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■ 自分と世間のギャップ
こういうblogをやってると、いろいろと心配してくれたりする人もいます。
『こんなこと書いて大丈夫なの? こんなに家族のこと晒して大丈夫なの?』 『人から同情を買いたいの?慰めてもらいたいの? 励ましてもらいたいの?誰かに頼りたいの?そう見えるよ』
こないだ中学時代の友達といろいろ話していました。 親子関係で問題を抱えているという点では、私と似た境遇の子です。
その子がポツリと言ったんですよね〜 『世間的に見たら、私なんか不幸に見えるかもしれない。 普通じゃないかもしれない。 だけど、自分としてはそんなに不幸だなんて思ってないんだよね。 それなりに幸福なんだよね。 でも人に(体験を)話すと、(不幸だと)そう思われちゃうんだよね〜 違うのになぁ〜』
居酒屋で 『最近どう?』 から始まった話の中には、普段は人に話せないような家族の話とか、幼い頃から現在もずっと続いている家族の問題とか、『うちとこはこうだよ』 とか話していたんですが、ほんとお互い 『そうそうそう!』 と共感できる話がたくさんあって、内容的にはヘビーな話なんだけど和やかに笑顔で語り合うことができました。
『こういう話を笑いながら話せるのは、M(友達)だけだよ。 他の人に話しても、まずわかってもらえないもんね〜 それに深刻な感じになっちゃうしね〜』
文字にしてしまうとドロドロ深刻な話であっても、過ぎてしまった過去、今ある現実として、様々な問題を受け入れている私としては、もうそのことで悩んだり苦しんだり求めたりという急性期的な症状は治まっていて、そのこと自体で悩んで悩みぬいて苦しんでいるという状況ではありません。 スッキリ解消ということでもないけど、人に話したり、blogに書いたりできるようになったということは、もう回復をしてきている証拠というか。
本当に悩みの渦中にいた頃は、逆に人にも話せなくて、愚痴も言えなくて、ただ一人で抱えていることが多かったです。 人に話したところでどうなるもんでもないしという気持ちもあって。
抱えて抑圧された記憶は、時を経ていつか無くなるものではなく、どこかで区切りをつけて出していかないと、いつまでもリアルに蘇ってきて苦しむ結果になるんですよね。 思い出すことは辛くても、今さらやり直しがきかなくても、それでも自分の人生を振り返り確認しながら生きていく。 そういうことは大切だと考えています。 ここまで回復することができて、初めて間違ってなかったと思えることです。
だから、人の同情を買いたいわけでもないし、自分がこういった体験を書くことで人から嫌われてしまっても、そんなことは私の中では全然問題にもなりません。 私が私として生きていくために、生きている実感を得るために、そしてこれからも様々な困難に立ち向かっていくために、自分という人間に向かい合って生きていきます。
私の半生は、悲しいけど不幸ではありません。 それに辛くても幸福です。 夢も希望もあります。
何があってもへっちゃらさ! 生きている間は生きてるんだから。 こう思えてるうちは、まだ幸福なんでしょうね。 うん、明日から、また頑張れる!
2007年10月24日(水)
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