護学校を辞めざるを得なくって、一度は看護師の夢を諦めました。
何度も迷ったり挫折したりしながら、やっぱりこ世界に戻ってきて、かつての恩人にナースキャップをかぶった姿で会えたのは本当に嬉しかったです♪

”向いているかどうかよりも成りたい自分になる”
何かあるごとに、心の角にあるこの言葉が湧いてきて励まされてきました。
何気ない一言が、ずっと心に残って助けられることってあるんですよね。
本当に感謝感謝です♪

もっと勉強してキャリア積んで、また共に働けるようになったらいいなぁ〜
目標とすべき先輩方が多い職場なので、ほんとモチベーションは上がりますわ!
ちょっと最近疲れ気味だけど、頑張ろう!


2007年12月13日(木)



 看護師が医師の仕事を補完!?

規制改革:医師負担軽減で看護師の薬処方解禁…医療分野案(毎日新聞)


ちょっと待ってよ!と歌のひとつも歌いたくなるような話だ!
なに考えてんだか!

医師不足たって看護師だって不足してるし、看護業務は多いし、ただでさえ過酷労働で離職率が高いのに、こんなん無理に決まってるでしょ!
それにこれまでの看護教育だって不十分なのに、これ以上、高度な知識と技術を要する分野を看護師に責任負わせるって、どういうこと!

この件を話し合われた委員の方々の中に、1人も医療従事者は入っていないという話も聞いています。
現場の話は全然聞いてないんかいな!

昨今の医療崩壊を招いたのは誰のせいやと思ってるねん!
ほんと、とんでもない政策で医療界を引っ掻き回すのは止めてもらいたい!
医療崩壊は国民の寿命を縮めます。
現に救急医療現場では、様々な問題が起こっていますね。

マスコミもどうも偏った報道をしているようだけど、もう少し現場の話を聞きましょうね。


2007年12月08日(土)



 お金じゃない価値

総合病院の眼科に勤務して2週間経ちました。
疲れているけど充実した毎日です。

私がこの病院に勤務していたのは9年前。
入れ替わりが激しい業界ではありますが、ここはほんと人が辞めない。
給料は、そこらへんの医療機関の中でも一番安いんじゃないかと思うぐらい安い。
だけど皆、辞めない。

辞めない理由…働いているとひしひしと感じますね。
先輩方が優しい、丁寧に教えてくれる。
一度でも一緒に働いたことのあるスタッフにはフレンドリーに声をかけてくれる。
後輩のミスも先輩がさりげなくフォロー。
それに大ベテランのスタッフでも、実に謙虚で『私もまだまだなのよ』と言いながら、後輩が萎縮しないように教えてくれる。

それに何と言っても管理職がしっかりしてますね。
スタッフの家族構成や生活実態、悩み事などにも気を配ってくれて、精神的なサポートも押し付けがましくなくしてくれる。
ほんと温かい職場です。

私は以前、外科病棟に半年間だけ働いていて、妊娠して体調が悪くなったことで辞めてしまったんですが、9年経った今も以前と変わらず、会う人ごとに声をかけてくれます。

眼科でオペ後の患者さんとか外科病棟に迎えに行くこともあり、懐かしい先輩方に会って、数分話をするのも楽しいひと時です♪


子どもの時から患者でお世話になり、高校を卒業して看護学校の実習でもお世話になり、2人の子どもを出産する時もお世話になり、また仕事でもお世話になり…ああ〜もうこのまま、ここで骨を埋めるのかしらなんてことも考えたり…

まぁ〜とにかく眼科はいろいろと特殊で覚えないといけないことが山ほどあり、頑張んないといけないですわ!
訪問看護もしばらくは掛け持ちで続けていくので、時間は有効に使わないとね。

おお〜もうこんな時間!?
訪問看護の報告書を書かなくてはぁ〜


2007年12月02日(日)
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